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20.果たして、ひとめ惚れか否か


 司書室は六畳ほどの小部屋で、そのほとんどのスペースを中央のテーブルが占めている。

 テーブルの上には山積みにされた本。壁には何かのポスターやチラシなどが画鋲で貼り付けられていて、棚が壁に沿うように置かれている。棚の中も上も本ばかりだ。

 本来のスペースよりも狭く窮屈に感じられるが、それが却って、隠れ家やアトリエのような雰囲気を醸し出していて居心地が良さそうだ。


「よう」


 不意に短い挨拶が聞こえて、亜希も早苗も驚いて声の主に視線を向けた。

 見れば、少年がひとり、テーブルに頬杖をついてこちらを見上げている。彼はテーブルに『蒼天の果てで君を待つ』を広げて、もう片方の手でその本のページをめくった。


「どうして市川君がここにいるの⁉」

「図書委員だから」

「本当は当番ではない曜日は司書室には入れてあげないことになっているんだけどね」


 困ったように眉根を寄せて浦部が言う。


律子りつこさんが『律子さん』って呼んだら毎日でも入れてくれるって言ったんだ」

「律子さん?」


 早苗が小首を傾げて浦部に振り返ると、浦部はにっこりと微笑んだ。


「私の名前。亜希ちゃんと早苗ちゃんも『律子さん』って呼んでくれたら、これからもここに入れてあげるわよ」


 ふふふっと彼女は笑みを零した。


「呼びます! 呼ばせて頂きます! ねっ、亜希。律子さんって呼ぶよね!」

「え……。えーっと、いいけど?」

「あら、それなら、さっそく呼んで貰えるかしら?」


 浦部は、ぐっと体を亜希の方に寄せて、期待いっぱいの眼差しで亜希の顔を覗き込んできた。


 ふわりと甘い香りが浦部の長く綺麗な髪から香ってきて、亜希は胸をドキマキさせる。ちょっと年上のお姉さんという雰囲気のある彼女は、テレビに出ていてもおかしくないくらいの美人だ。

 早苗はよく、憧れるぅ、あんな美人になりたい、と言っている。

 しかも、ただ美人というだけではなく、知的で、落ち着いた印象があるにも関わらず、話してみると、気安いところが、また良い。


 浦部は黒々と豊かな睫毛に覆われた瞳を僅かに細めて、小さい女の子のおねだりのように亜希に言った。


「亜希ちゃん、呼んで欲しいなぁ」

「……」


 これは、亜希が『律子さん』と呼ばなければ場が収まらない雰囲気だ。

 亜希は腹を括って浦部を見上げて口を開いた。


「律子さん」

「やんっ、嬉しい‼ ありがとう、亜希ちゃん!」


 律子は図書委員の少女にカウンターを任せると、司書室の扉を閉めた。

 亜希と早苗に椅子を勧めて、自分もテーブルを囲むように椅子に腰かける。


「それで、殿との天連てんれん殿をどうして選んだのかって話だったかしら?」


 どうやら律子は亜希と早苗の会話をしっかりと聞いていたらしい。――と言うよりも、早苗の声が大き過ぎて嫌でも聞こえてきたのだろう。

 そうです、と答えてから早苗は、くすっと笑みを零す。


「律子さん、峨鍈のこと『殿との』呼びなんですねー」

「だって、殿ですもの」

「蒼潤のことは『天連』呼びですか?」

「ええ、そうなの」


 にっこりして頷く律子の顔を見て、亜希が、天連って? と視線を向けると、早苗はすぐに気付いて答えてくれる。


「天連っていうのは、蒼潤のあざなだよ。峨鍈がつけてくれたんだよ。天に連なる者っていう意味で、峨鍈と蒼潤ふたりの野心が窺える字だよね」

「本当は、男は20歳、女は15歳で成人して、字を持つことを許されるんだけど、蒼潤は皇室だし、峨鍈が一刻も早く娶りたいっていうんで、14歳で強引に笄礼けいれいを行っちゃうんだ」

「笄礼って?」

「簡単に言うと、女の子の成人式だよ。これを済ませると、結婚ができるようになるの。男の子の成人式は、冠礼かんれいって言うのよ」


 亜希は低く唸りながら、市川に視線を向ける。


「さっき皇室だしと言ってたけど、どういう意味?」

「青王朝の皇室って、つまり、蒼家だろ? 蒼家の者は、側妃の子はともかく、正妃の子は産まれた瞬間に婚姻相手が決められてしまうんだ」

「えー」

「仕方がないわよ、龍の血を守るためだもの。だから、皇室の婚姻は早いの。決められた相手以外の人と恋に落ちちゃったら大変だもの。そういうことになる前に、さっさと嫁がせちゃうの。蒼潤の母親の桔佳きっか郡主だって13歳で蒼昏に嫁いでいるのよ」


 ひぇーっと小さく悲鳴を上げた亜希を横目に見やって、早苗は律子に向き直る。ぎゅっと拳を握って、力強く言った。


「私、思うんですけど。たぶん、ひとめ惚れだと思います!」

「えっ、何の話?」


 早苗の話が飛んだので、律子に代わって亜希がびっくりして聞き返した。

 すると、早苗がちらりと亜希に視線を向けて唇を尖らせて言う。


「だから、どうして峨鍈が蒼潤を選んだのかっていう話よ。私、ひとめ惚れを推します! じゃなかったとしても、きっと運命を感じたのだと思います」


(運命。でたーっ!)


 早苗は、運命とか宿命とか、そういう言葉が好物だ。すぐにそちらの方向に話を持っていこうとする。


「だって、そうじゃなかったら『比翼の鳥』だなんてロマンチックな言葉、出て来ないと思うんですよ」

「比翼の鳥って、ロマンチックなの?」


 わからん、と亜希が言うと、ふんっと鼻息を荒くして早苗が亜希に振り向いた。


「ロマンチックだよ! だって、比翼連理だよ! 生まれ変わっても愛してる。ずっとずっと一緒にいたいっていう夫婦愛だよ!」

「比翼連理は、唐の時代の白居易の『長恨歌』から由来する言葉だから、峨鍈はそこまでの意味で言っていないと思うけどなぁ」


 そう言ったのは市川だ。

 聞き捨てならん、と早苗は市川に鋭く振り向く。


「そこまでって、夫婦愛のこと? でも、比翼の鳥も、突き詰めれば、二人でずっと一緒にいたいっていう意味でしょ?」

「いや、そこまでは……。単に、お互いに1つの翼と1つの眼しか持たないから、一緒に協力して生きて行こうってことじゃないかな」

「それじゃあロマンスが足りないの!」


 早苗はテーブルの上を、ばしばし叩いて悶える。

 でもね、と律子が口を挟んだ。口元に薄っすらと苦笑を浮かべている。


「運命は感じてたと思うのよ。だって、宮城に行く前に天連殿と会えたでしょ? 会うべくして会ったという感じがするわよね」

「ですよねぇ」


 ぱっと早苗が顔を上げて律子に笑顔を向ける。


「あとね、殿に『馬は好きか』って聞かれて、天連殿ったら4回も『好き』を連発するの。あそこで殿は心を撃ち抜かれたのよ。だって、眩しいくらいの素敵な笑顔で『好き、好き、好き、好き!』って言ったのよ」

「分かります! ですよね!」


 ばんっ、ばんっ、と早苗がテーブルを両手で打ち鳴らして言った。

 亜希は眉根を寄せる。


「えー。そんなシーンあった? ――っていうか、あったとしても、馬に対して『好き』って言ったんだよね? 峨鍈に対して1回も『好き』って言っていないから」 

「亜希ちゃん、今、馬は関係ないの」

「そうだよ、関係ないの。いつどこで峨鍈が恋に落ちたのかの話をしているから」

「いや、でも、馬……」


 視界の端っこの方で市川が亜希に向かって首を横に振っている姿が見えて、亜希はキュッと口を閉ざした。

 早苗と律子が本の萌えポイントを言い合って、きゃあきゃあ言っている。その様子をしばらく無言で眺め、そろそろ頃合いかと亜希は口を挟んだ。


「――じゃあ、つまり、峨鍈にとって蒼潤以外の選択肢はなかったということ? ――でも、蒼潤は男の子なんだよ? ここでいきなりBL本になるとは思わなかったよ。この本の世界では、普通に男が妻になるものなの?」


 亜希が尋ねると、早苗も律子も、まさか、と首を振った。


「ないない。まったく普通のことじゃないよ。だから、男を妻にしたって世間にバレたら、峨鍈は笑い者になってしまう恐れがあるの。宦官の孫が男色に溺れた、ってね」

「じゃあ、やっぱり蒼潤なんてやめておけばよかったのに」


 亜希が、むーっと顔を顰めて言うと、市川が片眉を歪ませながら口を開いた。


「俺は、峨鍈がそんな早い時期から蒼潤に恋に落ちていたとは思わないな。梨蓉の時とは違うから。梨蓉と出会った時は、『胸が高鳴った』とか『胸が苦しい』とか、そういう描写があって、恋に落ちたんだろうなぁって分かるんだけど、蒼潤に対しては、まず『この子の視界に入りたい』という想いがあって、その後は『龍を手に入れたい』という想いが強いように思う」


 峨鍈と蒼潤の出会いは、蒼潤が峨鍈のことを一瞥もしなかったところから始まる。

 よそ者に敏感な互斡城にやって来た峨鍈は、その城内で常に人の目に晒されていた。まるで見張られているかのようなその状況の中で、蒼潤だけが彼をまったく意識せず、その視野に入れることもなく、彼のすぐ側を駆け抜けて行ったのだ。


「でも、『視界に入りたい』って、蒼潤の気を惹きたいってことだから、やっぱり好きってことじゃないの?」

「もしくは、意地かな?」

「意地って……」

「でもさ、たしかに蒼潤って、梨蓉と真逆のタイプなんだよね? 賢くて、落ち着いていて、控えめな梨蓉は、峨鍈のタイプのどストライクじゃん? 単純で、やんちゃで、まったく言うことを聞かない蒼潤は峨鍈のタイプじゃないはずだから、そんな蒼潤に峨鍈がひとめ惚れって、変だよね?」


 早苗と市川の会話に亜希が口を挟むと、早苗は、ムッと眉を寄せた。


「きっと峨鍈は蒼潤と出会って、新たな扉が開いたのよ」

「えー」

「梨蓉は完璧に峨鍈の好みだったんだけど、蒼潤と出会って、自分の手で自分の好みに育ててみたくなったんじゃないかしら?」

「蒼潤、男の子なんだけどー」

「だって、いろいろ教えたいって言ってるもん! 自分で龍を育てたくなっちゃったんだよ。絶対!」


 早苗が両手で、ぎゅっと拳を握って言うと、市川が、うん、と頷いた。


「峨鍈が龍を育成したくなったのは、確かだと思う。どんな風に育つかなぁ、って」

「育成ゲームみたいに言うな」

「あと、普通に、蒼潤の持つ高貴な血に対して欲情している」

「ぶっ‼」


 ――血に欲情って‼











ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

「読んだよ!」のリアクションを頂けましたら、たいへん嬉しいです。

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