2夜のお屋敷で
朝目が覚めて顔を洗い、鏡を見つめる。
癖のある金髪は、見事に毛先が外側に跳ねている。こうなると癖は直らないので、ヴァルフレードはシャワーを浴びて髪を洗った。
今、ヴァルフレードは暇である。
護衛対象であるミサがエーリオ様と共に外国へ旅行に行ってしまい、ヴァルフレードは留守番することになったからだ。
行先はこの王国から遠く離れた東の帝国だで、大陸横断鉄道を使っても一週間以上はかかる。そのためミサたちは転移魔法の魔法陣を使い、あちらに転移することになった。
その魔方陣で一度に運べる人数や荷物には限りがあり、使えるのは一日に一度だけだ。
なので必然的にヴァルフレードは留守番することになった。
そのことには不満はないが、屋敷で留守番するというのはあまり気が進まなかった。
季節は春。外は暖かく過ごしやすい。
去年の今頃は、モニカ様と共に領地へと旅立っていた。
けれど今年はそうはいかない。
屋敷に残るということは、毎日彼女と顔を合わせることになる。
「あ、ヴァルフレードさん」
窓から差し込む太陽に光に煌めく金色の髪と、まぶしい笑顔。
美しく成長した少女は、その昔屋敷で木登りをし、領地で野山を駆け回っていた少女と同一とは思えなかった。
しとやかに笑いかける少女に一礼し、ヴァルフレードはそのそばを通り過ぎる。
特に会話もなく振り返りもせず、屋敷の見回りをし、なんとなく一日が過ぎていった。
護衛対象であるミサはもともとエリーザの侍女だった。
この国では珍しい黒い髪で、神話に登場する黒髪の戦神ミケーレじゃないか、なんていう噂もある。
というのも、戦神はなくなる時また戻ってくると言い残したと伝えられている。
そのせいなのかわからないが、この国では黒や黒に近い髪色の少女は幸運をもたらすと言われやたら人気があるらしい。
東の帝国に行けば黒髪ばかりであるし、そんなの迷信だろうとヴァルフレードは思っているがそんな迷信でも縋りたい者たちはいるらしい。
そのミケーレの血をひく七貴族や王族には、時折黒髪や焦げ茶色の髪の者が生まれるらしい。
生まれれば大事に育てられるとか。
そういえば七貴族のひとつ、ベルトリーニ家の令嬢は焦げ茶色の髪をしているらしいが、表には一切出てこない。
噂ではふたりの兄に溺愛され外出も難しいらしい。
ミサはあまり外に出ないので、ヴァルフレードの仕事はかなり楽なものだった。
刺激のない生活、ともいえる。
毎日が休みのようでそれはそれで暇を持て余してしまうが、大量にある図書室の蔵書を読んで過ごす日が多くなっていた。
昔と違い世の中はだいぶ平和だ。
以前護衛としてついていたモニカ様はじっとしているのが嫌いで、いつも外に出ていた。
なのでヴァルフレードも忙しく、余計なことを考える暇もなかった。
けれどここは暇すぎる。
夕方近くになり、エリーザが学校から帰宅する。
紺色の長いスカートに、白いブラウスを纏った彼女が屋敷に入ってくるのが見える。
「なんで俺は、屋敷に戻ることになったんだ」
そう呟き、ヴァルフレードはため息をついた。
あのままモニカ様付でいれば心は平穏だったのに。
夜。
通いの侍従や侍女は帰宅し、屋敷に残るのは数人の護衛と執事夫婦たちくらいになる時間。
ヴァルフレードは、ぼんやりとした明かりがともる静かな廊下をひとり歩いていた。
夜の見回りの時間だ。
これが終わったら一度寝て、夜中また見回りをする。
エリーザしかいない屋敷の中は恐ろしいほど静かだった。
ほんの少しの物音さえも、大きく響いて聞こえる。
「……あ……」
二階の廊下で窓の外を見つめる白い上下を着たエリーザを見つけ、思わず声がでる。
一瞬幽霊かと思ったけれど、間違えなくエリーザだった。
なぜわざわざ廊下に出て、外など眺めているのだろうか。
部屋からでも外は見えるだろうに。
彼女はヴァルフレードに気が付くと、嬉しそうに微笑み言った。
「こんばんは」
さすがに通り過ぎるわけにもいかず、ヴァルフレードは彼女に歩み寄った。
「どうかされましたか。
こんな時間にこんなところにいるなんて」
この廊下は、彼女の部屋からはだいぶ離れている。
エリーザは苦笑を浮かべ、
「眠れなくて、お散歩をちょっと」
と答えた。
散歩。
夜の見回りは何度もしているけれど、彼女が散歩と称して廊下にいるのは初めてな気がする。
彼女は窓の外に視線を向けた。
「あのね、この間お見合いをしたのよ」
それは、皆の噂で聞いていた。
元貴族の跡取りで、今大学生らしい。
エリーザが成人する頃には就職し働いている予定だと聞いた。
「私にはもったいない人で。
お断りしてしまいましたけど」
それも、噂に聞いていた。
そして、それを聞いたときほっとした自分がいたことを想い出し、苦い思いが心に広がっていく。
「エリーザ様でしたら、いずれいい出会いがありますよ」
するとエリーザは、じっとヴァルフレードを見つめた。
澄んだ青い瞳で見つめられると、すべてを見透かされているような気がして直視できなくなってしまう。
ヴァルフレードは、それでも落ち着けと自分に言い聞かせ、精一杯冷静に言った。
「どうかされましたか」
「前から思っていたのだけれど、ヴァルは、私を避けていない?」
いつもは「さん」をつけて呼ぶのに、唐突にあだ名を呼ばれ心がざわざわと騒ぎ出す。
ヴァルフレードはそれでも極力冷静に、
「そんなことはありませんよ」
と答えた。
いや、そんなことはあるのだけれど。
エリーザは、首をかしげて、
「そうかしら?」
と言った。
「昼間、私と会ったとき挨拶だけしてすぐに行ってしまったじゃない」
それはいつものことだろう。
顔を合わせても、挨拶だけでエリーザと会話を交わすことはなかった。
目の前にしたら、何を話せばいいかわからなくなってしまうし、この自分の中にくすぶる思いの名前に嫌でも気づかされそうで怖かった。
「仕事中ですから」
とだけ答えると、エリーザはいぶかしげな表情になる。
「それだけなの?」
それだけだ。
そう言うことにしておいてほしい。
「えぇ。他の理由はありません」
これ以上、ともにいたら心が揺らぐ。
そう思い、、ヴァルフレードは彼女に部屋に帰るよう促した。
「遅いですから。
眠られた方がよろしいかと思います」
「……そうね。
ねえ、ヴァル」
また昔と同じようにあだ名を呼ばれ、ちくりと心に何かが突き刺さる。
「なんでしょうか」
「部屋まで、送っていただけるかしら」
じっと、まるで子犬のような目をして言われ、ヴァルフレードは言葉に詰まる。
送る、という選択肢しかないのだけれど、こんな夜に彼女とふたりきり、という状況から早く脱したかった。
「もちろんですよ、お嬢様」
そう笑いかけ、ヴァルフレードは歩き出そうと振り返った。
すると、右腕をすっと掴まれ、思わず動きを止める。
「……エリーザ様?」
なぜ、腕など握ってきたのだろうか。
彼女の顔と握られた腕を交互に見ていると、エリーザはぱっと腕から手を離した。
そして、目を伏せた。
「ごめんなさい。
何でもないわ。
さあ、行きましょう」
そして、彼女は歩き出す。
その後を追いかけながら、握られた腕にそっと触れる。
握られた場所が、妙に熱く感じるのはなぜだろうか。
いや、考えるのはやめよう。
その想いに名前を与えたら、きっと冷静ではいられなくなるから。