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50.血判状


陸成りくせい郡王って? 聞いたことがないな」

「第6代皇帝の皇子だ。酒好きで、大層な女好きだったらしい。子は50人以上、孫ともなれば120人を越す。その末裔など掃いて捨てるほどいるだろうな」


 現皇帝である蒼絃は第14代なので、ざっと250年前の人物である。

 けっ、とわらって蒼潤は肩を竦めた。


「蒼姓を名乗っているが、どこの馬の骨だか分からないようなやつじゃないか。姉上はなぜそんな男を選んだんだ。まさか、そいつに騙されているのか……?」

「さあな」

「明日、姉上に会って確かめないと。きっと何かの間違いだ。姉上がそんなよく分からない男と婚約するわけがない。いくら姉上に見合う郡王がいないからって、県王ですらない男だなんて……」


 布団の上で膝を抱えて座り、ブツブツと呟き続けていると、峨鍈が掛布を大きく開けて、天連、と呼ぶ。


「そろそろ寝たらどうだ?」

「お前のせいで、目がギンギンに冴えてしまった」


 キッと睨み付けると、峨鍈は後悔しているかのような表情を浮かべて目を細めた。


「横になっていればそのうち眠れるだろう。ほら、腕の中に来い」

「眠くなるような話をしてくれ」

「どんな話だ?」


 蒼潤が掛布の中に入ると、峨鍈は蒼潤の体を両腕で抱き込みながら聞き返してくる。


「お前のガキの頃の話がいい」


 言って蒼潤は、眉間に皺を寄せた峨鍈を見上げ、からからと笑った。



 △▼



 蒼彰のもとを訪れた蒼潤を、蒼彰は信じられないという面持ちで迎えた。肩を上下させて大きく息を吸い、その息と共に腹の底から大声を出す。


「このっ、愚か者ーっ‼」


 蒼潤の後ろに控えていた甄燕がびくりと体を跳ねさせ、その体をぎゅっと縮める。

 対して、蒼潤は慣れたもので、平然とした顔で蒼彰の言葉を正面から受け止めていた。


「しばらく会わない方が良いと、苓姚を通して伝えたと思うのですが。まさか『杜』の意味が分からなかったから来たのですか?」

「いや、分かりましたけど。今日は別件で来ました」


 蒼彰の私室に入れて貰うと、蒼彰の侍女が用意した敷布の上に腰を下ろした。


「姉上、婚約したそうですね。認めません」

「潤の許しは求めておりません」

「聞けば、得体の知れない男だと言うではないですか」

「あの方の人徳が必要なのです。――ところで、誰からその話を聞いたのですか?」

伯旋はくせんです」


 からりと蒼潤が答えると、蒼彰は、さっと表情を変えた。その顔があまりにも青ざめていたので、蒼潤は自分が何か失敗をしたのだと悟る。

 だが、いったい何を誤ったのか、さっぱり分からず蒼彰に答えを尋ねるしかなかった。


「婚約は内々のものだったのです。もちろん、峨司空には伝えていません。――潤、おそらく私たちには監視がついています。そして、今日、貴方が私に会いに来ることで、私たちを監視しているということを伝えてきたのです」


 蒼潤は、蒼彰の主張することの意味が分からず顔を顰めた。

 その顔を見つめながら蒼彰は、つまり、と続ける。


「私たちは牽制されたのです」

「今日、姉上に会いに来たのは失敗だったということでしょうか?」

「いいえ、潤の性格を考えたら、私に会いに行かない方が不自然でしょう。何か企んでいると疑われます。なので、今日の貴方の行動には誤りはないのですが、今後は十分に気を付けなければなりません」

「――分かりました」


 自分の言動はすべて峨鍈に筒抜けになっているのだと理解して、蒼潤は頷く。

 だけど、蒼潤が蒼潤らしく振舞わないことも不自然であるのなら、結局のところ、自分は自分の思う通りに行動するべきなのではないだろうか。

 ならば、と蒼潤は、ぱっと顔を上げて蒼彰を見やる。


そう珪林けいりん県令けんれいとやらを、今ここに呼んで貰えませんか?」


 蒼潤の突然の言葉に虚を衝かれたようになって蒼彰は、ぽかんとした。


「お呼びしてどうするのですか?」

「勝負します! 人となりを見定めてやります」

「それで? 勝負の結果、貴方が負けたら私たちの婚姻を認めるのですか?」

「……そう……ですね……。そうなるでしょうね」


 蒼潤が言い淀みながら答えると、蒼彰は、つんっと顔を反らして目を細める。

 自分の侍女を呼ぶと、耳打ちして、蒼邦そうほうを呼びに向かわせた。

 蒼彰の別の侍女が氷を入れた水を器に注いで運んでくる。蒼潤は自分の前にそっと置かれた器を手に取って、ひと口すするように水を口に含んだ。


じきに、寧山ねいざん郡王が冰睡ひょうすい郡主を連れて帝都に戻って来られます。そうしたら、潤、冰睡郡主を正妃に迎えるのです」

「え……」

「冰睡郡主には、次代の龍を産んで貰わなければなりません」

「いや、でもっ」


 蒼潤は驚いて思わず腰を浮かせる。器の中で水が波打って、器の縁を越えた水が蒼潤の手を濡らした。

 そんな蒼潤の様子を一瞥して蒼彰は続けた。


「さもなければ、寧山郡王と越山郡王に、私とれいが嫁ぐことになります」

「はぁ!? そんなバカな! どちらも50を過ぎたジジイじゃないか。それに既に正妃がいるだろ」

「他に龍がいないのです。お二方の正妃たちはお年を召されていて、もう子供は望めません。私と麗が次代の龍を産むしかないではありませんか」


 だから、と蒼彰は矢のように鋭い眼差しで蒼潤を貫く。


「貴方が冰睡郡主との間に息子を儲けなければなりません。越山郡王も静泉せいせん郡主を貴方の側妃にと仰せくださっています」

「はっ。まるで種馬のようだな」

「潤」


 自嘲気味に言えば、蒼彰は眉を吊り上げた。


「種馬になるか、それとも互いに敬い合う夫婦になるかは、貴方次第です」


 なるほど。蒼彰は自身の婚姻をそう思っているのだ。

 例え、50過ぎのジジイに嫁ぐことになろうと、例え、どこの馬の骨か分からない男に嫁ぐことになろうと、蒼彰は真心を捧げて夫に尽くす覚悟だ。

 もちろん、その覚悟を否定するつもりはないし、すごいとか、えらいとか、そういった感想が普通に湧いた。


 だけど、全てはお前のための覚悟なのだから、お前も同等の覚悟をすべきだと、押し付けられた気がして、蒼潤は鬱々としてくる。

 自分たちが犠牲になってまで守らなければならない龍の血とはいったいなんなのだろうかとさえ、疑問に思ってしまった。


 その日、蒼潤が姉妹の邸を出たのは陽が落ちた後だった。

 蒼潤を乗せて大通りをゆっくりと走っていた馬車が、立ち並んだ露店のひとつの、その店先で不意に止まる。

 馬車の入口を覆った幕が、ぱっと捲り上げられ、男が馬車の中に飛び込んで来た。


 男は蒼潤の正面に息を切らして跪いた。

 50手前くらいだろうか。前に突き出た腹を庇うような猫背である。男は視線を上げて、にこりと笑みを浮かべた。


「お初にお目に掛かります。杜圻とぎんと申します」


 苓姚の父――杜司徒である。


「長く留まれば怪しまれるでしょうから手短に申し上げます」


 馬車の外から甄燕の声が聞こえてくる。馬車の車輪の調子が悪いと言い、下男に様子を確認させている声だ。

 実際には車輪に問題はまったくないはずなので、すぐに馬車を動かさなければ、どこかで見ているだろう監視に怪しまれてしまうだろうと杜圻は言っているのだ。


「姉上から聞いている。協力するには条件があると」

「はい。ですが、まずはこれを」


 杜司徒が懐から出した何かを蒼潤に差し出してきた。

 それは筒のように丸めた紙だったが、蒼潤は警戒してすぐには受け取らなかった。


「それは?」

「誓約書でございます。郡王様が峨司空を討つ際に、共に立つ者の名が連ねられております」


 蒼潤は息を呑んで、それに手を伸ばした。

 広げて目を通せば、いくつも名前が書かれている。 名前の下には指の跡、――血判が押されていた。


「なぜこんな物を……」

「郡主様には必要ないと言われたのですが、これは我々の覚悟をお見せする大切なものですから」


 血判状である。

 こんな物をもし峨鍈に見付かったら、謀叛を企んでいるとされて血判状に名を連ねた者たち全員が処刑されてしまう。

 だが、それだけの覚悟を抱いて自分を帝位に押し上げてくれる者がこんなにもいるのかと思うと、蒼潤は胸が熱くなった。


 寧山郡王、越山郡王の名前に続き、杜圻の名前もあり、帝都にいる主だった者たちの名前が連なっている。

 しかし、その中に蒼邦の名前は見付からなかった。当然あるべきだと思っていた蒼潤は肩透かしを食らった心地になった。


(あの男、腹では何を考えているのか、まったく分からないな)


 蒼彰がなぜ蒼邦という男を婚姻相手に選んだのか、まるで理解できなかったが、おそらくその理由のひとつに、この血判状があるように思えた。

 容易には名を連ねることを是としなかった蒼邦だからこそ、蒼彰は彼を味方に取り込みたいと考えたのだろう。


「郡王様」


 血判状を手に、目を伏せたまま押し黙ってしまった蒼潤に杜圻が静かに声を放った。


「ひとつ、お願いがございます。それが、わたしが郡王様に協力する条件でございます」

「聞こう」


 蒼潤が促すと、彼は真っ直ぐに蒼潤を見つめて低く声を響かせる。


「わたしのひとり娘である苓姚を、峨司空から奪って頂きたいのです」

「なんだって?」

「苓姚を郡王様の側妃のひとりに迎えて頂きたい。それが、わたしからの条件でございます」


 蒼潤は苓姚の儚さを感じさせる容貌を思い浮かべて、眉を顰めた。

 つくづく苓姚という少女は、父親の政治の道具とされる生き方を強いられているようだ。

 哀れに思うし、正直なところ、自分が彼女を娶ることに対して想像がつかなかった。だが、それくらいの条件ならばと軽々しく思う自分もいて、蒼潤は杜圻に向かって一度だけ頷いた。


 杜圻が入って来た時と同様に素早く馬車から出て行った。甄燕の出発の声が響き、蒼潤を乗せた馬車はゆっくりと動き出した。







ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

「読んだよ!」のリアクションを頂けましたら、たいへん嬉しいです。

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