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19.小説の登場人物になり切る夢


 午前中の授業を淡々とこなし、気付けば昼休みになっている。

 給食の片付けを終えるとすぐに早苗が亜希の席にやって来て、図書室に行きたいと言ったので、付き合うことにして一緒に教室を出て来た。

 そこまでは良い。ところが、階段を上っている間に、早苗の様子がおかしいと気が付く。ひと言も口を利かない早苗なんて、早苗ではない。明らかに変である。


  変ではない早苗ならば、図書室に行くのが楽しみ過ぎて、図書室に到着するまで、とにかく喋りまくっていた。

 おしゃべりに夢中になりすぎて、いつ早苗が階段を踏み外すか、隣で歩いていて亜希は気が気でなかったほどだ。

 ところが、今日は、ぼんやりと、どこを見ているのか分からない表情で口を閉ざしている。おかしい! 

 そして、これはこれで、早苗が階段を踏み外しそうで、ヒヤヒヤした。


「ねえ!」


 階段を上り切り、三階に着いたところで、亜希は大きめの声を出して早苗の腕を引いた。すると、早苗の体がビクッと揺れて、普段から大きな瞳がますます大きく見開かれる。


「えっ、何? 亜希、どうしたの?」

「どうしたのは、こっちのセリフ。おかしいよ、ぼーっとしてさぁ」

「えっ、私、ぼーっとしてた? そっか。ごめんね」


 心から申し訳なさそうに眉を下げる早苗に亜希は肩を竦める。 早苗の腕を引いて廊下の隅に寄ると、壁に背中をもたれさせて早苗の顔を見つめた。


「何かあった?」


 早苗はもじもじと身じろいで、少しの間、言いにくそうにしながら、これから図書室で返却予定の本を両腕に抱き締めていたが、思い切ったように口を開いた。


「亜希、あのね。私、夢を見るの」

「夢?」

「それがね、すっごいリアルな夢なの」

「リアルな夢……?」


 亜希は思わず顔を引き攣らせた。だって、リアルな夢なら自分だって見ている。

 しかも、小説の登場人物になりきっている夢だ。

 なりきり過ぎて、夢で得た感覚を目覚めた後もしっかりと覚えている程だ。

 峨鍈の声。峨鍈の手の大きさ、そして、唇に触れた柔らかさと熱さ。それらを思い出して、亜希の胸が跳ね上がる。


「うわぁーっ。なしなし! 思い出すな、私!」

「えっ、何? どうかしたの? 私、気に障るようなこと言った?」


 はっと我に返ると、早苗がおどおどした瞳で自分を見上げている。 亜希は、ごめん、と言って首を横に振った。


「何でもない。――それで、どんなリアルな夢なの? 怖いやつ?」

「ううん、怖くはないの。むしろ、面白い夢というか……。あのね、『蒼天の果てで君を待つ』の夢なの」

「え……」

「笑わないでね。――私、『蒼天の果てで君を待つ』に出てくる登場人物になりきる夢を見ているの」

「えー」


 亜希は、さっと口元を利き手で覆い、目を大きく見開いて早苗を見つめた。

 信じられないと瞳で訴えると、早苗が気恥ずかしそうに頬を赤く染めて本を握る手に力を込める。


「じつは、数日前からずっと見続けているの。大抵、読んだ場面なんだけど。時々ね、読んでいないところも夢に見ちゃうの。それがとても不思議なのよ」


 早苗がゆっくりと歩き出したので、亜希も後ろを追うように歩き出す。

 二人で無言のまま図書室の扉の前までやって来て、ようやく亜希は口を開いた。早苗が図書室に入ろうとするのを、腕を掴んで止める。


「もう少し詳しく聞かせてくれる?」

「夢のこと?」

「うん」


 亜希が頷くと、早苗は人差し指を下唇に当てて首を傾げた。なんだか小動物っぽい。


芳華ほうかって、いるじゃない?」

「蒼潤の侍女?」


 うん、と頷いて早苗は恥ずかしそうに言う。


「私ね、芳華になりきった夢を見るの」

「へ、へえ~」


 自分も蒼潤になりきっている夢を見るのだと言った方がいいだろうか。そう思いつつも、なんとなく言いそびれてしまい、亜希は苦い顔をしながら早苗の話に耳を傾けた。


「夢でね、芳華になりきって蒼潤の世話をするのよ。朝、起こしたり、服を用意して、着替えさせたり、蒼潤が暇だと言えば、琴を奏でてあげたりもするの。そうしていると、蒼潤が愚痴を言うの。それが面白いの!」

「愚痴が面白いの?」

「あの本って、峨鍈が主人公でしょ? 彼の視点で書かれているから、その時に蒼潤がどう思っていたのかっていうのは、書かれていないじゃない。ズバリその部分を聞けるのよ! 小説の裏話を聞かされているカンジ!」

「なるほど。――それって、例えば?」

「蒼潤って、ほんと押しに弱くって。幼い頃はお姉さんの蒼彰に、峨鍈に嫁いでからは彼に言いくるめられてばかりいるの。それで、後々になってから芳華に愚痴るのよ」

「峨鍈に嫁いだことも、蒼潤は後悔して愚痴ってた?」

「まあね」


  でも、と早苗は続けてから少し考える仕草をする。数歩踏み出すと、図書室のドアに手を伸ばした。


「愚痴ってはいたけど、後悔はしていなかったかも。だって、蒼潤は峨鍈を愛していたから――」


 早苗は本を片手に持ち直すと、もう一方の手を伸ばして、カラカラと軽い音を響かせ、ゆっくりゆっくりドアを引き開けた。


(はあ?)


 亜希は耳を疑って、口をあんぐりと開けた。そして、そのまま、どうにも閉じられなくなってしまった。 

 しばしの放心してから、はっと正気に戻って早苗を追う。

 図書室の中に入ると、早苗は迷うことなく真っ直ぐにカウンターの隣に設けられた『お薦め図書コーナー』へと向かう。『蒼天の果てで君を待つ』とタイトルが書かれた背表紙が並ぶラックの前に立つと、その中から早苗はすぐに5巻を手に取った。

 もう5巻だなんて早苗の読むスピードが上がっているような気がする。


「で?」

「え?」

「さっきの話。蒼潤って、峨鍈のことが好きなの?」


 男なのに? と亜希が眉根を寄せると、早苗は、えっ、と大きく驚いた表情を浮かべる。


「読んでいて分からなかった? 好きでしょ、どう読んでも」

「はあ? 分かんないよ。そんな感じしなかった」

「もうっ、ちゃんと読んでよ。峨鍈は蒼潤の理想の男性像なのよ。軍師いらずってくらいに頭いいし、剣も弓も凄くて、決断力もあるでしょ。正義感もあって、身分に問わず公平で。文字も綺麗だし、芸術にも理解があるし、もちろん政治にも明るい。そして、蒼潤とは違って、人との駆け引きができる人よ。欠点なんてひとつもないように見えたの、蒼潤には」

「欠点がない奴なんていないよ、たぶん」

「そうね。でも、確かなのは、峨鍈が、それまで蒼潤の周囲にはいなかったタイプの大人の男だったっていうこと。これが乱世を生き抜く男なのかって、芳華に言っていたわ」


 亜希は、へえー、と唸るように返事をした。


「たぶんね、蒼潤は峨鍈に自分が理想とする姿を見ちゃったの。だから、峨鍈に対して凄く憧れを抱くの。そんな相手から『貴方が欲しい』と言われたら、きゃあってなって、きゅんってなるでしょ?」

「きゃあ? きゅん?」


 ――なるか? なるのか?


 亜希は小首を傾げて早苗の顔を見つめる。そんな亜希に早苗は頬を膨らませて、ぷんぷんと不満げな顔をした。


「なるの! っていうか、蒼潤はなったの。ときめいたの! 絶対!」

「そうかなぁ。単に互斡国を出たかっただけじゃないの? ――まあいいや。じゃあさ、峨鍈はなんで蒼潤を選んだの?」


 蒼潤のことは、ひとまず置いておこうと亜希は思って、夢の中でも蒼潤が納得できていない様子を見せた疑問を口にする。

 すると、早苗は、信じられない、と眉を吊り上げた。


「もうっ、亜希ったら、ちゃんと読んでる!? それこそ書いてあったじゃないの!」

「えー。書いてあったかなぁ」

「書いてあったわよ!」

「おふたりさん、ちょっと声が大きいかな」


 カウンターのすぐ側で大声を出している亜希と早苗に――というか、主に早苗に――カウンターの中から司書教諭の浦部が苦笑を浮かべながら声を掛ける。


「ここ、図書室だからね。静かにしてね」

「すみませんっ!」


 ぺこりと頭を下げる早苗にならって、亜希もぺこっと小さく頭を下げた。

 早苗はカウンターの上に『蒼天の果てで君を待つ』を二冊置くと、制服の胸ポケットから生徒手帳を出して、そこに挟み込んでいる図書カードを取り出して本の上に添えるように置いた。


「貸してください。4巻は返却します」

「あら、早苗ちゃんはもう5巻なのね。読むのが早いのね」

「本を読むのが大好きなんです。一日中、読んでいられます」


 にこにこして早苗が答えると、浦部も柔らかく微笑んで返却と貸し出しの手続きを行う。


「亜希ちゃんは2巻を読んでいるのよね?」


 話を振られたので、亜希はこくんと頷いた。すると、浦部は早苗に5巻を差し出しながら、僅かに伏目がちになって呟くように言う。


殿とのは、天連てんれん殿に会えたのかしら……」

「え?」


 思わず聞き返すと、はっと顔を上げて浦部は苦笑した。


「さっき二人で何を話していたの? よかったら司書室でおしゃべりして行かない? 図書室で大声はダメだけど、司書室なら大丈夫よ。でも、叫ぶのは無しね。――まだ昼休みが終わるまで時間はあるわよね?」


 浦部が、ちらりと壁掛けの時計に視線を向けたので、亜希と早苗もつられるように時計の針を見上げて頷いた。


「はい、まだ大丈夫です。司書室に入ってもいいんですか?」

「本当は図書委員しか入れてあげないんだけど、二人は特別ね」


 どうぞ、と言って浦部はカウンターの入口の戸を開いて、二人を中に入れてくれる。司書室はカウンター内にある扉と繋がっている。その扉も浦部が開けてくれて、二人を手招いた。

 特別と言われて早苗はウキウキと嬉しそうに司書室の中に入って行く。その背を追って、亜希も扉の中に入った。












【メモ】

芳華ほうか

 字は春蘭しゅんらん。蒼潤の侍女。乳姉弟でもあり、同じ歳。友のように育つ。

 芳華の母親である徐彩じょさいは蒼潤の乳母で、徐姥じょぼと呼ばれている。

 幼いうちは『小華しょうか』と呼ばれる。


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