第八話「雑談」
青銅の魔女の姿になった美香であるが、登場人物の雪子と同じように甲冑姿ですごさなくてはならなくなった。彼女の元にたずねてきたのは友人の睦実であった。
甲冑を着たまま過ごせといわれた美香であったが、そのような姿でアパートに帰ることは出来ない。そのため監督の計らいで撮影所の宿直室で生活することになった。監督いわく「若い女が一人でいても、甲冑で重武装しているから大丈夫」とはいっても、誰が襲おうと思うだろうか?
「美香、あんた待望のサンデーマートの新作スイーツを買うてきたよ。」と睦実は穴だらけのデニムにTシャツといったラフな格好で差し入れを持ってきた。睦実もこの映画に大道具係として参加していたが、美香とはなかなか会うことはなかったが、同じ映画にこれほど長い期間関わるというのも初めてのことだった。美香が睦実に持ってきてもらうように頼んだ差し入れのスイーツは美香の数少ない贅沢品であり楽しみであった。いつもならバイト先のコンビニで購入するものであったが、現在は映画撮影中のうえに、監督から青銅の甲冑をクランクアップまで脱ぐなと言われている身である。そのため脱いで買いに行くことも出来ないし、ましては甲冑姿のままコンビニに行くのは映画の撮影じゃないのに出来ないことであった。
それにしても甲冑を着た女が、映画撮影所近くのコンビニに現れたら変な衣装をきているスタッフに見慣れた店員は無関心かもしれないが、そのほかの普通の店に行ったら重武装強盗だと警察に通報されかねない。さもなければチンドン屋かいと思われるかもしれない。いづれにしても美香が甲冑姿で撮影所から出て行く勇気が起きるはずもなかった。
そのスイーツをほうばる青銅の甲冑姿の美香を見て、睦実はあきれた表情で「美香もトドロキズムの犠牲になったんだね、あの監督の趣味だから仕方ないけど、あんたは特撮ヒーロー物のスーツアクトレス志望じゃないのに、そんな姿になるとは思わなかったよ」と言った。美香にはトドロキズムとは何の事か分からなかったが、求めてもいないのに睦実は続いて説明してくれた。
「今回の”青銅の魔人”の轟木監督はね、異形な姿や行動をする役柄をさせる登場人物の場合、その役者に撮影期間中は四六時中格好や行動を強制させようとすることで有名なのよ。もっともそうさせるのは何度もメイクすると費用も時間ももったいないからだという人もいるけどね。ちょっと変わった嗜好なのかもしれないけど、変な役柄をする役者には気の毒だといわれているのよ。
監督が撮った作品だと”人間寝台”では主人公が性的嗜好のためベットの中で潜伏する内容だからといって、本当に特注ベットの中で可能な限り生活させたりしたし、”奇景パラダイス伝説”では、作中に妖怪が多数出演していたそうだけど、ちょい役なのに着ぐるみ姿で数日過ごさされた出演者が少なくなかったそうよ。中には特殊メイクに時間が掛かりすぎた役者などがひどくてね、全身に鱗を貼り付けた半漁人役や下半身を魚のギミックを着せられた人魚役なんか人間ではない別の生物の外観にされて本当に気持ち悪かったそうよ。
人魚役をやらされた一人はあたしの友達の智子だったけど、下半身魚なんで歩いてどこか行けないので、しかたなく水槽で寝起きしたし、全身が撮影が終わるまで濡れていて気持ち悪かったそうよ。特に足二本がグルグル巻きで縛られた上に蛇腹のような魚の胴体を被せられていたのでへそから下が重たかったし、胸まで魚の鱗を貼り付けられて気色悪かったといっていたわ。それにトイレに行くことが出来ないのでオマルで済ましたし、また撮影が終わっても当分の間満足に歩けなかったそうよ。
そうそう、人魚といえば轟木監督の初期の映画で昭和時代末期に昭和の切り裂きジャックと呼ばれた連続殺人犯が持っていた事で有名になったエグイ内容の”バスタブの人魚”のリメイク作品があったわ。
リメイクなので元の映画とは違って、映画撮影の様子と殺人事件で報道されて非難された映画監督の物語だったんだけど、もともとの映画の内容がバスタブに連れてこられた怪我をしていた人魚が生きたまま膿を出しながら腐敗していくものだったので、人魚役の女の子の体にバスタブの中でボロボロになって崩れていくメイクをしていったそうよ。そしたら、その女の子腐敗メイクの匂いと自分の体が腐乱死体になっていまうという恐怖でPDSDになってしまって、作中の監督と同じように轟木監督も糾弾されたんだって。」と映画について長々に話してくれた。
それにしても映画の事なら睦実が話し始めると止まらなくなるのは今に始まったことではないが、美香からすれば折角楽しみにしていたスイーツを食べているのに腐乱死体などといったキーワードを使うとは人の事を考えておらず如何なものかと考えていた。
そう考えていたところ睦実の関心が青銅の魔女の甲冑に向けられてきたらしく、甲冑の表面をベタベタと触り始めた。そのうえ甲冑の外板が外れないかと思っていじっていたけど鋲で留めているかのように動かなかった。そのうえで「本当にこの甲冑の出来栄えはいいわね。まるで甲冑そのものがカニの甲羅のように生きた生物の一部みたいだね。それにしても美香、その甲冑を着ていてトイレなんか大丈夫なの?」などと青銅の魔女の甲冑に興味を持ったようだった。着ぐるみのはずなのにいつまでも着用していても美香が平気でいるのが不思議そうであった。
美香もこの甲冑にはいくつか不思議なことがあることに気が付いていた。まず、このような重い衣装を着ていたら着ぐるみのように蒸れるし全身に重量が掛かるので不快な感じになるはずだけど、まるで肉体の一部のようになっていて違和感がなかった。以前着た着ぐるみなどは小一時間もしないうちに暑さに耐えられなくなって脱ぎたくなったが、一昼夜以上経過した今でも生まれてからその姿ですごしてきたような感覚に襲われていた。
またトイレに行くときも、下半身の甲冑が蓋のようになっていて開けると大きいほうも小さいほうも問題なく済ますことができるのも不思議であった。そのうえ革のようなアンダーの全身タイツを着た際には切れ目などなかったのに、いつのまにか排泄口などが自然と形成されていた。しかも全身タイツの素材が肛門の周りなどが元からある皮膚のように振舞っているのである。
そのため美香の体は甲冑をずっと着用していても構わないように甲冑の不思議な能力によって適応しているといえた。美香の体は頭部を除けば青銅の魔女そのものに変わっていたのである。しかも美香は青銅の甲冑を着ることに快感すら感じていたのである。そのままずっとこの姿でいてもいいとさえ思ってしまうほどに。
「そういえば睦実、あの青銅の魔人の俳優は有名なスーツアクターなの」と同じように青銅の甲冑を纏っているもう一人の存在も気になった。あの人も轟木監督の意向に従って映画撮影開始からずっとあの姿ということに気がついたのであった。「そういえば、あの人も一度も青銅の魔人の甲冑をはずした姿を見たことないね。ただ食事をしている時に顎のパーツをはずしていたけど、顎鬚が濃いなあという感じだったので男が入っていると思うよ。そうそう青銅の魔人の正体は怪人二十面相だけど二十面相役はあの有名は宇津戸誡だけど背が低くずんぐりした体格だから、背が高くすらっとした青銅の魔人とは違うわね。そういえば青銅の魔人役って、どこの誰かやっているのか誰も知らないと思うよ。あんだけ存在感があるのに不思議ね。」
睦実の話では、宇津戸誡と青銅の魔人が同時に出る最終場面の撮影が今日終わったそうで、それによると明智に追いかけられた青銅の魔人こと怪人二十面相がヘリコプターで逃走するもので、最後は二十面相が明智の乗ったヘリコプターに向けて発射したミサイルが反れて地上の倉庫が爆発し、その倉庫の屋根の破片が送電線を切断し、その送電線がヘリコプターのローターに巻きついて墜落すると言うものだったという。また原作と同じように生死不明という結末だという。
「あの撮影ね、本当に大変だったわ。爆発シーンなどは特撮だから私らには関係ないけど墜落現場のセットをあんな山の中で作れというのだから参ったよ。作るのに三日間もかかったけど、あそこは薮蚊も多かったし刺されて大変だったよ。それにしても青銅の魔人の衣装も現場にあったけど、あれって表面は青銅のように重そうだけど軽かったわね。そうそう、美香。兜を被ってもらってもいいかな。見てみたい。遠くで見ていても美しかったから近くからみてみたい。」といわれた。兜は監督から明日の食事シーンを撮影するから練習しなさいと渡されていたが、直すのが面倒くさくならないように壊すなといわれていた。それと他人にはどんなに頼まれても被らせないようにとキツク言われていた。
睦実に促されて兜を被ったところ彼女は「本当に美しいわ。私も被ってみたいけど我慢するね。あの監督にあんたの代わりに青銅の魔女の姿で一週間もすごせなんていわれたくないし。ちょっと顎の部品をはずさせて」といって睦実は青銅の仮面の顎をはずしてみた。そこには、あの青銅の魔人が食事していたときに見えていた髭があったが、その奥から見える細い口元は美香であった。しかしその周りにある髭は意思があるかのように動いていた。まるで美香を洗脳しようとしている触角のように。