3 コルト
コーデュとウェルがボルタ工房で働き始めて、一週間が経とうとしていた。
ウェルは着々と金銭を貯めたようで、「充分な金が出来た」と言っている。工房自体もリピーターがついて、これからは安定した客足が望めそうだった。
そしていよいよ、ウェルは旅立つ事にしたようだ。
その日、ウェルは宣伝を止め、朝から店の中でくつろいでいた。フィリエに「旅に出る」と断りを入れ、鞄に色々詰め込み、準備をしている。
コーデュはまだ決断出来ないでいた。
フィリエは「行って来ていいよ、飽きたらまた帰って来て」と、決して厄介払いではない態度で言ってくれる。
しかし、コーデュは決めかねていた。やっと見つけた職を手放してまで、旅に出るという決意が出来ないのだ。
と。
「ハニー! やっと見つけたよ!」
工芸品を作っていたコーデュは、その馬鹿そうな声に、思わず手を滑らせた。床に落ちたガラスが割れて、盛大な音を立てる。が、店に居る全員の視線は、声のほうに向いていた。
そこには、件のストーカーが、バラの花束を抱えて立っていた。
ストーカー男は周囲の視線も気にせず、コーデュに近寄って言う。
「私はずっと、ずーっと君が部屋から出るのを待っていたんだ! だのに君ときたら、いつの間にかこんな所に! イリュージョニストだね、ハニー!」
この勘違い男、またしても私の人生をメチャクチャにする気か。
今日という今日は、こいつに言う事言って、ついでに雷魔法でビリビリ言わせてやる、とコーデュは立ち上がる。
そしてコーデュが手を出し、方程式を組もうとした、その時、
「……は!」
ストーカーは何かに気付いて、突然コーデュから目を反らした。コーデュが訝しんでそちらを見ると、ウェルが呆れた顔でストーカーを見ていた。
「き、き、貴様、二三番!」
ストーカーはワナワナと震えながら、バラの花束を落とす。何が起こっているのか判らず、皆が事の行方を見守っていると、ウェルは眉を寄せて言った。
「……そういう貴方は……えーと……一八番くらいですか?」
「二〇番だ! 失敬な……!」
番号を言いながら、ストーカーは怒っている。が、見ている方には彼が怒る理由も、何が二〇番なのかも判らない。
「貴様、何故ここに居る!? ……ま、まさか二三番、貴様、私の『王たる証』を奪うつもりか!?」
「さぁ……」
とウェルは曖昧に首を振るだけだ。
「ぬぬぬ、貴様ぁ〜!」
ストーカーがあまりにも怒っているので、コーデュは止めるのも兼ねて、尋ねた。
「ねぇ貴方、何の話をしているの。二三番とか、『王たる証』とか……」
すると、ストーカーは今までの怒りも何処へやら。コーデュに向かってニッコリと笑みを浮かべると、気取ったポーズを決めて言う。
「名乗り遅れてすまない、レディ。何を隠そう。私はコルティエ・ウエリード・ユーロフスティ・ルーヴァイス・リュ・アルキーシュ。通称コルト。このアルキーシュ王国の、正当なる王子なのだ」
「二〇番目のね」
ウェルが付け足すと、辺りから「ええええー」と不満の声が上がった。もちろん、コーデュも言った。
「キモいストーカーのクセに……」
思わず本音が出たが、ストーカーもといコルトは、聞こえた様子も無く、ウェルを指差して言った。
「そして奴! 滑稽極まりない格好をしたこの男! こいつは二三番目の王子、つまり私の弟だ!」
コルトの言葉に、こちらにも不満の声が上がる。どちらも王子と言われても困る人間だった。
「ご自分が名乗られたのに、僕が二三番のままでは困りますね、一六番さん」
「二〇番だと言うのに! そして私はコルトだ!」
「僕はウェルエッシュ・レンディア・カリフレイル・ルーヴァイス・リュ・アルキーシュ。アルキーシュ王国の、二三番目の王子です」
コーデュはとんでもない事が起きかかっている予感に、寒気さえ覚えた。
コンデュ大陸の歴史は古い。
そもそも五〇〇年以上前には、大陸内で五つの国が争い合っていたという。
お互いに攻防を繰り返す、長い長い戦争の時代。各国王達は、こぞって魔術の研究を進めた。専属の魔術師達を雇い、より強力な魔術の開発を要求していた。
そんな時代に生まれたのが、かのシュレグ一族、その筆頭たるザドゥルーエ氏だった。今でも一般にシュレグと言うと、彼の事を指す。
元々、当時東の一帯を支配していたモールという王国の、魔術研究者として生きてきたシュレグの一族は、エリート中のエリートだったという。
とりわけザドゥルーエは天才と呼ばれ、現在世に伝わる禁術の多くは、彼が開発したと伝えられている。召喚術に到っては、彼が全てを編み出したと言っても過言ではない。
また、「新魔術理論」という難解な著書を発行し、方程式による魔術の形成を確立した。彼はモール王国はおろか、世界の英雄であるはずだった。
ところがシュレグ一族は、ある時を境に、魔力の無い人々……彼ら魔術師の言うところの「凡人」達を攻撃し始めた。
モール王国を始めとし、近隣の国々はシュレグ一族の魔術に対抗出来ず、滅んでいく。「凡人」は処刑または奴隷とされ、魔術師達も多くが召喚術や魔術の礎のために犠牲となった。
もはや大陸がシュレグ一族に支配されようとしていた。
その時、四人の戦士が立ち上がったという。即ち、アルキーシュ、メルティーナ、キャドゥー、クレンセオス。現在の各国の初代王達だ。
彼らはシュレグ一族を滅ぼし、そしてそれぞれが、大陸を分けて、王国を作った。
アルキーシュ王国は、四人の一人、アルキーシュが作った国だ。
アルキーシュは国を定め、法を定めると、間も無く子供らに遺言を残して死んだ。
次の王は、最も価値の有る功績、グレイナス鉱山を発展させた、三男のユーグとする。
それ以来、アルキーシュ王国は、生まれた順に関係無く、父王の認める最大の功績者を次の王とした。やがてそれは、王位争いのルールとなる。
王の血を引く全ての男女は、一五歳になると仮の王権を与えられる。彼らは現在の王が死ぬまでに、自らの信じる、最も価値有る功績を手にし、王に説く。それを王が納得すれば、王位に近くなる。
常に王位への順番は開示されていて、王子また王女は、その成績表を見ながら王位を目指し奮闘する。ある者は発明をし、ある者は歌い、ある者は人々を救う。
そしてその結果として、物品及び人物を提示するのも、ルールだった。
現在の王ルーヴァイスは正室と二一人の側室を抱え、その間に三六人もの子を作っている。そのうちの五名は既に死去し、残った三一名は全員が一五歳を超え、王位争いに参加しているという。
「私は、愛の世界を作る。その第一歩として、最愛の妻をこのレディにしようと思っていたのだ! だのに、貴様……貴様は、私から王位を奪うつもりだな!?」
お互い名前も知らなかったのに、いつの間にか妻という事にされている。
コーデュはコルトの本気のストーカーっぷりに辟易してきた。
第一なんだその、愛の世界なんて甘ったるくて馬鹿げた響き。夢でも見ているんじゃないの。
コーデュは色々頭が痛かったが、ウェルは平然としている。
「王位は奪い合うものだと、この国では定めています。不当な事ではないでしょう。第一、僕はそういうつもりで彼女と同じ職場になったわけでもないですし……まぁ、彼女さえ良ければ、同行して欲しいとは思ってますけど」
「なにぃ、何処に連れて行くつもりだ!? 許さんぞ。断じて、断じて許さんぞ、二三番!」
コルトはひとしきり叫んで、そして言った。
「こうなったら、決闘だ! 彼女をかけて、決闘するのだ、二三番!」
で、コーデュは何が何だか判らないうちに、景品にされてしまっていた。
「あんたも大変ねえ、もてて」
「いや、これって、もてるとか、そんな感じの事ですか?」
コルトは「明日の正午、この店の前で決闘だ!」と言い捨てて去った。「仕方ないなあ」と呟いて、ウェルは何処かに行ってしまった。決闘は受けるらしい。
その晩、店のリビングで夕飯を食べながら、フィリエはコーデュを茶化した。
「いい事よ、男に言い寄られるってのは。あたしは魔術師の誇りを捨てられなくてね、まだ男に縁が無いのよ。出来たら魔術師の夫が欲しいんだけどねえ」
「魔術師の夫婦かぁ……いいなあ」
コーデュも溜息を吐いて、憂鬱そうに言う。
「でも、食べていけないかも……」
「そうなのよね。そこが困ったところ。あたしね、姉さんが居たんだけど、死んじゃったの」
「え?」
「結構歳は離れててね。憧れの人だったよ、魔術師として生きてたから。でも男の魔術師と意気投合してね。結婚して……子供も作って。だけど、魔術師として生活する事は出来なかったんだろうね。姉さんは必死で普通の仕事をして、挙句、息子と一緒に事故で死んじゃったんだってさ」
「……」
フィリエは悲しそうに笑って言う。
「それもあって、あたしは魔術師として精一杯生きていこうと思ったんだけど……メルティーナ国立魔術研究所の試験に落ちちゃってね」
「フィリエさんも?」
「あら、あんたもなの? ……あんたがダメなら、あたしじゃダメなわけね」
フィリエは苦笑して、店内に置かれたガラス細工を見る。
「……結局、あたしは妥協して、この工芸品を始めたの」
フィリエの作るガラス工芸品は、どれも上品で美しい。繊細で、そしてどこか、物悲しさが漂っている。
これだけは売れない、とウィンドウに飾られている、女性の横顔をかたどった皿。その瞳は静かに伏せられ、陰鬱そうな表情を浮かべている。しかし、どこか惹かれる風情が有った。
「でも、あたしはこの仕事で生きていくしかないのよね、もう、お店開いちゃったし。店を始めたからには、お金が無いといけないしね」
「そう、ですね……」
「だからね、コーデュ。あたしはあんたが羨ましいんだよ」
「私が?」
コーデュが怪訝な顔をすると、フィリエは愉快そうに笑って言う。
「あんたは若い。才能も有る。そして、選択肢が目の前に転がってる。羨ましい話さ、どこへでも行けるんだからね。……あんた、良く考えて選びなよ。でも、慎重になる必要は無いからね。何事も経験、ってところも、あるから」
ただし。フィリエはコーデュの目を見つめて、言った。
「諦めちゃダメだよ。今を未来だとも思っちゃダメだ。常に先が有るって思ってないと、あたしみたいに、こんな所で止まっちゃうからね。あんたは、自分では気付いてないかもしれないけど、理想に一歩でも近付こうって、思ってる。いい事だ。大事にするんだよ」
フィリエの表情に影が差す。コーデュは思わず、大声を出していた。
「フィリエさんは、止まってなんか無いですよ。止まった人が、こんな綺麗な作品、作れるはず無い。大丈夫です。フィリエさんも、まだ諦めないで、頑張りましょう」
らしくない。自分でもそう思ったが、言わずには居られなかった。
本当にダメになった人間の事は良く知っている。彼らはもう、どうしようもない事になってしまう。作る事も、諦める事も出来ない人間になる。
コーデュはそんな人間を、何人も見てきた。それも、同じ魔術を志し、そして挫折した人々を。
けれどフィリエは店を開き、魔術を使って作品を売っている。それだけでも素晴らしい事だった。コーデュは所詮、彼女の試行錯誤の末に出来上がった物を、コピーしているに過ぎない。
そしてコーデュは、自分が理想に少しも近付いていない事に気付いていた。その上で、この場所に甘えるか否かを悩んでいた事に。
「……ありがとう、コーデュ」
フィリエは微笑んで言った。
「あんたは、ここで一生を終えるような子じゃないよ。まぁ、あんたが納得してるなら話は別だ。でも、納得していないなら、その探し物を見つける努力をしたほうがいい。脚を止める事はいつでも出来るけどね、一度休んだら、もう一度歩き始めるのは、難しいんだよ」
フィリエの言葉は静かに、物悲しさを伴いながら、コーデュの中に染み込んでいった。
翌日、正午。ボルタ工房前には、ウェルの宣伝による効果ではない人だかりが出来ていた。小さな村なので、決闘云々の話が広がったのだろう。
そこには、コルトの姿もある。
「遅いっ。遅いぞ、二三番!」
約束の時間になっても現れないウェルに、コルトは不愉快さを隠せないようだった。
コーデュは内心、ウェルは来ない気がしていた。第一、コルトはともかく、ウェルには命をかけて戦う理由が殆ど無い。
「ねぇ、王子様。そんなにコーデュの事が好きなら、決闘なんてよして、彼女に判断を任せたらどうなのさ」
フィリエが迷惑そうに言った。店の前で決闘などされたら、誰でも嫌だろう。が、コルトはそんな事は頭に無い様子だった。
「問題は、彼女を二三番が奪おうとした事だ! 私に逃げる事は許されない。互いの命をかけて勝負するしか、方法は無い!」
どうしてそうなってしまうのか、コルト以外には全く判らなかった。が、とにかく彼にとってこの問題は、もはやどちらかが死なない限り解決しないらしい。
コルトは何やら豪奢なレイピアを腰に差している。
今時、レイピアで決闘とは、古風な奴。
コーデュがそう思っていると、辺りがどよめき始めた。
「な、なんだ?」
コルトも困惑して辺りを見渡す。しばらくすると、その正体が割れた。
「わ、わわわ……」
「ウェ、ウェル……!?」
そこには、巨大な兵器を持ってこちらに向かってくる、ウェルの姿があった。
「に、二三番! それは何だ!?」
「コーツロット社製、二四mm砲。オーソドックスな軍用機銃ですね。通称デス・ロイド。秒間一〇〇発連射可能、一・五トン。車輪付き」
「そ、そういう事を聞いてるんじゃない! な、何故そんな物を!?」
「何故って、決闘するんでしょ? えーと、一二番さん」
「二〇番だと言ってるだろうが! だ、大体、そんなの決闘に使うな! 卑怯だぞ!」
「決闘という言葉を辞書で引きましたが、一対一で戦う事とだけ書いてあって、武器の指定はありませんでした。だからこれは正々堂々とした決闘ですよ。卑怯と断定する根拠は無いですし、この場合、準備不足な貴方のほうが悪いのでは?」
「な、何ぃ……!?」
自信満々で語る人間は、例えその言動に多少問題が有ろうとも、信頼を寄せられるという。
今、ウェルは何一つ迷い無く、恐ろしい事を強気で喋っている。すると、他の者達も何となく、「それもそうだなあ」という気になる。それこそ大物の格という奴だが、コルトにはそれを受け入れる事は出来なかった。
何故なら、「それもそうだな」と思ったが最後、射殺されるからだ。
「ま、待て! お前の言っている事は、理屈に過ぎない! どう明文化されていようとも、そこには人間の倫理観が存在するべきだ! 倫理的に言って、お前の行動は間違っているぞ!」
コルトの言葉に、人々は「そうだそうだ」と言うが、ウェルは顔色も変えず、静かに反駁する。
「ではお聞きしますが、貴方は暴漢に襲われた時、暴力や殺人は倫理的に正しくない行為だと信じて、なすがままになるのですか」
「いや、それは……」
「倫理観とはその場でどうにでも傾くものです。それを根拠に僕の行動を批判するのは、解せないですね」
「む、むむ……」
コルトは黙ってしまった。何とか反論しようとするのだが、いかんせん、ウェルの方は自信満々過ぎて、反論するには随分な気力や論拠が必要だった。
黙ってしまうと射殺されるような気がしたので、コルトが必死に次の手を考えていると、
「じゃあ、より公平になるよう、クジで好きな武器を決めようじゃありませんか」
ウェルがとんでもない提案をした。
「そうですね……実は、こんな事もあろうかと、クジを用意して来ました。赤い丸がついている棒と、そうでない棒。赤いのを引いたほうは、このデス・ロイドを。そうでないほうは、拳骨一つで戦う事にしましょう」
「な、拳骨一つだと!?」
「コレ相手では、他のどんな武器が有っても無駄です。さぁどうぞ、引いてください、一六番さん」
「二〇番っ! ようし、じゃぁ……こっちだ!」
コルトが勢い良く棒を引っ張る。棒の先には、赤い丸がついていた。
「やった! やった!」
コルトは大喜びである。一方、ウェルはやはり表情も変えず、残ったクジをしまった。
「では、貴方はコレをどうぞ」
「ウェ、ウェル、ダメじゃない、止めなさいよ、死んじゃうわ」
コーデュが思わず言うと、ウェルは僅かに笑んで言った。
「僕が死ぬとしたら、それもまた運命。気にしないで」
「運命って……ちょっと、ウェル! 一緒に旅に行くって、約束だったじゃない!」
「へぇ。コーデュが了承してくれていたとは、初耳だ」
ウェルが言うと、コーデュは慌てる。
「まだ行くとは言ってないけど、行こうかなあ、ぐらいは思ってるの」
「張り合いがないなあ。ここで約束してよ。どうせ僕は、あの……一四番さんの……」
「二〇番だと言ってるだろうが!」
「……手にかかって死ぬ身なんだから、夢ぐらい見せてくれてもいいだろう?」
「……判った。私、貴方と一緒に旅に行く。何処まで一緒になるか判らないけど、私も探し物を探す旅がしたいの」
「ありがとう」
ウェルは今までにない満面の笑顔を浮かべて言った。
ボルタ工房の前には相変わらず、人だかりが出来ていた。しかし、その一角が抜けている。コルトの正面だ。
物騒な武器、デス・ロイドを向けられて平気な人間は居ない。決闘の巻き添えを食ってはいけないと、ウェルの後方には一人も居なかった。
コルトは笑みを浮かべて、デス・ロイドを持っている。
「決闘は、一〇歩下がって振り返るのがルールでしたね」
「そうだ! 貴様もそれぐらいはわきまえているようだな」
「では、さっそく始めましょう」
片や二四mm砲、片や拳骨。
あまりにも不自然で、結果は火を見るより明らかな決闘だった。
「では」
ウェルが後ろを向いた。コルトも同じように後ろを向く。
「一歩」
ウェルがあっさり一歩目を踏み出した時、コルトは恐ろしい事に気づいた。
「お、重っ」
デス・ロイドは、とんでもなく重かった。車輪が付いているとはいえ、何せ重さは一・五トン。歩くのも大事である。
「二歩」
「ま、待て、待てって」
ゴロゴロと重い機銃を押しながら、コルトは必死であった。そして、更に恐ろしい事に気付いた。
どうやって振り向くんだ。
この調子だと、振り向いている間に、ウェルが側に来てしまうかもしれない。
コルトは必死に考えた。悩みに悩んで、そして名案を思いついた。
(そうだ、片側の車輪に、石をかませよう。そうしたら、押すと回転するはずだ)
そして、その事で頭がいっぱいになってしまった。
「九歩」
そうこうしている内に、彼らは所定の歩数を終えようとしていた。
「十歩」
ウェルは十歩目を踏み終えると、すぐに振り返る。コルトも、車輪の片側に石をかませ、グッと全力で押す。見事に機銃は回り、銃身がウェルを捉えた。
勝った! コルトは確信して、次の瞬間、気付いた。
「……あれ、これ、……どうやって使うんだ」
これは強そうだ、と見た目に騙されて、コルトは気付かなかった。その機銃の使い方も知らない事に。
「あれ? あれ? こ、これか? これか?」
ボタンやレバーを押したり引いたりしてみるが、機銃は沈黙を守っている。そうこうしている内に、ウェルが近寄って来ていた。
「いい事、教えてあげましょうか」
「お、コレの使い方か!?」
「ええ」
ウェルはニッコリ笑んで言った。
「それ、レプリカなんです」
「え」
そして、コルトが呆けている間に、ウェルは全力で彼にアッパーを喰らわせた。
ウェルがこの一週間で荒稼ぎしたとは言っても、本物の機銃を買えるほどの金額ではなかった。そこでウェルは、コーツロット社の経営する美術館に赴いた。
そして半日、広告を打つ事と引き換えに、デス・ロイドのレプリカを貸してもらっていた。第一、本物の軍用兵器が民間人に売られるはずも無い。良く考えれば判る事だ。
「どんな時代でも、本物を見極める審美眼は、貴族、庶民に隔たりなく必要なのです。そして無知であると、どれほど良い物を持っていても意味が無い。その典型例ですね」
ウェルはそう言って、ポケットから残りのクジの棒を取り出した。赤い丸が書いてあった。
「ウェ、ウェル……」
コーデュが呆気に取られていると、ウェルはニッコリ笑って言った。
「やあ。一緒に旅に出る、約束だったね」
「だ、騙したわね!?」
「騙してない。極自然に、あの状況で僕は死んでいただろう。嘘はついていない。もし君が騙されたと感じるなら、それは君が余計な憶測をして勘違いしたに過ぎない」
「ウェルー!」
コーデュが思わず怒鳴る。その声に反応してか、気絶していたコルトが目を覚ました。
「ぅ……ま、負けた……」
コルトは顎を撫でながら、涙目で言った。
「仕方ない……レディは、二三番に譲る……」
「よして下さい。僕は彼女を嫁にするつもりはありませんよ。その代わりに、要求していいですか」
「何なりと言うがいい。男の約束だからな……」
「では、一二番さん。まずは僕の名前を覚えて下さい」
「だーかーら……ん? どういう事だ、二三番」
コルトが眉を寄せると、ウェルは言った。
「今日から、貴方は僕の部下になって下さい。まぁ、いわゆる一つの、駒ですね」
「こ、駒!? 駒だと、貴様!?」
「決闘に負けて、命があるだけマシでしょう」
「……あれ、ちょっと待って。じゃあ、もしかして……」
コーデュが嫌な予感に尋ねると、ウェルはきっぱりと言った。
「僕らはこの三人で、旅に出ます」
よりによって、このストーカーと!?
コーデュは驚き、そして力いっぱいウェルを睨みつけたが、彼はニコニコ笑っているだけだった。
コーデュはこの日ほど、自分の無表情な顔を呪った事は無かった。