14夜の見回りで
エリーザは、ディーターとの縁談を断ったらしい。
傍から見たら順調そうに見えたけれど、当人はそうではなかったのだろうか。
「それでよかったんじゃないですか?」
誰もいない食堂で、ロミーナはヴァルフレードの食事を用意しながら言った。
エリーザの縁談がなくなってしまったせいで、執事のサルトリオのため息は増えるばかりだ。
エリーザの両親はさほど気にしている様子はなく、好きな人が見つかるまでゆっくりすればいいとか言っているらしい。
そもそも彼女の両親は恋愛結婚だ。
エリーザも恋愛結婚に憧れていると昔言っていた。
まだ政略結婚が当たり前だった時代にエリーザの父は自分の意志を貫いたわけだが、相当揉めたらしい。
「なぜそう思う」
ロミーナに問いかけると、彼女はにこっと笑い言った。
「自分の思いと違うとこやったら、身体も壊れちゃうんですよ、ヴァルフレードさん」
そう言って、彼女はヴァルフレードの食事を置いて去って行く。
いったい何が言いたかったのだろうか。
エルマーといい、ロミーナといい、よくわからない。
「でも護衛と貴族ではさすがに無理なんですかねえ」
奥から現れてロミーナがそんなことを言い出し、ヴァルフレードは飲んでいたお茶を吹き出しかけた。
咳込みながらロミーナのほうを見ると、彼女は慌てた様子で歩み寄ってきて言った。
「だ、大丈夫ですか、ヴァルフレードさん」
「……げほ……大丈夫……」
言いながら、ヴァルフレードは何度も咳を繰り返す。
「いえ、あの、なんかすみません」
ロミーナはばんばんとヴァルフレードの背を叩く。
何が言いたいのか、いや、そんなことわかってはいるのだろうけれど、それを認めるのを拒んでいる自分がいる。
この感情に名前を付けてしまったらきっと、後戻りできなくなってしまう。
だから気が付いてはいけないのだ。
そう思っているのに、周りはこの感情の封印を解こうとしているように思う。
何故そんなことをするのだろうか。
放っておいてくれたらいいのに。
「これで、お嬢様の体調も戻られると思いますよ。
よかったですね、ヴァルフレードさん」
「けほ……なんでそんなこと……」
涙目でロミーナを見上げて言うと、彼女は肩をすくめた。
「さあ、どういう意味ですかね。
まあでも、自分の想いに素直にならないと身体が悲鳴を上げるのは事実だと思いますし」
と意味ありげなことを言い、去って行ってしまった。
エリーザが縁談を断ったからといって、侍女や従者が何か噂することはなかった。
ただあちらは未練があるらしい。
それは執事がため息交じりに言っていた。
「エリーザ様のお年を考えたらそろそろ決めないとなのに……
いや、しかし、エーリオ様のご婚礼がもうすぐであることを考えれば……」
などとぶつぶつ言っているのを何人も聞いているようだが、彼の精神状態は大丈夫だろうか?
心配になってしまうが、執事の性格を考えれば致し方ないのかもしれない。
以前劇を観に行ったときの視線が気になってはいるけれど、特に何事もなく時間だけが過ぎていった。
庭の木々は葉を散らせ、吹く風は冷気を纏っている。
エリーザの両親は、山岳にある領地から帰って来たけれど忙しい日々を過ごしているようであまり家にはいない。
屋敷の夜の見回りをしながら、ヴァルフレードは窓の外に視線を向けた。
この時期は、夜にだけ咲く花がある。
咲くときに音がするらしいけれど、ヴァルフレードは聞いたことがなかった。
本当に音がするのだろうか。
正直半信半疑だった。
その花がよく見える部屋に行くと、先客がいた。
白く丈の長い上着を羽織った、金髪の髪の長い女性――
「エリーザ……様?」
「あ、ヴァルフレードさん」
「……窓を開けて、何をしていらっしゃるんですか?」
今は冬だ。
窓を開ければ冷たい風が入ってくる。
エリーザはえーと、と言った後、言いにくそうに言った。
「あの……花を、見たいなって」
あぁ、そう言うことか。
目的はヴァルフレードと一緒らしい。
「そうですか。けれど、その恰好では寒いでしょう」
「大丈夫よ。
それよりも見て!」
そう言って、エリーザはヴァルフレードに近づくと腕を両手で掴んで引っ張った。
下着を身に着けていないであろう胸が、腕に当たる。
それに気が付き、身体の中心が熱くなるのを感じたけれど、なるべく平静を装いヴァルフレードは言った。
「なんですか、お嬢様」
「見て、花が咲いているの」
その言葉に、ヴァルフレードは窓の外に視線を向けた。
確かに、花が咲いている。
三日月が出ているだけなので辺りは暗く、何色をしているのかよくわからないけれど、黄色か、白の花がぼんやりと浮かんで見えた。
ひとつではない、いくつもの花が咲いているのがわかる。
ぽん
という音がわずかに聞こえたかと思うと、蕾だったものが花開いている。
ぽん
とまた音が聞こえる。
咲くとき音がするというのは本当だったらしい。
「綺麗ですね」
ヴァルフレードが呟くと、エリーザは弾んだ声で言う。
「そうでしょう?
このお花見るの、この時期は楽しみなの」
ぽん
また音が聞こえ、花が開く。
これで満月だったら最高に美しい光景だろう。
けれど残念ながら満月は遠い。
ヴァルフレードの腕を掴んでいるエリーザがわずかに震えているのに気が付き、彼女に声をかける。
「お嬢様。
寒いですから、窓を閉めて戻りましょう。
お送りいたしますから」
「……そうね」
外気は非常に冷たい。
寝間着に薄い上着では寒いだろうに。
ヴァルフレードは窓を閉めると、腕を掴んでカタカタと震えているエリーザを見下ろした。
自分よりだいぶ小柄なエリーザだが、この国の女性としては一般的な身長をしている。
だいぶ震えているけれど大丈夫だろうか。
その時エリーザが腕を離したかと思うと、彼女はヴァルフレードの背中に手を回し抱き着いてきた。
何が起きたのか一瞬わからず、戸惑い彼女の頭を見つめる。
甘い匂いと、身体に当たる胸の柔らかい感触が、ヴァルフレードから冷静さを奪おうとする。
ぐっと押しとどまり、ヴァルフレードは彼女に声をかけた。
「どうされました、お嬢様」
「……寒かったから、この方が暖かいかなって思って」
そう言ったエリーザの腕の力が強くなる。
振り払うわけにもいかないし、だからといってこのままでいるわけにもいかない。
誰かに見られたら。いや、こんな時間にこんな場所に来る者はいない。
どうする、この状況。
離れるのをただ待つしかないだろうか?
心臓がこれでもかと言うくらい大きな音を立てて鼓動を繰り返している。
いや、この響く鼓動の音は自分だけのものだろうか?
「迷惑ですか?」
そう言われて、はい、と答える者はいないだろう。
だからと言って、いいえとも言えず、ヴァルフレードは押し黙った。
ぽん
と花が開く音が聞こえた気がする。
いや、そんな音聞こえるわけがない。窓を閉めているのだから、音など聞こえるわけはない。
では何の音だろか?
「ごめんなさい、ヴァル」
そう言って、エリーザはすっと離れて行く。
ごめんなさい。
というのはどういう意味だろうか。
エリーザを振り返ると寂しそうに笑い、
「部屋まで、送ってくださりますか?」
と言った。




