8 ベイトリオン
時は今より、一〇年の月日を遡る。
その頃、ベイトリオン・クレッセルはキャドゥー王国に住んでいた。当時キャドゥーは鉱山地帯で、未発達の街も多くあり、それゆえ物価は安く、暮らし易かった。
ただしそれは、一般人に限る話だ。その時から、キャドゥーでは他の地方よりも魔術は敬遠され、魔術師は職を持てなかった。
メルティーナ国立魔術研究所に入れなかったベイトリオンは、召喚師としての道を諦め、ひっそりと暮らしていた。そんな頃、ベイトリオンは暗黒魔術の先進研究者に出会い、その考えに傾倒し、再度魔術の道を歩く事を決意する。
ベイトリオンは暗黒魔術の研究を独自で進めていった。その時出会ったミーティアという魔術師の女性と意気投合し、結婚する。間も無く息子に恵まれ、エルバと名付けた。
ベイトリオンはひっそりと自宅にこもり、研究を続けた。世間に忌まわれる魔術を、現代に於いても受け入れられるよう、改良を続けていた。しかしそれは困難で、作業は思うようにはかどらない。いつしか妻のミーティアは魔術を捨て、勤労するしかなくなった。
その姿を近隣の人々はどう見たのだろうか。ただでさえ魔術師は敬遠されていた。ベイトリオンは日夜研究に明け暮れ、外に出る機会もあまり無い。息子のエルバも魔術を直々に教えられていたため、近隣住民との関係は疎遠だった。
そんなある日の事。妻のミーティアは息子のエルバを連れて、買い物に出かけた。ベイトリオンは一人家に残り、研究を続けていた。
夕方になり、帰りが遅い事を案じたベイトリオンは、作業を止め、家を出る。
そして彼は恐ろしい事実を知った。
開発中の機械が鉱山内で事故を起こし、火災等で数十名が犠牲になったという。町中が大騒ぎをしていたが、ベイトリオンは研究に没頭するあまり、それに気付かなかった。
まさか。
彼は妻と息子の姿を捜した。事故は悲惨なものだった。どうやら爆発を起こしたらしい。鉱山の中で爆ぜた炎は、そのまま坑道の中を焼き尽くし、居場所を無くして街に噴出したようだ。商店街の一角は焼け落ち、見る影も無い。肉の焼ける匂いにむせそうだった。
衝撃があったのか、幾つかの棟は崩れている。その側に、死体が安置されていた。
ベイトリオンはそこに駆け寄り、妻と息子を捜す。
妻の姿があった。
変わり果て、そこに横たわるだけの妻に、ベイトリオンは声も無い。全身から力が抜け、崩れ落ちそうになりながら、彼は気付く。
息子が居ない。
未だに建物の下敷きになっているのか、はたまた生きているのか。息子の姿は死体置き場には無かった。
ベイトリオンはひとまず妻のもとを離れ、息子を捜した。
まだ生きている人間が病院に運ばれて行くのを見て、ベイトリオンはそこに向かった。
そこにはエルバも居た。まだかろうじて呼吸をしている。救護班に瓦礫の中から救助され、意識の無いまま治療待ちの棚の中に入れられたようだった。
「エルバ!」
ベイトリオンは息子に駆け寄り、声をかける。が、エルバの顔色は青ざめ、返事は無い。呼吸はかすかで、今にも止まってしまいそうだった。
「誰か、息子を、エルバを助けてくれ!」
ベイトリオンは医者と思わしき人間に叫ぶが、受け入れられない。
「その子よりもっと重篤な人々が大勢居ます。そちらが先なんです」
「このままでは息子は死んでしまう! ……そうだ、お金ならいくらでも出します、どうか息子を、エルバを……!」
そう叫ぶベイトリオンを医師は鼻で笑って言った。
「おたく、魔術師でしたな。ご自分で治療なされたらいかがですか」
人々の目は、魔術師であるベイトリオンに、ひたすらに冷たかった。
ベイトリオンはそれから長い間医師に訴えたが、結局聞き入れられなかった。死に逝く息子の手を取り、ベイトリオンは覚悟を決めた。まだ息の有るエルバを運び、自宅へと戻る。
魔術も金も人情も、何もかも役に立たない。全て意味が無い。
ベイトリオンはそして禁断の魔術式を展開した。
それは何年も前に自ら捨て去った、召喚術だった。
ガタリ。
物音にベイトリオンは目を覚ました。見ると、そこはトゥエル村の裏山。現在のベイトリオンの家だった。窓からはうっすらと明かりが差している。朝のようだ。
古い夢を見たものだ。ベイトリオンは苦笑して、そして物音のした方に目を向ける。
暗がりに、大きな影が立っている。
「……ああ、おはよう、エルバ」
ベイトリオンはにこりと笑んで言った。
「朝ごはんにしようか。この世界の終わりを前に、良い食事を楽しもう」
その時、コーデュは何も無い空間を漂っていた。
否、闇はあった。ただひたすらの闇。その中でコーデュは、波に漂う木っ端のように、ゆらゆらと浮いている。
(ここ、何処だろう……)
闇の世界は、少し懐かしさを感じさせた。胎内のようでもある。コーデュはやんわりと体を動かし、歩いてみた。そこには地面というものも無い。ふわふわと揺れるだけで、先に進んでいるのか否かも判らない。
コーデュはしばらく辺りを見渡したが、何も変わらなかった。仕方なく、ここに来るまで何をしていたかを思い出そうとする。
少女が攫われた。助けに行った。納屋に入った。左腕が、チクッとした。
コーデュの記憶はそこで途切れている。気付けば、ここに居た。
ここが何処なのか考えるが、こんな場所は文献に載っていなかった。……いや、思い起こしてみると、似たような場所の記述は、有った。
混沌。
全ての物が等しく集い、また自ら形を成さない場所。魔術が絶対に干渉出来ない場所。あるいは、シュレグが最後に干渉しようとした、究極の空間。
全てが集い、無限に存在する。この空間を魔術式と結合出来れば、それは世界を変えるほどの力になる。いわばそれは、賢者の石。無の空間から、物質と現象を構成する、最強の魔術を作り出せる。
シュレグは世界を牛耳る前に、それを求めた。ひたすらに混沌を探し、結合しようとした。結果、その隙が彼らを世界の玉座から引きずり落とす事になった。
混沌の研究に没頭している間に、四人の戦士が彼らの一族を追い詰め、封印するに至ったのだ。
シュレグは求めすぎた。混沌とは、この世に存在しないものなのだ。理論上にしかないものだった。
けれど。
(じゃあ、そこに漂ってる私って、何)
コーデュは思わず自分につっこみを入れる。これは夢に似ているが、違う気がする。ここは夢とは全く異なる空間のように思う。
(待って、記憶が途切れてる。という事は、私の身に何かあった。現実世界で突然、こんな所に来るわけないから……)
コーデュは冷静に冷静に考えて、そして、思いついた。
(あ、もしかして、死んじゃった? なんてねー、なんて、なんて……)
冗談のつもりで考えてみたが、あながちそうでないとも言い切れない。何せ、生きているという確証も無いのだから。現に、コーデュには自分の鼓動が聞こえなかった。胸に手を当てても、首を押さえても、鼓動は感じられない。
(……ま、まさか……まだ何もやってないわよ、私。まだ人生、ものすごく途上よ。ここで死んだら、私の人生、ほんっとーに無駄。嘘よね、嘘と言って)
コーデュが思わず顔を青くしていると、
「大丈夫、ここは死じゃないよ」
と、声がかかった。
驚いてコーデュが振り返ると、そこには少年が立っていた。
否、少年のシルエット、と言うべきか。白色の光の線がそこにある。髪の毛の先まで繊細に描き出された輪郭。少年の中も深い闇で、彼の動きだけが、ゆらゆらと光の軌跡で浮かび上がっている。
「やあ、コーデュ。僕はエルバ。安心して。ここは死じゃないよ」
「……じゃあ、混沌かしら」
「どちらとも言えないなあ。僕も、ここの事は良く知らないんだ」
エルバは明るく言う。揺らめく体で、彼はコーデュを励ます。
「大丈夫だよ。きっと、彼らが助けに来てくれるから」
「彼らって、誰?」
「ほら、ずっと一緒に居たじゃない。お父さんは知らないみたいだけど、僕、判ってるんだ。彼ら、王子でしょ? それも、アルキーシュの。ずっとここで待ってたかいがあったよ。僕はやっとここから出れるんだ」
「……どうして、王子だと判るの? それに……ここから出れるって……?」
コーデュが尋ねると、エルバは言った。
「僕は、召喚獣の部品にされてるんだ。、精神だけがここに取り残されてる。コーデュもそうだよ。僕はここに漂いながら、一二個の眼で世界を見てるんだ。それでずっと待ってたんだ」
「何を?」
「お父さんを、……ベイトリオンを、殺す人が来るのを」
エルバは嬉しそうな声をあげて、笑った。
ウェルとコルトは装備を整えて、翌朝、再度山に登った。
あれからすぐに召喚術を始めたとしても、夕方までは完成しないだろう。逆に、日暮れまでにコーデュを助けなければ、彼女は召喚獣になってしまう。
相手は召喚師。それも、ロドッシュのような大型召喚獣を作れる人間だ。何も考えずに戦っても勝てる相手ではなかった。
コルトは古風に弓とレイピア、小さな盾を用意した。ウェルの方は、小さな銃と大きな盾を。
そして。
「うむ。ルグネス、頑張ってるなあ」
先行したルグネスは、偵察のフェロネスやルヴィエンを破壊していた。
今度しくじればクビだと思っているのだろう。召喚獣相手には魔術が有効である。多少心得のあるルグネスは、不慣れながらも魔術を駆使し、露払いをしていた。ベイトリオンの小屋に着くまでに、数十匹の残骸を見かける。が、ついにルグネス本人の姿は見えなかった。
「ベイトリオンとは戦うな、と忠告しておいたから、まぁ上出来だな」
「彼も召喚師と戦うリスクは理解しているのでしょう。あとは兄さんが死にかけた時に、庇いに来るか否かですね」
「そうだな、庇いに来るか否かだな」
コルト達はわざと大声で言いながら、ベイトリオンの住居へと近付いて行った。例によって、家には誰も居ない。前回と同じ東側の納屋を覗いたが、そちらも空っぽだった。
となれば、残った西の納屋。
二人は納屋に近付き、扉を開けた。
木の床に、大きく赤い魔法陣が書かれていた。その中央に大きな机が有り、コーデュが寝かせられていた。
「コーデュ!」
コルトが思わず駆け寄るが、魔法陣からは何らかの結界が発生しているようだ。コルトはあと一歩のところで、コーデュに触れられない。
「ダメですよ、邪魔をしては」
ベイトリオンの声がした。はっと二人が天井を見上げると、梁にベイトリオンが腰掛けている。そしてその隣に、異様な物が立っていた。
人の子供ほどの大きさで、背からは大きな蝙蝠の羽。胸から腹にかけて、一二もの青い眼が輝き、両腕からは鎌状になった骨が生えている。顔は明らかに人間だ。
「リドルエル……」
ウェルが思わず唸った。
リドルエルは人間を主体とした召喚獣だ。腕から生えた骨の鎌で命を刈る、空飛ぶ人。死神とも呼ばれている。
「山里に隠れて、人体実験を行っていたとはね」
ウェルが言うと、ベイトリオンは肩をすくめる。
「実験とは悲しい。これは蘇生術ですよ。おかげで息子は、こうして今も元気に、私と苦楽を共にしてくれているのです。なぁ……エルバ」
ベイトリオンはリドルエルを見て、言った。
「さあ、エルバ。お客人にご挨拶を。山歩きにお疲れだろうから、楽に殺して差し上げなさい」
リドルエルはゆっくりとはばたき、そして急降下してきた。その腕の骨でウェルを薙ぎ払う。
「っ!」
ウェルは大盾で身を庇ったが、リドルエルのあまりの力に吹き飛ばされ、納屋から転がり出る。
「ウェル! うわっ!」
ウェルを助けに行こうとしたコルトは、水の腕が飛び出て来るのを、すんでのところでかわした。見れば、ロドッシュが二体、こちらに歩いて来ている。
「私って、つくづく熊にもてるな」
コルトは思わず呟いて、弓に矢をつがえた。
「……どうして、お父さんを殺す人を……待ってるの?」
コーデュが尋ねると、エルバは笑って答えた。
「僕が終わるから。僕はもう死んでるんだ。だけどお父さんは、僕をここに繋ぎとめてる。なのに、話を聞いてくれない。僕の声は届かないんだ。もう僕には、どうしようもない。もう、楽になりたい。お父さんにもね、楽になって欲しい。もう、悲しまないでって、言いたいのに、伝わらないんだ」
エルバは小さく溜息を吐く。
「僕はお父さんを恨んでないよ、死ぬ事は怖くない。だから……お父さんは、僕の分まで、生きてよって、言いたいのに。……悲しい事ばっかりじゃないよって言うのに、聞いてくれないんだ」
だから僕は、お父さんを殺す人を待っていたんだ。
エルバはそう言って、そしてコーデュに手を差し出した。
「さぁ、コーデュ。出口に行こう。君なら大丈夫。僕とは違って、とっても力がある。君が強く念じれば、ここから出れるはずさ」
「でも……どこを見ても同じよ? 出口なんて……」
「諦めちゃダメ。諦めると、出口は消えてしまうんだ。信じて歩き続けないと、辿り着けないんだ」
エルバはコーデュの手を握って歩き始めた。コーデュも仕方なく、闇の中を歩いて行く。
闇は何処までも続く。本当に出口などあるんだろうか。コーデュは思わず疑ってしまう。
「だめだ!」
エルバが叫んだ。しかし既に遅かったようだ。コーデュが顔を上げると、エルバの姿は無い。
それどころか、先ほどまでよりも一層、闇は濃さを増し、纏わり付いているようにも見える。
「エルバ……?」
名を呼んでみるが、返事は無い。辺りを見渡していると突然、人影が現れた。
それは以前見た事のある人々だった。
『ちくしょう、魔術が何だ、魔術で何が出来るっていうんだ』
何人もの人間が周りに突っ伏し、嘆いている。コーデュはその光景を知っていた。
魔術師を必要としない現代で、埋もれていった同族達だ。
世の中を、あるいは魔術そのものを憎み、恨み、そして結果的に埋もれていった人々。
あらゆる変革を望まなかった者達だった。
『コーデュ、お前もこっちの人間だ』
一人の男が、コーデュを見て言った。
『魔術師なんて、もう要らない。お前がどんなに夢見ても、そんな時代は来ない。歩いても無駄だ。全ての魔術式は既に完成し、お前の切り開ける分野も無い』
『そうだ。第一、お前は魔術を志しながら、何をやっている。一般市民にまぎれて、働いて、金を儲けて。お前も私達と同じだ』
『ここにおいで、ここはとても気持ちがいいよ。もう、夢に追いかけられる事がないんだ』
彼らはコーデュを手招く。コーデュは何か、目に見えない力で、そちらに引っ張られていく。
「嫌よ。私、まだ諦めたくないの」
『諦めは早いほうがいい。人生に響くからね。若いうちなら、どんな風にでも生きていけるが、それもあと何年続くか……』
『夢ばかり追いかけて、夢に追われるようになっては、もう取り返しがつかない。ここに来なさい。ここは安全だ。苦痛も、強迫観念も、辛い事も、何もない』
そうして人々はコーデュに手を伸ばす。
「コーデュ、だめだ!」
その手をかいくぐって、白い手の輪郭が現れた。
「だって、そこには夢も無いんだよ!」
コーデュは咄嗟にその白い手を掴んだ。瞬間、周りに居た全ての人々が消える。代わりに、目の前にエルバの輪郭が立っていた。
「信じて。僕を信じて。コーデュを信じて。こんなトコで終わっちゃダメだって、頑張るんだ。立ち止まるのは簡単だけど、もう一度歩き出すのは、凄く力が要るから、頑張って」
コーデュはその言葉に聞き覚えがあった。
ふと思い出して、髪に刺したかんざしに触れる。
そうだ、フィリエにも同じ事を言われた。
こんな所で、まごついている場合じゃない。私は、夢を掴むんだ。
コーデュはそして、信じた。エルバを、自分を、出口がある事を。
「ルグネスーっ! もう一本、早く!」
林にコルトの声が響くと、何処からともなく、矢が空を切る。ドスッと音を立てて、矢が木に突き立つ。その矢には、紐で未使用の矢が数本、括り付けられている。
鏃に魔術を埋め込んだ矢だ。爆破矢と言って、衝撃を与えると爆発する特徴がある。
コルトは素早くその矢に駆け寄り、瞬時に爆破矢を取ると、構えた。目の前まで迫っていたロドッシュに矢を打ち込むと、ロドッシュは水を蒔き散らしながら地面に崩れた。
「ふぅ、まさか一〇発も要るとは」
コルトはあらかじめ特殊な矢を何本か用意していた。召喚獣には魔術が有効だが、コルトにもウェルにもその心得は無い。唯一、ルグネスに多少有る。彼には支給係を命じていた。物陰でルグネスが鏃に魔術を埋め込み、コルトに渡す。
コルトは爆破矢を五本打ち込み一頭目を、そして先ほど二頭目を倒した。
しかし、休んでいる暇は無かった。
近くではウェルが大盾で攻撃を防ぎながら、リドルエルに銃弾を撃ち込んでいる。が、高等召喚獣のリドルエルには、銃の攻撃も殆ど効いていないようだ。
「ウェル!」
コルトもウェルの側に寄り、矢を放つ。リドルエルに矢が当たり、爆発が起こる。が、リドルエルは気にした様子も無く滑空し、コルト達を鎌でなぎ払う。
「うわあっ!」
二人は盾ごと吹き飛ばされ、一本の木に叩きつけられた。背骨がぎしりと痛み、呼吸が一時的に止まる。
「ははは、エルバ。いいぞ」
ベイトリオンはそんな様子を見ながら笑って言った。
「流石は私の息子だ。素晴らしい」
そう言ってリドルエルを呼び戻すベイトリオンに、ウェルは起き上がりながら言う。
「どこまでも愚かな人だ。それはもう、貴方の息子などではない」
「なんだと?」
その言葉に、ベイトリオンはピクリと顔を引きつらせる。
「貴方も召喚師なら判っているはずだ。一度術の完成した材料は、もうその原型や主体を留めていない。それはもう、リドルエルという召喚獣であって、貴方の息子ではない」
「黙れ! お前に何が判る!」
ベイトリオンが怒鳴る。
「お前は金が有れば何でも出来ると、そう言っていたな。だが、私には何も出来なかった。金は有ったが、誰も息子を助けてくれなかった。私が召喚師で、エルバがその子だったからだ! 私はこの世を滅ぼしてやるぞ。幸い、とても良い材料が手に入った。あれを使えば、エルディーレが召喚できる!」
エルディーレ。
それは炎を纏った神の名である。無論、召喚されるのは神ではない。炎を自在に操り、全てを焼き尽くす力を持った人間だ。それは禁術として抹消されたものだった。
高位な魔術師を主体とする召喚術だ。その材料に、シュレグ一族の末裔であるコーデュは最適だろう。ベイトリオンはコーデュのピアスに気付いていたのだ。そして、彼女を手に入れた。
「この世を焼き尽くして、そしてもう一度、魔術師の時代を取り戻す! 魔術を使えぬ凡人どもは、また我らの脅威に怯えて暮らせばいいのだ!」
ベイトリオンが高らかに笑う。それを見ながら、ウェルは静かに言った。
「……君の愚は、実に多いが、そのうち大きな物を三つ挙げよう」
「何?」
「一つ目は、自らの不明を理不尽と名付け、美化した事。君は魔術師として迫害されたかもしれないが、それは平民と近付く努力によって、埋められたかもしれない。君が意固地に、今は無い名誉に縋ったが故、自ら逃げ道を失った可能性は、大いにある」
「なんだと……!」
ベイトリオンは怒りに震えるが、ウェルは気にした様子も無く、言葉を紡ぐ。
「二つ目は、未来ある魔術師を、……君の希望となるだろう新星を、そのくだらない私怨のために使おうとした事。コーデュは魔術師としてこの世に再び、旧来とは違う形で貢献する事を望んでいた。そんな夢を持った同族を、過去に縛られた貴方が使おうとするなど、皮肉以外の何者でもない」
「貴様……言わせておけば!」
ベイトリオンは大きく手を払う。それを見て、リドルエルがはばたく。
「三つ目は、君の魔術師としての愚」
「黙れ! エルバ、そいつらを殺せ!」
リドルエルは咆哮を上げ、ウェルとコルトに向かって急降下する。
「我らアルキーシュの血への畏怖を忘れたる魔術師、まさに愚の骨頂!」
ウェルはそう叫び、コルトに手を向けた。コルトもまた、ウェルに手を向ける。彼らの手の平には、赤い紋章が浮かび上がっている。
三匹の龍が、互いに絡みつき、円を描く紋章。アルキーシュの国旗、グランディール。
「我等が交わした、天と地と海の盟約を知れ!」
「大いなる天よ、ふくよかなる地よ、淀みなき海よ、我が名に応えよ!」
二人の声に呼応して、大地にグランディールの赤い紋が浮かび上がる。しかし、詠唱は間に合わない。リドルエルはウェルとコルトに再接近し、その鎌でなぎ払おうとする。
と、その時、突然茂みから人影が飛び出し、リドルエルを押し倒した。
ルグネスのようだった。彼はリドルエルを地面に押し付け、時間を稼ぐ。わずかな隙だったが、その時間で、術は完成した。
「我らが名はアルキーシュ!」
「汝の力を示せ、偉大なる龍、グランディール!」
そして、辺りは白い光に包まれた。
「な……っ」
ベイトリオンは驚愕に目を見開いた。白い光は、ベイトリオンの召喚獣を粉々に打ち砕く。リドルエルは黒い文字へと変化し、霧散する。その後に、彼の愛した少年の体が、力なく横たわる。
そして光はベイトリオンをも包む。彼は一瞬死を覚悟したが、その感覚にハッとして己の手を見る。
魔力が、消えていく。
体中の血液が、流れ出るように。ベイトリオンの体から、魔力がほとばしり、そして消滅していく。
「まさか、魔術師殺し……まだ、アルキーシュの血に残っていたというのか……」
驚愕するベイトリオンをよそに、光はやがて消える。ベイトリオンの体から魔力は完全に無くなっていた。
呆然とするベイトリオンの目の前には、二人の青年。
そして、パリン、と軽い音を立てて、ベイトリオンの背後で結界の割れる音がした。
「さあ、コーデュ」
ウェルはベイトリオンのさらに向こうを見て、言った。
「その愚者に、君の夢と、意思と、力を見せてやるんだ」
ベイトリオンはその言葉に振り返る。
そこには、手を振りかざした、コーデュが立っていて。
そしてその手が下りた時、辺りは赤い光に包まれた。




