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「大丈夫でしたか」

「何が」

「その、聞いても」

「構わないよ。何なら調べてもいい。図書室にいけば、過去の卒業アルバムくらい残っているんじゃないか」


 彼はもう一度スマホへ目をやっていたが、誰も画面に触れなかったので電源が落ちていた。瓶越しに暗い画面をまじまじと見つめ、やがて息を吐きだす。


「ああ、俺はまったく変わっていないんだな。保存液のおかげなのか」

「鏡、見ますか」


 つい提案してみたことだったのだけれど、思いのほか喜んでくれていた。カバンから折り畳み式のコンパクトミラーを出して、彼の顔の真正面にくるように固定した。鏡そのままだと少し上向きになってしまったため、校舎へ持ち運ぶ予定の内臓の模型で支えると、ちょうどよかった。それは少し汚れていたが、割れたりも欠けたりもしておらず、磨けばそれなりにいい見本として使えるのではと思ったものだ。重さもずっしりとして安っぽさがなく、手にほどよく馴染んだ。


 彼は鏡に映る自分を眺めながら、わたしへいくつか質問をした。今がいつなのか、というのを細かく分けて。西暦、月日。夏休みのための終業式の日。それからテスト期間について。


「おそらく、俺は四十年前くらい前の生徒だな。この校舎がなくなるのも納得できる」


 はっきりとした骨格を薄く彩る肉感を、彼は満足げに確かめていた。男性的で、弾力はなさそうだけれど、ふわふわと柔らかそうな頬を、鏡へさらけだす。


「……わたしの両親より年上なんですね」

「やめてくれ。今や俺は永遠の十八だぞ。先輩にしてくれ」

「先輩は、頭が良さそうですね」


 カバンから取り出した教科書やノートを机に広げれば、彼は微笑む。


「そう思うとおり、俺は顔も良ければ頭も良い。ついでに運動も完璧だぞ。きみが望み、頼むなら手伝ってもいい」

「じゃあ、お願いします。明日数学のテストがあるんですけど、苦手で」

「まあ、正直に言うと履修範囲やら時代の流れで、今の数学と違うところもあるだろうがな。教科書を読ませてくれるか」


 じっと見つめられて、わたしは彼のガラス瓶を引き寄せる。最初は並ぶように横へ置いたのだけれど、肘が窮屈だったので、わたしの上半身と腕で覆うようにした。彼の後頭部と、すきまなく閉じられた瓶の奥から、わたしも教科書を眺めた。


「一年生か。この範囲なら余裕だな。それほどむずかしくはないよ」


 彼が喋ると、中の液体が震えるようだった。水中で空気を吐くと、重たげな泡がふつふつと湧いた。


 テスト範囲であるところの数式を使い、いくつか問題を解く。ノートに走らせるシャーペンの芯が紡ぐ数字を、彼は見届ける。わたしが詰まったり、聞いたりすれば、彼は素直にヒントをくれた。



考えながら、わたしは食事を挟んだ。レタスとハムのサンドイッチだったのだけれど、昼にすぐ食べられなかったこともあり、生ぬるく、レタスは青臭さけを残していた。ながら勉強というのも、たまにはいい。しかし彼が見てくれている中で自分だけが食べているというのは、変だった。食べ終わらせたいのだけれど、なかなか喉を通らなかった。ちびちびと食べ進めていれば、彼を包む液体がわたしの名前で震えた。


「明日もくるのか?」

「きても、いいんですよね? というよりここで仕事があるので、いかないってわけにもいかないんですけど」

「ああ、すまない。言い方が悪かったな。明日もきてくれ。こうして誰かと話すのも久しぶりなんだ。楽しかった」


 わたしは口に入れたサンドイッチを、ゆっくり歯でつぶしてゆく。


「宮本さんと話すの、楽しかったです。緊張はしたけど……怖がる暇は与えてくれなかったから、なんかびっくりしてます」

「怖いのなら逃げてもよかったが。ただ、俺のことなんて話したところできみの気が狂ったと噂されるか、好奇心に駆られた誰かが俺を見つけて大騒ぎするかだろうな。生首の瓶詰めなんてものがつきまとえば、おちおち静かな高校生活は送れないな」


 脅されたようだった。わたしは彼が収まった瓶にぐるりと腕を回し、蓋に顎を載せる。ていのいいクッションのような扱いをしてしまったが、彼は特に指摘せず、瓶の中で動きもしなかった。


 きっと、彼をほかの人に言いふらすことはないだろう。それこそ彼が言ったように、精神的におかしい生徒だと思われかねない。大ごとにしたあとのことなんて、考えたくもなかった。


 静かに、誰にも知らせずに、こうして二人で秘密を共有するくらいが、一番収まりがいい。


「明日も楽しみにしておこう。念のため、きみが帰る前に床下へ戻してくれよ」

「それは、もちろんです」


 ふと、床下のことを思い出す。あこにはもう一つあったはずだ。


「……床下の、あの瓶は」

「さあな。一つ言えるのは、あれはもはやただの人の脳みその標本ってだけかな」

「知らないんですか?」

「どうかな」


 すげなく返されてしまい、それ以上の詮索はよくないだろうと口を閉じる。彼がそう言うなら、そうなのだ。わたしも知らないまま。それで終わりにするべきだろう。


 そう思うのに、頭の中では、暗闇に沈んだあの瓶が浮かび上がる。彼と同じ瓶で、彼と同じ液体に包まれて。ただ一つ違うのは、彼は喋る生首で、あれは剥き出しの脳みそ。ピンクの、ゴムのような。


 少し下で、宮本秀一の黒い髪がふわふわと漂っていた。

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