21その想いに名前をつけたなら
一度自室に戻ろうとヴァルフレードは廊下を歩いていく。
大きな屋敷内はとても静かだった。
先ほどの侍女たちの会話を思い出すと、ぎゅうっと胸が痛む。
また執事のサルトリオがエリーザに見合いを勧めようとしているらしい。
ディーターの件から時間が余りたっていないと言うのに。
他にも侍女はエリーザの想い人についても語っていた。
「幼い頃からその人のことがお好きなんだとかなんとか」
無意識にぎゅうっと手を握りしめ、足を止めて窓の外へと視線を向けた。
葉を散らせ冬支度の済んだ木々が見える。
かと思えば濃い赤の花を咲かせる木があり、庭に彩りを添えている。
「やって後悔するよりやらないで後悔する方が、嫌じゃないですか?」
というロミーナの言葉を思い出す。
「後悔……」
また、彼女は見合いをするのだろうか?
貴族なのだから見合いなど普通のことなのだが、考えるほど胸の痛みは強くなる。
この想いに名前を付けいいのだろうか?
「ヴァル」
背後から聞こえた声にハッとして、ヴァルフレードは振り返った。
部屋着姿のエリーザが早足で廊下を歩いてくる。
なぜ彼女が屋敷の本館と寮をつなぐ渡り廊下にいるのだろうか?
彼女は驚くヴァルフレードの目の前で立ち止まると、
「ヴァル」
と言って押し黙ってしまった。
「こんな場所にいては、サルトリオさんに叱られますよ」
とだけ言い、ヴァルフレードは彼女に背を向けようとした。
「待って」
がしっと腕を掴まれ、ヴァルフレードは彼女を振り返った。
花のような甘い匂いがわずかに漂ってくる。
「貴方に会いたくて……その……」
と言い、エリーザは俯いてしまう。
「そうですか。
俺も貴方に話があります」
考えるよりも先に口が動き、話ってなんだとヴァルフレードは自問した。
ヴァルフレードの言葉に驚いたのは彼女も同じようで、顔を上げて目を丸くしてヴァルフレードを見つめる。
「ヴァルが、私に?」
どうする?
このままやり過ごせるだろうか?
話がある、といえばある。
だけれどそれを口にしていいのだろうか?
ずっと心の奥底に閉じ込めてきた想いに名前を付けてしまったら、このままここにいることが赦されるのだろうか?
「話って」
エリーザの瞳が、好奇心と不安が入り交じったような色に見えるのは気のせいだろうか?
ヴァルフレードは、すっと大きく息を吸う。
「今日のことは正直驚きました。
あんなことをしなくても、お声をかけてくださればいつでもお付き合いしますよ。
ですから、ひとりで外に出るのはお控えください。何が起きるかわかりませんから」
「……でも、ヴァルはミサの護衛でしょう?」
たしかにそうだ。自分の護衛対象はエリーザではない。
「ですから、俺が貴方のそばにいることを赦してくれますか?」
そう問いかけると、エリーザは何度もまばたきを繰り返してヴァルフレードを見つめた。
たぶんこちらが言いたいことを理解していないのだろう。
エリーザは首をかしげた。
「それってどういう……」
ヴァルフレードの心臓は、エリーザに聞こえるのではないかというほど大きな音をたてて早い鼓動を繰り返している。
自分としてはかなり思いきった言葉を告げていると思うのだけれど、全く伝わっていない気がする。
ぐるぐると思考がめぐる。
何を言えば伝わるのだろうか。
「貴方に対してこんな想いを抱くのはよくないと思いますが、誤魔化し続けるのはもう終わりにしようと思いました」
「ヴァル?」
「貴方にはまた見合いを申し込む方がいるでしょう?
それをただ見ているだけなのは、俺には耐えられないようです」
そうだ。
見合い相手のディーターと出掛けた話を聞いたとき、何度も胸に痛みを感じた。
それを嫉妬と呼ぶのだろう。
言わずに後悔するよりも、言って後悔するほうがましだ。
エリーザの目に、うっすらと涙が浮かんでいる。
「あの、ね私……リコに言ったの」
リコとは執事のサルトリオのことだ。彼女は執事を名前で呼ぶ。
「なにをです」
「私、お見合いはもうしないって。
自分を偽るのはやめるって」
涙声で言ったエリーザの手はわずかに震えていた。
「それはどういう……」
「ただの憧れだと思っていたの。
でもね、違うんだって。貴方がここに、このお屋敷に戻ってきて再会して、気が付いたの。
子供の頃、貴方は私が何をしても止めなかった。危なくなったら助けると言って、貴方は私を見守っていてくれた」
「だめと言って聞く子供ではなかったでしょう」
そうヴァルフレードが言うと、エリーザは涙目で微笑み、
「そうね」
と答える。
「昔から思ったことはやらないと、気がすまなかったでしょう。
だから止めようなんてしませんでしたし、多少痛い目をみれば、貴方はきちんと学習して、どうすれば失敗しないかを考える子供でしたから」
「木から降りなれなくなって助けられたあと、私、ちゃんとどの高さなら怖くないか研究したもの」
そんなことをしていたのは正直知らなかった。
降りられなくて泣いて以降、しばらくの間高い木に上ろうとはしなかった。
徐々に高さを変えていき、ヴァルフレードが一度屋敷を離れる前は二階の窓の高さまで、普通に上れるようになっていたように思う。
「貴方が言うならってお見合いして、何回かあの方と会ったけれど……でも駄目ね、自分に嘘をつくのってよくないのよね」
自分に嘘をつく。
それはヴァルフレードも同じだ。
心のなかにある想いからずっと目を背けてきた。
「どれも私が選んだことだし、後悔はないわ。
ディーターさんには悪いことをしてしまったなと思うけれど」
腕を掴んでいるエリーザの手に力がこもる。
晴れた空のように澄んだ色をした瞳が、ヴァルフレードをとらえて離さない。
彼女はすうっと息を吸い、じっとヴァルフレードの顔を見つめて言った。
「ねえ、ヴァル。
私が貴方の隣にいることを赦してくれる?」
その問いかけに対し、ヴァルフレードは腕を掴む彼女の手をそっととり、その場に片ひざをついた。
「貴方が、俺に赦しをこうのはおかしいですよ。
俺は、貴方の想いに気が付きながら見ないようにしてきました。
エリーザ様は貴族ですし。
いくら身分の違いなど関係ないと言われても、全く関係ないなんてことはないですし、俺の仕事は危険が伴いますから」
「自分の身くらい自分で守るわって言えたら、かっこいいんだけれど。そうもいかないわね」
「ですから、俺は貴方を守ります」
すると、エリーザは首を横に振り、
「私の隣にいるときは、安らいでほしいのだけれど」
と言った。
「エリーザ様」
名を呼ぶと、エリーザは首を振り、
「ふたりのときは、様をつけるのはやめて、ヴァル」
と告げる。
ヴァルフレードはしばし悩んだあと、
「エリーザ」
と小さな声で名前を呼んだ。
ただ名前を呼ぶだけなのに、なぜこんなに気恥ずかしいのだろうか。
「さっきの、貴方の問いかけの答え。ヴァル、私は貴方にそばにいてほしいわ。
だから、赦すとかじゃなくって、それは私の願いなの。
私のお願い、聞いてくれる?」
その問いにヴァルフレードは頷いた。
「ええ、勿論」
そう答え、目を閉じて傷のない繊細なエリーザの手にそっと口づけた。
ありがとうございました




