面倒ごと
彼に連れられて来たのは、大通りから少し離れた場所に一軒家が建っていた。
ガラガラと引き戸が音を立てて開く。
中に入った途端、目に入った光景に息を呑んだ。
薄暗く、ぼんやりと柔らかな灯りに照らされた部屋の中は、
見渡す限り棚や、机の上に無造作に置かれた数々の骨董品から、着物。
終いには武器になりそうな刀や槍なんかも置いてある。
男は迷いない足取りで、石で作られた床を歩いて行って奥にある座敷へ。
行燈しか置かれていないそこは本当に暗い。
草履を脱ぎ捨てて置かれている机の向こうに回り込んで、座布団の上に腰を下ろした。
私は、入り口に突っ立ったまま少し薄暗い店内を見回した。
彼が何処に住んでいて、何をしているかまで詳しく知らなかった。
まさか、骨董屋まがいの店を開いているなんて初めて知った。
「あの、」
ぺたと石床を裸足で歩き、彼へと歩み寄る。
そんな私を見つめた彼がふと呟く様に行った。
「着替えるか」
「え、でも」
着替える服がないという前に、彼はすっと恐らく二階に続く階段を指差した。
「二階に上がって直ぐ右手の部屋に確か女物の着物があった筈だ」
彼は動かない。
案内もしない様だ。
勝手に自分で物を探して着替えろという事だろうか?
「じゃあ…失礼します」
軽く足裏の砂を払うとすぐ目の前の階段を上がり、直ぐ右手にある部屋の襖を開けた。
部屋の全容は把握出来たが、暗い。
大通りの光が障子の窓を微かに橙色に照らしていた。
これ箪笥とか漁っていいのだろうか。
と、思いながらも箪笥の中を物色してみた。
「何か、派手…こっちは…なんか露出多い様な…」
正直にいうと、普段着で着れるまともな着物がない。
何着か広げてみたが、何かしら普通ではない。
もしかして、彼にそんな趣味が?
それとも、そこはかとなく女の影がありそうな部屋。
ここを使っていた女性の趣味とか?
まさか、他の女性が使っていた着物を私に使いまわすつもりなんだろうか?
此れは意外な一面を知れた。
やはり、色男は多様な女性と関係を持っているものなのか。
憶測でしかないが、本当だったら中々に軟派な男だ。
なんとか着れるかなと思える着物を引っ張り出して、着付けをする。
まだマシともいえるそれでも、裾の丈は異様短い膝上ぐらいしかない。
袖も肩が漸く隠れるぐらいだ。
動きやすそうだが、露出過多で奇抜だ。
脚には膝上まである黒い靴下を履き、腕にも黒い二の腕まで隠れるものを着けて、露出過多だったのを抑える。
更に羽織でもあればよかったのだが、無さそうで諦めた。
側にあった姿見で、服装を確認する。
何処ぞで出てくる女忍者の様な格好になってしまった。
見えない様に着物の下に履いたが、裾が心許ない。
でも、ここでモタモタしていてもしかたない。
脱いだ着物を畳んで、部屋の押し入れに入れた。
ふと、気づかなかった下から声が聞こえている。
お客さんが来ているのかな?
窺いながら、足音をなるべく立てない様に階段を降りて行く。
「見ていた。あれは傑作だった」
「酷いっにゃス!止めに入ってくれたってよかったじゃにゃいスか、店主!」
ーー?聞いたことのある声だ。
薄暗い店の中の奥。
座敷の前に立っている200cmはあるだろうか、人影。
いや、人影にしては頭部から三角のものが2つ突き出ている。
「ああ、貴方」
「ひッ!にゃんスかっ?!……あ''」
あの、二足歩行の黒猫が居た。
猫は私を見た途端、引け腰になって耳がぺたんと前に閉じられた。
「てってててて店主ゥ!!なんでここに居るにゃスかァ?!」
「面白そうだったから」
「き…鬼畜ッス!!」
珍しく唇に薄い笑みを乗せた彼は机に肘をついたまま、遂にがたがたと震えだした黒猫を面白そうに見ていた。
…可哀相に、完全に遊ばれている。
「ねえ」
「ひゃいっ!!なんでしょうかァ?!」
蹴り飛ばしただけだというのに酷い怯えられ様だ。
いや、流石に怯えられても仕方がないか。
ふむ、と考え込んだ視界の端で肩を震わせて笑う彼が見えた。
無表情ばかりしか見た事がなったから、笑う姿は新鮮だった。
黒猫改め鼓太郎は此処に訪れた理由を話し始めた。
「溜り場…?」
「気味の悪いものがオイラ達の仕事場の一角に溜まって!お陰で仕事に支障が出まくりっにゃス!!」
正に必死といわんばかりにそう訴える鼓太郎。
運び屋という職に就いている身として、とても迷惑しているのだとか。
しかし何故そんな相談を彼、巫景に相談しているのかと聞くと、意外な返答が返って来たのだ。
「……ここ。物を買いに来るより、相談に来る奴の方が圧倒的に多いっス…」
「相談?」
大きな身体を精一杯縮こまらせて、柱の影に隠れる黒猫が唐突に口を開いた。
私が見ると大袈裟に身体を震わせている。
「っう…っス……店主は、下らない悩み事も聞いてくれるんで…」
「へぇ…」
また意外な一面を見た。
他人に興味など無さそうな彼が相談を聞くなんて。
彼へと視線を向けると何処から出したのか、本を手にしていた。
「…話を聞くのは退屈凌ぎになる。だが力を貸すかどうかは分からないが」
「へ…?」
「事件を持ち込んで来る奴も居た。だが、そんなのは基本受け付けない。面倒だ」
なるほど。
話を聞くのは良いが、面倒事は引き受けませんと。
話を聞くだけ聞いといて、面倒事だったらバッサリと断る。
期待させいて、落とすなんて中々鬼畜の所業な気がする。
そんな心境が顔に現れていたのか、彼は私に視線を寄越しながら、更に言葉を重ねる。
「まあ…今回の話は、おまえが動いてくれるのなら話は別になりそうだけれど」
「私?」
「ほんとスかっ?!」
「"承諾"があればの話だ。あまり期待しない方が良い」
何故、私が行く事になっているのか。
けれど、あそこから連れ出して貰った恩がある。
此処はこの鼓太郎の願いを承諾するべきなんだろう。
「わかった」
「!ありがとうございにゃス!」
そういうと鼓太郎は勢いよくガバリと顔を上げる。
青い瞳が心なしかきらきらと輝いているように見える。
「……此れを」
目の前に差し出された真っ黒な棒。
受け取ると結構ずっしりとしている。
結構厚めの鉄板が重ねられていて、スライドさせて開くと扇状になる。
これは鉄扇というものだろうか。
「無いよりはましだろう」
丸腰よりは、良けれども。
こんなに貰ってばかりだと後から怖いのだが。
「契約の印を刻まさせて貰う」
彼はそう言うと、机の上に置かれていた筆を持つと慣れた手つきでさらさらと紙に模様を描いた、
百合の花にも見えるような不思議な紋章。
と、その紋様は紙からするりと抜け出して、鼓太郎の額に吸い込まれていった。
驚いて額を見つめると、鼓太郎は額を押さえた。
「何時もの事ながら、慎重にゃスね…」
「約束を反故にする様な奴はごまんと居る。もし契約に背く様な事をしたら……わかっているかい?」
「わかってにゃス!!」
酷く怯えた様子で、ビシッと敬礼をする。
中々に威圧の篭った声色だった。
一瞬感じたゾワリとした寒気に、ぶるりと身体が震えた。