想起
男の足取りは迷いない。
此処が彼の住処なのだろうか。
男の後を追いかけながら、そんな疑問が湧いてくる。
ふと、男の後姿を観察してみる。
なんだか、会った時から既視感を感じるのだ。
何故か、初対面な気がしないのだ。
そんな違和感の原因を探るために、記憶を手繰り寄せる。
そして、先程見た男の顔思い出した瞬間にはっとした。
知っている。
銀髪に、緩やかなウェーブがかった毛先は淡い水色。
黄金の様な、琥珀の様な美しい色の瞳。
長い睫毛に、色白な肌。
そして、異様にはだけた着物。
私、この男を『知ってる』。
名は、ミカゲ
ある物語に出てくる登場人物だ。
確か、主人公に好意を寄せられている設定だった。
だが、彼は主人公に無関心を貫き続けたのだ。
最初は、最後の最後に落ちるんだろうなと思いながら物語を読み進めたが……そうはならなかった。
何とも不思議で掴めない男だった。
「そうだ…」
思い出した。
知っているというこれは、他人の記憶だ。
そう理解した途端にくらりと目眩がした。
思わず立ち止まって、頭を振る。
見失わないようにしないと、と顔を上げると彼は立ち止まっていた。
その彼の向こう。
二人の男女の姿があった。
そのどちらの顔も見覚えがあった。
矢張り、私は知っている。
この世界で起こった出来事を物語として読んでいる。
物語の主人公「撫子」は確か良家のお嬢様という設定だった。
男の名は「桃馬」主人公の従者だ。
いつも彼女に付き従い、その身を守っている。
「貴方も、来ていらっしゃったんですね」
鈴を転がした様な可愛らしく控えめな声。
少女、撫子が柔らかい笑みを浮かべながら巫景を見つめている。
だが、そんな笑みを向けられている彼は反応一つ返さない。
「何とか言ったらどうなんだ」
撫子の側に黙ってついていた桃馬が、刺々しい声音でそう言った。
主が邪険な対応されてと思ったのだろうか。
何というか、忠犬感を有り有りと感じる。
そんな様子を少し離れた場所から眺めてると、撫子が此方に気が付いた様に目を瞬いた。
「…其方の方は?」
「おまえには関係のない事だ」
巫景がそうつれなく言い放つと、撫子の表情が曇り、隣の桃馬が殺気立つ。
彼は二人の脇を通り抜けて、何事もなかったかの様に歩いていく。
私も気まずい気分のまま会釈をして二人の脇を通り過ぎる。
しばらく歩くと、観音開きの扉が見えて来た。
観音開きの門を潜り抜けると、足裏に感じていた木の感触がざらざらとしたものに変わる。
ふと、辺りを見回すと広がっていたのは、賑やかな大通り。
ずらりと両側に木造建築の建物がずらりと建ち並んでいる。
暗い夜、誰もが寝静まる時間だというのに沢山の提灯に光が灯されて、眩しい程だ。
すぅと大きく息を吸い込んで、吐き出す。
外の空気というだけで、何故こんなにも新鮮に感じるのか。
ふと、気付くと隣に彼が居なかった。
びっくりして辺りを見回すと、背中が見えて反射的に追いかけてしまっていた。
賑わう雑踏の中を縫う様に歩く。
ひととすれ違う度に視線を感じていた。
そういえば、身に纏っている着物が普段着のそれではない事に今更気付いた。
長い裾は地面に引き摺ってしまっているから、きっと砂塗れだ。
と、よそ見をしていた所為でどんと何かがぶつかった。
はっと其方を振り返ると、そこには。
「…え?」
猫の頭。
もっと詳しく言えば、二足歩行していて、着物を着ている黒毛の猫が居た。
「…毛色珍しい若い女。こりゃあ高く売れるなぁ」
ニヤァと笑った猫の口の隙間から牙が覗く。
嫌な予感に私は顔を痙攣らせた。
二足歩行のその黒猫。
性悪そうにニタァと口が三日月の様に弧を描いている。
一歩、後ずさると黒猫が一歩近づいてくる。
変な者に目をつけられた。
だが、私よりも倍の身丈があったとしても二足歩行の黒猫など、先程の金色の男に感じた恐怖に比べれば可愛いものに見えてしまう。
じっと自身より倍はある黒猫を見上げる。
黒猫がそんな私を見て、キョトンとその青い目を瞬かせた。
気付けば羽織を掴むと、そのまま黒猫の頭に被せる様に投げつけた。
「ほぁ?!」
素っ頓狂な声を上げて手をばたつかせる黒猫は隙だらけだ。
其処へ蹴りを入れるのだ。
一切の容赦なく。
両手を構え、ぐっと両脚に力を込める。
膝を突き上げてから足の指を反らせた足の裏で、鳩尾に目掛けて蹴りを入れる。
「うぐぇっ?!」
鈍い音共に、黒猫の巨体が後方に飛んだ。
多数の悲鳴が上がる。
どさりと重い音を立てて地面に倒れ伏す黒猫は起き上がる様子がない。
ふうと、脚を下ろして息を吐き、肌けた着物の裾を直す。
そして、今の自分の行動に驚愕した。
完全に、無意識だった。
普通蹴り飛ばすなんて、考えもつかない。
本当に、自分でも驚くくらい鮮やかな身のこなしだった。
「ーー派手にやるものだ」
後ろから聞こえて来た声に振り返る。
彼が其処に立っていた。
先程、私から興味が失せたとばかりに一人で行ってしまった彼。
態々声を掛けたという事は、置いて行くつもりはないという事だろうか。
「えっと…」
読めない。
全く持って彼の意図が読めない。
私は外へ連れ出してくれ、と頼んだだけだ。
だから、それを果たした彼はそのまま去ってしまってもおかしくはない。
けれど、彼は態々私に声を掛けた。
恐る恐る彼の顔色を伺うけれど、少しの機敏を読み取る事が難しい程にその表情は動かない。
「……此方だ」
背を向けた彼が、肩越しに振り返り一言そう言うと歩き始めた。
着いて行っても良いという事だろう。
私は、黒猫に被っていた羽織を取ると彼の後を追いかけた。