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17.暴かれた秘密


 嫌だと暴れているうちに、蒼潤は峨鍈の膝の上に座らされている。両腕に抱え込まれて身動きが取れない!


「離せっ!」


 峨鍈の手が蒼潤の肌の上を滑るように、下へ、下へと移動いく。


「あ」


 そして、思いもしない部分に触れられて、蒼潤は小さく悲鳴を上げた。


「やはりそうか」


 呟くようにそう言うと、峨鍈の腕から力が抜けたので、蒼潤は飛び退くように彼から離れた。

 震える足で立ち上がり、ぎゅっと体を強張らせて、赤らんだ顔で睨み付ける。

 確信した峨鍈がいったい次に何を言い出すのか、蒼潤は呼吸を忘れて彼の言葉を待った。そして――。


「阿葵殿は、男子おのこでしたか」


 その言葉に、さっと血の気を引かせてガクリと膝を折る。

 蒼潤は絶望と死を予感して、愕然と目の前の男の顔を見つめた。


(知られた! 殺される!)

 ――なぜ?


(秘密を知られたからだ)

 ――秘密? 秘密って、何?


(男なんだ。男なのに女として育てられた)

 ――男? 女として育てられた?


(――嘘だ!)






 カッと目を見開くと、辺りは薄闇に包まれていた。

 亜希あきはゆっくりと上体を起こして、目を瞬く。見慣れた自分の部屋が目に映った。

 しばらく呆然とし、はっと思い出したかのように、枕元に転がしてある目覚まし時計を見やると、時計の針は午前2時を指していた。


(何、今の……。夢?)


 夢に違いないのだが、なんとリアルな夢だろうか。

 上衣を剥ぎ取られて晒された肌がひやりと粟立つ感覚。

 男の大きくて硬い手に胸をまさぐられた感触。


(本当に夢?)


 いや、そんなことよりも。

 亜希は困惑と焦りに胸をドキドキとさせながら、ベッドから転がるようにして降りると、部屋の電気のスイッチに手を伸ばした。

 パチリと明かりがつくと、一瞬、その眩しさに目が眩んだ。亜希は目を瞬くと、急いでベッドに戻り、枕元に置いた本を開いた。


 昨夜までに亜希が読み終えたところは、孔芍こうじゃくという軍師に留守を命じ、峨鍈が冱斡国に向かったところだ。そして、馬小屋で蒼潤と出会い、蒼潤の案内で蒼昏を訪ねる。


 亜希は指先を振るわせながら本の文字を目で追って、昨夜読んだ場所から数ページ先を捲った。

 蒼潤が姉妹と共に峨鍈の前で楽器を奏でるシーン。

 自室で、じっとしているのに耐えかねて宮城を抜け出すシーン。

 そして、兎を狩り、峨鍈を置き去りにして甄燕と日暮れ近くまで遠乗りに出かけて――。


(嘘っ!)


 本の中でも蒼潤の前に刺客が現れたのだ。

 亜希は目を疑って、何度も何度も同じ文章を読み返す。

 蒼潤が矢を放ち、一人目が倒れ、二人目は剣で切り捨てる。三人目を相手にしている時に、後ろからもう一人が襲いかかって来て、そこに峨鍈の矢が飛んでくる。

 信じられないことに亜希が見た夢の通りに本のストーリーが進んでいくではないか。


(何これ! 何これ! 何これ! どういうこと⁉)


 亜希は更にページを捲った。

 宮城に戻り、蒼潤は峨鍈の部屋に入る。甄燕が湯を取りに行き、峨鍈と二人きりになると、峨鍈の手が蒼潤に伸ばされた。そして――。


「男!?」


 思わず声が出た。予想外に大きく響いた声に驚き、亜希はびくっと体を跳ねさせた。


(えっ、嘘でしょ。男? なんで? 男!?)


 確かに本にそう書いてある。

 峨鍈が触れたものは、女ならば持っているはずのないものだった。――つまり、蒼潤は男であった、と。

 亜希の手から本が滑り落ちる。ごとん、と背表紙から布団の上に落ちて、裏表紙を上にして倒れた。


(本の中でも、蒼潤は男の子だ)


 夢の通りに本のストーリーが進んでいく。

 本を読んだから、本のストーリーに沿った夢を見たわけではない。逆だ。まだ読んでいないはずの物語なのに、亜希の夢はそれを知っていた。


(信じられない!)


 予知夢というものがあるが、これもその一種なのだろうか?

 ――そうだとしたら、何やらまるで自分がそこまでこの本にのめり込んでいるようではないか。

 早苗じゃあるまいし。 いや、早苗だってこんな夢は見ないはずだ。


(そうだ、早苗だ!)


 亜希は手ひらを、ぽんっと拳で打つ。

 早苗に話を聞いていたから、先の展開を当てるような夢を見てしまったのだ。早苗の言葉をヒントに、夢の中で予想した。そうに違いない!


 ほんの少しスッキリとして、亜希は大きなあくびをした。

 朝はまだ遠い。もうひと眠りできるだろう。先ほど取り落とした本を枕元に戻して、亜希は再び枕に頭を沈めた。


 すると、すぐにウトウトとし始める。

 心地よい眠りに誘われて、意識を手放したところで、亜希は人の息遣いを感じて、はっとする。

 瞼を開くと、峨鍈の顔がすぐ目の前に映った。


(――っ⁉)


 驚きすぎて声もでない。ただ大きく目を見開いて、彼の顔を凝視した。

 幼い蒼潤から見て、峨鍈という存在は途轍もなく巨大だ。少しでも気を弛めれば、その一瞬で呑み込まれてしまいそうである。

 捉えられ、押さえ付けられ、彼の内に取り込まれたら、もう二度と逃げることができない。


 一方、蒼潤という少年は、少女の格好に違和感がないほどに体の線が細い。年齢のわりに背丈も低く、色も白かった。

 幼いせいもあるが、丸みを帯びた可愛らしい顔立ちをしている。


 亜希の目に、峨鍈の広い肩が映った。

 男らしい太い腕。背が高く、声も低い。これが乱世を生きる男の姿なのだ、と蒼潤が嫉妬したのを亜希は感じた。


 ――同じ男なのに。


 同じ時代に生まれ、天を目指す同じ男なのに、どうして自分と彼はこんなにも違うのだろう。

 切ないまでの羨望と仄暗い劣等感。

 亜希は蒼潤の心の内に渦巻く想いに共感して、胸が苦しくなる。


 蒼潤が心を落ち着かせようと、すぅっと息を吐いた。すると、不思議なことに亜希の心も落ち着きを取り戻し、自分の状態を確かめる余裕が出てきた。


 亜希は蒼潤の体の中にいる。それはとても不思議な感覚だが、例えるのなら、亜希の意識が蒼潤の体の中に入り込んでしまったかのようだった。

 蒼潤の体の中には蒼潤自身の意識もあって、今は蒼潤の意識が蒼潤の体を動かしている。

 そのため、亜希は蒼潤のやることを見ていることしかできないが、亜希には蒼潤の心の動きが手に取るように分かった。


 峨鍈が蒼潤にむかって宥めるように言葉を放つ。

 とたん、蒼潤は追い詰められた獣のように再び心を乱して声を荒げた。


「恐れないでください。わたしは貴方を害するつもりはありません」

「嘘だ! さては、お前、互斡郡王の娘を娶りたいというのは口実で、本当は呈夙ていしゅくの手の者なのだろう! 本当に娘なのか、調べに来たのだな!」

「違います」

「見ての通り、俺は男だ! それで、どうする!? 命を奪うつもりか。殺される前に殺してやる!」

「落ち着いてください。わたしは貴方の命を奪うつもりはありません」


 峨鍈の言葉に蒼潤の瞳が戸惑いの色を浮かべて揺れ動く。

 亜希には蒼潤と心を共有しているかのように、彼の考えていることが分かった。

 蒼潤は自分が男だと知られれば殺されると思っていた。そう言い聞かされて育てられたからだ。


 へやの中に峨鍈の声が静かに響く。


「身を護るために性別を偽って生きてこられたのですね」

「男は殺される。寧山郡王の息子も殺された。越山郡王の息子も」


 寧山郡王と越山郡王は、胡帝の同母弟である洪陵郡王の息子たちである。

 帝都にやしきを構え、朝廷に口を出していたことが災いし、恙太后に粛清された。


 青王朝において皇族は容易には処刑できないため、寧山郡王と越山郡王は都を追放されるのみに済んだが、恙太后は執拗に刺客を送り続けた。

 そして、ついに寧山郡王と越山郡王の息子たちの暗殺に成功したのは、蒼潤が生まれる前年のことだ。


 だが、恙太后が、真実、脅威を抱いている相手は寧山郡王でも越山郡王でもない。蒼昏である。――そして、蒼昏に生まれるであろう男子だ。


 恙太后は自分の息子が龍ではないことを知っている。胡帝と洪陵郡王の死後、残りの龍は互斡郡王、寧山郡王、越山郡王、そして、彼ら三人の息子たちだけだ。

 寧山郡王と越山郡王の息子は絶やした。おそらく寧山郡王にも越山郡王にも恙太后に対抗する力などないだろう。


 しかし、互斡郡王――蒼昏はどうだろうか。かつて皇太子として人望を集めていた蒼昏を恙太后は何よりも恐れた。

 なぜなら蒼昏を陥れ、廃したのは、他でもない彼女自身だからだ。


 蒼昏からの復讐を恐れて、恙太后は冱斡国のあちらこちらに息のかかった者を忍ばせている。そのため、生まれる以前から蒼潤の周囲には、もし蒼昏に男子が生まれたなら命を奪えという命令を受けた者たちがたくさん潜んでいたのだ。

 だから、蒼潤は女子おなごでなければならなかった。蒼昏の娘でなければ、生き延びることができなかったのだ。


 ――恙太后さえいなければ。


 彼女さえこの世からいなくなれば、と蒼潤はどれほど願っただろう。

 この乱世に男として生み落とされながらも、女として生きなければならない者の苦しみは、誰にも理解できない。

 蒼潤は、ふっと自嘲の笑みを浮かべた。


「俺を害するつもりはないと言ったな?」


 蒼潤は開き直ったかのように肌を晒したままの上体を起こし、片膝を立てる格好に座り直した。


「では、お前は俺の味方になれるのか? 俺のために武力を差し出せるのか? お前の財力をすべて俺に捧げてくれるのなら、姉でも妹でもお前にくれてやる」


 ――恙太后が死んだ。

 二年前のことだ。ようやく恐怖から解放された蒼昏とその家族が次に知ったことは、礎帝の崩御だった。

 今、都では呈夙ていしゅくという男が礎帝の皇子である蒼絃そうげんを玉座に据えて、己の思うが儘に政を行っているのだという。






 





【メモ】

蒼潤そうじゅん

 字は天連てんれん。幼名は阿葵あき。深江郡主。後に、深江郡王。

 夏昂かこうという偽名も持っている。

 胡帝の孫。胡帝の長子である蒼昏の唯一の息子。余帝(蒼絃)の従兄。

 母親は桔佳きっか郡主。桔佳郡主は、先帝の弟である洪陵王の娘。

 誕生した時から、暗殺を避けて女として育てられる。馬が好き。渕州冱斡国の生まれ。

 14歳(実年齢12歳)で峨鍈と出会い、嫁ぐ。

 ひそかに寧山王の娘との縁談が持ち上がっていた。寧山王は洪陵王の息子。

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