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13.用が済んだら帰ってください


(あれ? じゃあ、司書教諭の浦部うらべはどうやって『蒼天の果てで君を待つ』を手に入れたんだろう?)


 亜希が不思議に思っていると、日岡が小さく肩を竦めたので、亜希は彼の顔を見上げた。


「続きを書く時の参考にさせて貰いたかったんだけど、もう少し先を読んで貰わないとね」

「続き? 続きがあるんですか?」


 7巻で完結しているものだと思っていた。

 驚きの色を浮かべて日岡を見やると、彼は目を細めて頷く。


「まだ書いている途中なんだ。あともう少しで書き終わりそうなんだけど、どうにも行き詰まってしまって」


 大変ですねと言いながら、まだ続きがあると聞けば、早苗が大喜びしそうだと思った。

 早苗と言えば、次に日岡と会う時には自分を呼べと言っていたような気がする。しかし、もうすぐ19時だ。こんな時間に呼び付けて良いものだろうか。

 外はだいぶ暗くなってきている。運動神経が残念な早苗がこの暗さの中、自転車を飛ばして来ると想像すると、ゾッとするものがあった。事故ったら大変だ。


(――うん。早苗には黙っていよう)


 ところで、と日岡は急に話題を変えて話を亜希に振ってくる。


「学校は楽しい?」

「えっ、学校? ええっと、普通ですね。行かなきゃと思って、とにかく通っています。正直、朝起きるのがめんどくさいです。でも、友人たちに会えるから、そこは楽しいかな」

「勉強は苦手?」

「苦手ですね。体育以外の授業は苦痛です」

「体育、好きなんだね」

「この歳になると、――っていうか、小学4年生くらいから、女子のみんなが外で遊んでくれなくなるんです。外で走り回って遊ぶのが好きだったので、小学生の頃は男子に混ざって遊んでいたんですが、中学生になると、そうもいかなくて。でも、体育の時は他の子も思いっ切り体を動かすじゃないですか。一緒に遊んでるって感じがして。だから体育が好きなんです」


 そこまで言って亜希は、あれ? と思って口を閉ざす。

 なんでこんな話を日岡にしているのだろう。こんな話が聞きたくて、日岡はわざわざ家にやって来たのだろうか。

 いや、待てよ。最初の話では本の感想を聞きたいと言っていた。亜希がさほど読んでいないと知ると、それでは参考にならないねということになって――。


(あれ? 日岡さんの用件って、そこで終わってない?)


 ならば、今の質問はなんなのだ? 亜希が学校が好きかどうか、体育がどうのっていう話が日岡の執筆活動の助けになるとは、とても思えない。


(もしや無駄に話を長引かされている?)


 亜希としては、早く制服からラクな服に着替えたいし、お腹がぺこぺこなので夕食も食べたい。――というか、そろそろ我が家の夕食の時間なので、帰ってくれないかなぁと思う。

 亜希は腰をソファから浮かせて、話を切り上げたいアピールをしながら日岡に視線を向けた。

 気付いているのか、いないのか、日岡は淡く微笑みながら言う。


「亜希ちゃんは、男の子に生まれたかったのかな?」

「えっ」


 亜希は瞳を瞬いて、唐突なその質問を頭の中で反芻した。


 ――男の子に生まれたかったか、って?


 日岡がなぜそんなことを聞いて来たのか分からないが、亜希は自分の胸の内の一番弱いところを暴かれたような気がして、サッと顔から血の気を引かせた。

 ああ、そうだよ。だから、何だって言うんだ! と怒鳴り散らしそうになるのを、ぐっと拳を握って耐えた。


 はっきりとしたきっかけがあったわけじゃない。いつからか、優紀のお下がりのスカートを拒否するようになって、髪もずっと短く切っている。

 両親や祖父母から、女の子らしくしなさいといくら諭されても、絶対に嫌だと思って、言われたことの逆のことを敢えてしてきた。


(生まれる時に性別が選べるのなら、絶対に女なんか選ばなかった!)


 だが、そんな亜希を祖父はけして認めなかった。むしろ、出来損ないの女だとうとんでいたように思う。

 押し黙った亜希に、亜希ちゃん、と日岡が声を掛けて来た。

 その声があまりにも無神経に聞こえて、亜希の苛立ちが爆発する。亜希は唇を嚙み締めるようにしてソファから立ち上がった。


「いったいなんなんですか⁉ 本当は何が聞きたいんですか? 用が済んだのなら帰ってください。お腹が空いたので!」

「こら、亜希!」


 なんて態度なの、と母親がキッチンの方から諫めるような声を上げたが、お母さんだって本音では、そろそろ日岡には帰って欲しいはずだ。

 夕食が遅くなってしまう。夕食が遅くなれば、片付けだって遅くなり、結果、お母さんの就寝時刻が遅くなるのだ。迷惑この上ない!

 日岡はソファから、すっと立ち上がった。


「確かに長居をし過ぎてしまったようです。今日はこれで失礼します」

「いえ、亜希が失礼を言って申し訳ない。またいつでもいらしてください」


 亜希の父親がそう言って、日岡を玄関まで見送る。

 亜希も不貞腐れた顔をして日岡を見送るためにリビングの扉を出ると、日岡が亜希を振り向いて、ふっと笑みを零した。


「ごめんね、嫌な思いをさせて。亜希ちゃんのことが知りたかっただけなんだ」

「……はぁ…」


 なんだそれ、と亜希が眉根を寄せる。早く帰って欲しくて気怠けに視線を逸らすと、日岡の顔つきが、すぅっと変わった。

 大きな手が伸びて来て、がしりと亜希の腕を掴んだ。


(――えっ!? 何?)


 視線を日岡に戻すと、先ほどまで笑みを浮かべていた顔が豹変したかのように怒りの表情を浮かべていた。

 その恐ろしい表情に亜希はゾッとして体を強張らせる。


(怖い!)


 なぜか、殺される! という思いが亜希の脳裏に過った。

 逃げなければ、と亜希が身を引こうとすると、日岡はハッとしたように表情を和らげた。にっこりと笑みを浮かべる。


「亜希ちゃん、また会いにくるね」

「……」


 亜希は恐怖に体が竦み、声を出すことができなかった。

 日岡が両親と挨拶を交わして玄関から出て行くのを、亜希は黙って見送った。

 玄関の扉が閉まるのを見計らったように、トントントン、と軽い音を響かせて優紀が階段を下りて来る。日岡が去った玄関の扉に、つと視線を向けてから、父親に向かって言った。


「あの人、もう家に呼ばないで。なんか怖い。亜希を見る目が普通じゃなかった」

「姉ちゃん……」


 亜希は日岡に強く掴まれた腕をもう一方の手で擦りながら優紀に振り向く。自分が言い出してもおかしくない言葉を姉が代わりに言ってくれているように感じた。


「悪い人ではないと思うんだが……?」

「悪人とか善人とかの問題じゃないの。怖いから嫌なの! 先日来た時はなんとも思わなかったけど、今日は、なんだかおかしかった」

「うん、お姉ちゃんの言う通りだと思う。私もあの人ちょっと怖い」


 美貴も階段を下りて来て優紀の隣に並ぶと、顔を俯かせて、ぽそっと言った。

 三姉妹の父親は困惑したように眉根を寄せてから、わかったと頷く。


「二人がそこまで言うのなら、彼をうちに呼ぶのはやめよう。――亜希、着替えて来なさい。夕食にしよう」


 父親に言われて亜希はこくんと頷くと、優紀、それと美貴と擦れ違うようにして階段を上った。




△▼




 誰かが自分を呼んでいる。

 いつもの空耳かと思ったが、どうも声が違う。いつもの声よりもずっと高く、少女の声のようだ。


 亜希に向かって必死に話し掛けて来る。だけど、よく言葉が聞き取れない。

 異国の言葉のような響きだ。中国語に似ているような気がする。亜希は中国語を話せるわけではないし、ひと言で中国語と言っても、その地域によってまったく異なる方言があるため、耳に聞こえて来る言葉が確実に中国語だとは断定はできない。


 だけど、なぜだろう?

 どうして、自分の耳元で中国語っぽい言葉が響いているのだろう?


 体が揺すられる。何度も。何度も。 ひどく眠くて、その揺れが煩わしい。やめてくれと思ったけれど、揺れは亜希に目覚めを強制する。


「いい加減、起きて下さい!」


 不意に言葉の意味が通じ、亜希はハッとして瞼を開いた。

 早苗の顔が目の前に見えた。


「さ、早苗!?」  


 なんでここに早苗が? てっきり自分の部屋のベッドで寝ていたつもりだったが、教室だっただろうか?

 亜希は目を瞬かせた。


「何を呆けているのですか? さあ、早く起きて下さい。支度しなければならないのですからね」

「支度? なんの?」


 早苗の言葉遣いに違和感を覚えながらも、そこには触れず、疑問を聞き返した。

 早苗は呆れたように、ため息を付いた。


様を持て成す宴があるのでしょう?」

「え? だれ?」

「琲州霖国からいらした客人です。寝惚けるのも、いい加減になさいませ!」


 早苗は、さあさあと亜希を急かして立ち上がらせると、亜希が身に付けている物を脱がせようとした。

 亜希はギョッとして叫んだ。


「何すんの!?」

「身支度ですよ。まさか、そのお姿で宴室に向かわれるのですか?」


 着替えくらい自分でやる。そう言いかけて、亜希は目を大きくした。

 いったい自分は何を着ているのだろう?

 両腕を広げて自分の体を見下せば、薄い生地の浴衣のような物を身に付けていた。しかも、これから着替えようとしている物も、どう見ても洋服ではない。着物のようだ。

 だが、何かが違う。いわゆる日本の着物とは大きく作りが異なっていて、目の前にいる早苗も見慣れぬ着物を身に着けていた。


 亜希はまじまじと早苗の格好を観察する。

 その着物は、重ね着をするところや帯を締めるところ、そして、襟の作りなどは日本の着物と同じのように見えるが、裾が長く広がっていて、袖はやたらダボダボしている。そのせいで、裾と袖の下の生地がビラビラと見えた。













【メモ】

日岡ひおか 隆哉たかや

 26歳。とある目的があって『蒼天の果てで君を待つ』を書いて、自費出版した。

 亜希の父親と居酒屋で意気投合したらしく、その後、亜希の家にまでやって来る。

 亜希には「笑顔が胡散臭い、でも、顔の造形は悪くない」と思われている。

 祖父、父、自分と同族経営している会社の社長。三代目。

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