始まりの前に
「コーデュ、コーデュ……」
友人の名をしきりに呼びながら、泣きじゃくる少女の姿が有った。
年の頃は、一五、六といったところだろうか。質素なワンピースを着た、黒髪の少女。彼女は、部屋の隅にしゃがみこんで、泣き続けている。
部屋は小さいが、粗末と言うほど酷くもない。机と椅子、ベッドが各々二つ。窓からは雪に覆われた雄大な山々が顔を覗かせていた。暖炉は静かに火を熾し、部屋を暖めている。
この部屋で彼女は、コーデュという同い年の少女と同居していた。
コーデュは少女のすぐ側で、同じようにしゃがみこんでいた。金髪で、端正な顔立ちをしている。同じような格好をしていたが、泣きじゃくる少女とは正反対に、コーデュは無表情だった。
「コーデュ、どうしてこうなのかしら? どうして……」
「カティーナ……」
「親が居ないって、そんなに悪い事なの? コーデュ……」
少女……カティーナは、手の中で握り締めた紙を見る。それはカティーナの目指した、国立魔術研究所からの通知で、一言「不合格」と書かれていた。
カティーナとコーデュは、孤児だった。二人は物心付く前から、この孤児院の一室で共に暮らしている。
時勢が良いので、孤児だからといって、特別苦しい生活をする必要は無かった。魔術を伝統的に大事にする国柄もあるのだろう。魔力を持って生まれて来た彼女らの世話は、孤児院が見てくれた。虐待なども無く、コーデュもカティーナも、健やかに今日まで生きてきた。
けれど、差別や迫害を感じなかったのは、孤児院の中に居たからで。
彼女達は一五歳を迎え、社会に飛び出そうとした。その矢先の出来事だった。
二人はどちらも、目指す場所にことごとく入れなかった。それも、実力の及ばないところ……履歴書で、ふるい落とされた。
彼女達には、両親を証明する手立てが無かった。ただそれだけの理由で。
「コーデュ……私、もうダメ。もう、頑張れない……」
「カティーナ……」
「親がこんなに憎いのって、初めてよ。私の一五年間を、見た事も無い両親が棒に振ったなんて。信じられない。もう嫌。もうダメよ……」
カティーナは「不合格」と書かれた紙を破り捨て、そして俯いた。ひとしきり泣いて、もう涙も出なくなっていた。
そんなカティーナを見て、コーデュは静かに言う。
「カティーナ。……ちょっと前に、今のカティーナみたいだった私に、貴方、何て言ったか覚えてる?」
「……?」
「『コーデュ、負けちゃダメ。孤児だって偏見をするような人達、こっちから願い下げよ。諦めちゃダメ。諦めたら、何もかも終わりよ』って」
「……」
コーデュの言葉に、カティーナは苦笑いを浮かべる。
「偉そうな事、言っちゃったね」
「でも私、カティーナの言ってる事、間違ってるとは思わない。……カティーナ。私、考えたんだけど」
「何? コーデュ……」
「孤児院を、出ようと思うの」
その言葉に、カティーナは目を丸くした。
「出るって、どうやって。コーデュだって仕事、全部落ちたんでしょ?」
「正規の仕事はね。でも、アルバイトなら残ってるもの。生きていきようなんて、いくらでもあるわ」
「でも、夢はどうするの。貴方、魔術師として生きていくって……」
「夢の叶え方って、一つじゃないと思うの。研究所に入る事だけが、魔術師の道じゃないわ」
コーデュはそう言って、カティーナを見る。
「カティーナ。確かに私達は孤児よ。偏見も受けて、試験に落ちたわ。理不尽よ。……でも、理不尽だって俯いてても、何も変わらないじゃない」
「……コーデュ」
「それに私達、本当に境遇だけで差別されたのかしら? 私は魔術一筋に生きてきたから、常識が無いと自分でも思ってるの。……もし、私が孤児じゃなかったとして、本当にそれだけで、私は目指していた場所に入れたのかな、って」
もしそれだけじゃなかったら、結局同じ。私、両親が居ないから、って言い訳をして、境遇に甘えてるだけよね?
コーデュは天井を仰いで言う。
「私、孤児院を出て、社会を知ってみようと思うの。何だかんだ言って私達、ずっと保護されてきたでしょう? ……ここを出てもう一度、自分を鍛え直して……それで、それでもダメなら、理不尽を嘆こうと思うの。でも、今は嘆きたくない。諦めたくない」
「……」
「……カティーナは、どうする?」
コーデュが尋ねると、カティーナはしばらく悩んで、答えた。
「……なんだか、コーデュの言ってる事も、正しい気がする……。でも、……そうね、私達、一緒に居たら、お互い甘えちゃいそう。……お別れ、しなきゃいけないと思う」
「そうね……」
一〇年以上、一緒に暮らして来たけれど。
これからは、違う道を歩かなくてはいけない。そうする事が、お互い成長するために必要なのだ。
カティーナはともかく、コーデュは既に決心しているようだった。そんなコーデュを見て、カティーナも「うん」と頷く。
「判った。私も、ここを出てみる。それで、どっちが早く夢を掴めるか、競争しましょ」
「そうね、カティーナ」
「あ、でも、音信不通は寂しいもんね。ここを経由して、文通しましょうよ。お互いの現状を報告し合いながら……頑張ろう」
「……うん。……頑張ろう、カティーナ」
少女達はそう言って、そして笑い合った。
数日の後、彼女らはそれぞれ、長年過ごしてきた孤児院を出る事になる。
二人は文通を続けながらも、夢を掴むまでお互いに会わない事を約束した。
いつか、境遇を乗り越え、成功した時に。
そして今。
二人が約束を交わした日から、既に四年が経過していた。




