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38.約束の場所へ


 亜希の声を聞きつけて、芳華とうばたちが駆け付けてきた。

 何でもない、と片手を振ったのは峨鍈だ。彼は牀榻から足を下ろすと、ゆっくりと立ち上がり、呂姥に手伝われて身支度を整え始めた。


天連てんれんが寝惚けただけだ」

「寝惚けてなんてない! ちょっとビックリしただけだ!」


 ムッとして言えば、彼は笑って言い返す。


「寝ぼけたから驚いたのだろう」


 それから、そういえば、と言い加えた。


「今日あたりに梨蓉りようが到着するはずだ」

「梨蓉……?」


 亜希は峨鍈を見上げて、瞳を大きく開いた。

 梨蓉と言えば、蒼潤が峨鍈に嫁ぐまで彼の正妻だった女性だ。瓊倶けいぐめかけにされるはずだったところ、峨鍈がひとめ惚れしてしまい、瓊倶から奪い取って妻にしたという大恋愛の相手である。


「梨蓉が……来る……? ――えっ、ほんと?」


(それは、ぜひ会いたい!)


 だって、本を読んでいると、峨鍈がベタ褒めしているシーンがあるのだ。

 美人で、賢くて、そして、優しい。どんな女性だろうかと想像して心が踊ってしまう。


「こちらに呼び寄せたと話しただろ? しばらくは斉郡に腰を据える予定だからな。他の女たちも来るだろうから、ひとり、お前にやろう」

「は?」

「考えておけ」


 身支度を終えた峨鍈は亜希の絶句した顔を見て、ははははっ、と高らかに笑って私室を出て行った。


(え? 何? 言い逃げ!?) 


 しかも、どういう心情で言った言葉なのだろうか。

 分からない。分からなくて、何やら怖い。


 梨蓉が斉郡城に来るということは、これは3巻の内容だ。葵歴193年の春の出来事である。

 この頃、蒼潤と柢恵が燃やした斉郡城の外郭門と城壁門は再建され、一時期、赴郡城で暮らしていた蒼潤たちは再び斉郡城に戻って来ていた。

 蒼潤が峨鍈に嫁いでから2年が経過しているので、それはつまり、峨鍈と蒼潤が同じ牀榻で寝起きし始めてから1年半ほど経っているということだ。

 どの程度、手を出されているのか不安に思うところである。


(ハグとかキスは、これまでもされていたから、もうちょっと先までされているんだろうなぁ。――って! 先ってなんだ!?)


 思い返せば、最初のキスは嫁ぐ前だった。一瞬の出来事だったから、蒼潤も亜希も何が起きたのか理解できなかったくらいだ。

 だけど、亜希が思うに、あのキスが蒼潤が腹を括ることを決めた要因のひとつになったのだ。


 玖姥くぼが水桶を持って臥室しんしつに入ってきた。

 その水で顔を洗うと、身支度を整える。袖を通した後に気付いたが、それは深衣だった。

 疑問に思っている間に、あれよこれよと髪を結い上げられて、簪を挿される。


「今日は、大人しくしていてくださいね」

「なんと言っても、敵が攻め込んでくるんですから」

「敵?」

「そう。敵ですわ」


 呂姥が頷きながら人差し指を立てた。


とう梨蓉と言えば、殿のご寵愛の深い方ですもの。その方がいらしたら、天連様、今まで通りにはいきませんわ」

「当然、殿とのの足は遠のいてしまわれますでしょうし」

「いいんじゃん? それで」


 蒼潤にとっても、亜希にとっても、願ったり叶ったりではないか。

 そもそも同じ牀榻で寝ている方がおかしい。だって、蒼潤は妻とはいえ、少年だからだ。


 梨蓉が来てくれれば、峨鍈は蒼潤のところに来なくなる。一緒に寝ることもなくなるなんて、なんて良い時期の夢を見たことだろう!


 亜希があからさまに喜んで見せると、呂姥はため息を付き、玖姥は頬を膨らませた。

 うばたちが下がると、芳華がひとり蒼潤の側に残った。どっちだろう? と思い、亜希は芳華にどんな言葉を掛けようかと戸惑う。


「えーっと……」

「亜希でしょ?」


 芳華が、にこっと笑顔を浮かべて、亜希に向かって指を2本立ててピースサインをした。


「早苗!? 早苗なの⁉」


 嬉しさに思わず両手を上に掲げ、亜希は蒼潤の体で万歳のポーズをする。


「いつから? 私は昨日の朝から芳華なんだけど」

「さっき目覚めたら蒼潤だった」


 どうやら早苗の方が亜希よりも早寝らしい。

 寝た時間によって、数日前、或いは数ヶ月のズレが起こるらしいことは分かってきている。

 それに加え、亜希の夢は今のところ小説の流れ通りだが、早苗は時間が下ったり、飛んだりするのだという。つまり、前の晩では20歳の芳華の夢を見ていても、翌晩には10歳の芳華の夢を見たりするのだという。


 早苗は隠し持っていた袍を亜希に差し出しながら、亜希に向かって数回、後ろ髪を片手で払って見せた。

 何かをアピールしていることは分かったが、何かが分からない。ここは素直に謝って正解を聞こう。


「ごめん、分からない」

「亜希ったら、もうっ! 芳華、16歳。昨年、成人してかんざししました」


 言われてみれば、芳華の髪型が変わっている。この世界の女性は、髪型によって、既婚か未婚か未成年かが分かるようになっていた。

 緩く結い上げて簪を挿し、後ろ髪を垂らした髪型は成人済みの未婚女性の髪型だ。


「天連様があざなを付けてくださって、春蘭しゅんらんというのよ」

「へえ、春蘭か。もう小華とは呼ばないように気を付けなきゃ」


 まったく、この世界ときたら、ひとりの人物に対する名前が多くて混乱する。


「市川君と約束をしているんでしょ? 本当に会えるのかなぁ」


 早苗にも市川が自分たちと同じような夢を見ることを話してある。

 そして、夢の中で会う約束をしたことも話しているので、亜希が蒼潤の私室から抜け出せるように協力してくれるというのだ。


「とにかく約束した場所に行ってみるよ」


 深衣を脱ぐと、ズボンを穿いて、はだきの上から袍を羽織った。腰の辺りで、ぎゅっと紐を結ぶ。


「市川が本当に私たちと同じ夢を見ているのか。夢を共有できるのか。できるとしても、今晩の夢で、それができるかどうかは分からない。別の時期の夢を見てるかも知れないし」

「そうだね」


 早苗が亜希の髪から簪を抜いて一度髪を下ろすと、後ろ髪の上半分だけでお団子をつくると、シンプルな簪を挿した。


「いいよね、男の子は自由に動けて」


 ぽつりと言った早苗に亜希は振り向いて、首を傾げる。


「早苗も男装すればいいよ」

「芳華に似合うと思う?」

「あー」


 亜希は低く唸る。

 蒼潤より可愛らしい顔立ちの芳華が男の子の格好をしても『男の子の格好をしている女の子』以外には見えないだろう。


「じゃあ、下女の格好をする?」


 蒼潤の侍女である芳華は行ける場所が限られているが、そこそこ美しい身なりをした下女なら郡城でも見かける。

 すると、早苗は眉根を寄せて、わずかに怒ったように言った。


「亜希ったら、分かっていないわね。あの人たちは奴婢ぬひなのよ。どんなに綺麗な格好をしていても、誰かの所有物なの。郡城で働いているということは官奴だから、個人のものではないと思うけれど」

「ちょこっと、その姿になるだけじゃん」

「もうっ! ちょこっとでも危ないの! 亜希は見たことないの? えろジジイにちょっかい出されていたり、物陰に引き込まれたりしている下女の姿を」

「……ない……と思う…」

「されていますからっ‼ そういうことをされても訴えたり、反撃したり、文句も言えないのが下女なの! だからね、私が蒼潤の侍女という身分で、宮城の奥に引き籠っているっていうのは、この世界で生きる上で一番安全なの」


 はぁ、と早苗が重たそうに息を吐いた。


「亜希がさ、よく、男はいいよなぁって言っている気持ちがちょこっと分かるわ」

「……うん…」


 亜希が神妙な顔で頷くと、早苗はパッと顔を上げて亜希を蒼潤の私室の外まで見送ってくれる。


徐姥じょぼたちに抜け出したことがバレたら、うまく誤魔化しておいて」

「たぶん大丈夫だと思うわ。天連様なら絶対に抜け出すだろうなと、みんな思っているから。――市川君と会えたら、よろしく言っておいてね」

「うん」


 亜希は早苗に軽く手を振って階を下り、くつに足を通すと、門に向かって駆け出した。

 目指す場所は郡城の参集さんしゅう殿の裏である。亜希も市川も『そこなら分かる!』という場所がその殿舎たてものだったので、その場所に決まったのだが、そこは評議や軍議が行われる広間の近くで、官吏たちの控え室がある殿舎である。


 峨鍈が蒼潤の私室から出て行ってから、かなりの時間が経つため、おそらく評議は既に始まっているはずで、参集殿には人がいないはずだとは思うが、万が一のことを考えて、見知った顔と鉢合わせしないように亜希は柱から柱へと隠れるように走った。


 約束の場所にたどり着くと、亜希はすぐに辺りを見回す。

 この辺りの地面は砂利を敷かれ、大きな白い岩が点在する。その岩のひとつに背を預けるように座り込んでいる少年がいて、亜希はハッと息を呑んだ。

 少年が気配に気づいて振り向き、蒼潤の姿をその目で捉える。亜希はごくりと唾を飲み込んで、そして、そっと伺うように尋ねた。


「市川?」


 少年は頷いて淡く微笑んだ。


「よう」


 気恥ずかしそうに少年――柢恵は片手を上げて短く声を発する。


「市川、柢恵だったのか!」


 驚きながら亜希は市川の隣に腰を下ろした。


「本当に会えるなんてすごい!」

「俺もびっくり。俺の夢に久坂の意識を持った蒼潤が出て来るなんて!」

「私にとっては、これは私の夢だよ。――それに、さっき早苗にも会ったんだ」

「本当に? すごい。3人で同じ夢を共有しているのか」

「これって、どう考えても普通じゃないよね。妄想や願望から見た夢ならば、ここでこうして話ができるわけがない」

「うん、そう思う。まるで3人とも魔法を掛けられたみたいだ。そうでなければ、集団催眠とか?」


 市川は柢恵の体で腕を組み、人差し指で肘をトントンと突くように動かす。


「俺たち3人には共通点があるはずだ。それは、おそらく――」

「本だ!」


 亜希は市川の言葉を遮って言った。市川が頷く。











【メモ】

はん

 字は子則しそく

 夏銚の実子で、蒼潤の4つ年上。父親に似て、でかくでごつい。

 穏やかな性格。実弟もいる。

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