【00.00:10】
針が「1」を指し、上のタイマーが【00:00:01】となった。
どうやらゲームが開始したらしい。つまり、参加者が全員起きたということだ。
そこで裕は考える。
何やら廊下には“ペット”がいるらしい。
それから、ところどころに命の保証はないと、いつ死んでもおかしくないと匂わせる言葉が書かれている。
また、経験者にはトラウマとか称されているものがあるようで、それは徘徊しているようだ。
ならば、この“ペット”はトラウマとか言われているものなのではないだろうか。
そして、そいつらはおそらく、襲い掛かってくるモノだ。
これで襲ってこないのならば拍子抜けだが、裕は確信して『殺しに来る』と思っている。
そもそもかなり特殊なことに巻き込まれているのだ。
助言の通りとはいかないが、何事も疑い、警戒しておくくらいがちょうどいいと判断した。
しかし、襲い掛かってくると想像したものの、今の裕には撃退できる道具がない。せいぜいこの部屋にあるイスくらいが手ごろな武器か。
机は床に固定されているようなので、動かせるものと言えばやはりイスだけである。
かなり嵩張るが、ないよりはマシかもしれない――一つ、持っていこう。
ふと時計を見る。赤いタイマー曰く、この部屋の灯りが消えるのは残り五時間と三十分だ。
五時間。この部屋で待機するべきだろう。
何も知らないのだから、情報収集が先だ。情報収集をするとなれば、ドアを開けて外の様子を見た方が良いだろう。
この部屋には明かりが灯っていると他の人にも伝えることができるし、見える範囲内ではあるが情報収集ができる――一石二鳥だろう。
決めれば行動だ。時間は限られている。
念のためにイスを持って、ドアの前へ立つ。
ふう、と一息ついた後、ドアノブを捻る――と、バキンッ、と何やら大きな音が鳴った。
何の音だと思い、裕は少し慌ててドアノブから手を放す。
――ゴトン。
ドアノブが床に転がる。それを見て裕は状況を把握した。
なるほど、さっきの音はドアノブが外れた音か――と、冷静な頭でそう思う。が、なんで取れるんだよ、とも思う。
――古いからか?
ちょっと混乱していた裕だが、ばたん、と近くで大きな音がした。
今度は何だ、と音のした方を見れば、今度はドアが廊下側へと倒れたようだった。
「え、えぇ……?」
なんでだよ、と心の中でツッコミを入れる。
ドアノブが外れたらドアが取れるとか、そんなおかしなことあるか、と。
よく床を見れば、蝶番の残骸も落ちていることに気付く。
――まさか、こんな老朽化しているドアだったとは。
予想していなかったことの連続ではあったが、まあ、廊下の様子を見る、という目的は達成できるか。
もともとドアを開けようとしていたのだし、誤差の範囲だ。と無理矢理納得する。
ドアが外れてしまったが、誤差だ。誤差。
頭を振って思考の仕切り直しをする。
今は廊下の確認が大事だ、と未だに動揺から抜けない自身に対して言い聞かせる。
廊下は、現在裕がいる部屋と違って、かなり薄暗い。
一応、蛍光灯はある。光は灯っているのだが――部屋のランプよりも暗い。
――ん? 灯りがついているわけだが……この場合は安全になるんだったか?
ポケットの中からルールの紙を取り出し、確認する。
少し慎重になりすぎている気もするが、部屋を出るとここの灯りが消えてしまうと考えれば、安全地帯から多くの情報を得たいと思うのは別段おかしいことではない。
カサリ、と紙の擦れる音が響く。
――ペットは、灯りのついた部屋には入れない。
部屋、とわざわざ書いてある。つまり、廊下は対象ではない――のだろう。
どこまでが部屋の定義になるんだろうか、と疑問に思いつつ、紙を再びポケットへ仕舞う。
確認も済んだことだし、と裕は本来の目的――廊下から何かしら情報が得られないかと観察しようとした。
――のだが。
唸り声と、びちゃり、という液状の何かの落ちる音。
それから、腐臭。
――何かが、近づいてきた。
猛烈にドアを閉めたくなったが、ないものねだりは仕方がない。
音がした方向に視線を向ける。
薄暗い正面の廊下の先にあるソファの置かれた待合所のような空間。
そこに全身が筋でできた、真っ青な犬のようなものがいた。
――なんだ、あれ。
その真っ青な犬のようなものが歩くたびに、びちゃびちゃと音がする。
移動方法もおかしなもので、犬の形を成しているのに芋虫のように伸縮しながら移動している。
おまけに、かなり臭い――腐臭を纏っているから当然なのだが、とにかく臭い。
そんな犬のようなものが、廊下の先の広間に三匹。ますますこの部屋から出られない。
裕はイスをずっ、と自分の前へと押し出す。
本当なら机を置きたいが、動かないから仕方がない。
ドアがないから障害物を置くしかないのが心もとない。
一つしかイスを移動させていなかったから、バリケードとしては薄すぎる。
そう思って残りの二つのイスも移動させようか、と青い犬から目を反らさずにゆっくりと後退していく。
そんな時だった。
くんくんと鼻を鳴らすような仕草をするそれらの内、一匹が裕を見た。
残りの二匹も一斉に裕を見る。
獲物を見つけた。
そういう雰囲気が、薄暗いというのにもはっきりと見て取れた。
裕は自分の顔が引きつったのを感じつつ、イスを廊下に押し出す。
ここ部屋の中だし――安全だろ?
希望観測で、願望。もちろん、そんな期待は裏切られる。
犬のようなものが、吠えた。
それだけで全身が硬直し、思うように動けなくなる。
部屋の中だし、と現実逃避気味に思う遠い目をした裕へ、犬のようなものは現実を突きつける。
吠えていない一匹が、その伸縮運動の要領で舌を伸ばしてきたのだ。
その舌は、槍のように鋭く。
まずい、と本能的に思う。だが、それだけだ。体は動かない。
頭を狙っているその舌を、ただ見つめることしかできなかった。
――ああ、これは死ぬな。
そう思い、理不尽だなぁと考える。
しかし過去を振り返れば、理不尽しかなかったので、これは不幸の方だったか、と考え直す。
死ぬ間際だからか、スローモーションで迫りくる舌先を眺めながら、最期までくだらないことを考えたなぁ、と自分に呆れた。
「――ふっ」
直後、横から影が割り込み、その舌先を反らした。
舌は簡単に壁へ穴を開けた。その舌は、やはり槍のように――いや、槍よりも鋭かったかもしれない。
――掠っただけでも死ねそうだな。
裕は少し場違いな感想を抱いた。未だに現実逃避から帰ってきていない証拠である。
思考がままならない頭をゆるりと動かし、脅威から救ってくれたその影を見る。
漆のような黒髪のツインテールの毛先が肩で揺れている、セーラー服を身に纏った華奢な体躯の少女が、そこにいた。
――このセーラー服は、地元の中学校の制服だったはず、と回らない頭で思い出す。
膝がギリギリ見える丈のプリーツスカートを広げるように勢いよく振り返った少女は、裕を視認するや否や腕をつかむ。
「えっ」
「ドアない部屋、もう廊下。深淵の犬から逃げる」
少女とは思えない力で引っ張られ、そのまま否応なしに部屋から裕は出される。
そして引っ張られるままに裕は足を動かす。
方向は左。少女が来た方向も左側であったから、おそらく安全地帯となっている部屋があるのだろう。
少女に手を引かれて走る裕だが、後ろから漂う腐臭を感じ、そういえば相手は犬らしいんだよな、と妙に冷静な頭で思った。
――いやいや、犬から走って逃げるとか、無理だから。
そして思わず、そんなことを考えるのである。もちろん口には出さない。口は災いの元、だ。
それに悲観的になるより、がむしゃらに逃げる方が先だった。
青い奇妙な犬から、唐突に現れ、窮地を救ってくれた少女と一緒に逃亡劇。
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誤字脱字等ありましたら、教えて頂けると嬉しいです。