レストランにて
それから毎日があっという間に過ぎていき、もう金曜日の夜になる。彼が誘ってくれた場所は、街から少し離れた海だった。窪田さん曰く、新しい小説の舞台が海だからそのインスピレーションを得るためだそうだ。その話を聞いて、私は彼が一体何処からあの物語を引き出すのか、彼は一体何を見て物語を創造するのかと興味を持った。彼という人となりを知る上でも大切なことだと思う。私はより一層、明日が楽しみになった。
海に行くには駅から出るバスに乗る。そのため待ち合わせは駅前だった。約束の十時よりもずっと早く私はそこにいた。楽しみが勝っていてもたってもいられなかったのだ。そろそろ三十分すぎるころ、彼は走って私の元に駆けつけた。
「ごめん!待たせたかい?」
彼は申し訳なさそうに聞いてくる。正直、待った。気が遠くなりそうだった。しかし、それはあくまで私の自分勝手によるものであって、彼のせいではない。責めるべきは彼ではない。
「いえ。私も今来たところですよ。」
ささやかな嘘をついた。嘘も方便とはよくいうものだ。
私たちは早速、バスに乗った。海までは約三十分ほどかかる。その間、私たちはずっと互いの作品のことを話していた。駆け出しの作家の私と、超売れっ子級の彼とではとても釣り合うものではないが、彼にとってはどうということはないようだ。私の創作の上での悩みや、最近あった嬉しい評価のこと、彼のような作品を生み出す秘密など、聞きたいことをたくさん聞いた。彼は私の疑問の一つ一つに丁寧に答えてくれた。作品を書くモチベはこうだの、今の作品にはこういう話の展開もありうるなど、彼の説明は目から鱗だった。
「まるで、先生みたいですね。」
私はふと呟く。
「そんなことないよ。俺だって、まだ未熟だし。もっと優れたものを書く作家なんていくらでもいるよ。」
「それでも、窪田さんの作品が一番好きなんです。貴方の作品が大好きだから、貴方の話が聞きたいんです。」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。こうして感想をくれる人がいると、俺も続けがいがあるからね。」
時間というものは案外早く過ぎるもので、 そんな会話をするうちにバスは海の前のバス停に停まっていた。運賃を支払いバスを降りると青空の下に広がる海があった。
「わあ!綺麗!」
海を見たのは久しぶりだ。中学生の時が最後だったように思う。その時も、両親と一緒に訪れたのだ。私の中の、両親との思い出がまた蘇ってくる。今は、悲しみよりも懐かしさが勝っている。遠い日の思い出を懐かしみながら、私は海を見ていた。
「海を舞台にした小説だからなぁ。何を書こうか…」
窪田さんは早速、創作の案を出していた。海を楽しむ、というより彼にとっては仕事の範疇なのかもしれない。私の呼びかけには応じてくれるが、お世辞にも海を楽しむ一青年とは程遠かった。
「窪田さん、遊ばないんですか?」
私は彼に尋ねた。彼は深考していたのか、少し遅れて反応した。
「ああ、ごめん。少し考えがまとまらなくてね…とても、遊ぶ余裕がないよ…」
彼は申し訳なさそうに私を見ている。私は遊びたいというわけではなく、ただ彼が黙って海を見ながら作品の案を出すだけなのか、と少し疑問を抱いただけだったのだが、それがかえって彼に余計な負担をかけたようだ。少々申し訳ないことをしてしまった。
「いえ、別に大丈夫ですよ。ゆっくり考えてください。私、お昼ご飯が食べられそうな場所を探してくるので。」
私は彼を残して浜辺を散策した。この時期は家族連れや若者が多く、砂浜はそれなりに賑わっていた。海の家もいくらか並んではいるが、一軒一軒客が多くとても入るには億劫になってしまいそうだった。
(もうちょっと別のところを探そうか。)
私は砂浜を出て、沿線の道路に出た。彼には少し遠くの店を探すと連絡してある。すぐに既読がついたので、彼にも伝わったようだ。
この辺りは観光地としても有名で、道路上にはホテルや観光施設、バスセンターが並んでいた。泊まりがけをするほどのことではないため、それらは無視して進む。しばらく進んで行くと、海沿いに小さなレストランを見つけた。
(あそこは空いてるかな?)
私はその店に立ち寄る。cottageという名前のレストランで、営業中だった。彼に連絡し場所を伝える。程なくして彼がやってきた。少し息を切らしている。
「昼食はここ?」
ええ、と私は返事をした。
「見たところ、あまりまだ客はいないみたいだね。開いたばかりなのかもしれないな。早く済ませらつもりなら、今入ろうか?」
「そうですね。貴方ももっと作品の案を考えたいでしょうし。ここにしましょうか。」
私たちは互いに了解し、店内に入った。
店の内装は、モダンな雰囲気の漂う洋食のレストランといったところだ。木製中心の建築であり、ヒノキと思われる木の香りがほのかに鼻をくすぐる。
「いらっしゃいませ。二枚様ですね?」
店内から若い女性がやってきた。私と同い年くらいだろうか。長い黒髪をポニーテールにした端正な顔立ちにモデルのような体型。まさに女性の理想と呼べるようだ。私たちは同意すると、席に案内された。
「お決まりでしたら、お呼びください。」
透き通るような綺麗な声だ。思わず聞き惚れてしまう。
「この店、いい雰囲気だね。」
窪田さんも、この店の雰囲気を気に入っているようだ。彼もここは初めて訪れたという。
メニューにはオムライスやナポリタンなど、店の雰囲気と同じ洋食の料理が並んでいた。どれも手頃な値段で、写真を見るには美味しそうなものばかりだった。私はオムライス、窪田さんはハンバーグセットにした。
すみません、と私が声をかける。すると、先程応対した女性がやってきた。
「お決まりでしょうか?」
私たちは互いに決めたメニューを注文する。彼女はそれらをメモすると、すぐに厨房に向かった。この店は厨房が見えるようになっていて、さっきから彼女が忙しそうに厨房を駆けていたのも目に映っていた。
「彼女、一人でやってるのかな?」
窪田さんが呟いた。そういえば、ほかに人がいない。開店時間も十一時半からと遅く、割と遅くに昼食にした、私たちが一番早く来店できたほどだ。
「もしかしたらそうなのかもしれないですね、聞いてみますか?」
「そうだね、聞いてはみたいけど見ての通り、今は彼女は忙しい。あとで時間があるときに話そう。」
彼は私を諌め、彼女の料理に支障のないようにした。このやり取りの間も彼女はせっせと料理を作っていた。その目は真剣で、健気だった。
しばらく時間が過ぎ、私と窪田さんが話をしているところで、彼女が料理を運んできた。どちらも見事な出来栄えで、とても、同じくらいの年齢の人が作っているとは思えなかった。早速、私たちは最初の一口を運んだ。
オムライスは、半熟の卵がチキンライスによく絡みケチャップと良くあっていた。美味しい。そして、どこか、母の作るオムライスに似ていた。懐かしい母の味が蘇る。
窪田さんも、舌鼓を打っている。ハンバーグは程よく肉汁が出ており、デミグラスのソースと絡んだそれは側から見ても美味しそうだった。
「あれだけ忙しいのに、すごく美味しいですね。」
私は彼女に思ったことを話した。率直な感想というやつだ。彼女は少し照れている。その表情は愛くるしいものがあった。
「ここは、お一人で切り盛りしているんですか?」
窪田さんが、先程の疑問を投げかけた。すると彼女は少し間をおいて話した。
「はい、実はこのお店は両親の跡を継いだんです。」
その黒髪が、少したなびいた。