6ともに劇を観に
一見、この王国は平和に見える。
大きな戦争はここ百年は起きておらず、周辺国ともまあまあうまく関係を築いている、ようには見える。
けれど王国内には反王政派、反貴族派と呼ばれる過激派が存在し彼らの背後には外国の勢力がいる、といううわさは絶えない。
なので貴族や王族には、必ず護衛が付くことになっている。
王国内に七つしか存在しない貴族の跡取りと婚約している彼女も、例外ではない。
バルディ家の跡取りであるエーリオと婚約したミサはもともとエリーザ付の侍女だったため、護衛がつけられることに抵抗があるらしい。
王国ではほとんど見かけない黒髪黒目なうえ、この国の女性たちに比べると少々背が高く目立つため、ミサはあまり外に出ようとしなかった。
とても遠慮がちに、休みの日にエリーザと出掛ける約束をしたと本人から言われ、ヴァルフレードは内心驚いた。
そんなことは侍女を通して言えばいいのに、ミサはいつも自分で出かけたい旨を伝えてくる。
「すみません、お嬢……じゃなくってえーと……エリーザ様がどうしても一緒に行きたいとおっしゃって」
ヴァルフレードの視線より少し下の身長の彼女は、こちらの様子を窺うように伏し目がちに言った。
「仕事ですから、おっしゃっていただければいつでもお供いたします」
そうだ、これは仕事なのだから。
ミサはとても申し訳なさそうに何度も頭を下げてすみません、と繰り返した。
彼女は不思議な女性だった。
こんなに頭を下げる習慣は、この国の人間にはない。
なんだかこちらが悪いような気持ちになるのでやめてほしいが、直接的にそんなことは言えず、ヴァルフレードは言葉を選ぶ。
「貴方は貴族の一員となる方でしょう。
そんなに頭をさげては、相手は恐縮してしまいますよ」
すると、ミサはハッとしたような顔をしてまたすみません、と言い頭を下げた。
身についた習慣なのだろう。
執事のサルトリオが、ミサはなぜこんなに頭を下げるのか不思議がっていた。
「あの、ではお休みの日、よろしくお願いします」
ミサはそう言って、また頭を下げた。
もうすぐ夏が訪れると言うこともあり、暑さが増してきている。
とはいえ長袖で十分過ごせるほどの暑さだが。
東の帝国や南にある島などは、半袖でもうだるような暑さになると聞いたことがある。
王国はそこまで寒暖の差は激しくはない。
夏は暑くなるけれど耐えられないほどではないし、水浴びにはちょうどいい気候だ。
冬は寒くなるけれど雪は滅多なことでは降らない。
年に一度か、二度。ほんの少しだけ降ることがある程度だった。
「楽しみね、ミサ」
「そ、そうですね」
白いシャツに水色の長袖、それに白い幅広のズボンを着たエリーザはニコリと笑いミサを振り返る。
ここは国立劇場の特別席。
二階の一画に設けられた、半個室になっている要人専用の席だ。
貴族や政府の要人が利用する際開放される席となっている。
劇が始まるまであとわずか、と言うこともあり会場内はざわついている。
会場内の見回りを終えた同じミサ付の護衛、エルマー=トロイとエリーザの護衛が戻ってくる。
エルマーは笑顔で、
「問題なかったよ」
と言った。
彼はヴァルフレードより若く、たしか今年で二十二だ。
けれど彼は基本誰にでもこういう口のきき方をする。
というか、バルディ家の人々以外に敬語をあまり使わない。
エルマーも独身だが浮いた話はたくさん耳に入ってくる。
昔はずいぶんと女遊びが派手だったらしいが、今はそこまでではないらしい。
けれど妙に人妻にもてる、と言う話をよく耳にする。
見た目は確かに好青年で、人当たりは柔らかい。
けれど中身は何を考えているのかわからないおかしなやつ、それがエルマーに対する印象だった。
「はい、ミサ、エリーザ様。
頼まれたもの、買ってきたよ」
言いながらエルマーが席に座るふたりに差し出したのは、劇の内容や俳優たちの情報が載った冊子だった。
ふたりはきらきらと目を輝かせて、
「ありがとうございます」
と声をそろえて言った。
このエルマーの言葉遣いについて、何人も注意をしているらしいがなぜ注意されるのかがわからないらしい。
ヴァルフレードはあまり関わりをもちたくないので仕事以外の話をしない様にしていた。
エリーザの護衛でこの中では最年長のアルドは、渋い顔をしているし、ヴァルフレードと同年代のラファエーレは苦笑を浮かべている。
「相変わらずだなー」
とラファエーレは呟き肩をすくめる。
「エルマーってなんでモテるのか僕には不思議で仕方ないよ」
それには全面的に同意だが、口を開く前に開演を告げる鐘の音が鳴り響く。
『本日はようこそ国立劇場にお越しくださいました……』
という放送が流れた後、会場内が暗くなり闇がつつむ。
緞帳があがり、そして劇が始まった。
劇の内容は人気の恋愛ものだった。
お姫様と騎士による身分差の恋の物語だ。
これは完全にエリーザの趣味だろう。彼女はこういう恋愛ものが大好きらしいから。
騎士が自分の感情の中に生まれつつある姫に対する恋愛感情に苦悩する場面が自分と重なり、思わずそっと廊下へと出る。
上演中と言うこともあり、廊下はとても静かだった。
何をやっているんだろう、俺は。
そう思い、大きく息を吸い、大きく息を吐く。
普段より鼓動が早いのは何故だろうか。
彼女がもらったと言う手紙に対してどんな返事を書いたのかは知らない。
けれど、今でも手紙が届くときいたし最近顔を合わせたとも聞いた。
そんな矢先にこの劇である。
他に人がいるとはいえ、彼女と共にこんな劇を見ることになろうとは思わなかった。
この手の身分差のある恋愛劇は人気が高く、上演するたびにすぐに鑑賞券は完売、毎公演満員御礼になると聞いた。
娯楽が少なく、王国内には大小さまざまな劇場があり毎日歌劇や演劇が上演されている。
国立劇場は多くの人気俳優や女優が出演する為、鑑賞券の値段も他と比べたら別格だった。
「ん……?」
なにか視線を感じたような気がして、廊下を見渡す。
誰もいない、淡い灯火だけが点いた、赤いじゅうたんの敷かれた白い壁の廊下だ。
何の変哲もない、ただの。
けれど空気が張りつめているような気がする。
魔法の中には転移の魔法や姿を消せる魔法もあるが、そんな高度な魔法を使える者は滅多にいない。
いくら国民の三割が魔法を使えるからと言って、高位の魔法使いは限られてくる。
「まさか……ね」
貴族の命を狙う過激派は確実に存在する。
ごくまれではあるけれど、貴族や王族が襲われる事件は実際に起きている。
過激派は人々は皆平等であり貴族制度、王族が存在するのはおかしい、と主張する人々だ。
貴族をなくそうという話は時折出るけれど、王家がたった一家族しかおらず男子がひとりしかいない現実を踏まえ、議論は先延ばしにされている。
「貴族の数を減らせば貴族がいなくなるわけではないだろうに」
なのに過激派は貴族の命を狙う。
中には貴族を根絶やしにしようとする超過激派もいるらしいので、警戒しておくに越したことはない。
ヴァルフレードは目を閉じて手を前にかざし、呪文を唱えた。
魔力を帯びたものがあれば探知することができる呪文だ。
初歩的なものなので、使える者は多い。
灯火以外に魔力を感じるものはなく、ヴァルフレードは肩をすくめた。
逃げたのだろうか。
誰かに見張られているとしたら厄介だ。
けれど狙いはどちらだろうか。
エリーザか、ミサか。
それとも別の理由か。
「気のせいならいいけれど」
呟きは静けさの中に消えていった。