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25.遠ざかっていく互斡城


 日岡もかなりのものだが、この水谷とかいう人も話が通じない。にこにこしながら、一本調子に同じ言葉を繰り返して来る。


「なんで私が!?」

「さあ。社長が決められたので」

「無理だよ、そんなの! 私、小説なんて書いたことない!」

「社長は亜希さんをご指名です」

「だから、なんで私?」

「さあ」

「日岡さん、バカなの⁉ どうかしてるよ!」


 わたしは社長に従うだけなので、と涼しげに答える水谷が恨めしい。 綺麗な顔だけに余計だ。

 馬を贈ろうかだの、お嫁においでだの。散々亜希の心を乱しておいて、あげく、小説を完結させろときたか。

 書けなくなった小説を押し付けるために、プレゼントを贈りたかったのだろうか。

 いや、それにしたって、押し付ける相手がどうかしている。人選はもっとよく考えてからおこなって欲しい。

 わなわなと体が震え出した。――だが、ふと気が付く。 


「日岡さん失踪したんですか?」

「はい」

「でも、さっきまで一緒にいましたよ。ついさっきまで競馬場で会っていました!」


 そうだ。確かに一緒にいたのだ。

 失踪? 笑わせてくれるな。ちゃんといたじゃないか。

 日岡が失踪したわけではないのなら、亜希が小説の続きを書く必要はない。

 うん、うん、と大きく頷きながら水谷の顔を見上げる。すると、彼は訝しげな顔をして、ため息を付く。


「ですが、わたしは社長の意思に従うだけですので、やはり亜希さんが小説の続きを書いてください」

「なんでだぁー‼」


 叫ぶ亜希を一瞥すると、水谷は優雅な動作で立ち上がる。そして、足元に置いていた紙袋を両手で持つと、亜希に向かって差し出した。

 妙に重そうなそれを見て、亜希はぎょっとして尋ねる。


「なんですか?」

「本です。1巻から7巻までお持ちしました。執筆途中の原稿も入っています。読んでくださいね。――では、話は済みましたので、これで失礼させて頂きます」

「いや、待って。ぜんぜん済んでない! 私、国語の成績がヤバいの。小説なんて無理!」


 水谷は紙袋を亜希の手に持たせると、すたすたと歩き出し、リビングの扉を自ら開けると、リビングから出て行ってしまう。

 亜希は重すぎる紙袋をその場に置くと、慌てて水谷を追って玄関に向かった。


「水谷さん、本当に無理だから。私、書かないよ? 書けないからね! だから、他の人に頼んでよ。――っていうか、自費出版でしょ? 流通もほとんどしていないって言ってたし。書けなきゃ書けないでいいんじゃないかな!?」


 水谷は靴を履き終えると、亜希に振り向いて、にこっと微笑んだ。


「大丈夫ですよ、亜希さん。なんとかなります。ひとまず小説をお渡しした分まで読み終えてくださいね」


 そう言い残し、水谷は自ら玄関の扉を開いて帰って行ってしまった。

 ばたん、と閉まった扉を茫然と見つめて、亜希はしばらく石像になってしまったかのように動くことができなかった。



△▼



 小さな町が移動するかのようだった。

 峨鍈の兵が三百。蒼潤を慕って共に互斡国から発つ兵が五百。そのうちの二百は騎兵である。そして、蒼昏が蒼潤につけた数十名の下女が加わり、長い列を作っている。


 華やかな馬車が五台。その後ろを荷車が十数台続く。荷車の荷はすべて蒼潤の嫁荷であった。

 馬車と荷車の側面を騎乗した兵士たちが挟むように囲んでいる。馬車を引くのは、並ぶように繋がれた二頭の馬だ。


 五台の馬車のうち、他の馬車よりも大きくて一段と華やかな馬車だけは四頭の馬が繋がれている。その馬車に乗るように促されて亜希は顔を顰めた。

 そして、またか、と思った。また夢を見ているのだ、と。


 亜希の意識が浮上した時、蒼潤はくれないの深衣を身に纏い、頭から紅の面紗ベールを被って顔を覆い隠していた。

 目の前が真っ赤だったので、何事かと亜希は驚愕したが、すぐにそれが婚礼衣装だと気が付いた。この日、蒼潤は峨鍈と婚礼を挙げ、互斡国を発つことになっている。

 亜希がなかなか馬車に乗らないので、峨鍈が揶揄して言った。


「どうした? この期に及んで冱斡の地の外へ出ることに怖気おじけたか?」  


 亜希は面紗に隠された顔を、むっとさせる。下裳の裾を摘まんで捌き、足を高く上げて踏み台に乗ると、巻き上げられた幕をくぐって馬車の中に乗り込んだ。

 大きな馬車なので、その中は小さな部屋のような広さだ。亜希に続いて侍女の芳華ほうかと、芳華の母親であり蒼潤の乳母であるじょ氏が乗り込んで来る。


 この母娘はあまり似ておらず、芳華が春の陽射しのような柔らかで暖かい雰囲気を纏っているのに対し、徐氏は常に凛として冬の早朝のような厳しさを抱いていた。

 徐氏の夫――つまり、芳華の父親は蒼昏の従者だが、徐氏が蒼潤に従って互斡国を出ると決めた時、二人は離縁する道を選んでいる。


 徐氏の後ろから更に二人、馬車に乗り込んで来た。りょ姥と姥と呼ばれる蒼潤の侍女だ。

 どちらも徐氏よりは年若いが、30の半ばを越えた年齢である。

 二人の姓につく『姥』という文字は、彼女たちの名ではなく、『年配の女性』要するに『おばあちゃん』という意味を持つ。

 30半ばで『おばあちゃん』は酷いと思うが、彼女たち自身が望んで蒼潤に呼ばせている呼び名であった。

 蒼潤は二人を親しみを込めて『呂姥』『玖姥』と呼び、いつしか徐氏のことも『徐姥』と呼ぶようになっている。


「天連様は、そちらに」


 徐姥が指し示したのは、馬車の中に運び込まれたベッドの上だった。

 牀は腰掛けとしても使われる物なので、布団の代わりに柔らかな毛皮の敷物を敷かれたその上に亜希は腰を下ろした。

 三人の姥たちは亜希と向かい合うように床板の上に座り、芳華も母親の隣に座ろうとしたので、亜希は手招いて自分の隣に呼んだ。おそらく、そちら側に4人並んで座るのは、狭すぎると思うのだ。

 亜希の隣に芳華が座れば、誰ひとり窮屈な思いをせずに済むはずだ。


 外から、ざらりと幕が下げられた。

 閉じられた空間の中に亜希を入れて5人。亜希は芳華と並ぶように牀に座り、ちらり、ちらりと彼女の顔を窺い見た。


(今頃、早苗も夢を見ているのかなぁ)


 芳華を見ていると、亜希は早苗を思い出す。早苗もリアルな夢を見るのだと言っていた。それは『蒼天の果てで君を待つ』の夢で、早苗はその夢の中で芳華になりきっているのだという。

 そう聞いてからというもの、芳華を見ると、彼女が早苗に似ているように感じた。


 どこが似ているのだろうか。顔ではないので、雰囲気だろうか。仕草とか、ちょっとした間の取り方だろうか。どこと、はっきり言えるようなところではなく、なんとなく似ていると感じる。

 この時も亜希は芳華を見て、早苗に似ているなぁ、と思って、つい、その名前を呟いた。


「さなえ」


 すると、芳華の肩がびくんっと震えた。

 どうしたのだろうかと、つと視線を隣に座る芳華に向けると、ゆっくりとした鈍い動作で芳華が顔を上げて、亜希を見た。


「今、なんと仰せになられましたか?」

「えっ、私、変なこと言った?」

「……私?」


 ぐっと顔を近付けて、まるで間違い探しでもしているかのように、芳華は亜希の顔をじっと食い入るように見つめてきた。

 それから彼女は考え込むように、うーん、と低く唸って、そっと短く言葉を放つ。


「あき?」


 亜希は息を呑んだ。目を瞬かせて芳華の顔を凝視する。

 芳華は亜希に身を寄せて己の口元に手を添えると、こそこそと声を潜めて言った。


「亜希でしょ? だって、天連様なら、もっと口が悪いもん。ここには私しかいないのに、自分のこと『私』だなんて言わない。天連様の一人称は『俺』だわ」


 亜希なんでしょ? と再び言って芳華は手を伸ばし、亜希の両手でぎゅっと握った。

 亜希は、もう信じられない気持ちでいっぱいだった。だけど、目の前の芳華が亜希の名前を呼んで、亜希の手を握っている。

 信じられないけれど、その答えはひとつしかないように思えた。


「……早苗なの?」

「亜希! やっぱり亜希なのね!」

「さ、さなえーっ‼」


 堪えられないとばかりに大きな声を出して、早苗は両腕を広げた。亜希だって、たとえうばたちに奇異な目で見られようと声を押さえられない。

 地獄で仏に会った。――いやいや、孤立無援の戦場で運良く味方と再会できた心地だ。互いに、ひしっと抱き締め合う。


「夢の中で亜希と出会えるなんて!」

「うん、会えて嬉しい! 嬉しいけど、なんで早苗が私の夢の中にいるの!?」

「私に言わせれば、なんで亜希が私の夢の中にいるの? ――って感じよ」


 亜希は自分の体から早苗を引き離して、まじまじと早苗の顔を見つめる。


「本当に早苗? 本当に本物の早苗? 私の知っているあの早苗? これって、どういうこと?」

「分からない。どういうことなのかしら?」


 亜希は亜希の夢を見ているし、早苗は早苗の夢を見ている。

 お互いがお互いの夢の中にいるという認識なのに、その夢の中で出会ってしまうとは、いったいどういうことなのか。


「夢を共有しているってことなのかしら?」

「夢を共有? そんなこと有り得るの?」

「分からない」


 うーん、と低く唸り、二人は同時に首を傾げた。

 その時、出発の合図が鳴り響き、がたんと大きく馬車が揺れて、ガラガラと車輪が動き出した。


「2人とも騒いでないで、きちんと座っていないと転んで怪我をしますよ。さあ、互斡国ともお別れです」


 徐姥に言われて、亜希は顔を覆う面紗を片手で引っ張るように取ると、牀の上で体の向きを変え、窓に身を寄せる。

 そして、窓を覆っている幕を指先で摘まんで隙間をつくると、外を覗き見た。


 河の水が流れるように人の列が動いていた。列は宮城を出発して、その南側に位置する王城を堂々と抜けて城壁門を出る。

 城門から外郭門を真っ直ぐに繋いだ大通りには、互斡国の主である互斡郡王の次女――深江郡主に別れを告げようと押し寄せた互斡国の民で大騒ぎとなった。

 人々を掻き分けるように一行は進み、太陽が空の一番高い場所にくる前には外郭門を出た。


 いよいよ、これで互斡城ともお別れである。

 青々とした草原の海の中に、ぽつんと佇んだ互斡城。草原には放牧された馬たちが草を食んでいて、吹き抜けていく風が彼らの鬣をたなびかせる。

 この匂いを覚えていようと、亜希は窓に顔を寄せて思いっ切り外の空気を吸い込んだ。草の青臭さと馬の獣臭さが肺いっぱいになって、蒼潤の幼少期の思い出として記憶されていく。














【メモ】

水谷みずたに 怜司れいじ

 25歳。日岡の秘書で、容姿端正。

 にこにこしながら、かなり強引で、「話が通じない!」と亜希に思わせた。

 古本屋で早苗に『蒼天の果てで君を待つ』を薦めた人物である。

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