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4/21

4木の上にいる君

 その日の午後。


「ヴァルフレードさん」


 エリーザ付の侍女のひとりに声をかけられて、ヴァルフレードは足を止めた。

 たぶんまだ十代だろう。この屋敷にはたくさんの侍女と侍従がいる。

 なので関わりがないと名前までは覚えられなかった。

 エリーザと同い年くらいと思われる少女はこちらに駆け寄ってくると、


「エリーザ様をお見かけしませんでしたか?」


 と言った。

 その問いに首を振る。

 午前は出かけていたはずだが、いつの間にか戻って来たらしい。

 少女は肩をすくめ、


「執事のサルトリオさんからちょっと言われていまして……

 お捜ししているのですが」


「見かけたら、お部屋にお戻りになるよう伝えておく」


「すみません、お願いいたします」


 そして少女は去って行く。

 屋敷は広いし、庭も広い。

 ああは言ったものの、見つけ出すのは容易ではないだろう。

 あの様子だと急ぎの用であるだろうし、ヴァルフレードは足を止めて窓の外へと視線を向けた。

 庭に見えるたくさんの木々。空はよく晴れていて、風も少ない。

 昔、彼女はよくひとりになりたいと庭に出て木に登っていた。

 まさか、と思いつつ、外に出ようと階段へと向かった。




 ヴァルフレードは呆れた気持ちで頭上を見つめた。

 紺色の幅広のズボンに白いシャツを着たエリーザが木に登り、太い枝に腰かけているのに気が付いたからだ。

 今年で十七になるお嬢様は、すっかり美しくおしとやかになったと思っていたけれど、そうでもないらしい。

 なぜ白い服を着てこんなことをするのだろうか。

 シャツは所々黒く汚れている。


「エリーザ様」


 声をかけると、彼女はこちらを見下ろし、


「ヴァルフレードさん」


 と、鈴のなるような声で言った。

 昔と違い、怖いと言って泣くことはないらしい。


「なにをされているんですか?」


「木に登ってるの」


 こちらが聞きたいのはそういうものではないのだが、エリーザはわかって答えているのだろうか。


「なぜ、登ろうと思われたのですか?」


「登りやすそうな木があったからよ」


 たしかに、この木は手の届くところに太い枝があり、膝の高さに足をかけるのにちょうどいいこぶがある。

 たしかに登りやすいだろう。

 けれど、聞きたいのはそう言うことではない。


「何が見えますか」


「怒らないの?」


「理由がありません。

 もう、下りられないと泣くお年でもないでしょう」


 すると、エリーザはそうね、と呟いて笑った。

 思わず、その笑顔から目をそらす。

 心になにかが刺さる感じがして、ヴァルフレードは俯き、唇を噛んだ。


「何が見えるって訳ではないのだけれど。

 そうねえ、お空と木漏れ日が綺麗ね。

 時折登りたくなるの。

 ひとりになりたいときとか、悩んだときとか」


「でしたら、俺は下がった方がよろしいですね」


 ひとりになりたいのなら、こんなところでなくて部屋で充分だと思うけれど。

 その場を立ち去ろうとすると、頭上から慌てた声が響いた。


「待って」


 がさがさと枝が擦れる音がして顔を上げると、エリーザがひょい、と枝から飛び降りた。

 慌てて腕を広げ、落ちてきた彼女を抱き留める。

 甘く、花のような匂いがエリーザから香る。

 すぐに身体を離すと、エリーザは笑顔で、


「ありがとう」


 と言った。

 胸が締め付けられるのはなぜだろうか。

 胸の痛みに耐え、ヴァルフレードは呆れた顔で彼女に向けて言った。


「なぜ、飛び降りたんですか」


「だって、ヴァルフレードさんが立ち去ろうとするから、思わず」


 おしとやかなお嬢様。というより、何をするか想像がつかないお嬢様、のほうが良さそうだ。

 ヴァルフレードはエリーザから半歩離れ、


「呼び止めるだけでいいでしょう」


 と言った。

 この心のうちを悟られてはいけないと、自然と彼女から身体が離れていく。

 エリーザはヴァルフレードを瞬きしてみつめ、


「それもそうね」


 と言って苦笑した。


「ヴァルフレードさんは、今恋人はいるの?」


「おりません」


「お付き合いしたことは?」


「ありますよ。何人か」


 今時、結婚前に数人と付き合うのは珍しくはない。

 エリーザはずい、と近づいてきて、


「なぜ、結婚なさらないの?」


 と不思議そうな表情を浮かべて言った。


 何故。と言われても。 男性は女性よりも初婚年齢は高めだ。

 二十過ぎた頃から結婚するものが増えていく。

 ヴァルフレードは今年で二十四になる。親や親戚はいろいろと言ってくるが、そんな気は今は ない。

 女性なら行き遅れ扱いされるけれど、男ならそこまでは言われない。

 貴族の屋敷で就職しているのだから、放っておいてくれればいいのに、と思うけれど。

 兄に子供が生まれてから風当たりが強い。


「……興味がないからですよ。

 俺は、領地のほうに赴いている時間も長かったですし」


「あぁ、それもそうね。

 あちらに、いい人はいなかったの?」


 どうしたのだろうか、今日は。

 ここまでいろいろ聞かれるのは、正直苦痛だった。

 けれど相手はお嬢様であるし、むげにもできない。

 苦しさを抑え込み、極力冷静に、淡々と思っていることを伝える。


「モニカ様に振り回されて、そう言う暇はありませんでしたから。

 縁談がないわけではありませんが、今は結婚だとか付き合うだとか、そんな気持ちにはなりませんので」


 ヴァルフレードがもともと仕えていたエリーザたちの母親であるモニカ様は、とにかくじっとしていない。

 自由気ままに動き回るので、それについて行くだけで精いっぱいだった。

 正直彼女に護衛はいらないと思うけれど、誰もついていないわけにもいかないので致し方ない。

 モニカ様についていれば余計なことなど考えずに済んだのでよかったのだが。

 ここにいると暇な時間が多く、いろいろと考えてしまう。


「なぜ、そんなことをお聞きになられるのですか」


 すると、エリーザは目を伏せた。


「ほら、お兄様が婚約されたし、サルヴィ家のテオ様も、今年ご結婚されるでしょう?

 そのせいか周りが騒がしくて」


「それは、お嬢様がそういうお年頃だからでしょう。

 ほら、お洋服が汚れていますから、お屋敷にお戻りください」


「……あ、言われてみればそうね」


 エリーザは自分の服を見て笑う。

 白いシャツはところどころ黒く汚れ、ズボンもよく見ると汚れている。


「これでは、アンナに怒られてしまうわね」


 洗濯専門の侍女の名前を言い、エリーザは苦笑を浮かべた。


「では、ヴァルフレードさん、送っていただけますか?」


 そう言って、彼女はヴァルフレードにすっと手を差し出した。

 仕方なくその手を取る。


「あのね、ヴァル、私お手紙を頂いたの」


 そう言ったエリーザの表情は明るいとは言えなかった。

 きっと、ロミーナが話していた手紙だろう。

 そこまで想ってくれる相手なら良さそうなものだが、なぜ彼女の表情は暗いのだろうか。


「そういうお手紙を頂いたのは初めてで、とても心は揺れるのだけれど……でもね」


 と言って、いたずらっ子のような顔をして笑う。


「私はそんな手紙に書かれるようなおしとやかなお嬢様ではないし」


「そうですね」


「否定しないのね」


「おしとやかなお嬢様は、木登りをいたしませんから」


 ヴァルフレードは彼女から視線をそらし前を向く。

 これ以上顔を見ていたらまずい気がすると思ったのだが、握られた手だけはどうにもできない。

 その手は柔らかく繊細で、本当に家事など出来るのだろうか。


「そうねえ、私は家のなかでもおしとやかになんてできないのよ。

 外では大人しくしているけれど、家でもそんなだったら息苦しくなるわ」


 そんな自由な姿を自分が見られるのは、ある意味特権だろうか。

 昔ほど無茶はしないと思っていたのだが、本質は変わらないらしい。

 木漏れ日の中、鳥のさえずりと歩く足音だけが辺りに響く。


「侍女が捜しておりましたよ」


 そう声をかけると、エリーザは足を止めた。


「きっとあれね。

 手紙のお返事を書くように言われていて」


「それで外に出ていらしたのですか」


 その問いかけに、エリーザはそうね、と言った。


「リコには薦められているのよね。

 たしかにいい方だとは思うのだけど」


「ならばもう一度会われてもいいのでは」


 するりと、本音とは違う言葉が滑り落ちていく。

 エリーザはヴァルフレードの顔を覗きこんで言った。


「本当にそう思うの?」


 すべてを見透かすような曇りのない瞳で見つめられ、一瞬たじろぐがヴァルフレードは冷静に、


「はい」


 と答えて頷いた。

 いい人だと思うのなら、もう一度会ってみるのは悪いことではないだろう。

 一度会っただけでわかることなど少ないのだし、何度か顔を会わせるのはこういった見合いでは有ることだ。

 エリーザはふっと笑い、


「そうね、考えてみるわ」


 と言い、正面を向いた。

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