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46.葵陽へ


 ざわざわと木々が騒ぎ始めて、蒼潤が予感を抱いたのを、亜希は蒼潤の体の中で感じた。

 振り返りたい思いをぐっと堪えて背中で気配を探ると、蒼潤の背後に男が立ったのが分かった。


 ――清雨せいうだ。


葵陽きように行かれるそうで」


 掠れたような低い声だった。

 青王朝の都――葵陽。 雅州内にあり、雅州は併州や琲州の西に位置する。


「お気を付け下さい。都は人々の思惑の交わるところ。けして、呑まれることのないように」


 それだけを言い残し、清雨は姿を消した。 呼び止める暇さえない。

 だか、すぐに清雨が姿を消したわけを知った。 呼ばれ、亜希は振り返る。


「天連様、ここにいらっしゃったのですね。お探ししました」

えん


 いつものように彼を呼ぶと、甄燕は顔を顰めた。


安琦あんきです」


 甄燕は昨年成人して、安琦というあざなを互斡国にいる燕の父親に付けて貰ったのだ。


「そうか、安琦か。まだ慣れないみたいだ」

「天連様、お急ぎを。皆、待っております」


 えっ、と亜希は甄燕の顔を振り向く。待っているとはいったいどういうことだろうか。

 すると、甄燕は呆れたように眉を歪めて言った。


「あとは天連様だけです。天連様さえ馬車に乗って下されば、出発です」

「出発? ……ああ、葵陽に行くのか」

「はい、行くのです」


 強く言い放って、甄燕は眉を寄せた。


「――なんか、天連らしくないんだけど、もしかする?」


 突如、口調が変わって、亜希は目を見張った。そして、破顔する。


「うん。もしかする! もしかして、そちらの安琦は、志保?」


 甄燕――志保が頷く。


「うわっ。本当に志保なんだ。すっご‼」

「あり得ないよ、こんな夢。聞いていたけど、実際見ると、すごい違和感。すごい変。あり得ない!」


 志保は自分の顔の前で片手をぶんぶん左右に振って、あり得ないと繰り返す。だけど、あり得てしまっているんだから仕方がない。

 亜希は首を傾げて志保に尋ねた。


「ところで、ここ、どこ? 見覚えがない場所なんだけど」

「さっき早苗にも会って」

「えっ、そうなの⁉」

「それで早苗に聞いたんだけど、併州城だってさ。ちなみに葵暦196年」

「196年!?」


 ――だとすると、昨夜までの夢は葵暦193年だったから、一気に3年も経っていることになる。

 そうと聞いて確認してみれば、蒼潤の体は少し大きくなっているように見えた。腕も脚も長くなっているし、たぶん身長も伸びている。


(17歳なのかな)


 数え年で言ったら、19歳ということになる。


「じゃあ、この夢って、何巻の内容なの?」

「4巻だって」

「うわっ、読んでない。未知すぎる!」


 志保が亜希の腕を引いて、歩みを促す。


「ほら早く。殿とのが待っているよ。すごい心配して」

「心配? 伯旋はくせんが?」

「早苗曰く、この時期の天連は楓莉ふうりが死んでしまって、すごく落ち込んでいるんだって。殿のプレゼント攻撃で、なんとか復活したらしいけど」

「プレゼント攻撃?」

「馬のね」

「あー」


 馬さえ贈れば蒼潤の機嫌が直ると思っている峨鍈が、何かある度に馬を贈ってくるというエピソードは小説に書いてあった。

 おかげで、蒼潤の所有している馬の数だけは誰よりも多い。


「去年、ついに天狼てんろうまで連れてきたんだとか」

「天狼って、翠恋すいれんの仔馬?」


 翠恋は蒼潤が互斡国で大切にしていた牝馬で、天狼とは、峨鍈と初めて出会った時に産まれた翠恋の仔馬だ。

 闇のような毛並みだが、額に十字の白い毛が生えている。それ故に、夜空で最も明るい星という名前を与えた。


「天狼を冱斡国から連れてきて、ようやく天連の気が晴れたと思っていたのに、宮城の奥からぜんぜん出て来ないものだから殿が不安がっちゃって……。しびれを切らして迎えに来る前に行こう」

「うん」


 頷くと、しゃらしゃらと蒼潤の耳元で簪が鳴った。

 華やかな刺繍を施された金青こんじょうの深衣を身に纏い、蒼潤は相変わらず、女の為りをしている。


(伯旋に嫁いで5年か)


 蒼潤が5年も耐えたのかと思うと、亜希の胸は痛んだ。男として世に出たいと思って、互斡国を発ったのに。

 5年という月日は若い蒼潤にとって長い過ぎる月日だったに違いない。


 亜希は志保と共に宮城を出て城門に向かった。城壁に近付けば近付くほど、人々の声や馬の嘶きで賑わいでいる。

 志保の言う通り、出立の準備を終えて待機している峨鍈の家族と、峨鍈と共に帝都に向かう臣下たちが列をつくっていた。


 面紗ベールを頭から被った蒼潤が姿を見せると、すぐに峨鍈が大股で歩み寄って来る。

 馬車に乗るか、馬に乗るか、と問われて、馬と答えると、がしっと腰を掴まれた。

 そして、気が付けば馬上だった。 すぐ近くに峨鍈の体温を感じて彼の馬に横向きに乗せられたのだと気付いた。


「違っ‼」

「女をひとりで馬に乗せられるか」

「女じゃない! ――くそっ! 天狼に乗りたかった」

「あの馬は幼い」


 葵陽までの距離は保たないだろう、と言って峨鍈は亜希の腹に片手を回してくる。


「それに、まだ人を背に乗せることに慣れていない。訓練が必要だ」

「そうなのか」


 自分なら乗れると言いかけて、そうやって意地になって天狼に無理をさせるのは本意ではない。

 諦めて亜希は峨鍈の胸板に左肩をつけるようにして体を預けた。

 視線を感じて見上げると、満足そうな顔がある。気まずく思って、すぐに彼から視線を逸らした。


 そう言えば、と亜希は思う。

 早苗の話によると、功郁こういくに蒼潤が囚われるという危機が経て、峨鍈の蒼潤に対する想いに変化があったらしい。

 蒼潤が他の男の元にいる。 己の龍が、己の妻が――。彼の己のものに対する独占力を掻き立てたのだという。

 12歳の子供ガキだった蒼潤が17歳の少女とも見紛みまがうような華奢で綺麗な少年に成長した時期とも重なり、峨鍈は蒼潤に執着していった。

 亜希は蒼潤の細い腕を持ち上げて眺める。


(鍛えているはずなんだけどなぁ)


 なぜ蒼潤はガチムチゴリラに成長しなかったのか。

 峨鍈の好みは――梨蓉たちを見て分かっているのだが――すらりとした細身の女性だ。蒼潤がゴリラに成長していたら、間違いなく、手は出されなかったはずだ。


 ところが、蒼潤の両親である蒼昏と桔佳きっか郡主は、どちらも体格には恵まれておらず、低身長と痩身そうしんだ。

 これは近親婚を繰り返してきた弊害なのだろうか。とにかく、筋肉がつかない!


 そして、蒼潤の姉の蒼彰も胸の大きさで悩んでいることを、亜希は密かに知っていた。

 これは小説には書いていない話で、玖姥くぼがこっそりと教えてくれた話だ。

 亜希は思い出して、ふふっと笑う。

 あの賢くて澄まし顔の蒼彰がバストサイズで悩んでいるなんて面白い。筋肉で悩む弟とバストで悩む姉だ。

 遠く離れた場所にいても、似たようなレベルで悩んでいる姉弟に繋がりを感じて可笑しくなった。


「ご機嫌だな」


 頭上から声が降ってきて亜希は首を逸らして峨鍈の顔を仰ぎ見る。その顔がニヤニヤと笑っていて、お前の方こそご機嫌じゃないか、と思った。

 視線を前方に向ける。出発の合図があって、ゆっくりと列が進み始めた。

 景色を見ようと、面紗の裾に手を掛けると、その手を大きな手が上から抑える。


「取るな。顔を見られる」

「見られたところで何でもない。減るもんじゃないし」

「俺の心が擦り減る。やめてくれ」


 なんだそれ、と思ったが、言い返すのも面倒で諦めた。

 峨鍈が馬の手綱を片手で操って、馬を歩かせる。もう一方の片手は先ほど蒼潤の手を抑えた時のままで、指に指を絡めてきた。


(こいつ……)


 手を振り払ってやろうとした時、とんっと亜希の頭の上に峨鍈の顎が乗せられた。反射的に声を荒げた。


「重い!」

「葵陽に着いたら、忙しくなるからな」

「はぁ? 関係あるか?」


 面紗越しに、額に唇を押し当てられて亜希は赤面する。


「俺やっぱり馬車に乗る!」

「ようやく進み始めたところだぞ。お前の我が儘で止められるか」

「わがまま!?」


 はあああああああああー!? と亜希は愕然として峨鍈を見上げる。

 明らかに面白がっている顔と目が合って、亜希は眉を吊り上げた。そして、その表情のまま面紗越しに口づけられて、亜希は今度こそ峨鍈の手を振り払った。


「お前っ、ふざけんなよ! これ以上触ったら……っ」


 どう言えば一番効果的だろうかと瞬時に頭を巡らせる。


「き、嫌いになるからなーっ‼」


 叫ぶと、ぱっと峨鍈の体が亜希から離れた。手綱を握った手も、もう一方の手も広げて、両腕を上げている。


「……」

「……」

「……休憩になったら、馬車に乗るから」

「……分かった」


 ――とは言え、寄り掛かるのはラクだからいい。

 触るなよと念を押して、亜希は峨鍈の肩口に頭を預けるようにして彼に寄り掛かった。


 併州城を発って、ひたすら西に進む。

 南北を山脈に囲まれた平らな大地に、東から流れて込んでくる河があり、その河畔にせいの帝都――葵陽きようがあった。


 葵陽に着くと、瞬く間に峨鍈は司空という地位を手に入れた。

 司空は、官制における最高位である三公の一つで、土木建設を管轄にしている。

 呈夙ていしゅく、そして、呈夙の遺臣が荒らした都を建て直すのに忙しいのだろうか。司空の地位を得てからしばらく、峨鍈は蒼潤の前に姿を見せなくなっていた。


 寂しいとは、まったく思わない。むしろ、亜希にとって好都合だった。

 蒼潤にとってもそうなのか、ちっとも胸が痛まない。


(峨鍈の気持ちは本を読んでいるから分かるけど、蒼潤は峨鍈のことをどう思っているんだろう?)


 好ましく思っていることは間違いないのだけど、それはいったいどういう種類の好意なのか判断がつかなかった。











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