幼い憧憬と泣き虫の天才
『あきちゃんみーつけたっ!』
彼は、いつも隅に居た。部屋の隅、庭の隅、物置部屋や押入れの中等の狭い所に、その大きな身体を縮める様に膝を抱えて居る彼を探し、皆の所に引っ張って行くのは私の役目だった。
『夜宵ちゃん…』
『あのね、きょうのおやつはね、しほんけーきだって♪』
『…シフォンケーキ?』
私が彼を見付けると、彼は決まってどこかほっとしたような顔をした。
私が物心のついた3歳の頃に施設にやって来た10歳上の彼は、高い身長の割には酷くガリガリに痩せていて、大きな身体を狭い場所に押し込めたがった。当時は解らなかったが、彼は親から暴力を振るわれては邪魔だ、目障りだと言い続けられた…と後々に本人から聞いた。
『うん、ここあのあじでね?くりーむいっぱい!』
『そっか…』
『ここあ、きらい?』
手を繋いで歩きながら背の高い彼を見上げる。
『嫌いじゃないよ…嫌いじゃない、けど…』
『…あきちゃんはね、おべんきょうもうんどうも1ばんでね、いーっぱいがんばってるの、やよいしってるよ!』
『………。』
『だから、あきちゃんはいっぱいたべるの!』
『……うん、…っうん。』
ぽろぽろと涙をこぼしながら、彼は何度も頷いた。
彼は、天才だった。どんな難解な問題も彼はいとも容易く解いてしまったし、どんな競技も彼に敵う者は居なかったが、彼は才能以上に努力の人だった。誰よりも勉強をし、誰よりも練習をしていた。私にとって、そんな彼の背中は憧れだった。
だからこそ、いつも自信なさげで自己評価の低い彼に言い続けた。才能だけじゃない、努力してるのを知っている。貴方は凄いのだ、胸を張って良いんだと。
『やよいね、あきちゃんみたいになるの!』
『僕、みたいに…?』
『うんっ!おべんきょうもうんどうもいっぱいがんばるの!』
そう言うと、彼は顔をくしゃくしゃにして泣きながら笑って私を抱き締めた。
私は、この泣き虫で優しい努力家の天才が大好きだった。
ぼんやりとそんな事をぎゅうぎゅうに抱き締められながら思い出していたら、前後で膨れ上がった物凄い殺気と椅子が倒れる音、同時に響いたヴォルフさんの叫び声に一気に現実に引き戻された。
「待て待て待て待てっ!落ち着け!兄ちゃん!!」
視界を遮られて居るので確認のしようがないが、恐らくルークスを抑えてるのだろう、ドタンバタンと物音がする。
「うわあぁぁ~~んっ!!!」
「ちょ、落ち着いて!」
未だ泣き続ける大男を宥めていると、背後でチャキリと得物を構えた気配を感じて慌てて制止の声を上げた。
「し、シリウス!レオニス!剣を下ろして!!」
◇
「はぁ~……」
「なんか、ごめんねヴォルフさん。」
ぐったりと1人用のソファーに凭れるヴォルフさんに謝る。
あれから何とかルークス達を抑え、泣き止まない彼を宥めながらギルドの応接室に場所を移した。いつまでも折角の祝勝会の空気を混沌化させておく訳には行かない。
「あ"ぁ"~…戦うより疲れたわ。」
「あ、はは…」
で、現在の状況と言えば…前方の4人掛けに不機嫌なルークスとシリウスとレオニス、向かって右の1人掛けにぐったりとしているヴォルフさん、私の真横に引っ付いて未だ泣いてる彼、左の2人掛けに彼の仲間だと言う…これまた涙ぐんでいた2人の男性。
………あれ、まだ混沌の中だな。
「夜宵、その男達は誰だ。」
不機嫌な顔を隠すこともせずに聞いてきたルークスと、最大級の警戒を見せるシリウスとレオニスに苦笑を溢しながら傍らの彼を見上げた。
「う~ん、…兄、かな?血は繋がって無いけど。」
「…………孤児院の、か?」
「そ。」
ぽんぽん、と彼の背中を叩くと漸く彼は顔を上げた。
「落ち着いた?秋ちゃん。」
「う"ん、ごめんね夜宵ちゃん。」
ずびっと鼻をすすりながら謝り、ルークス達に向き直る彼に苦笑する。
サラサラだった鳶色の髪は艶を無くし、垂れ目がちなオリーブ色の瞳は、泣いたせいではない疲れが滲んでいた。整った顔立ちは日に焼け、肌は荒れて少しやつれていたが、彼独特の空気は少しも変わっていなかった。
「朽木 秋冬と言います。お騒がせしてごめんなさい。」
秋ちゃんは目を赤くしたまま頭を下げた。
「10年ぶりに会ったら、抑えが利かなくなっちゃって…」
「……………………うん?今、10年ぶりって言った?」
「うん。」
どうかした?と秋ちゃんは首を傾げる。
「秋ちゃん、こっちに来る前の西暦は覚えてる…?」
「2015年、だったかな。夜宵ちゃんはいつ来たの?」
「………2年前…2016年に、来たの。」
「えぇ?!だって、本当に10年前に来たんだよ?!」
困惑した様子で秋ちゃんは、嘘じゃないよ!と言う。彼が嘘を言っているとは思ってないが、経過時間に差が出てるのは何故だろう?
「時間の流れが違うのかな…?」
「………恐らく、落ちた時に時間軸がズレたんだろう。」
ポツリ、と言ったルークスが説明してくれた。
まず、異世界から人が来るには2つの方法がある。1つは勇者召喚の様に術式を用いて召喚されること、もう1つは歪みに開いてしまった穴に落ちること。
召喚ならば、2つの世界を繋ぐ路は術式で固定され、横槍が入ったりしない限りは場所や時間軸がズレる事はないが、歪みに開いた穴は…その路が固定されてないために捻れ、時間軸や場所がズレる。最悪、出口が無い場合もあると推測されているらしい。それはつまり…世界と世界の間をさ迷い続けることになったり、存在自体が消えちゃうこともあるってこと……想像してゾッとした。
「うぅん…つまりは、ワームホールってことかぁ。この世界では、その穴ってどう対処してるの?」
秋ちゃんはのほほんとした口調でルークスに問いかけた。
「各国で対処しているはずだ。あれは、余程大きくなければ魔力をぶつけるだけで消えるからな。」
「なるほどね、それじゃあ彼方では対処のしようがないね。」
「………どうして対処していると思った。」
探るような目付きでルークスが問い返す。
「10年の間に思ったより異世界の人に会ったのと、僕達の世界で此方の人と遭遇したことが無かったから、かな。」
彼等もそうだよ、と秋ちゃんは2人の男性を視線で示した。因みに、フランス人とイギリス人だそうだ。
「あの穴は一方通行でしょう?双方向なら、異世界の人達を送り返す手段が有りそうだし、僕達みたいのが落ちてきた場所には必ず人が来るはずだしね。」
ルークスと秋ちゃんがまるで睨み合う様に視線をかわす。
「ま、戦争でそれどころかじゃなかった…ってのも有るみたいだけど?」
「違いないな。」
ルークスが肩をすくめ、ヴォルフさんが苦笑いするのを見てから、秋ちゃんは私を見た。
「……もう、帰れないんだね?夜宵ちゃん。」
「……うん…無理だって、神様が言ってた。」
「そっか…」
秋ちゃんは悲しげに小さく呟き、フランス人とイギリス人の2人は顔を両手で覆って俯いてしまった。
「ネイサン、オリヴァー…」
「すまん…覚悟はしてた、つもりなんだがな…」
「私も…ごめんなさい、少し時間を下さい…」
2人の声は震えていた。
「秋ちゃん、宿は決まってる?」
「うぅん、まだだけど…」
秋ちゃんの返答を聞いて、ネイサンさんとオリヴァーさんに視線を向ける。
「……お2人共、とりあえずゆっくり休みませんか?」
努めて柔らかく声を掛ける。
「私達、金色の騎竜亭に泊まってるんです。そちらにお部屋取りますから、先ずは休みましょう?」
「「…………。」」
2人は顔を上げてくれた。
「秋ちゃんがお世話になってるんです、宿代は私が出します。……だからお湯に浸かって、しっかり寝て…明日の朝、朝食をご一緒しましょう。」
「………ありがとう。」
2人は揃って頭を下げてくれた。
「宿までは私が連れていこう。シリウス、レオニス、お前達もそろそろ休む時間だ。」
「「はい、兄様。」」
「ありがとうね、ルー。」
「部屋を取って、子供達を寝かし付けたら戻ってくる。」
そう言って柔らかく笑うと、ルークスはシリウスとレオニス、ネイサンさんとオリヴァーさんを連れて応接室を出ていった。
「ありがとう、夜宵ちゃん。」
秋ちゃんは、寂しげに…疲れた笑みを浮かべた。
「ネイサンはさ、彼方に奥さんと産まれたばっかりの赤ちゃんが居るんだって。…オリヴァーは、病弱な両親が…」
ぎゅうっと秋ちゃんが拳を強く握るのが見えて、その手に触れる。
「…………先生達…心配、してるかな…。」
「してたよ。どっかで泣いたりしてないかって…」
「あは、僕…もう大人なんだけどなぁ…」
「そうだね…」
秋ちゃんは困ったみたいに笑った。
「よし、飲もうぜ!」
黙ってたヴォルフさんが、しんみりしてしまった空気を変える様に膝を叩いて立ち上がり、私と秋ちゃんの肩を強めに叩いて言った。
「……うん、そうだね。飲もっか、秋ちゃん。」
「いたた…そっか、こっちではお酒飲める歳なんだね。」
「あんまり飲まないけどね。」
ヴォルフさんに続いて立ち上がって笑う。
「飲みながらこっちに来てからのこと聞かせて?私も聞いて欲しいし。」
「うん、僕も夜宵ちゃんのこと聞きたい。」
私達は、過ごしてきた時間の中で、何とか折り合いをつけた郷愁にチクチクと胸を苛まれながら…未だ陽気な喧騒に包まれた酒場へと、ゆっくりと降りていった。
新キャラ登場致しましたー。
ライバルにするつもりだったんですが…小姑が増えただけになりましたwww
ルークスの前に立ちはだかる壁はますます厚くなりますね。




