第十一話「牢獄」
兜の隙間から美香の目に朝日が差し込んできた。また眠りから覚めきらない意識は鎧の表面に朝の涼しい風が吹きかけられている感覚を認識した。美香の身体を覆う甲冑はもはや彼女の皮膚と同様の感じを与えていたのだ。そのため裸で寝てしまっていたと勘違いしたほどである。
しかし外見は青銅の魔女そのものであっても、それは生身の人間がかりそめの姿にやつしているだけであり、大抵の人から見れば、青銅の魔女の姿をした女性が寝ているだけど感じるはずであった。しかし美香は青銅の魔女の甲冑の虜にされており、その身体は青銅の魔女の内臓そのものであった。
今日の予定は「青銅の魔人」本編ではなく、番外編の短編「青銅の魔女」の撮影である。急遽轟木監督がメディア化された時の特典映像にでもしよと決めたという。最もこれは青銅の魔女の甲冑に美香のギャラの数十倍もかかったため、制作費の返済弁済の助けという噂もあった。なにはともあれ、青銅の魔女にされた雪子が主人公という映画であった。美香からすれば初主演であった。
しかし、出演といっても美香が演技するのは監督の指示通りに身体を動かすのみで、台詞もなければ表情を作る必要もない、いわば人形がポーズをとっているに過ぎなかった。そのため美香は主演とはいっても甲冑という牢獄につながれた状態で、美香という人間ではなく青銅の魔女という牢獄の表面を映像として残していたわけである。
「それにしても雪子君、君の兜の表情は美しいよ、また青銅の甲冑の表面も美しい。次は牢獄の鉄枠にしがみついて揺さぶる演技をするように」と監督は指示をだしていたが、監督も雪子が甲冑に囚われて青銅の魔女にされていると思い込んだかのようだ。美香は少し悲しかったが幸い表情は兜の下に閉ざされており、見えるはずはなかった。
かつて美香が読んだ小説に「人間という存在は肉体という牢獄に繋がれた囚人である。その肉体を抜け出す事が出来るのは大抵は死であるが、精神のみが抜け出した時には超自然的な存在となるはずだ。それが神の領域に入るときだ」といった事が書いていたような記憶を思い出していた。美香にとってこの青銅の魔女の姿は美香でも雪子でもない別の存在になった証ではないかとすら思っていた。美香は青銅の魔女の甲冑によって、その存在が上書きされつつあった。それが美香にとって新たな牢獄へ繋がれる事なのか、青銅の魔女とは異なる別の存在になる事をもたらすのかを知るのは、もう少し先のことであった。