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 雨が降っていたが、土砂降りではなかった。耳をすませば、ぽつぽつ、しとしと、小粒の雨が窓や地面をたたく音が聞こえてきそうだった。


 今日のテストを終わらせたあと、図書室へ寄った。入学してから初めて目的を持って訪れたそこは、カウンターに図書委員らしき生徒が二人と、読書や勉強ができるスペースに座る生徒が四人と、司書が一人だった。誰も会話をしておらず、ただ黙々と本やノートのために下を向いていた。


 聞こうとしなくても耳に届く雨音は心地よくもあり、しかしわたしの胸をはやらせるような、一定のリズムを打っていた。


カウンターで有名な著者の漫画を読んでいた生徒へ、司書に話があることを伝えると、カウンター奥の個室から老齢の女性がやってきた。白いシャツに、グレーのベスト、黒いフレアスカート。銀の細いフレームの眼鏡の奥で笑みを作れば、彼女の目じりには柔らかいしわが刻まれた。


「いきなりすみません。わたし、昔のアルバムが見たいんです。置いてありますか」


 声を掛ける前、書架を一通り眺めてみたが、それらしいものの背表紙を見つけられなかったのだ。


「アルバムなら奥の部屋にあるけど、何か理由があるのかしら?」

「さ、がしている人がいて」

「どの年の卒業生か分かる?」

「三、四十年前だったと思います」


 司書は目を丸くした。


「あら、珍しい。ご両親かしら」


嘘をつくわけにもいかなくて、わたしはあいまいに首を揺らした。


「あの、宮本秀一、って人のことが」


 わたしの目の前で、彼女は彼の名前を反復した。いきなり隣で人の名前が連呼されたことで、図書委員の生徒が不思議そうな顔で見上げていた。


「私が社会人一年目の時にいた生徒よ、宮本秀一くん」

「え……?」

「ちょっと待ってて。今持ってきてあげるから」


 司書は一冊のアルバムを持ってすぐ戻ってきた。それを手にして図書室の一番奥へと歩き出すので、わたしもならってついてゆく。


いくつかの書架のあいだを通り抜け、図書室の四隅である一角の、一人掛ソファーを指で示した。色褪せたようにも見える薄紫色の、背もたれのない四角いソファーだ。


「ここ、彼がよく座っていた場所なの。居眠りしたり、本を読んだり、静かにしてたわ」

「図書室によくきてたんですか?」

「頻度が多いわけではなかったけれどね。バイトしていたみたいだから。あなたは……一年生?」


 うなずき、名前を告げる。


 山村さん、と呼ばれ、彼女はわたしを手招いて別の場所で話そうと言った。


「彼を知ってるってことは、彼が今、どうしているのかも分かっているのよね。宮本くんの話はここじゃしにくいから、隣の個室でしましょう」


 彼女のあとをついて入った部屋は、机と二脚の椅子があるだけだった。三年生が受験のため面接練習で使用する場所のようだった。


 机を挟んで座るなり、司書はアルバムを開いた。深みのある濃い赤の布に包まれたそれを躊躇いなくぺらぺらめくり、あるクラスのところでとまった。彼女が指で顔写真をたたく前に、わたしは彼を見つけた。


 名簿順だろう並びの二ページ目の、うしろのほう。わたしの知る彼そのものの顔だった。決定的な違いがあるとするなら、液体にまみれていない、乾いた姿であることだけだ。それでも黒い髪は光りを反射し、ほかの顔写真よりいっそう輝いてみえた。


「彼、今でいう芸能人みたいだったわ。アイドルにしてはちょっと不愛想だったと思うけれど、みんな、彼のことを特別な存在のように見ていたのを覚えているわ」


 わたしは彼の写真を指で撫でた。目鼻立ちがくっきりしているせいか、影の差し方が一人だけ違うように思えた。触れれば、あの通った鼻梁の感触がしそうだった。


「でもそんなたとえより、美術品だと私は思ったけれどね。絵画とか、彫刻とか……あまり表情が変わらない印象だったからかしら。子どもらしさがなくて、同じ人とは思えないくらい」


 肯定できる反面、わたしの知る彼とは相違があった。言葉にしたら、わたしの違和感を彼女に知られてしまいそうで、懐かしそうに目を細めてアルバムを眺める彼女へ、わたしは「へえ」としか答えられなかった。


「あなたは宮本くんとどういった関係があるの?」

「遠縁です。でも本当に、顔と名前しか知らなくて」

「彼とは会ったこともない……わよね。やっぱり、あれからいなくなったままなのかしら」

「卒業式の前、って」

「突然無断欠席して、それからは。ご家庭のほうにも電話したり訪問したりしていたみたいだけれど、母親も知らん顔でね。そもそも顔を合わせたのが数か月前とかで。彼自身に問題がなかったとは言い切りにくいけど、家庭環境がかなり劣悪であることは職員のあいだで知られていたわ」

「どんな問題があったんですか」

「バイトへいくために早退してたくらいよ。それ以外でさぼることは、たぶんなかったんじゃないかしら。学校が好きということはないと思うけれど、嫌いではなかったのかなって私は思っているの」


 断りを入れたあと、彼女はページを一枚進めた。ふにゃふにゃした皮の節くれだった人差し指が、アルバムの上で数秒さまよい、やがて一人の女子生徒の名前に置かれた。


 三島かおり


 その名前の上にある生徒は笑顔が得意でないのか、カメラを前に緊張しているのか、ぎこちない表情でこちらを見ていた。


「そういえば、あなたと似てるわね。下の名前もだけど、表情……雰囲気? 落ち着いているところかしら」


 アルバムから顔を上げれば、司書と目が合った。


「この子、宮本くんと同じ頃にいなくなったの」


 喉の奥に、何かが引っ掛かった。


「二人の接点はね、暇で観察しかすることがない司書の私しか知らなかったわ。宮本くんも、三島さんも、図書室に通ってた」


 いつの間にかクラス紹介からページは移動していて、学年ごとの行事の写真が並んでいた。入学式、文化祭、体育祭、修学旅行……。わたしはそれらに目を通したけれど、宮本秀一の顔は見つけられなかった。


「でも、それだけ。同じ空間にいても、二人が接触した気配は一度だってなかった。なんでそう断言できるのかって思うでしょう? あの子たちは生徒としては正反対で、彼はいわゆる素行の悪い生徒で、彼女は優等生。沈黙が占める図書室で、話す道理もないわ」

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