20気がついてしまったら
あっさりと不審な視線の正体はわかったものの、どうにも釈然としない。
ディーターはおかしなことを言って、ひとり勝手に納得して帰って行ってしまった。
彼は嫉妬とかなんとか言っていた。
いったいどういう意味だろうか?
ヴァルフレードは屋敷に戻ると、心を落ち着かせようと食堂でお茶を飲んでいた。
ラジオからは、最近はやりの軽い曲調の歌が流れてくる。
「ヴァルフレードさん、なにかありましたか?」
ビスコッティがのった皿を静かに机に置きながら、ロミーナが言う。
「え?」
カップをもったまま顔を上げてロミーナを見ると、彼女はにこっと笑う。
「いつもと様子が違うなって思って」
いつもと何か違うだろうか? 自分としてはいつもと差はないように思うけれど。
「別に、何も」
そう答えて、ビスコッティに手を伸ばす。
星の形のビスコッティをさくりと噛むと甘みが舌に広がっていく。
「珍しいですよね、ヴァルフレードさんが落ち着かない様子なのって。
何に心を揺らされているんですか?」
何に心を揺らされているんだろうか?
きっとその答えは知っている。
けれどそれに名前を付けてしまったら、自分はどうなってしまうだろうか?
「俺は、別に何も」
と答え、カップを口につけた。
「お嬢様、今日はとても楽しんだようですよ?」
「……!」
口に入れたお茶を吹きだしそうになり、ヴァルフレードはカップを置きせき込みながら涙目でロミーナを見上げた。
すると、彼女は焦ったような顔になり、
「大丈夫ですか? ヴァルフレードさん」
と言いながら、せき込むヴァルフレードの背をさすった。
全く大丈夫ではない。正直苦しい。
「そんな気はなかったのですが、すみません」
と言う。
ヴァルフレードは首を振り、
「だいじょう……ぶ、だから」
と何とか答えた。
正直大丈夫ではないけれど。
お嬢様。つまりは、エリーザのことだ。当たり前のことだけれど、なぜか心が落ち着かない。
なぜか?
何故かではないだろう。
きっと自分はその答えを知っている。
けれどそれを認めてしまったら自分はどうなってしまうだろうか?
きっとそれは認めてはいけないものだと、ヴァルフレードは知っている。
そうこれは、何度も繰り返し自分の中で問いかけたものだ。
「いや、本当にすみません。
あの、深い意味はないんですがあの……私は、お嬢様が楽しいと思えるお相手がいいなと、あの、そのつまり……すみません」
などとロミーナはわけのわからないことを言う。
いったい彼女は何を言いたいのだろうか?
涙ぐみつつロミーナを見上げる。
「何を言って……」
咳込みつつそう問いかけると、ロミーナは視線をそらし、
「えーと」
と呟いた。
目を泳がせ、しばらくした後意を決したようにロミーナは大きく息を吸った。
「ほら、お嬢様お見合いしたけど体調を崩されて結局お断りしたとかあったじゃないですか。
それであの、お嬢様は自分に嘘をついていてそれで体調を崩されたのではないかって私は思うんですよ」
ロミーナの言葉には聞き覚えがあった。
だいぶ前にエルマーに同じようなことを言われたような気がする。
「ねえ、ヴァル。
身体の不調は心の不調を表しているってこと、あるよね」
と。
あの時は本当に彼の言葉の意味が分からなかった。
けれど今はどうだろうか?
「ヴァルフレードさんは、なぜその年まで独身なんですか?」
またずいぶんと聞きづらいことを言う。
「それは……」
「出会いがないからですか?
そうとは思えませんが。
ヴァルフレードさんならお相手は選び放題ではないですか?」
「そんなわけないだろう」
今まで数人と付き合ってきたけれど、選び放題という状況になったことはない。たぶん。
「身分の差なんて今時関係あるとは思えませんが」
「俺はそんなつもりはない」
そう答えて、ヴァルフレードは視線を反らした。
そうだ、そんな気などない。今日だって彼女が勝手についてきただけだ。
キラキラと輝く金色の水晶を買ったのだって、深い意味はない。
「宝石にそれぞれ意味があるなんて、外国の人は面白いこと考えるわよね」
たまたま見ていた雑誌の特集記事にあった、宝石の石言葉。
別に何の気なしに見ていたのだが、その時フローラが覗き込んできて言った。
「好きな人に金水晶の欠片を贈るのが、外国では流行ってるらしいわよ」
「なぜ」
そう彼女に問いかけると、雑誌の記事を指差して、
「『秘めた想い』って意味があるから」
その雑誌の記事によれば、宝石には複数の石言葉があるらしい。
金水晶には、成長、幸福、秘めた想い等の意味があると書かれていた。
別にそれを意識していたわけではないと思う。
金水晶は、大陸の東の国でとれる宝石だ。
この辺りではあまり見かけるものではないし、今日露店で見かけたのは偶然だ。
べつにあれを買ったのはただのきまぐれだし、深い意味などない。
そもそもお嬢様にお金を出させるわけにいかないのだから。
――本当にそうだろうか?
身分の差など関係ないと皆言う。
身分が関係あったのなんて数十年前までの話――親たちの世代までだ。
けれど本当にそうだろうか?
ただの護衛と、たった七つしかない貴族のお嬢様。
この心の奥底でくすぶり続ける想いに、名前を付けてしまったらきっと壊れてしまう。
だからみないようにしてきた。
認めない様にしてきた。
彼女が見合いをしても、なにも思わないようにしてきた。
きっとまた彼女に縁談がくるだろう。
貴族と縁続きになりたい者は沢山いるのだから。
彼女が結婚することになっても受け入れられるだろうか?
いや、そもそも彼女は結婚したいのだろうか?
夜の見回りのとき、彼女は不意に抱きついてきた。
なぜあんなことをしてきたのだろう?
――きっと俺はその答えを知っている。
「ヴァルフレードさん、何かおっしゃいましたか?」
「え?」
ロミーナに話しかけられ、はっとして彼女を見上げる。
彼女は首をかしげて、
「今、知っているとかなんとかおっしゃいませんでしたか?」
と言った。
どうやら考えていたことを口にしてしまっていたらしい。
内心慌てるけれど、ヴァルフレードはロミーナから視線を外し、別に、とだけ答えた。
「そうですか?
まあ別にいいですけど。
あ、お茶のおかわり、お持ちしますね」
そう言うと、ロミーナは背を向けて奥へと消えてしまった。
残りわずかになったカップの中のお茶を見つめ、ヴァルフレードは問いかける。
彼女の行動の意味なんてとっくに気が付いている。
だからと言って何になる?
彼女の父や執事がただの護衛である自分とエリーザが付き合うとか、ましてや結婚など許すとも思えない。
「どうしたいんだ、俺は」
今度ははっきりとそう声に出して言う。
「答えは自分の中にすでにあるんじゃないですか?」
目の前にあったカップが消え、違うカップがすっと目の前に現れる。
そのカップには八分目まで茶が入っており、湯気があがっている。
「ロミーナ?」
顔を上げ、お茶を持ってきた彼女を見ると、ロミーナはにこっと笑って言った。
「何を悩んでいらっしゃるのかわかりませんが、やって後悔するよりやらないで後悔する方が、嫌じゃないですか?」
そして、ロミーナは交換したカップを持って奥へと引っ込んでしまった。
「やるって何を」
湯気を上げるカップを見つめ、ヴァルフレードは呟く。
このまま何もせず時間が過ぎ去るのを待つか。
「……でね、サルトリオさんがエリーザ様にきてる縁談の資料をみてにやにやしていたの」
「またなの?
しばらく放っておいたらいいのに」
そんなことを話ながら、若い侍女がふたりやってくる。
「でもお嬢様は今誰かと交際するおつもり、ないんでしょう?」
「そうなんじゃないかしら?
でもエリーザ様はどなたか想い人がいるんじゃないかしら?」
「ほんとに?
……あ、ヴァルフレードさん」
椅子から立ち上がったヴァルフレードに気がついた侍女たちは、微笑んで頭を下げた。
「お休みですか?」
「ああ」
エリーザと同じ年頃と思われるふたりの名前はなんだっただろうか?
思い出せずにいると、ふたりは椅子に腰掛けながら言った。
「ヴァルフレードさんはご存じですか?
エリーザ様の想い人の話」
「いいや」
「私も知らないけれど、それ、誰に聞いたの?」
「フローラさん」
フローラ。エリーザの幼馴染みで彼女の侍女でもある。
いったいフローラは何を言ったのだろうか?
食堂を出ようと思ったものの侍女たちの話も少しきになり、ヴァルフレードは立ち上がったままどうしようかと思い悩んだ。
「詳しくは知らないけれど、幼い頃からその人のことがお好きなんだとかなんとか。
私もちらっと聞いただけだし、子供の頃の話じゃねー」
「それって、子供の頃から好きってこと?
エリーザ様、一途なのね。同期の方かしら?」
そんな会話を背中で聞き、ヴァルフレードは食堂をあとにした。




