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32.信じられる大人


「どうしたの?」

「だって、普通に信じてくれるから。私も早苗も、自分でも変なことを言っているなぁって分かっているんです。だって、あり得ないじゃないですか。夢の中で友達と会えるなんて。自分の身に起きたことだから信じるしかないけど、でも、きっと自分ではない誰かの話だったら、絶対に信じません。それなのに、律子さんは信じてくれたから……」

「あら、だって、亜希ちゃんも早苗ちゃんも嘘をつく子じゃないもの」


 当たり前だと言わんばかりに律子はにっこりして言った。

 亜希も早苗も胸を突かれたような心地になる。じわっと目頭が熱くなるような、そんな想いが胸に奥に広がって、律子に話して良かったのだと確信した。


(この人は、信じられる大人だ)


 亜希は早苗と目線を合わせて頷き合う。

 もちろん、なんの解決もしていない。それでも律子は、また夢を見たら教えてね、と言って二人の話に関心を抱いてくれる。それが今の二人にはとても嬉しいのだ。

 わぁーっと亜希は声を出してテーブルに突っ伏した。


「話して良かったぁーっ。絶対、笑われたり、バカにされたりすると思ってた。うちの姉ちゃんと母さんがそういうタイプだから。いつも、とりあえず全否定してくる!」

「うんうん。うちも、本の読み過ぎでそんな夢を見ちゃったのね、って言われるのがオチだと思う。だから、律子さんにちゃんと聞いて貰えて、ホッとした。嬉しい!」

「でも、聞いてあげることしかできないわ」

「いいんです! それで!」

「むしろ、それが!」


 がばっと体を起こして亜希が言えば、早苗も拳を握って声を大きくして言う。


「そお? じゃあ、もう少し夢のことを詳しく教えてくれる? 具体的にはどういう夢を見るの?」


 まずは亜希ちゃんから、と律子に視線を向けられて、亜希は夢を思い出そうと頭を傾けて考える。


「私の場合は……、ええっと、二通りの夢を見ます。1つは、蒼潤の体に私の心――魂? 意識? そういうのが入り込んちゃう夢です。このパターンの夢だと、蒼潤の体を私の意思で動かせるので、さっき早苗が言ったような給食の会話が、同じ状態の早苗とできます」

「うんうん、私はそのパターンの夢を見ることが多いよ」

「もうひとつの夢はどういうものなの?」

「もうひとつは、蒼潤の体の中にいるのに、私はただ見ているだけで、動くことも話すこともできない夢です。あっ、これ夢だ、って分かるんですけど、そう分かったとたんに、蒼潤と完全に一致してしまって、だんだん私の意識が薄らいで完全に蒼潤になりきってしまうんです。自分が亜希だってことを忘れてしまうし、考え方がすっかり蒼潤のようになってしまって、ちょっと怖い感じの夢です」

「そう……。心が呑み込まれてしまったような感じなのね」

「はい、そうです」


 律子が亜希がなんとなく抱いている恐怖を正確に言葉にしてくれたので驚いてしまう。

 そうだ。心が呑み込まれてしまう、そんな気がするのだ。

 いったい何に呑み込まれてしまうというのか。それは、夢か、それとも、蒼潤か。亜希が亜希ではなく、蒼潤になってしまって、次第に亜希という存在が消えてしまうのではないかと思って怖いのだ。


「――でも」


 早苗が表情を明るくして、その場の空気さえ明るくしようと、努めて元気に律子に向かって言った。


「私は夢を楽しんでいます。だって、実際、楽しいですよ。本の世界に入れた気がして。本を読んで楽しい。夢を見て楽しい。二回楽しめて、すごくお得な気分です」

「あら、いいわね。最近、見た夢で楽しかったことを教えて」


 律子の興味を惹けたと早苗は喜んで、嬉々として話し始める。


「蒼潤が夏銚の調練に参加するようになって、毎日、傷だらけになって部屋に帰って来るんです」

「斉郡城の頃の話かしら?」

「そうです。そうです。――それで、その傷の手当てをしに、峨鍈が毎晩、蒼潤の部屋に来るんです。きゃああああって感じで、夢の中でも胸がドキドキしちゃうんですぅ」

「は?」


 亜希は納得できない、と眉間に皺を寄せる。


「なんで、峨鍈が毎晩、傷の手当のために、わざわざ蒼潤の部屋に来るの? 」


 すると、早苗がくるっと亜希の方に振り向いて、ニマニマと奇妙な笑みを浮かべて言った。


「それはね、や、き、も、ち」

「はああああー?」


 意味が分からん、とますます顔を顰めると、それまで黙っていた市川が不意に口を開いた。


「夏銚って、お父さんって感じだよなぁ」


 じつに唐突に、そして、真顔で言うものだから、亜希も早苗も、そして、志保も律子も、一瞬、ぽかーんとする。

 そして、興奮に頬を赤く染めて早苗が大きく頷いた。


「分かるぅ! パパだよね! 蒼潤は14歳で親元を離れているでしょ? 14歳と言っても、本の世界は数え年で書かれているから、実際は12歳なの。近くにいる年上の男性に父親を求めちゃっても仕方がないよね!」

「えっ、待って。はぁ? 数え年? 本当は12歳って、どういうこと?」


 なんじゃそりゃあ、と怪訝な顔をすれば、市川が丁寧に説明してくれる。


「数え年っていうのは、昔の歳の数え方で、生まれた時を『1歳』、元旦が来ると、『2歳』、そんで、それ以降は元旦が来るたびにひとつずつ年を増やしていく数え方だよ」

「神社では今でも使うよね。ほら、厄年は数え年で考えるでしょ」

「それ、だれとくなの?」

「みんないっせいに元旦でひとつ歳を取ったら分かりやすいから、みんなお得?」


 それは絶対に嘘だ。むしろ分かりづらいのではと亜希は思う。しかし、この数え年は、日本や中国のような東洋の国々では長らく使われていた年齢の数え方なのだという。

 亜希が不満げな顔を見て、志保だけが大きく同意してくれた。きっと早苗と市川は、そういうものなんだから仕方がないじゃんと言えるほど、数え年に慣れているのだと思う。

 つまり、亜希の味方は志保だけだ。


「確かに分かりづらいよね。例えば、亜希は10月生まれじゃん。数え年だと、生まれた時が1歳で、数か月後の正月には2歳になる。でも、満年齢では0歳。生後2か月と数日って感じなんだ」


 満年齢っていうのは、普段、自分たちが使っている年齢の数え方だよ、と市川が付け加える。それは誕生日が来たら、ひとつ年齢が増えるという亜希にとって最も馴染みのある数え方である。


「2歳なのに、実は生後2か月? 2歳と生後2か月って、かなり違うじゃん」

「早生まれの人は、数え年と満年齢の差は、ほとんど1歳差なんだけど、10月、11月、12月生まれの人は一年間のほとんどが2歳差になっちゃうの。――そういうわけで、亜希と同じ秋生まれの蒼潤も14歳と書いてあっても、実際はほとんど12歳だから、これからはそう思って読んでね」


 亜希は、うーんと低く唸った。


「じゃあ、つまり、峨鍈は12歳の男の子を妻にしたってことだよね? 峨鍈って、いくつだっけ?」

「36? 37? そのくらい」

「やばいねっ! 犯罪じゃん! 怖っ‼」


 思わず叫んで、亜希は身震いする。


「でも、カエサルとクレオパトラは30歳差だよ」

「徳川家康なんて、70代の時に20歳の側室に子供を産ませてる」


 30歳差の例を挙げたのは早苗で、徳川家康のショッキングな一面を披露したのは市川だ。

 亜希は思わず叫んだ。


「ぎゃあああああーっ‼ 家康の株価が暴落したーっ‼」

「うん、暴落した」

「――って、違うんだよ。大事なのは出会った時の年齢! だから、日本のロリコン代表の光源氏がヤバいやつだなって思う理由は、紫の上との年齢差がどうのじゃなくて、見初めた時の紫の上の年齢が問題なの!」


 あー、と早苗も志保も市川も納得の唸り声を低く響かせる。


「たしか10歳……」

「そう! ヤバいでしょ?」

「ヤバいね」

「峨鍈もヤバいからね。――っていうか、光源氏はそのとき18歳くらいだからね」

「そうか、高校生くらいか。ちょっと許せるかな」


 志保が自分の顎に拳を押し付けながら言う。ちょっと許し掛けている志保もヤバい。

 でもね、と峨鍈擁護派の早苗が口を開いた。


「光源氏は紫の上を引き取った後、数年間、同じ布団で一緒に眠り続けたんだよ」

「え、何それ? 知らない。初耳だ」

「紫の上にとって光源氏は、父親代わりでもある、兄のような存在だったんだけど、普通、平安貴族の父親は娘と同じ布団で寝たりしないの。もちろん、兄妹で同じ布団なんてあり得ないの。なのに! 光源氏は紫の上と一緒に寝てたんだよ!」

「それは……、なに目的で?」

「え、待って。怖い怖い。それ以上、聞きたくない」


 亜希は顔の前に両手を掲げ、ストップと言って早苗の口を塞ごうとした。だが、早苗は止まらない。


「数年間そうやって信用させておいて、紫の上が14歳くらいの時についに手を出しちゃったの!」

「ぎゃーっ、ひどい!」

「泣くわーっ! 紫の上、泣くわーっ‼」


 叫んでテーブルの上に突っ伏し、のたうち回る亜希と志保。ちょっぴり陸に上げられた鯉みたいに見える暴れっぷりだ。

 律子のくすくす笑いが聞こえて顔を上げれば、彼女は亜希たちの話に耳を澄ませながら、再びテーブルに書類を広げている。こんな騒がしい状況なのに仕事を始めてしまっていて、びっくりだ。ミスっても絶対に亜希たちのせいにはしないで頂きたい。

 ごほん、と早苗が咳払いをひとつ響かせた。


「ごめんね。ここで残念なお知らせです」


 改まった表情で早苗が言うものだから、亜希も志保も姿勢を正して耳を傾ける。


「はいはい、なになに?」

「光源氏を下げようと思って言ってみたけど、よく考えたら、峨鍈も同罪でした。てへぺろ」

「は?」

「蒼潤は夏銚のことを『爸爸ちちうえ』と呼んで彼の調練に参加するようになると、ものすごく夏銚に懐くの」

「まあ、当然だよね。夏銚のパパっぷりがすごいし」












【メモ】

くつ

 宮殿たてものの中は基本的に土足禁止。

 履を脱いで、かいだんを上がって、へやに入る。

 蒼潤のように回廊を突っ走る主がいると、下男が履を持って追い駆けなければならない。大変だ。

 皇城の正殿は、土足OK。同様に、王城や郡城や県城の正殿も土足OK。

 室内では床に直接尻をつけて座る。正座が基本。

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