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比翼の鳥なんてお断り ~私の前世は小説に書いてある~  作者: 海土 龍
その後の話

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【20歳 如月その2 諦められない】

 

「社長が既に結婚していることは承知しています。でも、それは前世でもそうでしたし、私がけして一番になれないということも前世と同じです。だから、そんなことで、私は自分の気持ちを諦めることなんてできません。私は日岡社長をひと目見た時に『この人だ。やっと会えた』って思ったんです!」

「清香、その気持ちは分かるわ。分かるけど……」

「分かりませんよね! だって、律子さんや未奈美さんは、他の男と結婚して、他の男の子供を産んでいるじゃないですか!」


 気持ちが分かると言った律子を睨みつけて清香が再び声を荒げたので、律子も未奈美も顔を青ざめさせた。

 ちょっと、と非難の声を上げた美桜を、清香はすかさず振り向いて、キッと睨む。

 

「美桜さんも彼氏いますよね? 私はずっとフリーでした。言い寄ってくる男はいましたけど、『この人じゃない』と思って、今まで誰とも付き合ってきませんでした。なので、こんな気持ちになったのは、社長が初めてなんです!」

「清香。申し訳ないが、俺は亜希ちゃんしかいらないんだ」

「でも、前世では大勢の女がいましたよね? ひとりで満足できるとは思えません。私、結婚して欲しいだなんて言っていないです」

「いやいや。亜希ちゃんひとりで手いっぱいだから」


 隆也が清香を拒みながら、亜希のことを強く抱き締めてくる。


「亜希ちゃんに飽きられたり、嫌われたりしないように努力し続けているだけで、毎日、精いっぱいだから、他のことを考えている余裕がない。亜希ちゃんしか見えないし、亜希ちゃんしか好きじゃない」

 

 きっぱりと言い切った隆也に律子が、うんうん、と頷いている。どうやら律子から見て、満点の回答だったようだ。

 これだけハッキリと拒まれたら、誰だって身を引かざるを得ないだろう。

 清香が、ガクッと膝を折って崩れ落ちるように座り込んだので、亜希は少し可哀想に思いつつも、ホッとする。

 だが、その安堵感は一瞬のことだった。


「好きになってくれなくてもいいです」

「え?」


 聞き誤ったかと思って隆也が短く声を発すると、清香はとても正気とは思えないような表情をして言った。


「社長の子供が欲しいです! ひと晩だけで良いので、私にください!」

「「「はあああーっ!?」」」


 いくつもの声が重なり合う。

 誰が声を出して、誰が絶句したのか、判断がつかないくらいだ。

 

「何を言っているの!? しっかりしなさい。そんなことできるわけがないでしょ!」

「あなたはまだ若いのだから、これから出会いがたくさんあるわ。男は隆也さんだけではないのよ」

「第一、子供だけって……。あなたのエゴで生まれた子供が可哀想よ」


 律子たちに口々に言われて清香は俯き、頭を左右に振った。


「それでも、私はねいをもう一度産みたい」

「寧とは会えるわよ。あなたと寧の縁が強かったら」


 隆也の子供である必要はないのだと律子が言ったが、清香は納得できないというように首を振った。


「寧は日岡社長の子供として生まれ変わるべきです。――亜希さん、あなたも寧ともう一度会いたいですよね?」


 急に話を振られて亜希は息を呑む。じっと真っ直ぐに清香に視線をぶつけられて、亜希はすぐに答えることができなかった。

 蒼潤は雪怜の娘である寧をその誕生から見守っており、とても可愛がっていた。

 だから、会いたいかと問われれば、当然、亜希は寧に会いたい。清香に『早く寧を産んで』とお願いしたいくらいだ。


(――だけど)


 亜希はぎゅっと隆也の服の裾を握り締めて、清香に向かい合う。


「隆也さんの子供は私が産みたいから無理! 他の女が隆也さんの子供を産むとか、ほんと無理! 絶対にダメ! もし、そんなことになったら、私、めちゃくちゃ怒る。隆也さんもその女も、顔も見たくないってなる」

「亜希ちゃん……」

「私、隆也さんのおかげで夢を叶えられて、じつはそこそこ年収があるんだ。たぶん、ひとりでも暮らしていけると思う。だから、私が隆也さんと一緒にいるのは、隆也に依存しているからじゃなくて、隆也さんと一緒にいたいからなんだ。それって、つまり、好きってことでしょ? この『好き』は誰かとは共有できない『好き』だよ。だから、ひと晩でも隆也さんは渡せない」


 亜希ちゃん、と感極まった声で隆也に呼ばれ、顎を掴ませる。

 まずい、と思った時には既に、くいっと顎を上げられて隆也にキスされていた。

 律子と未奈美が、さっと我が子の目を両手で塞いだのが見えた。亜希はすぐに隆也の胸を両手で押しやって離れる。


「人前!」

「亜希ちゃん、好きだよ」

「だから、人前! ちっちゃい子もいるから!」


 ふふふっ、と律子が笑い声を立てた。

 青ざめる清香に視線を向けて言う。


「分かったでしょ。確かにあなたが隆也さんと出会ったことは運命よ。でもね、隆也さんにとって、あなたは運命の相手ではないのよ。だから、あなたはあなたはだけの相手を見つけるべきだわ。そして、幸せになりなさい」


 律子の言葉を受けて、清香は頭を左右に振った。

 そして、すくりと立ち上がると、亜希を、そして、隆也を見下ろす。


「私、諦めません。本音を言えば、私だって共有したくなんかないので! 社長のこと振り向かせてみせます。私の方が絶対に社長のことが好きですから!」


 言い捨てて、清香は自分の荷物を抱えると、リビングを飛び出して行く。慌てて律子が追いかけ、そして、その後すぐに玄関の扉の開閉音が響き渡った。

 律子が首を横に振りながら戻って来る。


「ごめんなさいね、亜希ちゃん。清香を呼ぶべきではなかったわ。後で私から話しておくから亜希ちゃんは気にしないでね。まだ早すぎたのよ。こればっかりは時間を掛けて、自分で自分の気持ちに決着をつけるしかないの。――浩輝ひろきと同じね」


 その名前を聞いて亜希は今日ここに来た目的を思い出した。

 律子の弟と会うためである。


「律子さん、浩輝さんは?」

「どうしたのかしら、遅いわね。電話してみるわね」


 まさにその時だ。玄関のチャイムが鳴る。

 思わず律子と顔を見合わせると、律子が頷く。再び玄関に向かう律子を目で追っていると、亜希は隆哉に呼ばれた。


「亜希ちゃん、大丈夫?」

「え? ……うん、大丈夫。隆哉さん、離して欲しい」


 未だ亜希は隆哉の膝の上だ。初対面の相手を前にいきなりこんな格好では恥ずかしい。

 しかも、その相手は驕だ。新年早々から亜希をストーキングしていたような相手である。刺激したくはない。

 隆哉の膝から降りると、亜希は先ほどまで清香が座っていた場所に座った。

 律子が浩輝を連れてリビングに戻ってきた。黒いマフラーを目元まで巻き、黒い上着を着ている。彼がマフラーを取り、上着を脱いで亜希の正面に座るのを待つ間、亜希は彼をじっと観察してしまう。


 律子より5つ年下だと聞いているので、27歳くらいだろうか。

 どことなく律子と似た面持ちをしている。けれど、すっと横にナイフを入れたような瞳に優しさを微塵も感じられなくて、冷たい印象のある青年だと思った。


(……驕だ)


 前世の姿とは似ても似つかぬ姿なのに、不思議とそうだと分かる。

 まさに驕も、梨蓉の冷静さと厳しさだけを受け継いでしまったかのように冷淡で、己の敵だと判断した相手に対して容赦のない青年だった。

 浩輝には前世の記憶がない。そのまま思い出さない方が彼のためだというのは、みんなの一致した考えだった。

 

 リビングに入って来た浩輝はすぐに亜希に気付き、それからずっと亜希だけを見つめて来る。

 亜希は気まずく思って浩輝から目を逸らした。


「さあ、食べましょう。すっかり遅くなってしまったわ」


 そう律子が言うと、待っていましたとばかりに果凜が大きな声で『いたたきまっしゅ』と両手をバチンと合わせて言った。

 その隣で花音が『いただきます』と小さな声で呟くように言ってから箸を手に取る。その箸を時折、交差させながらも一生懸命に使って、唐揚げを摘まんで自分の取り皿に入れた。

 律子は果凜の前に豆腐の入った取り皿を置く。


「えっ、豆腐!?」

「そうなのよ。この子、今、豆腐にハマっていて、豆腐ばかり食べているの。その前はひたすら白米ばかり食べていたわ。野菜も食べさせなきゃと思うのだけどね」

「いいのよ。果凜ちゃんは野菜パンも食べてくれるじゃないの。野菜パンは、もはや野菜よ」


 悟りきった表情で未奈美が言う。

 そんな彼女の横で幼児用椅子に座っている花音は先ほどの唐揚げの衣だけを剥いで食べていて、亜希は子育ての苦悩を垣間見た気がした。


 テーブルには唐揚げの他にはパスタやらサラダやら様々な種類が並べられていて、その中から亜希はまず生春巻きを選んで食べた。

 準備が大変だっただろうなと思うと、食べられるだけたくさん食べたい。そう思うものの、普段あまり食べないようにしているため、パプリカのマリネやミニトマトのピクルス、餃子の皮で作ったキッシュ、タコときゅうりのジェノベーゼ、それから、ポテトボールを食べたらお腹いっぱいだ。


「目が、目が『食べたい』って言っているんだけど」

「亜希ちゃん、無理しなくていいから。もともと明日のご飯を作らなくて良いように多めに作ったの。むしろ余ったら私が喜ぶから」


 そんなことを言って未奈美が苦笑を漏らす。

 皆が食事を終えると、未奈美は余った料理をタッパに詰め込んで、満腹になってウトウトし始めた子供たちの手を取った。


「私は花音と果凜ちゃんと一緒に隣の部屋に行っているわね」

「待って。今、ミルクを作って持って行くわ。旭と芽生ちゃんはミルクの時間でしょ」

「花音と果凜ちゃんの歯磨きもしておくわね。寝ちゃいそうだったら、寝かせてしまうわ」

「ありがとう。助かるわ」


 パタパタと動き始めた母親たちに亜希は小首を傾げる。


「未奈美さん、律子さんの家に泊るの?」

「ええ。そうよ」

「じつは、よく泊らせて貰っているの。旭くんのおかげで芽生が夜泣きをしなくなるから本当に助かるのよ」

「こちらこそよ。芽生ちゃんのおかげで旭が夜泣きをしないから助かっているわ。旭が泣くと、果凜までつられて泣き出すから、夜中ずっと起きていることになるのよ」

「うわぁ、大変だ」


 そしたら、と美桜が立ち上がる。


「私はこれで失礼します」

「ええっ、美桜さんもう帰っちゃうの?」

「ごめんね。明日、仕事なのよ。――そうそう、亜希ちゃん。私、最近、ゴールドシップの動画を見るのにハマっているの」

「ゴールドシップ!?」


 亜希は瞳を大きく見開いて美桜につられるように立ち上がった。まさか美桜からそんな馬の名前が飛び出してくるとは思いもよらず、急に刺客が現れたかのような気持ちになる。

 だが、しかし、本当に刺客が現れた時とは異なり、亜希のテンションは爆上がりする。


「えっ、ええっ、なんでゴールドシップ!? どうしていきなり! ――って言うか、ゴールドシップ、私も大好きです!」

「白い悪魔って呼ばれているんでしょ? 亜希ちゃんの影響で、俄か競走馬ファンになっちゃった。あのね、亜希ちゃんのレースを見ようと思ってネット検索しているうちに、お薦めにゴールドシップの動画が出て来るようになっちゃったの」

「えー、そんなことある?」

「競馬は正直あんまり詳しくないけれど、ゴールドシップについてはかなり詳しくなった気がするわ」

「まじかぁー。ウケル!」


 あはははは、と声を立てて亜希が笑うと、美桜もふふふっと笑い返してくる。

 もしかしたら本当は、彼女が言うほどには詳しくないのかもしれない。それでも亜希に合わせて話題を振ってくれただけかもしれない。

 そんな優しさを嬉しく思って、亜希は美桜を玄関まで見送った。

 隆哉もついて来たので、美桜は隆哉の方に視線を向けて、ぺこりと小さく頭を下げる。


「それじゃあ、亜希ちゃん、隆哉さん、また。未奈美さん、ご馳走様でした。律子さん、お邪魔しました。また連絡します」

「うん、私からも連絡するわね。来てくれてありがとう」

「会えて嬉しかった」

 

 律子に続いて亜希も言い、美桜に手を振る。そして、彼女が玄関の扉を出て行くのを見送った。


(――さて)


 リビングに戻り、すっかり片付いたローテーブルを見下すと、再びクッションの上に腰を下ろす。

 改めて浩輝と向き合い、亜希はごくりと喉を鳴らした。


(ここからが今日の本題である) 

 

 隆哉が亜希の隣に座り、未奈美は子供たちと隣の部屋に移動し、律子はキッチンでミルクを作っている。

 キッチンから小さく響いてくる音になんとなく耳を澄ませていると、浩輝が、あー、と声を低く漏らした。


「あのう」

「え」

「今日もレースを見ました」

「えっ」

「競馬場で」

「ええっ、じゃあ。府中の競馬場にいたの!?」

「はい。レースの後、あなたが来るんじゃないかと思って、駅で待っていたんですが……」

「駅って、府中本町? 正門前?」

「府中本町です」

「今日ここで会う約束してたよね? 待ち伏せる必要あった?」

「……」


 通りで遅かったはずだと思って、亜希は胡乱気な眼差しを浩輝に送った。


「そういうのやめて欲しいから今日会うことにしたんだよ。もうやめて」

「それなら、連絡先を教えてください」

「「はぁ!?」」


 亜希の声に隆哉の声が重なる。


「待ち伏せはやめます。でも、これからもレースは見に行きます。連絡先を教えて貰えたら、レースの感想を伝えられますし……。あ、でも、遅い時間にひとりで帰宅するのは危険だと思うので、俺が送ります」

「いや、結構!」


 亜希は片手を前に突き出して、浩輝の提案をきっぱりと断る。

 しかし、彼は、でも、と言って食い下がった。


「俺、もう得体の知れない不審な奴じゃないですよね? 姉から聞きました。姉は亜希さんとはかなり親しい間柄ですよね。俺はそんな姉の弟です。亜希さんにとって信用できる相手だと思うのですが」


 それはそうだ。

 しかも、彼は驕なのだから、正体が分かってから亜希は彼を『不審者』だとは欠片も思っていない。

 亜希が黙ると、亜希のすぐ隣で隆哉が口を開いた。


「律子をダシに使うのは良くないな。亜希ちゃんにとって律子は律子で、君は君だ。律子と君はまったく別の人間なのだから、君が亜希ちゃんにとって信頼に足る人物かどうかは、律子とは何ら関係がない」

「……日岡さん、あなたはかつて俺から姉を奪っておいて、次は亜希さんまで俺から奪おうと言うんですか」

「おいおい。亜希ちゃんがお前のものだったことは一瞬たりともないぞ。それから、律子もな。お前の姉ではあるが、お前のものではない」

「姉のことを、たった3ヶ月で捨てたくせに」

「別れを切り出して来たのは、律子の方からだ」

「あら、やだ。何の話?」


 律子が哺乳瓶を2つ持ってキッチンからリビングに戻って来る。


「高校時代の黒歴史を掘り起こさないでくれる? 当時は楽しかったし、楽しかったことを思い出して懐かしくはなるけれど、同時にものすごく気恥ずかしいわ」


 そう言いながら律子はリビングを素通りすると、哺乳瓶を未奈美に渡すため隣の部屋に向かった。

 亜希は、こほん、と咳払いをすると浩輝の視線を自分の方に向けた。


「連絡先は教えられない。どうしてもっていう時は、律子さんを通して」

「俺、あなたが好きです」

「ぶっ」


 あまりにも直球で、しかも、唐突だったので、亜希は噴き出してしまう。


「CMであなたの姿を見た時に『見つけた!』と思ったんです。やっと会えた、って」

「あ、うん」


 つい先ほども同じ話をしたばかりだ。

 繰り返しなので、亜希は雑な反応になってしまう。


「結婚していることは知っています。しかも、相手は日岡さんだってことも。それでも諦められません」


(――うん。だろうね!)


 彼が驕だった時も、スタート時点で既に蒼潤は峨鍈の正室で、彼が成人する頃には2人はラブラブで、人目も憚らずにイチャイチャしていた。

 おそらくその姿を驕も見ていたはずだ。

 それでも驕は蒼潤が死ぬまで想い続けて、蒼潤の死後も恋情を拗らせていた。とにかく、しつこいのだ!


「あなたはまだ若いし、おそらく日岡さんしか男を知らないですよね? 世の中には他にも男がいるってことを俺が教えてあげます」

「そういうの、本当に結構だから!」


 亜希は今度は、両手を前に突き出して彼を拒んだ。


「俺の方が日岡さんよりも若くて、あなたの年齢に近いです。あなたに相応しいと思います。2年前に企業したので、一応、社長です。今年はもうひとつ事業を増やす予定で、年収面でクリアできたら、馬主になりたいと思っています。俺の馬にあなたを乗せたい」

「えー」

「日岡さんがあなたにしてやれないことを、俺なら何でもします。だから……っ」

「ちょっと待って。隆哉さんが私にしてやれないことって? そんなの、ないよ」


 聞き捨てならなくて、亜希はムッとして浩輝に言い返す。

 彼は亜希の剣幕に驚いて、たじろいだ様子を見せた。


「いや、でも、日岡さんは亜希さんに馬を買ってあげていないですよね? 亜希さんは馬が大好きなのに」

「それ、出会ってすぐに言われたから。そんで、私が『いらない』って言ったからだよ。馬なんて貰っても困る、って」


 事実、馬を買って貰っても、自宅には飼うスペースがないのだから非常に困る。

 浩輝が言ったように、彼が馬主になって亜希に騎手を頼むというのなら、なかなか良いとは思うけれど、ペットのように馬を与えられても困るのだ。


「隆哉さんは私がして欲しくないことはしないでいてくれるし、して欲しいと思うことは何でもしてくれるよ。私はレースの後に出待ちされたり、家の最寄り駅まで付いて来られたくない」


 そう言えば、驕は蒼潤にこんなことを言っていたことがあった。

 自分が蒼潤を皇后にしてやる、と。

 峨鍈は梨蓉を皇后に立てて、蒼潤のことを皇后にしなかったので、驕は自分がと思ったらしかった。

 だけど、蒼潤は皇后の座なんてちっとも望んでいなかった。女として史書に名を残されることが嫌だったからだ。


(この人って、昔から私のことが分かってなさすぎるんだよ)


 好きだ、好きだという気持ちばかりを押し付けてきて、こちらを知る努力をしてくれないので、実にやっかいだ。

 とは言え、これだけ亜希がはっきりと拒絶の言葉を口にすれば、さすがに分かってくれるかもしれない。


「あなたは私にとって、あくまでも律子さんの弟。あなたがもし今後、馬主になって私に騎手依頼をしてきたとしても、馬主と騎手の関係になるだけだから。それ以下でもそれ以上でもないよ」

「分かりました。馬主と騎手の関係になれたら、一歩前進ですね。頑張ります」

「……は?」


 ヤバい。まったく分かってくれていない。

 何をどう言っても、まるで手応えがなく、ただ、ただ、浩輝の体を亜希の言葉が通り抜けていくだけであるように感じた。


「亜希ちゃん、もう良いんじゃないかな」


 隆哉が、帰ろうと言って亜希の腕を引いた。

 律子がリビングに戻って来て、申し訳なさそうに眉を下げて亜希の方に視線を送る。きっと隣の部屋ですべて聞いていたのだろう。


「なんだか、ごめんなさいね。でも、浩輝は出待ちしたり、付け回したりするのはやめると思うわ。――ね、浩輝。そうでしょ?」 

「でも、亜希さんひとりで電車に乗って帰るのは心配だから……」

「浩輝、やめなさい。その心配はあなたがすることではないの」

「……」


 立ち上がった隆哉に従って亜希も腰を上げると、荷物を持って玄関に向かう。

 未奈美がそっと見送りに隣の部屋から出て来たので、亜希は彼女に向かって、ご馳走様と声を掛けた。


「また会いましょう」

「うん」

「亜希ちゃん。何か困ったことがあったら、すぐに連絡して」

「困っていなくてもメッセージ送ります。律子さんも未奈美さんも時々でいいんで、子供たちの写真を送ってください」


 亜希がそう言うと、2人は自分の子供たちのことを思い出したかのように、ふふふっと笑みを零した。

 隆哉が玄関の扉を開き、律子と未奈美に別れを言うと、亜希を先に扉の外に出す。


「お邪魔しました。律子さん、未奈美さん、またね!」


 別れの挨拶をしながら視線をリビングの方に向けると、その入口の扉の前で浩輝が黙って亜希のことを見つめていた。

 亜希は何も言わずに視線を逸らす。ぱたん、と玄関の扉が隆哉の手によって閉ざされた。





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