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16話で完結しますので、お付き合いいただけると嬉しいです。

「きみのことだよ。俺の前にいるのは、きみだろう」

 鼻で笑われて、わたしは意地悪をされたのだと悟った。

「ぎこちない笑顔だな」


 指で頬や目じりを触った。口角が不自然に持ち上がっていて、どこもかしこもかちかちに硬かった。彼の言う通り、笑顔とは言いにくいものだった。


「俺がそんな顔をさせたわけなんだがな。少し意地が悪かった」

 液体を震わせて笑う彼に始末が悪くなって、わたしは頬に爪の先を引っ掛けながら顔をゆがませた。

「ひやっとしました。今さらですけど、宮本さんの存在がわりとホラーなんですから。そういう冗談は、本当、心臓が跳ねます……」

「今日は湿気がひどそうだからな、涼しくなったか」

「とても」

「でも、きみがそう驚くのにも、俺は驚いたけど。……いや、驚いたというより、きみは怯えたのかな」


 薄暗く落ちた室内で、赤茶の瞳が揺れ動く。わたしはそれを見つめ返しながら、鼻から息をゆっくり吐いた。彼の声はひどく静かで、わたしのせわしなく動く心臓さえ押しつけてしまった。


 わたしは机に載せた腕を、彼へのばした。瓶の底を引きずりながら自分へと寄せ、表面を両手で包む。彼の頬に手のひらを添えるような、そんな気持ちだった。


 身を屈めて、目を同じ高さにそろえる。彼はただ、液体の中でじっとしていた。


「きっと、そういうのじゃないです。名前が同じで、怪談話でもされたようで」

「本当に」


 彼の唇が、液体を飲む。


「そうだった?」


 今までで一番、ガラスが強く光りを反射した。それを隠そうと、指を、手のひらをガラスに滑らせる。数秒もの時間をおいて、空が悲鳴を上げた。


 私の手は、円柱のガラスを包んでいた。まるで、彼の首を絞めているみたいだった。


 自分が何をしているのか、いや、しているつもりはない。それでも嫌な考えが頭をよぎってしまい、わたしは、自分の状況がとても恐ろしいことをしているように思えてしまった。


 彼の首に縫いとめられた目を徐々に逸らして、瓶を抑え込んだ手を、ゆっくりと剥がそうとした。でも、私の手は、別の意思を持ったかのようにぴくりとも動かなかった。白くなるまで押しつけた指の腹は、ガラスの奥の彼を求めていた。手のひらは、彼の皮膚を感じようとしていた。


 わたしが何を考えているのか、彼は知らない。知らないはずなのに、彼は取り乱すことなく、わたしの指先や手のひらを、指紋の溝まで記憶しそうなほどに見つめていた。腹のふくらみ、関節のしわ、手のひらに浮かぶ青い血管……すべてを、くまなく。


「きみ、床下にあるもう一つの瓶を気にしていたな。何度も言うが、あれは脳みそだ。彼女ではない。俺が間違えるはずがないだろう。俺は知ってる。そんな剥きだしのグロテスクじゃない」


 漂う前髪のすきまから、わたしを見上げる。その視線は一本の紐となってわたしを絞め上げた。ぎゅう、と交差させた端を別々の方向へと引っ張り、わたしの喉奥にある道を細めてゆく。


「標本は溶けない。でも彼女じゃない。だったらそれは、誰だろうね?」


 生首の彼は、微笑んだ。


「さて、会いにきてくれたことはとても嬉しく思う。今日は日が落ちるのも早いだろうし、このまま雨脚が強くなって帰宅が困難になるのも嫌だろう。まあ、俺がきみに風邪を引いてほしくないだけなんだが」


 その声を聞いて、いつの間にか張り詰めていた糸がほどけた。落とした息には声も混じってしまい、情けない音になっていた。彼は「怖い話は苦手なんだな」と茶化してきて、わたしはくらくらする頭を押さえながらうなずいた。瓶から放れなかった手は、空気によく馴染んだ彼の声を合図にするように、皮膚をあそこへ残すことなく剥がせた。


「そろそろテスト期間も終わる頃か?」

「そうですね。明後日で終わりです。だから……ここにくるのは、明日で最後です」

「そうか」


 カバンを肩に掛け、今日新校舎へ持ち運ぶ予定の、額に入れられた鳥の解剖図を、何となく引き寄せた。


「明日も、きますから。最後ですから」

「ああ、待ってる」


 彼を抱え持ち、生物準備室の床下へ戻す。声を掛けながら、外した床を元あった場所に埋めた。床にしみ込んでしまったホルマリンのにおいが、鼻をかすめた。

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