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表現行為としての小説論  作者: 稲葉孝太郎
様々な分析
4/5

作者と読者の距離感

 前回は、作者の側が既に態度決定(正確に言うと、作品の固定)を行っているので、読者の側にリアクションの多様性が残されていることを確認した。今回は、このリアクションの多様性における、作者の役割を考察したい。

 まず、出発点としなければならないのは、解釈の一次的な対象は、作品そのものであり、作者の意図ではない、ということである。しかしこれは、作品が作者から切り離された、独立のものとして存在することを、意味しない。これは、日常会話においても、同様である。Aが隣人Bに「おはよう」と挨拶した場合、Bの直接的なリアクションの対象は、「おはよう」という挨拶それ自体であり、Aの意図ではない。Aが慣習的に挨拶したのか、それとも下心があって挨拶したのかは、差し当たって重要ではないからである。さらに対象を拡張して、例えばAが「昨日は帰宅中に雨が降って大変だったんですよ」と述べた場合、Bはこの台詞に反応するのであって、Aの頭の中にある何か、に反応しているわけではない。もしかするとAは、単に話題作りでそう言っただけかもしれず、あるいは何か思惑があって、雨の話を持ち出したのかもしれない。

 したがって、作者の意図が分からないという指摘は、実際には、発話者の意図は分からないという風に、コミュニケーション一般に当てはまるのであり、小説の特徴ではない。このことに注意さえすれば、作者と小説との関係は、発話者と台詞の関係に置き換えられ、作者が小説から完全には切り離されえないことが分かろう

 ところで、この切り離しの程度は、状況によって大きく異なる。挨拶の事例のように、AB間が対面で話している場合は、Aの挨拶は、「Aの」挨拶として理解され、個性が極めて大きいものとなる。他方で、Bがこの情報をCに伝達し、「今朝、Aさんに『おはよう』と言われたよ」と述べたならば、事情は異なってくる。というのは、AB間の距離と、AC間の距離は、同一ではないからである。おそらくCは、Aの挨拶を、Bよりも無個性的に解釈するであろう。つまり、BはAさんに朝の挨拶をされた、という情報以上のものを、Cはそこに見出せないであろう。この伝達が連綿と続き、例えばYさんがZさんに、「隣町のある人が、隣人に『おはよう』と言ったらしい」などと言えば、これはもはや、YにとってもZにとっても、半ばどうでもよい情報となっている。おそらくYもZも、誰が誰に言ったのかという点には、もはや関心を示さないであろう。

 さて、この分析を小説に当て嵌めてみると、以下のことが分かる。すなわち、商業出版的な流通形態においては、作者と読者の関係は、どちらかと言えば、AのYZに対する関係に類似しており、AのBに対する関係ではない。AのBに対する関係に類似しているのは、同人活動、しかも、かなり仲間内の同人活動である。読者は、YZの立場に近く、Aが挨拶したという事実が興味深くなければ、ほとんど反応を示さない。

 少しまとめてみる。

 

 【語り手と受け手の距離】


 親しい者同士の会話 ⇄ 身内の同人活動


 ・誰が言った(書いた)かが重要。

 ・しばしば内容よりも、発言(発表)それ自体に重点が置かれる。

 ・発言が曖昧な場合、真意の確定が容易。

 

 社会的に拡散した情報 ⇄ 商業活動

 

 ・誰が言ったかよりも、何が言われたかが重要。

 ・内容に重点が置かれる(例外的に作者目当てのファンがつく)。

 ・発言が曖昧な場合、真意の確定は困難(不可能ではない)。


 ネットにおける匿名の書き込み ⇄ 作者不詳

 

 ・誰が言ったかはもはや分からず、発言の内容だけが問題になる。

 ・発言が曖昧な場合、真意の確定はほぼ不可能。


 実際には、より連続的な変化が見られるわけであるが、大まかにこの3つでよいと思う。この表からも分かるように、「作者の死」と言われるものは、小説固有の現象ではなく、さらに小説一般の現象でもない。むしろ、流通形態などの、外的な要因に左右されるものである。作者の個性が失われるのは、作品がそのような形で流通するからであり、これを支えているのは、技術革新である。

 これを一般的な形で言い直すと、解釈における作者の役割は、結局のところ、読者に対する作者の空間的・時間的距離感に、大きく影響される。空間的・時間的距離感が大きければ大きいほど、テキストのみが流通し、作者は忘れ去られるわけである。これは、拡散したテキストに対して、もはや作者が(というより人間が)コントロールを及ぼせないということに他ならない。

 では、このコントロール不能の状況に対して、作者はどのような準備をしなければならないのか。次回は、この問題を取り扱う。

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