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白昼夢でも見た様に、現実味のない体験をしてどれぐらい茫然としていたのか。

親しい女中に肩を叩かれて、はっと我に返った時には日が傾き始めていた。

そのまま夕餉の支度を手伝い配膳する。

その片付けが終わった後に、夕餉の残りを貰ってお腹を満たす。

本当にいつもと変わらなかった。

身体を動かすうちに現実味のない現象など忘れていた。

湯に浸した手拭いで身体を拭き終えた後、寝着に着替えて布団へ潜り込む。

何時この家から出て行こうかと考えながら、いつも通り眠りにつく。

明日は若旦那に接触しない様にどの様に立ち回るかなんて事を考えた。

そんな日々を繰り返しながら、日に日に私はこの家を出て行く算段を整え始めた。

先ずは部屋の荷物の片付け。

持ち物は少なく直ぐに終わってしまった。

次に、働き先だ。

此れには苦戦を強いられて、もどかしい思いばかりが募るばかりだった、そんなある時。



「縁日に行かない?」



親しい女中からそう誘われた。

そういえば近くの神社で、縁日には屋台が開かれて賑わっていると聞いたことがある。

忙しく屋敷の中を駆け回る日々に悩殺されて、一度も訪れた事はない。

その日、屋敷の主と家族が出掛けて帰らない日だった様で食事の準備が必要なくなったのだ。



「貴女、なんだか最近元気ないみたいだし…上女中の椿さんが気晴らしに行って来たらって言ってくださったのよ」



どうやら、気を遣わせてしまった様だ。

後で、椿にお礼とお詫びを伝えなければ。

私は二つ返事で了承し、唯一親しい彼女と神社へと訪れた。

神社は訪れた参拝客で賑わっていた。

露店も出ており、食欲をそそる匂いが鼻を擽る。

先ずは参拝だと、列の最後尾に並ぶ。

待つ時間は彼女とたわいも無い会話で盛り上がり、順番が回って来たところで自分に喝を入れると共に、あわよくば働く先が見つかる様にと祈った。

その後は、露店を見回った。

目を奪われる様な繊細に作られた飴細工や、可愛らしい小物雑貨。出汁の匂いが食欲をそそる蕎麦。

決して多くはないけれど、楽しく露店を彼女と見回った。

ふと、気がつくと日が傾き始めて空が少しばかり朱色に染まり始めていた。



「もう帰らない?」



何となく、帰らないといけないと思った。

すると彼女はどうしても欲しいものがあるから買ってくるから待っていてと、私を鳥居の前で待たせて駆けて行ってしまった。

手持ち無沙汰のまま、鳥居の前に立ち尽くす。

ちらりと空を見上げる。

夕陽が空を朱色に染めている。

青と朱が入り混じって、なんとも綺麗な情景だった。



「………?」



ふと誰かに肩を叩かれた気がして振り返るが、誰もいない。

気のせいかと再び前を向くも、また肩を叩かれる。

再び振り返る。

辺りを見回してみるが、私の肩を叩いたと思しき人影はない。

少しばかり気味が悪くなって、彼女はまだ戻らないのかと振り返る。

けれど、姿は未だ見えない。

彼女には悪いが、少し先で待っていようと鳥居を潜り抜けた。



「…え…」



唐突に景色ががらりと変わる。

目の前には真っ暗な細い路地が広がっていた。

路地の出口だろうか、少し先に灯りが見えている。

いつの間に夜になったのか、此処は何処か。

疑問は後から後から湧いて来たが、今は明るい方へ

行こうと思い歩き出す。

恐る恐るゆっくりと歩いたにもかかわらず、直ぐに細い路地を出た。

そは大きな通りだった。

木造建築の建物がずらりと建ち並んでいる。

暗い夜、誰もが寝静まる時間だというのに沢山の提灯に光が灯されて、まるで眠らない街の様。



「此処…は…?」



だが、その街並みは見知らぬものだった。

その事実に愕然と立ち尽くすしかなかった。

頭の中が混乱して、状況を整理できない。

私は一体どうしたら良いの。

行く所もなく、知り合いも居ないこんな土地で、どう生きていけば…

先の見えない状況に頭を抱えるしか出来なかった。

私はその場に蹲った。

膝を抱えて、喉から出てきそうな嗚咽をぐっと押さえつける。

泣いている場合ではない。何か行動しなければ。

でも、どうすれば。



「ーーお嬢さん」



とんとんと肩を叩かれた。

そして、頭上から声が掛けられた。

顔を上げると、其処には面と書かれた布で顔を隠した不可思議なひとが立っていた。

知り合いではない。

何故、私に声を掛けてきたのか。



「ーーああ、」



唐突に、背筋に怖気が走った。

何故かはわからない。

けれど、何故か逃げないとと強く思った。

立ち上がる前に再びそのひとが言った。



「ーー良いものが、見つかった」



その言葉を最後に記憶が途切れた。





「ーーー………」



見えたのは見慣れない天井。

はっと飛び起きる。

八畳程の大きさの部屋だった。

部屋の端に鏡台と和箪笥が置かれている以外、何の家具もない。

まだ寝ぼけているのかと頬を抓ってみるが、現状は変わらない。

慌てて立ち上がり、豪勢な絵が絵が描かれている障子に手を掛けて開ける。

ずっと奥まで続いていて真っ暗で何も見えない。

何故か足が踏み出せず、ぴしゃりと襖を閉める。

反対側の障子を開け放つと、其処は露台だった。

其処から見える光景。

まるで夢でも見ているのかと思った。

其処は空の上だった。

思わず柵に手をついて下を覗き込むと、真っ暗闇が広がっていた。

気が遠くなる程に、地面が遠い。

こんな所から落ちたら、きっと唯ではすまない。

脚から力が抜けて、ぺたんとその場所にへたり込んでしまう。

私は、どうなってしまったんだろう。

気がついたら見知らぬ場所だった。

頭は混乱するばかりで、考えが纏まらない。

頭を抱えた時だった。



「…?!」



もう意味がわからなかった。

じわりと視界が歪む。

そんな視界の中、ゆらゆらと黒いモヤの様なものが下から立ち昇って来たではないか。

それはそのまま上へと立ち昇って行く訳でもなく。

私の方へと、煙の様に漂ってくる。

もう意味が分からなくて、茫然とその黒いモヤを眺めていた。

もう現実味がなくて、ぼんやりと頭にモヤが掛かった様な心地だった。

私が呼吸する事に、周りに漂う黒いモヤが薄れて行く。

モヤが完全に消えたその時、ドクリと心臓が嫌な音を立てた。

まるで、腹の底から何かが外へと突き出るような。

身体の内側から、食い破られてしまいそうな。

まるで胃の中が逆流する様な嘔吐感が込み上げる。



「う"ッ」



一層心臓が大きく脈打った。

びちゃりと畳に赤黒いものが広がった。

どろりと唇から、零れ落ちたそれ。

ーー血だ。

理解した途端に、ドクドクと心臓が早鐘を打つ。

息がどんどんし辛くなっていく。

身体の中をぐるぐると熱いものが巡っている。

苦しい、張り裂けてしまいそう。

意識が遠くなっていき、ぐらりと身体が傾く。

気管に何かが詰まってしまったかの様に苦しい。

まるで、火の中にいるかの様に、熱い。

必死に手が空を掻く。

誰か、誰か。たすけて。

どんどん視界が狭まって行く。

意識が完全に落ちる前、白い手が伸びてくるのが見えた気がした。



「ーーー………」



ふと意識が戻って来た。

直後にごくり、と自身の喉から嚥下する音が聞こえた。

むくりと上半身を起こす。

変わらずそこは見慣れない場所だった。

だが、乱れた思考は何故だか落ち着いていた。

ゆっくりと立ち上がる。

着ていた着物は血で汚れていた。

ふと室内へと視線を向けた。

座り込む自分の姿が鏡に映っていた。

その自身の姿にぎょっとした。

真っ白だった髪の生え際から耳辺りに掛けて朱色に染まっているではないか。

一体、私の身に何が起こっているのか。

それを知るのはまだまだ先の話になる。






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