りょうすけ
夏休みも、残すところあと一週間だ。
そんな折、亮介から電話が掛かってきた。
「なんだよ。お前。こっちから掛けても出ないくせに」
『あはは、ごめんごめん。どうだ、最近?』
亮介が、珍しく真剣な声で聞いた。
前に一度、亮介から電話が掛かってきた時に、身の回りでおかしなことが頻発していると話したのだ。
電話越しでも伝わる、心配そうな様子に、夏乃はできるだけ明るい調子で答える。
「まぁ……いろいろあったよ」
『なんだよ、教えろよ』
夏乃は少し悩んでから、この夏に起きた事を説明した。
配達中、前を走っていたトレーラーが横転して、危うく巻き込まれそうになった。
深夜、コンビニに向かっていると、道路の脇の住居から、プランターが落ちてきた。
あとは、夜寝ていると金縛りにあったり、最近肩が凝るようになったのも関係あるのだろうか。
「なんか、発想がベタなんだけど。俺を呪うようなやつ、いるのかな」
白い獣に襲われた時、彼女は確かにそう言っていた。
誰かに呪われているみたいだ、と。
『でもさ、それって、なつのちゃんが来てから起こりだしたんだよな』
夏乃は、はっと息を呑んだ。
『そもそも、あの子と初めて会った時に、幽霊を見たんだよな?』
「ああ」
『やっぱり、俺さ、あの子が……お前の叔母さんの幽霊なんじゃないかと思うんだ』
亮介の声は真剣だ。
『俺、今日の夜、お前の家に行くわ』
「え?」
『なつのちゃんに会って、見極める』
夏乃は、わかった、とだけ返事をした。
今はまだ旅行から帰る途中で、到着するのは夜中になるとだけ言い残して、亮介は電話を切った。
「別に、明日でも良いのにな」
言葉とは裏腹に、夏乃は嬉しそうに笑った。やっと亮介に会える。毎年、夏休みはなんだかんだ亮介と一緒にいたので、こんなに長い間亮介と顔を合わせないのは初めてだった。
昨年は、亮介の知り合いの経営する海の家で、泊り込みのバイトをした。
(毎日冷えたスイカを食べてあいつ、腹壊してたな……)
大学に入って初めての夏は、夏乃の里帰りに、亮介も着いて来ていた。
田舎の農村生まれの夏乃の実家は農家で、一緒に早朝から野菜を採ったり、川で釣りをした。
「トトロいそーだな」
そう言ってはしゃいでいた亮介は、足を滑らせて川に落ちていた。
思い出に浸っていると、なつのが帰ってきた。
今日は制服を着用している。長袖の、黒のセーラー服だ。
「……何、一人でニヤニヤしてるの?」
夏乃の緩みきった顔を、少女は不審そうに見つめる。
「ちょっと、思い出し笑いを……」
「ふうん」
興味を失ったのか、少女はスカーフをするりと外した。
部屋着に着替えるため、脱衣所に向かう姿を見送って、夏乃は首を捻った。
(もし、なっちゃんが叔母さんの幽霊だとして。家出の荷物一式持ってるのは何でなんだ? 幽霊って着替えたりするもんなのか?)
いや、と夏乃は首を振る。そもそも、幽霊に定義なんてあるのだろうか。
腕を組んで、うーん、と唸っていると、なつのが部屋着に着替えて戻ってきた。
「どうしたの?」
「いや、別に。そう言えば、なっちゃん、いつもどこ行ってるの?」
「教えない」
ふい、と少女は夏乃から視線を逸らす。
「家出中、なんだよね?」
無言のまま、少女は頷いた。
「……なんで家出したの?」
「関係ない」
「一ヶ月も人の家に滞在してて、それはないでしょ」
夏乃が厳しくそう言うと、少女は観念したように溜息をついた。
夏乃の隣に座って、ぽつりぽつりと語りだした。
「うち、昔から家業って言うか、代々引き継いでやってる仕事があるの。お父さんは、わたしがその仕事を継ぐべきだと思ってて、大学に行くの、反対されてるの」
「兄弟とかいないの?」
「妹がいるけど、あの子はダメ」
「ダメ?」
「人には向き不向きって、あるの」
納得したように頷いて、夏乃は続きを促す。
「うち、お母さんがいないから、お父さんに反対されたら、一人で戦うしかないの」
そう言って、少女が真っ直ぐ前を見た。
力強い、しっかりとした眼差しだ。
(生きている目だ……でも……)
夏乃は立ち上がり、少女から距離を取る。
「なつくん?」
少女が不安そうに、夏乃を見つめる。
「信じたかった。でも、今の話で、確信が持てた」
「え?」
「なっちゃん、君は……」
*
亮介は、K市を貫く国道を、力いっぱいペダルを漕いで進んでいた。
先程まで友人と電話をしていたため、予定していた時間は、大きく過ぎていた。
「急げよ、俺ー」
ピストバイクは、一般車両と同じ用に、車道を走る。
亮介の右側を、自動車やバイクが追い抜いていく。
夜風が気持ち良いな。
亮介は少しだけ、目を瞑った。
*
「なんで、そんなこと言うの?」
少女は悲しそうに顔を歪めている。
「俺だって、信じたかったよ。……なっちゃん、俺の名前の由来って、話した事なかったよね?」
少女が黙って頷く。
「俺の母さんには、年の離れたお姉さんがいたんだ。その人は、高校生のときに、俺のじいちゃんと喧嘩して、家を飛び出した。そしてそのまま、事故にあって亡くなってしまったんだ。その人の名前が……なつの」
少女が息を呑んだ。
ごくり、と喉が鳴る。
「今のなっちゃんの話と、そっくりだよね。それに、俺が変な目にあいだしたのも、なっちゃんが来てからだ」
少女が弾けるように立ち上がり、
「違う! それは、その人は、わたしじゃない! わたしは生きてるし、それに…」
「死んでるのに気づいていない幽霊も、いるんだってね」
「違う……わたし……」
少女は数珠を取り出して、そっと握った。
「……もうすぐ、亮介が来るんだ」
「え?」
「君を、見極めるって」
「ダメ! あの人は、ダメ!」
少女が一歩、夏乃に向かって踏み出した。
夏乃は思わず後ずさる。
瞬間、激しい雷鳴が轟いた。
近くに落ちたのだろうか、部屋の明かりが、消えた。
「俺を殺すのか?」
「違う」
「なんで、俺を……」
「なつくん、聞いて」
「俺、あんたになんかしたかよ?」
「お願い……」
一瞬、空が光って、少女の顔を照らした。
少女は、泣いていた。
プルルルルルルル……
テーブルの上に置いていた携帯電話が鳴った。亮介の名前が表示されている。
夏乃は少女から目を放さずに、携帯電話を手に取った。
「もしもし」
『夏乃、大丈夫か? 雷、すごいけど』
「停電してる」
『マジか……もう夏乃ん家の下まで来てるから』
「ああ、わかった」
マンションのオートロックを開けるため、夏乃はインターホンへと向かう。
「なつくん、わたし……わたしには……」
その背中に、少女は告げた。
「今の着信画面に、亮介さんの名前は見えなかったよ」
「は? 何言ってんの……」
振り向きながら、夏乃はマンションの玄関のオートロックを解除する。
そして、視線をインターホンのモニターに移した。
「え?」
目に入ったのは、赤く染まった亮介の姿だった。マンションが停電しているため、オートロックは解除できなかった。
だが、亮介はするりと扉をすり抜けて、エレベーターホールに消えた。
「なんで……」
狼狽した声で、夏乃は叫ぶように言った。
「でも、さっきまで、電話して……」
携帯電話を確認する。
亮介から着信があったはずの時間には『非通知』の文字が映し出されている。
その前も。その前も。この夏に亮介から掛かってきていたのは、全て『非通知』になっている。
亮介からの着信になっていたのは、夏休みに入る前までだ。
「は? なんでだよ……」
「なつくん」
少女が心配そうに近づいてくる。
「来るな!」
夏乃は、壁に張り付いて、動けずにいる。
それでも、少女を拒否する。少女の手には、いつの間にか鋏が握られていた。
「信じて……」
ゆっくりと鋏を握った方の腕を持ち上げて、少女が悲しそうに顔を歪める。
夏乃は壁にもたれたまま、ずるずると座り込んだ。
「お願い、わたしを信じて!」
少女が叫ぶ。
夏乃は身を守るように腕を顔の前で交錯させた。