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33.光源氏の方がマシ


「とにかく体も心も大きいし、思いっ切り遊んでくれるし、剣でも弓でも上手にできれば、すごく褒めてくれるの。いけないことをすれば容赦なく叱ってくれるところは、今まで叱られたことのない蒼潤にとって衝撃的だったみたい」

「蒼潤の父親の蒼昏そうこんは、どちらかと言うと文官タイプだから、蒼潤と武芸をすることもないし、息子とは言え、皇族だと遠慮があって、本気で叱ることはなったみたいなんだ」


 そりゃあ夏銚に懐くよなぁ、と亜希は早苗と市川の言葉に頷く。

 ただでさえ、峨鍈から放置され続けた後の夏銚の登場だ。

 女性しかいないやしきの奥に閉じ込められていた少年は、外に出られただけでも最高の気分なのに、そこに思いっ切り遊ばせてくれて、いっぱい褒めてくれる年上の男性がいたら、好感を抱かないわけがない!

 飼い犬だって、散歩に連れて行ってくれる人に大いに懐くものだ。


「蒼潤が夏銚に懐くと、峨鍈はちょっぴり面白くないわけね」

「自分が悪いのに」


 すかさず亜希は突っ込む。蒼潤をほったらかしにしておきながら、峨鍈が女を寝室に連れ込んでいたことを亜希は知っている。

 早苗も亜希と同じ想いなのだろう。亜希に頷いてから言葉を続けた。


「夏銚に懐いちゃった蒼潤を見て、峨鍈は蒼潤のことをほったらかしにし過ぎたと反省して、蒼潤の部屋を訪れるようになったの。蒼潤が調練で怪我をしていないかチェックしたり、怪我をしていたら薬を塗ったりして……」

「えっ。チェックとか、怖っ!」

「蒼潤が寝落ちするまで話をしたり、同じ寝台で寝たり……」

「は? 一緒に寝てるの!?」

「蒼潤があれこれ聞きたがるから、話しているうちに時間が遅くなって、自分の部屋に戻るのが面倒になって泊ることになるのよ。部屋が遠いからね」


 ――遠い。


 亜希は夢で見た斉郡城の蒼潤が暮らしている場所を思い出して、あそこは確かに峨鍈の部屋から遠い、と納得せざるを得ない。

 夢の中では、宮城の最奥にある蒼潤の部屋から、宮城の中でも表に近い位置にある峨鍈の部屋までの距離を、蒼潤はかなり走っていた。峨鍈は塀を飛び越えたりはしないだろうが、夜更けにあの距離を歩いて自室に戻るのは骨が折れることだろう。


「わかった。そこは仕方がないことにしよう」

「――で。一緒に寝てたら、手、出ちゃうよね?」


 ね? って、早苗。

 亜希はぷるぷると頭を左右に何度も振る。志保と市川は無言だ。律子の視線は書類に伏せられたまま。

 早苗の言葉には誰も同意せず、むしろ、亜希は言い返した。


「光源氏は数年待てたから、光源氏の方がマシじゃん!」

「光源氏と紫の上は夫婦じゃなかったけど、峨鍈と蒼潤は夫婦でしょ。たとえ手が出ちゃっても問題ないのよ」

「夫婦、形だけ! 形だけの夫婦だからね!」


 だんっ、と亜希は拳をテーブルに叩き付ける。

 はっとして律子に視線を向けると、律子はにっこりして、大丈夫よ、と手を振った。


「とにかくアウト! 峨鍈、アウト―‼」

「でも、最後まではしてないのよ」

「最後までの意味が分からないから、アウト!」


 意味が分からないと亜希に言われたことで、早苗は思い出したことがあったようで、律子の方に顔を向ける。


「律子さん。昨日リクエストした本って、いつ頃、図書室に入りますか?」


 律子は書類から顔を上げて早苗に視線を向けると、柔らかく微笑む。


「昨日のうちに事務室に申請書を提出したから、一週間くらいで届くかしら。でも、急ぎでとお願いしたから、もう少し早いかもしれないわね」

「ありがとうございます。それ、亜希の教科書なんです」

「はあ?」


 なんのことだ、と亜希が怪訝顔をすると、律子がくすくす笑い声を立てた。


「早苗ちゃんがリクエストしたのは、少女漫画なのよ。亜希ちゃんに是非、読んで貰いたいんですって」

「亜希は絶対に少女漫画は買わないだろうから……。私が持っているものを貸してもいいんだけど、私の家まで取りに来て貰うのも、私が亜希の家に持って行くのも大変だから、図書室で借りられたらいいなぁ、と思って」

「なんで少女漫画?」

「だって、亜希ったら。エッチなことって何? って聞かれて、キスって答えるんだもん」

「ぶっ‼」

「ぶはっ!」


 志保と市川が同時に噴き出して、揃って口元を手の甲で拭う。


「性教育の本を読んでって言ったけど、絶対に読まないだろうから、読みやすい漫画で勉強して貰おうと思って」

「早苗ちゃん、少女漫画でそれを学ぶのも、それはそれで危険かもしれないわ。少女漫画の恋愛は、ファンタジーだからね。男性が読んでいるエロ本やエロ動画がファンタジーなのと同じよ」

「いいんですぅ。子供のうちはファンタジーの世界に浸かりたいんですぅ」

「――っていうか、漫画も図書室に入れて貰えるんですね」


 志保が感心したように言うと、律子がにっこりと頷く。


「もちろん。すでに学習漫画をたくさん購入して棚に並べているわよ」

「いえ、少女漫画なので」

「少女漫画だって素晴らしい漫画はたくさんあるもの。もちろん少年漫画も」

「さすがにBL漫画は不可ですよね。たぶん、そのうち早苗がリクエストしますよ」


 ふふふっと早苗が不気味な笑みを浮かべ、律子もふふふっと似たように笑みを浮かべた。


「もちろん、これから亜希には、少女漫画、ちょっと大人な少女漫画、レディースコミック、そして、BL漫画を読んで貰うつもり!」


 椅子から腰を上げ、拳を握って声高らかに宣言した早苗に、亜希と志保は顔を引き攣らせる。市川は唖然としている――いや、違った。ドン引きしている。


「亜希、逃げた方がいい」

「ごめん、早苗。私、この本を読むだけで精いっぱいで、漫画を読む時間はないと思う」

「大丈夫よ。漫画は別腹だから」


 そんな別腹、聞いたことがない!

 亜希は『蒼天の果てで君を待つ』の3巻を抱えてぷるぷると震えた。



 △▼



 風が吹いた。

 肌を刺すような冷たい風だ。北から南へと吹き抜けていき、季節は稔りの秋から冬へと大きく進んで行こうとしていた。

 大々的な軍議が開かれて、蒼潤も後方に参列した。峨鍈の顔すら見えない位置である。

 不満はなかった。そもそも参列できたことが、蒼潤にとって驚きだったからだ。


 郡城の広間には峨鍈の下に集まった文官と武官が居並び、熱気で溢れている。広間の奥の方――峨鍈の近くには古参の者や名の通った者が左右に並んで立っているが、新参者や若輩者は広間の入口近くに集まっていた。


 蒼潤も広間の入口で、夏銚の実子である夏範かはんと共に立って広間の奥の方で進められていく軍議に耳を澄ませていた。

 夏範は蒼潤よりも6つ年上で、温厚な性格をしている。突然できた弟に対して嫌な顔ひとつせず、しかも蒼潤が横柄な態度を取ってもまったく意に返さず世話を焼いてくれた。

 そんな息子を夏銚は物足りないと感じているようだが、何をするにも大きい父親を補うように細やかな気遣いができる彼を兵たちの多くは慕っている。蒼潤も彼と接しているうちに彼を兄として慕うようになっていた。


こう、あそこを見てごらん」


 声を潜めて夏範が蒼潤の耳元に口を寄せて言った。夏範の視線の先を追えば、文官の列の一番前に立った孔芍こうじゃくの姿がある。だが、夏範が蒼潤に見せたかったのは孔芍の姿ではなく、孔芍の傍らに控えた少年の方だとすぐに気付いた。


 少年は蒼潤と同じくらいの年齢に見える。――であるにも関わらず、あんなにも前方で軍議に参加している。いったい彼は何者なのだろうか。

 蒼潤は夏範を見上げると、屈んで貰い、彼の耳元に口を寄せて尋ねた。


「あいつ、誰?」

柢恵ていけいだよ。麒麟児だという噂を聞き付けた殿がせん郡から連れて来た少年だ」

「麒麟児?」


 それほどの逸材いつざいだというのだろうか。見定めてやろうと睨むように視線を送っていると、孔芍の傍らに立つ少年は退屈そうに大きなあくびをした。

 そして、どこかぼんやりとした目付きで、己の足先の床一点を見つめている。ちゃんと軍議を聞いているのかどうか怪しげな様子だ。


(なんだ、あいつは)


 蒼潤の胸にもやもやとした暗い気持ちが沸く。自分はこんなにも峨鍈から離れた後方で、その他大勢として軍議に参加しているというのに、柢恵という少年は孔芍のすぐ隣に並んで、あんなにも峨鍈の近くにいる。自分と同じくらいの年齢の少年だと思えば、ますます悔しさが沸き立った。

 ぎっと奥歯を嚙みしめた蒼潤に気付かず、夏範は話を続ける。


「柢恵が12歳の頃だったかな、殿が自ら鮮郡に足を運ばれて、柢恵を連れて来られたんだ。だけど、その時の殿のやり方がひどく強引だったらしく、柢恵の父親に訴えられてしまって……」


 思い出したのか、口元を手で押さえて夏範はふふっと笑った。


「人攫いだ、って」

「人攫い?」

「聞けば、殿は彼に名を尋ね、彼が柢恵だと答えたのを聞いて、すぐに馬に担ぎ上げたらしい。そして、そのまま連れ帰ったのだとか」

「それは間違えなく、人攫いだ」


 あまりにも呆れた話だったので、蒼潤はしばし悔しさを忘れて苦笑を浮かべた。だが、夏範の次の言葉に再び表情が曇る。


「昂と歳が近いから、仲良くなれるといいね」


 夏範は言いたいことを言い終えたとばかりに姿勢を正して、軍議が進められている前方に視線を戻した。 

 なぜ、歳が近いというだけで仲良くならねばならないのか。

 そもそも仲良くなる必要があるのかどうかも分からず、夏範に言い返そうかと思ったが、その前に峨鍈の声が響き、何も言わないまま蒼潤もそちらに視線を向けた。いよいよ軍議の内容が壬州の叛乱軍の話に移った。


 峨鍈は夏頃に併州刺史からの援軍要請を受けていたが、秋の収穫を終えるまで動けないと返答し、そうこうしている間に叛乱軍が併州に攻め込んで来て、併州刺史が討たれてしまった。


 刺史を失い、まとまりを失った郡太守たち――とくに叛乱軍の侵攻を受けている杜山とざん郡と豊陽ほうよう郡の太守が峨鍈を併州牧に推挙し、改めて援軍を要請してきている。

 これに応えるかたちで、峨鍈はいよいよ壬州叛乱軍の鎮圧に乗り出したのだ。


 孔芍がひとりひとり名を呼び、その者が前に進み出ると、峨鍈によって任を授けられる。

 先陣は夏銚。ならば、その一端として蒼潤も自分の兵を率いて出陣することになるだろう。そう思った時だった。蒼昂の名が広間に響いた。

 自分のことだと気付かず、夏範に軽く肘を押すように小突かれる。

 慌てて蒼潤が後方に並んだ者たちを押し分けて前に出ると、広場の奥に置かれた牀に腰かけた峨鍈と目が合った。


「夏昂。斉郡城で待機を命じる」














【メモ】

ていけい

 字は陽慧ようけい。峨鍈の天才軍師。鮮郡の生まれ。

 12歳の時に、麒麟児の噂を聞きつけた峨鍈によって、人攫い同然に連れて来られて、軍営に加わる。

 幼いうちは、孔芍の下について学んでいた。彼の噂を峨鍈の耳に入れたのも孔芍。

 月足らずで小さく生まれ、幼い頃からすぐに体調を崩していた。そのため、20歳まで生きられないだろうと言われていたが、27歳まで生きた。

 彼の死後、彼の妻子は蒼潤が引き取っている。

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