第九話「内界」
「おかしいわ、はずれなくなった」と美香は困惑していた。睦実が引き上げたので青銅の魔女の頭部をはずそうとしたものの、ぴったりはまってしまったようだ。美香は青銅の魔女の姿に固定されてしまった。
「しかたない。明日衣装係の人に外してもらうしかないね。でもマスクを被ったまま一晩中いる女というのも私ぐらいかな。まるで変な趣味でもあるんじゃないかと、怒られたりしないかな。」と気にしていたが、それよりも不思議なことがあった。そう、美香が青銅の魔人の扮装をしているのに、あの青銅の魔人をやっている俳優と同じく、生まれてからこのかた甲冑をはずした事がないかのように平然としていることである。
青銅の魔女の衣装のように彼女を包み込んでいるのは、金属なのか樹脂で作られしものなのか判らないが、どう考えても通気性が良くなさそうな代物である。そのような完全に身体を覆ってしまうような衣装、たとえばヒーロー物などのキャラクターを象った大抵の着ぐるみの場合、その「中の人」もしくは「内臓」になった着用者は季節にもよるけど演技をすれば、暑さによって脱ぎたくなるのが当たり前といえる。しかし青銅の魔女のそれは美香の身体を閉じ込めているにもかかわらず、美香は薄手の洋服を纏っているだけかのように平気であるばかりでなく、快適ですらあるようだ。そのうえ別の世界に閉じ込められたかのような感覚であった。
「この感覚って、あのバルーン着ぐるみに入った時の様だわ。あの時のように別の時空に閉じ込められた感覚だわ」と以前、ハプニングで着た変わった着ぐるみを思い出した。
それはイベント会社のアルバイトで、テレビ局のイベントで雑用をしていたときのことだった。社員が急な取材が入ったので、テレビ局の人型キャラクターの着ぐるみに入ってくれといわれ、私服のうえから無理矢理着せられた時のことだった。この時の着ぐるみが2メートル近くもある高さがある頭でっかちの姿だったが、バルーン着ぐるみだったので、常に送風機で風船のように膨らまされている構造だった。その着ぐるみの手を動かすには棒で操作する必要性があり、周りに子供たちがいるのは表面に薄っすら見えるものの、自分は別の空間にいるかのようだった。その時美香は周りの世界は別のもののように感じ、しかも身体は送風機からのなんともいえないような空気に酔いしれていたのだった。
「あの時は冬だったので丁度よかったけど、夏だったらサウナだったろうね。でも異次元の空間の中で私だけが閉じ込められていたかのようだったわ。それにしても、この青銅の魔女の甲冑というか着ぐるみというかは、着てから一日経つけど私の皮膚みたいに密着しているのに暑苦しくないばかりか、表面を触るとなんだか感触があるのが気になる。もしかして本物の青銅の魔女になりかかっているのかな。」と不安になってきた。さらには「いったい、この青銅の魔女の衣装の意味ってなんなんだろう?」と青銅の兜で覆われた頭を抱えてしまった。美香がそのように考えるのも、映画撮影の出番もないのにうら若き女を何日も甲冑女にしている監督への不満もあったからだ。そもそも監督は何を考えているのかがわからないといえる。
「しかし監督もいくら役つくりとはいっても甲冑を着せておく理由などわからないわ。これだったら人魚のメイクで水槽で過す方がよかったかもね。」と睦実が先ほど話していた事を思い出していた。そういった美香の想いの全ては、美しい青銅の魔女の体内でめぐらされている世界であるが、何を美香が考えたとしても知らぬ者が見れば青銅の魔女の変わることのない固定化された表情から、困惑も快楽もわからない。そう考えているうちに美香はいつの間にか眠っていた。そう、青銅の魔女の姿で。




