13夕暮れの街を見つめて
窓際に置いた長椅子に座り、エリーザは夕暮れの街を見つめていた。
腹痛を覚えて早退して、医者の診断を受けて今に至る。
最近、身体に不調を感じることが多い。
しばらく休めばおさまるけれど、頻発すると気になってしまう。
「何なのかしら、いったい」
呟いても、答えなんて出ない。
夕食は部屋で食べることになった。
もうしばらくすれば侍女が食事を運んでくることだろう。
「ひとりで食べるのも久しぶりね」
兄が成人してから、ひとりで食事が当たり前だった。
両親は、年の半分を遠く離れた領地で過ごすし、家にいても仕事や公務であまり家にいない。
兄は学校のほか公務が入るようになり、忙しくしているため一緒に食事をとる機会がめっきり減った。
最近は、兄の婚約者であるミサと一緒に食事をとっている。
広い食卓で女ふたりきりなので、よくないとは思いながらおしゃべりを楽しんでいた。
それがないのは正直寂しい。
太陽は徐々に水平線に吸い込まれていき、闇色に染まり始めた空に一番星が輝いているのが見える。
扉を叩く音が聞こえ、エリーザは顔を上げた。
きっと侍女が食事を運んできたのだろう。
時計を見れば六時を回っていた。
エリーザは立ち上がり、大きく伸びをした。
食事を終えた後、食器をさげに来たのは兄の幼なじみであり小さい時からこの屋敷に出入りしているフローラだった。
母親同士が友人で、彼女はてっきり兄と結婚すると思っていたけれど。
フローラはさっさと結婚してとっくに人妻だ。
彼女の結婚相手には会ったことがないし、話しか聞いたことがない。
その割にフローラは長期間家を留守にしたり、好き放題やっているように見える。
フローラは本当に結婚しているのだろうか?
あまりにも自由すぎて疑ってしまうことがある。
「ねえフローラ」
「なあに、エリーザ」
「どうしてお兄様と結婚なさらなかったの?」
そう問いかけると、フローラの手が止まった。
彼女は笑顔でエリーザのほうに視線を向けると、
「私が、エーリオと?
ないない。
だって、あいつ私に興味なんてないし」
と言って、食器をさげていく。
綺麗になった机に温かいお茶の入ったカップが置かれた。
皆思っていたはずだ。
親や執事、長くこのお屋敷にいる使用人たちの多くはフローラと兄が結婚すると思っていたし、エリーザもそう思っていた。
けれど周りがそう思っていただけで、本人たちにはそんな気持ち全くなかったということだろうか。
「お兄様はフローラに興味がなかったの?」
そうとは思えないけれど。
幼いころ一緒によく遊んだし、山岳地帯にある領地にだって一緒に行った。
ふたりはエリーザを置いて街に出掛けたり野山に出掛けていたはずだ。
そして服を汚して帰ってきて、執事に怒られていたような気がする。
フローラは首を振って、
「ないない」
と答える。
「周りは私を嫁候補にしていたみたいだけれど。
私はまあ、そうねえ。
そう言う気持ちが全然なかったわけじゃないけど。
でもあいつが私に興味ないのに気が付いたし、さっさと別の相手探したわよね。
まあ、そのことで父と喧嘩したけど」
お盆を抱えてあっけらかんとフローラは言う。
親と喧嘩してでも好きな人と結ばれたいと思ったということだろうか。
それはそれでうらやましい。
「まあ、母はそんな気なかったし、エーリオのお母様も私と結婚させようなんて思っていなかったから。
っていうか私には無理よ。貴族の嫁なんて。
私は自分で働いていたいし、自由にお出かけしたいもの」
「お母様は自由に動き回っているけれど」
エリーザの母、モニカは偉大な魔法使いだ。
古代遺跡の調査で、国内外を自由に動き回っている。
貴族の嫁として父と一緒に公務をこなしつつ、貴族であることを最大限に利用して遺跡の調査発掘に自ら乗り込んでいく。
そんな偉い人が来たら嫌な顔をされそうだけれど、遺跡の中には強力な魔法で封じられているもがあり、そういう封印を解くのに母は大いに役に立っているらしい。
「モニカ様は人生を楽しんでいらっしゃるわね」
「そうねえ……」
「私、結婚してだいぶ経つけど、そんなこと正面から聞かれたの初めてよ。
結婚するときサルトリオさんに報告したら、目を丸くしてしばらく固まっちゃったのよねえ。
衝撃的だったみたいで」
たぶん兄とフローラの結婚を一番望んでいたのは執事のサルトリオだろう。
昔は見合いや子供のころから親が相手を決めると言うことが多かったらしいけれど、今は違う。
恋愛結婚は年々増えているという調査結果があるし、結婚前に複数人と交際するのも普通だ。
残念ながら、エリーザにはそう言う相手がいたことはないけれど。
フローラは食器を片づけてくると言い部屋を出て行ってしまった。
もう少し話をしたいのだけれど、戻ってきてくれるだろうか?
静かな部屋で、エリーザはお茶を飲もうとカップに手を伸ばした。
お茶の芳しい匂いが少し気持ちを落ち着かせてくれるような気がする。
窓の外は夜の闇が包み、町の明かりがまるで星のようにぼんやりと輝いている。
「結婚か……」
十八になったら結婚できるし、周りでも見合いがどうのとか婚約がどうのとかという話題は多いので身近なものだけれど、いまいち現実味がない。
見合い相手であるディーターと結婚についての話題は出るし、子供は何人欲しいと言う話題も出るけれど。
「このままでいいのかしら」
両親は恋愛結婚だった。
だから漠然と好きな人と結婚したい、と思っていたけれど。
「好きな人……」
呟くと胸に鈍い痛みが走る。
なぜか頭をよぎるのは、ディーターではなく彼の顔。
「どうして……かしら?
私……でも、まさかね」
自分は貴族で、彼は護衛で。
さすがに身分差がありすぎる。
エリーザはカップを置くと胸を手で押さえて俯いた。
「変なの。
あの人のことを考えると胸が苦しくなる」
これは病気だろうか?
だから腹痛を覚えることが増えたのだろうか?
エリーザは大きく息を吐き、背もたれに背を預けた。




