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比翼の鳥なんてお断り ~私の前世は小説に書いてある~  作者: 海土 龍
本編

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51.子供の日


 峨鍈邸に戻ると、すぐに夕餉を取る。

 湯殿よくしつの支度ができたと呂姥が伝えて来たので私室を出て回廊を歩き、峨鍈が蒼潤のために西跨院に建てた湯殿に向かった。


 普段は私室に大きな桶を運び入れて沐浴するのだが、数日に一度は湯殿を使って髪を洗う。

 私室でも十分に髪は洗えるのだが、峨鍈が蒼潤の髪は自分が洗いたいと言い出したので、こんな面倒なことになっている。


 湯殿に入ると、土を掘り下げた場所にひのきの板を滑らかに削って組んで作った浴槽が半分ほどの高さまで埋め込まれている。

 浴槽には並々と湯が張っており、白い湯気が濛々と室の中を満たしていた。

 蒼潤は衣を脱ぐと、浴槽の縁を跨いで静かに湯の中に入り、深く体を沈めた。


「殿を待ちますか?」

「来るか分からない」

「では、洗ってしまいましょう」


 呂姥が浴槽の縁で膝を着いたので、蒼潤は頭だけを浴槽から出して瞼を閉ざした。

 呂姥が蒼潤の髪を結い上げていた紐を解く。長く流れるように広がった髪に、そっと湯をかけられた。

 十分に湿らせた後、ヒエのとぎ汁を髪に塗り込んで、頭皮を指の腹で押すように揉んでいく。心地よくて眠りそうになった頃、呂姥が桶を手に取って、再び湯を蒼潤の額の生え際からゆっくりと掛けて、とぎ汁を流した。


「できましたよ」

「ん」


 頷いて頭を起こした時、湯殿の外で物音が聞こえた。

 耳を澄ませていると、湯殿の中に足音が入ってくる。蒼潤が使用中に許可なく中に入って来る者など、彼しかいない。

 彼は、浴槽の中で寛いでいる蒼潤とその傍らで膝を着いている呂姥を見下ろして言った。


「なんだ、もう洗ってしまったのか」


 片手を振って呂姥を下がらせると、峨鍈は衣を脱いで浴槽に入って来る。

 二人で入る目的で作った浴槽なので、峨鍈が入って来ても窮屈にはならないが、蒼潤は場所を譲るように立ち上がって浴槽から出て行こうとした。

 峨鍈が蒼潤の手首を掴んで止める。


「待て。少し付き合え」


 振り返ると、彼は青く染まった蒼潤の髪を眩しそうに見上げていた。

 仕方なく、再び浴槽にしゃがむと、蒼潤の青い髪は湯の表面で扇状に広がる。


「――で? 姉君のところに行ってきたのだろう? 蒼珪林県令をどう見た?」


 峨鍈が湯に浮かんで漂う蒼潤の髪に手を伸ばして、ひと房、手に取った。

 やはり自分の行動は筒抜けなのだと眉を顰め、蒼潤は動揺が顔に出ないように気を付けながら口を開く。


「いけ好かない」

「ほう?」

「お前の力で、あの男をどこか遠くにやってくれないか」

「なら、琲州刺史にするか」

「琲州に追いやってくれるのか。ああ、だけど、姉上が追いかけて琲州に行ってしまったら、どうしよう」


 峨鍈が青い髪から手を放し、蒼潤の頬にその手を伸ばしてきた。

 蒼潤は煩わしげにその手を払い除ける。


「心細い顔をするな」


 退けても、しつこく手を伸ばされて蒼潤は顎を取られた。 


「何が不安だ? お前のそばには俺がいるだろ」


 蒼潤は顎を掴まれたまま峨鍈から目を反らす。なんと答えたら良いのか分からなかった。

 もう一方の彼の手が蒼潤の首筋に触れて、肩に、胸に触れてくる。その手を払い除けて、蒼潤はざばりと湯の中で立ち上がった。


「もう出る」


 浴槽の縁に足を掛けて出ると、湯殿の外で待っているであろう呂姥に声を掛けて、中に入って来た彼女に衵服はだぎを着せてもらう。

 背後で峨鍈も湯から上がった音が聞こえて、蒼潤は先に湯殿を去って、回廊を通って私室に戻った。


 ぽたぽたと髪から雫を滴らせていると、後ろから頭に麻布を被せられて、わしゃわしゃと髪を掻き混ぜられる。そのまま二人で臥室しんしつに移動すると、牀榻ベッドに腰を下ろした。


(こいつ、苓姚れいようの室に行く気がないな)


 髪を拭かれながら蒼潤は峨鍈を見上げる。

 何か勘付いているに違いない。だが、どこまで峨鍈が把握しているのか、その表情からはまったく読むことができず、蒼潤は息苦しさを覚えた。

 苓姚の父親である杜圻とぎんに疑いを抱いているから、苓姚のもとに足を運ばないのか。

 それとも、蒼潤を見張るために蒼潤の室に通ってくるのか。


(どこまで気付いている? そして、どう動く?)


 約束の日まで、あと四日。

 それまで、牀榻の内で繰り広げられる腹の探り合いは続いていくのだろう。



△▼



 こどもの日である。

 志保と早苗と鳥居の前で待ち合わせて、大國魂神社のくらやみ祭に来ていた。

 普段の神社と比べたら恐ろしいほどの人の多さだが、三人の目当ては屋台の食べ物なので、大太鼓と神輿の時間を避けて神社の境内をゆっくりと歩いている。


 そもそも、くらやみ祭りの本番は日が暮れてからだ。

 午前中は亜希たちのような子供ばかりがうろついていた。


 あんず飴を食べて、焼きそばとタコ焼きを3人で分け合って食べ、じゃがバターを食べるかどうかで悩んで、結局、3人でチョコバナナを1本ずつ食べる。


「チョコバナナ、家でも作れるよね」

「作れるけど、わざわざ作らないもの、――それがチョコバナナ」

「なるほど」


 ねえ、と早苗がお化け屋敷を指差す。


「今年こそ入る?」


 志保と亜希は顔を見合わせて、ニヤリと笑みを浮かべた。これは毎年恒例のやり取りだ。


「入りまぁー……」

「せんっ!」


 両腕を交差させて大きくバツを作って、3人で笑い合う。

 始まりは、小学4年生の頃、亜希がお化け屋敷に入りたいと言い出して、早苗を大泣きさせたことだった。

 志保はどちらでも良さそうな顔をして、亜希と早苗の間に立つと、両腕を交差させて言ったのだ。


 ――入りまぁーせんっ‼


 その言い方に、普段クールな志保が言ったとは思えないような滑稽な響きがあって、亜希も早苗もお腹を抱えて笑い出してしまう。

 早苗は泣くのを忘れたし、亜希もお化け屋敷などどうでもよくなって、お腹が痛い、お腹が痛い、と笑い続けた。

 3人は懐かしさに笑い合って、お化け屋敷の前を素通りすると、鳥居の方に向かって歩く。


「――っていうか聞いてよ、志保。早苗がひどい」

「ひどいなんて、ひどい! 私は亜希のことを思ってやっているのに」

「えー、今度はなんなの?」


 亜希の言葉に早苗が両手で拳を握ってぷんぷんすると、志保が面倒臭そうに顔を顰めた。


「一昨日、昨日って、早苗が連日うちに漫画を持参して来る」

「へぇ」

「んで、際どいシーンばかり見せてくる! ストーリーとか一切説明はなくて、そのシーンのコマだけを見せて来るんだよ」

「早苗、それはちょっと……」


 さすがに亜希が不憫だと、志保は早苗にじとりと視線を向けた。


「だって、図書室に入れて貰おうと思った漫画がなかなか入らなそうだから、このゴールデンウィークを利用して、亜希に集中講義してあげようかと思って。とりあえず、お姉ちゃんの漫画を借りて、亜希に見せてあげてるの」


 早苗には5つ離れた姉と6つ離れた兄がいる。


「お兄ちゃんの漫画は、さすがの私もちょっと、と思ったからお姉ちゃんの漫画にしてみたのに、亜希ったら、文句ばっかり!」

「早苗さ、たぶん、お姉さんやお兄さんの漫画は私たちの年齢では読んではならんことになっている漫画だと思うんだ。それを、亜希に無理やり見させるっていうのは、どうかと思うよ」


 淡々とした口調で、志保は早苗を窘める。すると、早苗は唇を尖らせて、だってぇ、と言った。

 亜希は早苗の顔の前で片手を掲げて、早苗の口を一瞬塞ぐ。


「うん、私のためなのは分かった。おかげで、唇と唇をくっつけるだけがすべてじゃないことは分かったし」

「それは良かったわ。でも、亜希のその知識量だと、どうやって赤ちゃんができると思っているのかが、謎すぎるの」

「えっと、卵子と精子が出会って」

「どうやって出会うの?」

「えーっと……」

「はい! 待って、ふたりとも! ここ神社だから」


 志保が亜希と早苗の間に割り込んで、2人の会話を強制終了させようとした。

 だが、早苗が、でもっ、と声を上げて食い下がって来る。


「最近、亜希って、4巻の内容の夢を見るんでしょ? だったら、知っておいて欲しいの。亜希のために」

「どういうこと?」


 早苗が真面目な表情で必死に訴えて来るものだから、亜希も志保も怪訝に思う。

 早苗は亜希の腕をぎゅっと掴んで言った。


「まだ3巻を読み終わっていないかもしれないけど、先に4巻を読んでおいてくれない? 夢で見ているシーンと同じところとか、夢よりちょっと先のシーンに目を通しておいて欲しいの」

「読み飛ばすと怒ってたじゃん。いいの?」

「いいの! 今回は許す! 許すからすぐに読んで!」


 よほどのことがこれから起きるらしい。

 いったいそれが何なのか尋ねても早苗は口を噤んでしまうが、今にも泣きそうな表情を浮かべて訴えてくる彼女に亜希は頷くしかなかった。


 神社の鳥居を出てすぐに早苗と別れ、志保とは是政交番の前で別れた。

 家に帰ると、亜希は玄関に見慣れない靴を見付けて、一気に気分が落ち込む。


 ――拓巳たくみが来ている。


 従弟の拓巳がしばらく滞在することは、数日前に聞かされていた。

 拓巳が亜希に対して直接何かをしたというわけではないので、亜希が拓巳を嫌うのは、逆恨みのようなものだとは理解している。拓巳の背後に祖父の影が見えるような気がして、亜希にはどうすることのできない想いが沸いてきてしまうのだ。


「ただいま」


 と声を投げるように言って、亜希はリビングの扉をガチャリと開いた。


「おかえり。拓巳君、来ているわよ」

「うん」


 母親に言われて視線を向けると、ソファに拓巳が腰掛けている。










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