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終わりの前に

 銀髪の少女が一人、ベンチに腰掛けていた。

 彼女は恐れていた。それは恐怖という程、強い物ではない。叱責に怯える、幼児が抱く物だ。彼女は長い間、ある視線とその主から、逃げていた。

 そしてその日も、彼女は隠れていた。

 アルキーシュ王国の王都クレシュ。その中央に広がる、優美な宮殿ロンドリア。その一角にある、大規模な花畑。宮殿を囲う高い壁までの間を埋め尽くす、色とりどりの花の中に、少女は居た。

 というのも、少女が逃げている相手は、花よりも金に興味があるからだ。ここまでは探しに来ないだろう、と踏んで、少女はそこでくつろいでいた。

 ひさしのついたベンチに座り、柔らかな風に揺れる七色を見つめる。

 今日はさる王女の誕生会。彼女は王族の親類として招待されていた。定められた挨拶や出し物は終わり、自由に食事となるや否や、彼女は会場から逃げ出した。夕方には解散になる。それまで、逃げおおせればいい。

 暖かな日差しが、辺りを優しく包んでいた。空気から春が感じられた。

 僅かに届く花の香りに、うっとりと目を閉じる。そして彼女は、静かに眠りの世界に入ろうとしていた。

 と。

「イヴェリア」

 声をかけられて、少女……イヴェリアは、飛び上がるほど驚く。見ると、一人の少年が立っていた。イヴェリアと同じ銀髪に、赤い瞳。歳にしては表情に欠けた、老成した雰囲気さえある、のっぺりした顔立ちの少年。

「……ウェルエッシュ様」

 イヴェリアは名を呼び、そして俯いた。捕まってしまったのだ。

「ウェルでいいって言うのに。従姉妹なんだから」

「仮にも王位継承権を持つ人でしょう? 私みたいな平民には、呼び捨てなんて……」

「なら、ウェル様でもいいよ。僕はウェルエッシュって名前、気に入ってないんだ」

 ウェル、までならいいんだけど。少年……ウェルはそう言うと、イヴェリアの顔を覗き込んでくる。イヴェリアは目を反らすが、ウェルはそれを追う。

「イヴェリア。どうして僕を避けるんだ」

「避けてなんか……」

「じゃあ、どうして目を合わせてくれないんだ。お互い、性別を気にする年齢にはまだ早い。……何か、後ろめたい事でも?」

 ウェルが問うと、イヴェリアは恐る恐る彼の目を見た。ウェルはいつも観察眼が鋭い。黙っていても、見られているだけで、全てがバレてしまいそうだった。

「……ウェル様」

「何だい、イヴェリア。言ってくれ。その方が、案外上手くいくかもしれないよ」

 ウェルの言葉にイヴェリアは決心し、そして言った。

「ウェル様は、私に、お金を下さったでしょう?」

「あぁ、うん。それが?」

「……使い切ってしまったんです」

「……全部?」

「はい……」

「……あんなに、有ったのに?」

「……はい……」

 イヴェリアが小さく頷くと、ウェルは静かに溜息を吐いた。イヴェリアはたまらず、目を閉じた。


 イヴェリアは王子であるウェルの従姉妹だ。

 元々ウェル達の家系は平民なので、当然、ウェルとイヴェリアでは生活水準に格差が生じた。イヴェリアは出生の不公平さを感じ、ウェルの事を嫌うようになった。そんなイヴェリアに、ウェルは王族給付金の一部を譲渡し、関係の修復を願った。

 イヴェリアとその母は喜び、ウェル親子との交友を改善し、貧しい生活からの脱却を試みた。が。

「気付いたら、お金が無かったんです」

 イヴェリアは呟いた。

「最初は盗まれたのかと思ったけど、良く考えたら判って。あのお金、全部、服や、お母さんの肌や、おいしいご飯に変わっちゃってて……。私達、あっという間に全部使っちゃった……」

「……」

「学校では、お金の使い方とか、教えてもらえなかったし……やっぱり、貧乏人は、貧乏人って事なんでしょうね」

「……それで、もうお金はいらないのかい?」

「欲しいですよ。欲しくないわけないです。でも……ウェル様に、申し訳無くて」

「僕の事はいい。どうせあの金は元々、僕の物じゃないし。本当に大事なのは、今回の事を踏まえて、僕と君がこれからどうするかだ」

「これから……?」

「うん」

 イヴェリアが不思議そうに首を傾げる。ウェルはしばらく考えて、イヴェリアに言った。

「そうだ、イヴェリア。もし僕に申し訳ないと思っているんなら、僕の計画に協力してくれないか」

「計画、ですか?」

「イヴェリア。今回、君にお金をあげて良く判ったんだけど、人はいくらお金が有っても、その正しい使い方を知らないと、無いのと同じなんだ」

「……そう、ですね」

「だから、僕はまず、学校を作ろうと思う」

「学校?」

 イヴェリアが首を傾げると、ウェルは「うん」と頷く。

「授業料の要らない学校。皆、知りたい事を好きなだけ勉強していい。君達が普通の学校で教わる事以外にも、たくさん知らなきゃいけない事がある。それを教える所。誰もが経済や、帝王学や……、そう、一見必要無さそうな事も、実は皆、知らなきゃいけないのかもしれない。色んな事を学んで、成長して。それから世の中に出なければいけないんだ」

「……」

 イヴェリアは何も言えなかった。ウェルの言う事は、いつも突拍子が無くて、判りにくい。

 けれどイヴェリアは、彼の言葉に信頼を寄せていた。現にイヴェリア当人が、金を失っているのだから。

「イヴェリア。もし君が反省していて、僕に協力してくれるなら。君に、そこの管理人をして欲しいんだ。給金は払うから」

 そしてイヴェリアは、その提案を断れなかった。

 否。

 出生の不公平さ。それに甘えていた自分を認識した。そして、変わろうと思ったのだ。 


 

 グランディールは、天と地と海を司る、三匹の龍。その全ての尾は、一つに繋がり、青い宝石を輝かせている。

 


 はためく国旗を見上げて、ベイトリオンは溜息を吐いた。

 手には、ウェルの渡したパンフレット。

 王都クレシュの、石畳の大街道を大きく外れた、未開発地。

 山の麓の、湖と、それを囲む農場。そしてそこに佇む、大きな建築物。飾り気の無い石造りの学園……ウェルエッシュ共同学園、と、看板には書かれている。

 行く当ても無いとはいえ、今更、学園などに用は無いはずだが……。

 ベイトリオンは溜息を吐いて、そして踵を返そうとした。

 と、

「あら」

 と声。振り返ると、一人の女性が立っていた。

 銀の癖のある髪を結い上げた、妙齢の女性。眼鏡をかけていて、理知的な顔をしてはいるが、どこか雰囲気が柔らかい。服装が顔に似合ない、年配向けのワンピースだからかもしれない。

「お客様? それとも、新しい生徒さんかしら?」

 彼女はそう言って、ベイトリオンに歩み寄ってくる。

「いや、私は……」

 ベイトリオンは首を振るが、彼女はその手にあるパンフレットを見つけて、頷く。

「あぁ、ウェル様に会ったんですね。そのパンフレットは、ここに入学するのに必要なんですよ」

 彼女はにっこりと笑んで言った。

「ようこそ、ウェルエッシュ共同学園へ。私は、支配人のイヴェリアです。……ウェル様から、ここの説明はありましたか?」

「いや……」

「やっぱり。ウェル様は自分で学校を作っておいて、説明したがらないんですよ。面倒だって。結局私が、全部しなきゃいけないんです。酷いでしょう」

 ウェル様と私、従姉妹だから、まぁ許してあげるんですけど。

 イヴェリアはそう言って笑う。

 そういえば、髪の色や質、瞳の色がウェルと同じだ。賢そうだが、ウェルと違って鼻にかけたような様子は無い。

「じゃあとりあえず、簡単に説明しますね。ここはウェル様の作った学校です。老若男女、人種、職種に関わらず、誰でも入学できます。……あ、そのパンフレットを持っている人に限って、ですけど。ここでは好きな学習を、好きなだけして結構です。寮や食堂も完備しているので、ここで暮らす事も出来ますよ」

「……学習? しかし、私は見ての通り、歳で……」

「あら。勉強をするのに、年齢は関係ありませんよ。人生はそれそのものが、勉強の連続だと、ウェル様も言ってますしね」

「……」

 ベイトリオンは困ったように、辺りを見渡した。

 学園の敷地内では、小さな子供が遊んでいる。それを、老人が見守っていた。彼らも生徒だとしたら、イヴェリアの言っている事は、本当なのだろう。

「……しかし、金が……」

「入学金を含め、料金は要りませんよ」

「……運営は成立しているのですか」

「私達管理部が、資産運用して賄っていますから。中には、ここで学んだ事を実行して、それで儲けたお金を寄付して下さる人も居ますけど……原則として、お金は取りません。変わりに、他の物を」

「他の、物」

「貴方が、誰かに、何かを与える事。それが条件です」

「……何かを、与える?」

「はい。知識の共有、というものです。もちろん、お金や物でもかまいませんが……話は、タダですものね。皆さん、語る事を選びます」

 ベイトリオンは苦笑して言った。

「なら、私はここに入れない。私には語れるような事も、与えられるような事も無いからね」

「あら、私はそうは思いませんけど」

 イヴェリアは微笑んで言った。

「例え、貴方が些細だと思っている事でも、他の人にはとても重要な事もありますよ。それに、今生きているという事は、それだけで素晴らしい事です。……良かったら、貴方のお話を聞かせてもらえませんか?」

「……しかし私には、面白い話など何も……」

「貴方の事が知りたいんです。貴方が今、ここにいる。それはそれだけで、素晴らしい事ですもの。私に、貴方との時間を与えてくれませんか?」

「……」

 イヴェリアの真摯な眼に、ベイトリオンは思わず俯いた。

 誰かにこうして求められた事など、殆ど無い。

 話をしてくれ、とせがまれるなど、一体、何年ぶりの事だろうか。

『ねぇ、お父さん。お話を聞かせてよ。僕、お父さんやお母さんの事が知りたいんだ』

 そう言ってくれた我が子は、もうここには居ない。

 けれど。

 ふと顔を上げると、子供達が焚き火をしようとしているのが見えた。

 生木に火をつけるのには、大変な技術が必要だ。

 子供達は煙に涙を流しながらも、懸命に火を起こそうとしている。それを見かねて、老人が近付き、木の積み方を変えてやる。

 そうすると、煙は減り、やがて小さな火が起こる。子供達は喜んで、老人にもっと何かを教えるように、せがみはじめる。

「……」

 その様子を見て、ベイトリオンは、小さく頷いて、イヴェリアを見た。

「……私は、ベイトリオン・クレッセル……召喚師の子として生まれた」




 ある日の朝。ロキシーヌ村のはずれ、ボルタ工房。

 コーデュとウェルが出て行ってからも、盛況とは言えないが、静かに商売を続けていたフィリエは、その日も開店の準備に追われていた。

 箒で玄関を掃き、ショーウィンドウを丁寧に磨く。製品を並べ、価格表を置く。近頃はオーダーメイドも受け付け、リピーターは少しづつ増えてきていた。

「あの子達、元気にしてるかねえ」

 それでも時々は、あの時の盛況を思い出す。その度にフィリエは苦笑した。 

あれほどの才能を持つ人間が、自分のような妥協した者の側に、いつまでも居るはずがないのに。

 いつか本当に帰って来たりしたら嬉しいけど、それはそれで悲しい事だしね。

 フィリエはそんな事を考えながら、商品を磨いていた。

 と、

「あの、求人を見たんですが」

 店に男が入って来た。年は一五、六といったところだろうか。亜麻色の髪の、穏やかそうな顔をした青年だった。

「……求人?」

「あの、魔術師募集中って……」

「あー。そういえば、解約してなかったわ」

 貼り付けていきなり来たコーデュに、フィリエは求人広告を貼った事さえ忘れていたようだ。その言葉に、青年は驚く。

「えっ、じゃあもう、受け付けてないんですか?」

「まあ、今は居ないけどね……君、魔術師?」

「あ、はい……その、未熟ですけど……」

「……どうしたもんかねえ。別に今のままでも構わないっちゃ構わないんだけど……」

 フィリエが悩んでいると、青年は必死に頭を下げて言った。

「お、お願いします、雇って下さい! 僕、ここを断られたら、ホントにもう行く当ても無いし……それに、僕、ここの作品がとても気に入っていて。ほら、おでこに広告の人が宣伝していたでしょう?」

「ああ、ちょっと前にね」

「あの時に、僕もここの商品を買わせてもらって……僕、落ちこぼれだから、もう魔術の道なんて諦めようと思ってたけど……ここの商品を見てると、もう一度頑張ろうって、そんな気になって、……ええと、だから、ここで働きたいって思って……」

「……へえ。落ちこぼれなの?」

「詠唱速度が、その……下の下で」

「……思いっきり遅いのね」

「はい……」

 フィリエは一つ溜息を吐いて、そして言った。

「いいわ。職人なんて、じっくり時間をかけてなんぼだからね。雇ってあげよう。その代わり、あんたもここが終着点だなんて思うんじゃないよ。いつかここを出て、夢を叶えるんだからね」

「いいんですか! ありがとうございます! 僕、ロイって言います。よろしくお願いします!」

 そう頭を下げるロイに、フィリエは自分の過去の姿を見る思いだった。

 魔術師の姉に憧れ、魔術を学び、そして何事も成せなかった自分。それは時代背景や、実力や、そして支援者の有無で変わったかもしれない。

 夢を叶えられる人間は少ない。が、夢を持つ人々を助ける事は、やろうと思えば出来るかもしれない。

 フィリエは苦笑して、ロイを奥に案内し、製作の手引きを渡した。




「親愛なる、カティーナへ

 

 元気ですか?

 手紙の最初で聞かれても、返事する時にはすれ違うから、意味無いですね。

 でも、気になるので尋ねておきます。元気ですか? 生活は、順調ですか?


 私の方は、何だか良く判らない事になっています。一四回目の就職、上手くいってたんですけど。ひょんな事から、冒険者と一緒に、ウロウロする事になってます。

 でも、楽しいです。なんだか、今まで知らなかった事が、いっぱいあって。

 住所が確定したら、また連絡します。それまでは一方通行ですね。

 

 そちらの方……魔術連動型工作機械の開発は、上手くいってますか。危なそうな名前だし、怪我とか、体には気をつけて下さいね。


 私のほうはもう、色んな意味で元気です。なんというか、毎日変な二人に振り回されて、大変です。でも、やっぱりそれは楽しいところもあ」



「コーデュ、そろそろ出発しよう」

 ウェルの声に、コーデュは慌てて手紙を隠した。

 村の本屋に立ち寄り、地図を買って来ると言ったウェルが、なかなか出てこない。その間、コーデュは手紙をしたためていたのだ。

「地図は有ったの?」

 コーデュはトランクに手紙を押し込んで尋ねる。ウェルはその手紙については言及せず、頷いた。

「ついでだから、大陸地図にしておいた」

「げ……高いんじゃないの?」

「良い物は、いくら金を出しても買え。職人の鉄則だそうだよ。ま、広告を打つからって、多少まけてもらったけどね」

 ウェルはそう言って、一冊の地図を見せた。地図というよりは辞書だ。それだけでコルトぐらいなら殺せそうな厚さだった。

「さ、これで何処へでも行けるね……兄さんを呼んでくれる?」

「ああ、はいはい。……コルト、いつまでもそうしてないで、こっち来なさいよ」

 コーデュが呼ぶと、物陰に入っていたコルトがのっそりと出てくる。

「どうだった?」

「教えてくれない……」

「教えない辺りが、なおさら怪しいわね」

「うん……」

 どうやら、ルグネスの性別の事でコルトは悩んでいるようだった。が、しばらくすると、コルトは首を振って言った。

「まあ、いい。ルグネスはルグネスだ。男だろうが、女だろうが。良いものは良いからな」



 秋風は、少しづつだが、冬を呼んでいる。

 コルトの格好に違和感が無くなり始める。三人は、冬を前に服を買い替え、さらに西へと旅立つ。

「これからどうするの、ウェル」

「うーん。行く当ては無いからね」

 ウェルが呟くと、コルトが言った。

「そういえばルグネスが、海に出て魚を釣ってみたいとか、捌いてみたいとか言っていたな」

「海? 私、海って見た事が無いわ」

「じゃあ、西の果てまで行ってみようか」

 ウェルが言うと、コルトが笑って言う。

「西の果て、というと、大陸から船出か? まっすぐ西に行くと、この大陸の東に着くという話だぞ。確かめてみるか?」

「一生かかりますよ」

「それもそうだな」

「じゃあ、大陸を一周するっていうのはどう? どうせ、目的地は無いんだし」

「そうだね。夢はどこに転がっているか判らないし……」

 ウェルが頷いて言う。

「この三人……+αで、夢を探す旅に、いざ再出発と行こう」

「ええ」

「うむ。ついでに、式場も探さねばならないしな!」

 そして三人と護衛は、西へ向かって歩き始めた。


 

 立ち止まるのは容易だが、もう一度歩き出す事は難しい。

 ならば、歩き続けるしかない。

 彼らの旅は、まだ、始まったばかりである。

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