【20歳 如月その4 最高のカレー】
2時間ほど掛けて帰宅する。
亜希の実家を出発した時点で既に空は暗かったが、家に着いた頃には星空が美しく見えるくらいに真っ暗だ。
亜希が鍵を開けて玄関の扉を開くと、パッと玄関と廊下の電気がついた。家の中に誰かがいるというわけではなく、人感センサーがついているのだ。
「ほら、涼太。着いたぞ、起きろ」
「悠太を抱っこするから、涼太のことをお願い」
「いや、俺が2人とも運ぶから、杏奈は荷物を持ってくれ」
涼太はどうにか瞼を開いたが、足元が覚束ないし、悠太はまったく起きそうにないので、城戸が片腕に1人ずつ抱いて運ぶ。
3歳児ひとりでも結構な重さなのに、5歳児まで抱き上げてしまう彼の腕力は昔と同じくらいに強かった。
(蒼潤もよくあの太くて逞しい腕にぶら下がっていたっけ)
懐かしい! そして、自分も抱っこして貰いたい、なんて思いながら亜希は城戸親子のために玄関の扉を支えた。
城戸は家の中に入ると、ソファに子供たちを転がす。
すると、涼太が再び夢の世界に出掛けて行ってしまいそうな表情をしていた。
「涼太、涼太。着いたら、亜希ちゃんとゲームをするんじゃなかったのか? もう着いているぞ。ゲームしないのか?」
「ん-ん」
「悠太、ご飯を食べずに寝ちゃうのか? ……こりゃあ、ダメだ」
「お風呂に入れちゃえば目が覚めるんじゃないかな。私、お風呂の支度をしてくるね」
言って、亜希は浴室に向かう。
さっとシャワーの水を浴槽に掛けて埃を流してから栓をし、湯張りのスイッチを押した。
リビングに戻ると、城戸は荷物鞄の中から子供用のパジャマを引っ張り出していた。幼児用の石鹸やらシャンプーやらを一式用意すると、涼太の洋服を脱がしにかかる。
「城戸さんが、ちゃんと父親をやってるー」
「父親なので」
「しかし、私は知っているのです。去年、杏奈さんにめちゃくちゃ怒られたことを」
「なぬっ」
「――って言うか、それのそもそもの原因は私だよね。ごめんなさいって思ってる」
「亜希ちゃんのせいじゃないよ」
城戸は涼太の頭をトレーナーの襟ぐりから抜くと、亜希に向かって苦笑を浮かべた。
亜希の頭を撫でてやりたいという顔をしているが、あいにく彼の両手は息子の世話で手一杯だった。
亜希はソファの上で爆睡し続ける悠太の寝顔を見下してから、玄関から台所に直行した杏奈のもとに向かった。
「杏奈さん、お手伝いしてもいい?」
「ありがとう。でも、そんなにやることはないのよ。ほとんど作ってあるから」
と言って、彼女はタッパに入れて来たものを鍋に移した。
そこに水を足して火に掛けると、たちまち手が空いてしまった。
「あとは、ルーを入れて完成よ」
「ルーと言えば、前に杏奈さんが教えてくれたルーでカレーを作ってみたけど、杏奈さんと同じ味にはならなかったよ。なんで?」
「ビーフシチューのルーも入れたの?」
「うん」
杏奈のカレーにはビーフシチューのルーがひと欠片入っている。
亜希は杏奈のカレーが大好物なので、どうにか杏奈のカレーを再現したいと思って、あれこれ聞いているのだが、まったく同じ味にはならないのだ。
「さては、何か隠していることがあるでしょう?」
「ふふふっ」
「あるんだ!」
鍋の火を強火にして杏奈は、じつはね、と亜希に振り向く。
「城戸家の昨日の夕食は、肉じゃがでした」
「えっ、肉じゃが? どういうこと?」
「カレーと肉じゃがって、ほとんど材料が同じでしょ?」
「肉、じゃがいも、にんじん、たまねぎ?」
「うんうん」
「もしかして、肉じゃがをカレーにリメイクしているの?」
「正解! 前日、多めに作った肉じゃがでカレーを作っているの」
――なんてこった! 通りで同じ味にならないわけだ。
亜希はあんぐりと口を開けて杏奈を見やる。
「既に、じゃがいもやにんじんに火も通っているし、味が染みているから、時短にもなっていいでしょ?」
たしかに時短かもしれないが、前日から作っているようなものなので、時短の概念が変わりそうである。
不意に、湯張りが完了したメロディーが鳴り響いた。
待ちかねたように城戸が息子たちを連れて浴室に向かったので、亜希はこのタイミングだと思って、先ほど城戸を相手にちらりと話したことを杏奈にも切り出した。
「あのね、杏奈さん」
「どうしたの?」
「杏奈さんは、とても良い人だと思うの」
「なあに、急に……」
「杏奈さんだけじゃなくて、私の周りにいてくれる人はみんな、良い人。私はすごく恵まれているんだと思う」
杏奈がお玉で鍋を掻き回しながら、どうしたの? 何かあったの? という眼差しを向けてきた。
昔、彼女と同じ眼差しを蒼潤に向けてきた女性がいた。――夏銚の妻の胡氏だ。
蒼潤は胡氏のことを『阿娘』と呼んで慕っていたが、亜希にとって杏奈は『お母さん』というよりは『お姉さん』だ。
年齢的にも昔は蒼潤よりもずっと年上であったが、現世では城戸が亜希よりも18歳上で、杏奈は16歳上だ。
「清香さんのことを気にしているの?」
聞いたわよ、と言って杏奈は鍋を掻き回す。
清香のことを話したかったわけではなかったが、彼女のこととまったく関係がないわけではないので、亜希は、こくんと頷いた。
「律子さんも未奈美さんも、それから、美桜さんも、私に好意的でいてくれて、会うといつも応援しているよって言ってくれる」
「いいわね」
「でも、清香さんに言われて気が付いたんだ。もし私が清香さんの立場だったら、どうだったんだろうか、って」
前世で夫だった人が、自分を選んでくれず、他の女性と夫婦になっている。
それって、ものすごく嫌なことなのではないだろうか。
「律子さんたちはよく私のことを許してくれたよね?」
「許すも何も……。前世で夫だった人を、現世でも夫にする必要はないでしょう? そもそも前世で夫だったとしても、その夫を愛していたとは限らないし、愛していたとしてもそれで幸せだったかどうかはまた別の話よ」
「ええー?」
こんがらがった言い方をされた気がして、亜希は困惑顔を杏奈に向けた。
すると、杏奈はお玉から手を離して亜希の方に振り向く。
「あの頃の結婚って、家同士の繋がりだったり、花嫁とは関係がないところで利害があって、ほとんど花嫁の意思は無視されたかたちで決まっていたの。だから、梨蓉のように相手を想い、自分の意思で嫁いだというのはとても珍しいことだったのよ」
「いわゆる、政略結婚だよね? でも、結婚してから好きになるってこともあるでしょ?」
「あるでしょうけど、峨鍈の場合、蒼潤と出会う前は梨蓉を、蒼潤と出会ってからは蒼潤に想いを寄せていたでしょ? 他の女たちにもそれなりに優しかったけれど、どうしたって振り向いてくれない相手を想い続けているのは辛いものよ」
それで『愛していたとしてもそれで幸せだったかどうかはまた別』という話なのだ。
「現世においては、さらに悲惨ね。隆也さんは亜希ちゃんしか見えていないもの。昔と違って誰もが自分の意思で自由に相手を選べるのに、それでも隆也さんを選ぶ女はいないと思うわ。律子さんでさえ違う人を選んだでしょ」
「……うん。律子さんが前に言ってた。前世では愛されて大切されて、敬っても貰えたし、栄光も名誉も与えられて幸せだったけど、現世ではもういいかなぁ、って」
峨鍈と梨蓉の仲は、蒼潤の存在によって冷え切ってしまったわけではない。
峨鍈は最期まで梨蓉を大切にしたし、彼女の尊厳を守り続けた。
愛欲は薄れてしまったかもしれないが、それはお互い様で、ただ家族として、人生の同行者として、肩を並べて歩き続けたのだ。
だが、隆也も律子も現世においては、肩を並べる相手はお互いではないと分かっているようだった。
律子が望んでいるものは栄光でも名誉でもなく、ごく普通の家族であり、それは隆也には与えることのできないものだからだ。
「でも、清香さんは現世でも隆也さんのことが好きっぽいよ?」
「好きなような気がしているだけかもしれないわ。でも、もし本当に好きだとしても、どうすることもできないのだから諦めるしかないわね」
「諦められなかったら?」
「その時は、『さようなら』よ」
杏奈はひらひらと片手を振った。
「顔を合わせれば傷付け合うことになるのだから、いっさい会わない方がお互いのためね」
「せっかくまた会えたのに」
「仕方がないわ」
そげなく言って、杏奈はルーを割って鍋に入れた。
「ところで、杏奈さんはどうして城戸さんと結婚したの? 前世で夫だったからって、現世でも同じ人を夫にすることないって言ったでしょ?」
「ええ、そうよ。……でも、私たちに関しては、私ではないわ。だって、私は前世のことなんて知らなかったんですもの」
「えー」
「あの人から近付いてきたのよ。付き合おうと言ってきたのも、結婚したいって言ってきたのも、あの人の方よ。それを言われて、べつに嫌な気持ちがしなかったら、とりあえず付き合っちゃうものでしょ?」
「わかんない……」
「それで付き合い始めたら、ズルズル続いてしまって、気が付いたら結婚してたの」
「ええー。そんな感じなのー!?」
「でも、違和感はあったのよ。変だなぁって思うことね。うちの人って、最優先は従弟で、その次は従弟の妻で……。そんなのって、おかしいでしょ!」
「すみません」
ううっ、と亜希は声を漏らして謝罪を口にする。
「付き合い始めた頃に言われたの。土日の昼間はデートできないって。何それ!? って思ったわよ。いったい彼は土日の昼間に何をしているんだろうって、ある日、尾行してみたら……」
杏奈がくるりと亜希の方に体ごと振り向いた。
びしっと人差し指を亜希の顔に突き付ける。
「競馬場で小学生と仲良くおしゃべりしていたの」
「ごめんなさーい、私です」
「ロリコンかと思ったわ。その後も私との約束を破って、中学生の習い事のお迎えに行ったり、学校行事の参観に行ったり」
「はい、それも私です」
「結婚して、涼太や悠太が生まれたばかりの頃は良かったんだけど」
「競馬学校の課程生だったので………」
「一昨年辺りからまた急に家を空けるようになって、浮気かと思ってGPSを仕込んでみたら、茨城県にいるし」
「すべて私のせいです」
「3歳と1歳のワンオペは辛かったなぁ…」
「ごめんなさい」
長年、城戸の行動を不審に思いながらも我慢に我慢を重ねていた杏奈は、育児疲れも積み重なり、ついに爆発し、別れる、別れない、の大騒ぎになった。
それはそうだ。自分の夫が若い女の子と一晩過ごしていたら杏奈ではなくとも嫌だ。
しかも、意味が分からない。
なぜ競馬場? なぜ小学生?
なぜ中学生の学校行事に行くの?
なんで茨城県!?
分からないことだらけなので、ぶち切れるのも当然だ。
杏奈には前世を思い出されるつもりがなかった城戸も、さすがにもう誤魔化し切れないし、杏奈が納得できるような説明が必要となって、隆哉が書いた本を杏奈に差し出したのだ。
――この本を読め。これが一番手っ取り早い。
手っ取り早いなんて言われて杏奈はますますキレて、城戸の頬を引っ叩いたが、幸いなことに彼女は読書好きだったため、その本を読んでくれたのだ。
そして、前世のあれこれを思い出して今日に至る。
「うちの人が亜希ちゃんのことが大好きな気持ちは分かるのよ。私だって、大好きだもの。――昔ね、うちの息子たちは邪魔に思うくらいに大きかったでしょ。私は可愛い娘が欲しかったのよ。でも、あの時、仮に娘が生まれていたとしても、夫に似た大きくてゴリラみたいな娘が生まれる気がしてならなかったの。……あっ、違うわよ。ゴリラ娘ならいらないってことじゃないわよ。どんな娘が産まれてきたとしても、私は全力で愛したと思うの。でも、娘本人が可哀想じゃないの。あの時は整形なんてできないし、容姿の美醜で明らかに扱いが違ったでしょう? だから、諦めたの。そんな時よ、養子だって言われて蒼潤と出会ったのは。『ああ、なんて可愛いの!』って思ったわ!」
「娘ではなかったけどね」
「でも、うちの息子たちとは明らかに性別が違ったわ」
同じだったよ! と亜希は心の中で突っ込む。
「そして、今もね。私、本当は女の子が欲しかったの。こうして娘と一緒に台所に立って、料理をしたいなぁって。なのに生まれてくるのは、立て続けに男の子で。これでもし3人目も男の子だったら、我が家は絶対にカオスよ」
「3人目の予定があるんですか?」
「ないわ。いろいろと無理だもの」
「ええっ」
「見て。私、手が2つしかないの。右手で涼太の手を握って、左手で悠太の手を握ったら、もう無理なの」
「城戸さんの手が2つもあるよ」
「時々いなくなるような人の手は『無い』と見なすの」
「ご、ごめんなさい」
「――でね。そんな時に亜希ちゃんと出会えたから、亜希ちゃんのことは娘って感じなのよ。できれば、もっと早く出会いたかったくらい。亜希ちゃんが小学生の時に、その場に突撃しておけば良かったわ。私ったら、なぜあの時、我慢してしまったのかしら……?」
もしも、あの時――競馬場で小学生と会っていた城戸を問い詰めていたら、杏奈はもっと早くに前世のことを思い出していたはずだ。
もし、そうなっていたら、それはそれで亜希も杏奈も楽しかったに違いない。
でも、城戸が杏奈に対して前世のことを話さずにいたのは、きっと前世とは関係なく杏奈との関係を築きたかったからなのだろう。
「前世を思い出して、私があの人に対する想いが変わったかと言うと、そんなことはないわね。でも、そうね……。あの人は前世を知ってて、現世でも私を選んでくれたわけで、それは前世での私たちの関係を好ましく思ってくれていたということだから、素直に嬉しいと思うわ」
「うん」
お玉で鍋を掻き回しながら、ほんの少し照れ臭そうに語った杏奈に、亜希は胸が温かくなる。
「――さあ、できたわよ。お皿はどれを使ったらいいかしら?」
「カレー用のお皿があるよ。涼太くんと悠太くんは割れないお皿がいいよね」
亜希はすぐに食器棚から皿を5枚出す。大人用にカレー皿と子供用にプラスチック製の器だ。
ちょうど炊飯器も炊き上がりを音で知らせてきたので、亜希はしゃもじを握って蓋を開けた。
これは昼間に曽根が亜希の帰宅時間を予測して予約炊きしてくれたご飯である。めちゃくちゃ良いタイミングで炊き上がったので、曽根さんの予測能力には本当にビビる。
ご飯をよそって杏奈に皿を手渡すと、杏奈がカレーをかけてくれる。
「涼太くんのご飯の量はこのくらい?」
「もうちょっと多く。あの子、いっぱい食べるのよ。きっとすぐ大きくなるわ」
もうひと掬い白米を足して杏奈に手渡す。
その時、リビングの扉が開いた。
「わぁっ。いい匂い」
パジャマ姿の涼太がリビングに入って来て、鼻をくんくんと鳴らす。
城戸も悠太を連れてリビングに入ってきた。悠太はしっかりと目覚めており、涼太の真似をして鼻をくんくんと鳴らした。
「いいにおい」
なんでも兄の真似をしたいお年頃のようだ。
亜希と杏奈で食卓に皿とスプーンを並べる。
「飲み物は、お水? 麦茶かな? ウーロン茶もあるよ」
「涼太はお水しか飲まないから、涼太と悠太はお水をお願い」
「じゃあ、大人はウーロン茶ね」
亜希が飲み物を用意している間に子供たちと城戸が食卓に着いたので、杏奈にも先に座るように促して、亜希は飲み物を運んだ。
全員が座ったのを見て、真っ先に悠太が声を上げる。
「いただきます!」
頂きます、と亜希たちも悠太に続いてスプーンを手にした。
匂いで既に美味しいということは分かっていたけれど、スプーンに掬って口に含めば、期待通りの味が口いっぱいに広がって、もっともっと食べたくなる。
「美味しい。やっぱり杏奈さんのカレー最高!」
「ママのカレー、さいこー」
すかさず亜希の真似をした悠太に思わず笑みが溢れてしまう。
さいこーって、どういうこと? と首を傾げるから、ますます笑ってしまう。
カレーを食べ終えて後片付けを済ませると、亜希は涼太とゲームを始める。
亜希のゲーム機は、かなり前に隆也が買ってくれたものだが、これで遊ぶにはいくつか約束事があって、まず第一に、隆也が一緒にいる時には遊ばないというものだ。
これがなかなか厳しい。
一緒に暮らしているのだから、隆也がいないという時間が本当に少ない。しかも、彼は在宅ワークだ。
今日みたいに仕事の都合でどうしても家に帰れないという日でもないと、ゲームで遊べないのだ。
なので、ゲーム機は持っていてもほとんど遊べていなくて、5歳児よりも下手くそだ。
「亜希ちゃん、弱すぎるよー」
ゲームオーバーの文字が画面に出たのを見て涼太がケラケラと笑った。
その横で悠太も意味も分からず涼太の真似をして笑っている。
「今のは練習だから。もう1回練習ね。その次に対戦しよう」
「いいけど。対戦じゃなくて、協力プレイでもいいよ」
「えっ、いいの!?」
「うん。そうしたら、僕が亜希ちゃんを助けてあげられるでしょ?」
「ありがとう、大哥!」
ちなみに涼太には前世の記憶がない。
それでも、亜希のことを助けたい、守りたい、という気持ちを抱いてくれていて、時々、胸がキュンとなるようなことを言ってくれる。
「涼太。ママがお風呂から出たらゲームはおしまいだからな。いつもなら、もうとっくに寝ている時間だ」
「はーい」
「そう言えば、明日は月曜日だけど、涼太くんの幼稚園は?」
「休みだ。……と言うより、サボりだな」
「うわっ。私のために幼稚園をサボらせてしまって、ごめんなさい」
「俺ひとりで亜希ちゃんを送れば良かったんだけどな。杏奈が一緒に行くって言うから」
「僕もだよ」
亜希と城戸の会話に涼太が口を挟んだ。
「僕も亜希ちゃんの家に行きたかったんだよ。ゲーム、一緒にやりたかったから」
「うん、私も涼太くんとゲームしたかったよ」
亜希がにこっと笑みを浮かべて涼太に振り向けば、涼太はにこにこと満足顔だ。
「杏奈さんには今まで本当に悪いことをしたなぁって思ってる。一緒に来たがる気持ち、分かるもん。城戸さんと私の間でどうこうなることは絶対にないって分かっていても、なんか嫌じゃん?」
「絶対にないんだかな」
「それでも、自分の夫が若い女の子とひと晩一緒って、嫌だよ。――もしも隆也さんが別の女の人と、ひと晩過ごしたって聞いたら、その相手が花園さんだったとしても、私は嫌だなぁ」
「花園社長と隆也の間で何かあったら、俺もいろんな意味で嫌だぞ。考えただけで目眩がする」
花園というのは、瓊倶の生まれ変わりだ。
びっくりなことに瓊倶は女性に生まれ変わっていて、なぜが隆也に執着し、さまざまな方法でアプローチし続けてくる。
彼女には前世の記憶がないが、こちらにはあるので、どうしたって彼女の顔に瓊倶の顔が重なってしまう。
そのため、隆也は可能な限り花園のことを避けているのだと言う。
「あのね。私、思うんだよ。みんながみんな、私のことが好きなわけではないし、好きである必要はない、って。私のことを嫌だなぁ、合わないなぁ、って感じる人がいてもいい」
「清香のことを言っているのか?」
うん、と頷いてみせたが、もちろん清香のことだけではなく、吉峰のことであり、杏奈のことでもある。
隆也はもちろん、律子も城戸も、亜希のことを『可愛い、可愛い』と言って、好きでいてくれる。
だからといって、未奈美も美桜も杏奈も、亜希のことを好きでなければならないのかというと、絶対にそんなことはないと思うのだ。
好きか、好きじゃないかは、自分自身の感覚で決めていい。
そんなことに同調しなくたっていいし、同調圧力をかけるようなことは絶対にしてはならないと思う。
そして、好きだからと言って、すべてを許す必要はない。
杏奈が亜希を好きになってくれたのは嬉しいけれど、亜希のすべてを許すことが亜希を好きになるということではないのだ。
「杏奈さんが嫌だと思うことは、私、したくない。だって、私も杏奈さんのことが好きだから。だから、杏奈さんは嫌だと思ったら、嫌だと言っていいんだよ」
それからね、と亜希は城戸に振り向く。
「隆也さんに頼まれたからって、いつもいつも二つ返事に私を送ってくれなくても良いんだよ。送ってくれた日は、そのまま家に泊まってくれるでしょ? 泊まらずに帰れって言いたいわけじゃないよ。ただ、城戸さんは城戸さんの家族を第一に考えて欲しい」
そう。これが今夜一番、亜希が城戸に、それから杏奈に言いたかったことだ。
2人とも亜希にとって『良い人』すぎるから、亜希は自分が気付いていないうちに2人を傷付けてしまっていないかと不安なのだ。
「だがな……」
城戸は困ったように眉を顰め、顎を片手で擦った。
「俺が亜希ちゃんを送らなかったがために、万が一、亜希ちゃんの身に何かあったらと考えると堪らないんだよ」
そんなの大丈夫だよ、とは言えなかった。
要するに、と城戸は亜希の頭に大きな手のひらを置いて、くしやりと撫でた。
「俺は俺のために後悔のないことをやっている。そして、杏奈もあいつ自身のために後悔がない方をちゃんと選んでいる。そういうことだ」
そんな風に言われてしまうと、亜希には返す言葉がない。
ただ、ひと言だけ。『ありがとう』を城戸や杏奈に向かって、何回も、何十回も、何百回だって言い続けるのみだった。




