隣の神様(座敷童子編)
うぁあああああぉぉおおおおおああああああん!!!!
大音量の泣き声があたりに響き渡る。
この泣き声、発信源は誰あろう私である。
うぁあん!!うぁ……げふっ!ひぐっ!!!びあぁあああああ!!!
止まらない。
だってこの泣き声、私が意図して出しているわけではないのだ。
勝手に出てしまうのだ。
なぜなら、悲しいから。悔しいから。
地面を力いっぱい足で踏みつけて、精一杯声を上げる。
どうして、どうして!
どうして!!
目の前は、涙でぼやけて、魚眼レンズでも覗いたような景色。
色の境が曖昧で、私は自分が何を見ているのかさえわからなくなった。
なんで!なんで!?
私は脳内で繰り返される言葉を、更に繰り返す。繰り返して繰り返して、自分が何に悲しんで、憤っているのか忘れかけた頃。
声をかけてくるものがいる。
私を呼んで、そっと肩に触れる感触を感じる。
それを不快に感じて、首を振った。体全体を大きく捩って、拒否を示した。
顎の辺りで真っ直ぐ切りそろえられた髪が、濡れた頬に張り付く。
振り払われた手が、どうしてよいかわからずに宙で手を右往左往させているのが、涙の膜越しに薄らぼんやりと見えた。
だが、許してやらない。
だって、
ひどい!ひどいひどいひどい!!
私の、私の……
『わだし、のぉおおお!!! けっ、けぇっ!! けーぎぃいいいいい!!!!』
「ご、ごめんよ、ワラシ。君の分だって、知らなかっ……」
『ぁああああうううぬぁああああんんん!!!!』
「早くー!! 早く新しいケーキを持ってきてくれー!!!」
数十分後。
ぜぇはぁ、と荒い息のまま、目の前に差し出されたものを、じっと見つめた。
大きく筋張った手が持つ、真っ白な皿の上。その上に楚々と乗せられた美しいもの。
ふんわりと甘い香りの、真っ白な純白の化粧が施された、ケーキ。
やわらかくしっとりと繊細なスポンジケーキを覆う、茶色と白のクリームがマーブル模様となって見目がよい。
ぽわぽわとほっぺたが熱い。
熱さと、甘い香りを感じながら、さらにケーキを凝視していると、たり、と、口の端からよだれが垂れた。
いい歳の女のすることではないが、いまさら取り繕うことも出来まい。
「ワラシ様、落ち着かれましたか?」
そっと口元に布が当てられて見上げれば、そこには、やわらかく微笑む金髪をきっちり結い上げた女性。
彼女の名はメイ。そばかすの浮いた顔は、かわいらしく、やさしげだ。
私のそばに膝をついて、目線を合わせてくれている。
ケーキとは違った、いい香りが鼻先をくすぐった。
「ああ、ワラシ様ったら、お顔が真っ赤でいらっしゃいますよ。のどが渇きましたでしょう? お水をどうぞ」
うん、私もちょっとばかり興奮しすぎた気がしていた。
どうも、感情が波立ちやすいようなのだ。
差し出された手の中から、私の手には余るグラスを受け取り、そのふちに唇を寄せた。
ぬるい水が、酷使しすぎてひりつく喉を潤してくれる。
飲み干すことは出来なかったが、十分満足するまで水を飲むと、私の手からグラスがそっと持ち去られた。
顔を上げてグラスの行き先を見れば、困ったように眉根を寄せる、彫りの深い容貌の男がいる。
見上げてもなお高い先にある男は、日本で生まれ育った私からしてみれば、外国のイケメン。北欧系。髪は日に透ける白金で、今は困惑に揺れている瞳は深い紫色。年齢はアラサーくらいに見えなくも無い。
まるで作り物のように美しく均整の取れた体つきは、ボディーガードだとか、格闘家だとか言われても頷ける。
そんな美形な男が、ゆっくりと傍らに膝をついた。グラスはすでに彼の手の中には無く、私の熱くなった手を、彼の大きな手の先が持ち上げる。
そうして、しっかりと紫色の瞳が私を見据えて、男は言った。
「ワラシ、すまなかった」
言いながら、男は私に、片手にずっと持ったままだったケーキの乗った皿を差し出すのだ。
じっと、ケーキと男の顔を見比べる。
だんだん暗い表情に変化していく男に、ふ、と小さくため息をついて見せ、私はケーキの皿に手を伸ばす。
『仕方が無いから、許す。あー……「リスの、すまない、わかった。ケーキ、食べる」』
「ワラシ! 許してくれるんだな!」
『「リス、ケーキ、早い、渡す。メイ、お茶、のむ」』
「かしこまりました。ワラシ様、語彙が増えてまいりましたね。私、うれしゅうございますわ」
『何回も言うけど、名前は<<ワラシ>>じゃない……いや、もうあきらめたけど』
私は、『ワラシ』と呼ばれ、目の前でニコニコと笑顔全開で私を見つめるリスという男に保護されている。
私は<<ワラシ>>という名前ではないが、「私」と言った言葉が聞き間違えられ、さらにそれを名前だと思い込まれて今に至る。
なぜ保護対象とされているかといえば、私の事を「迷子」だとか、「捨て子」だとか、そういう認識をされているために他ならない。
そう、「子」。
私は、子供なのだ。4、5歳くらいの「女の子」。黒髪おかっぱの、聡明そうでかわいらしい、と自画自賛しちゃってもいいんじゃないかな、という、日本人形的なりんごほっぺの女の子なのである。
初めて自分の姿を確認したとき、私は悲鳴を上げた。
私の頭がおかしくなっているのでなければ、私はほんの少し前まで、日本で社会人をしていた。
結婚はしていなかったが、結構いい年齢の女であった。
え? タイムスリップ? いや、確かに、人生やり直せたらいいなーとは思ってたけど。
なんて考えもしたが、なんだかちょっとおかしい。
私は、親の趣味で、このくらいの年齢の時にはパーマのかかった髪をしていたはずだ。
こんな、日本人形的なまっすぐでちょっきりしたおかっぱだったことはない。
それに、こんな「人形」と形容できるようなほど整った顔立ちはしていなかったよ。
着ていた物も和服……それも、ちょっと高級そうな着物だったのだが、私が子供の時にはズボンとトレーナーとか、そんな感じの汚れても大丈夫な服だった気がする。
……やだ、私ったら、知らない間に生まれなおしちゃってたわけ? あらやだ、困ったわぁ。しかも、格好が時代錯誤。おかっぱ頭でのっぺり平面な日本顔だと、すっかり座敷童子みたいだわ。
なーんて、現実逃避めいた真実にたどり着いたのは、悲鳴を上げてから数時間後のことであった。
その後、現・保護者であるリス、そして、彼の家でお手伝いさんのような仕事をしているメイと出会ったとき、彼らと私は言葉が通じなかった。
まったく知らない海外の国に放り出されたような状況で、私はなんとか意志の疎通を図ろうと頑張った。
とはいえ、あまり語学に堪能なほうでもなく、努力も苦手な女である。すこぶるはかどらない。現在進行形で。
言葉がわからないなりに、なんとか意思の疎通を図ろうと試みた結果、頑張りすぎたおかげで、なにやらお互いに誤解だとか齟齬だとかがいろいろ生まれている気配がするのだが……。まあ、そこは言葉が堪能になるまでは修正できないところである。しばらくは現状維持だ。
ただ、いくつか私が理解できる単語……たとえば、先の「ケーキ」など……もあるため、それを多用して私の頭の悪さをごまかす日々である。
言葉が通じず困ることは、とても多い。
けれど、現・保護者のリスという男。どうやら、ものすごくお金持ちなようなのだ。リスが仕事でいない間は、お手伝いさんのメイが私の世話をしてくれる。
お金持ちのお嬢様だとか、お姫様だとか、そんな感じの扱いだ。慣れない着替えも手伝ってくれる。
メイのことをお手伝いさん、と言い表していたのだが、たぶん、メイドさん、とか、侍女さん、とか、そういった類の職業なのかもしれない。
明らかにリスの奥さんといった雰囲気ではないので、私の認識に間違いはないはずだ。言葉がまるでわからないため、確認するすべはないが。
はじめのうちは、メイしか私の相手をしてくれるものは居らず、この家ってリスとメイしか居ないのだろうかと思っていたが、しばらく過ごすうち、だんだんといろんな人間を見かけるようになった。
私が怪しい子供だから、代表としてリスとメイだけが相手をしてくれていたのかもしれない。
着替えも、長居させるつもりはなかったのだろう、最初は誰かのお下がりのようなものを着せてもらっていたのだが、今は、メイが楽しそうに仕立て屋をわざわざよびつけてオーダーメイドをあつらえてくれている。私はこの屋敷にずっと居てもいいのだといわれているようだ。
子供など居ない屋敷のようであったため、最初は大人向けの質素な料理ばかりだったが、最近では子供が好みそうな濃い味付けのものや、きれいな見目のお菓子も出されるようになった。私の好みがわからなかったためか、出てくる飲み物もいつも同じだったが、最近はいろんな味のお茶やジュースが出てくる。
だんだん待遇がよくなってきているのは、きっと、この屋敷の主であるリスが私を手放さないと決めたからなのではなかろうか。
私を拾ってからしばらくの間、リスは私のためにと懸命に私の保護者を探してくれていたのだが、どうやっても見つけられない日々が続いた。
もちろん、言葉がわからないから直接そうだと理解したわけではない。けれど、彼が意気消沈した様子で私の下へやってきては、謝罪の言葉を繰り返すのだから、察せざるを得ない。
ここで過ごしてわかったのだが、私が今いる場所は、どうやら地球上には存在しない場所のようだ。
ファンタジーだなぁ、と、なんとなく理解して過ごしていたため、あまり衝撃は無かった。
むしろ、子ども扱いというか、子供になってしまったことで受けた衝撃のほうが強烈だった。
確かに、今の私には家族がこの世界のどこかに存在するのかもしれない。けれど、それは『私』にとってはどうでもよいことだった。だから、なんとか彼に、そんなに一生懸命になって探してくれる必要は無いのだと伝えたかった。見も知らぬ子供のために泣かなくてもいいのだと伝えたかった。
でも、頭の出来のよくない私が、彼に直接伝えることは出来なかった。
ある日、彼は言った。
「家族になろう」と。
そのときにはどういう意味なのかわからなかった言葉の羅列。
彼はそのとき、悲しいような、それでいて吹っ切れたような笑みを浮かべていた。
私は、結局、その言葉たちに了承も拒否も出来なかった。それはそうだ。理解していなかったのだから。
でも、その言葉たちがとても大切なものだということだけはわかったから、ずっとずっと、心にとどめて、言葉の練習用のノートにも書き留めて、大事にしまっておいた。いつか、その言葉に対する返事を返すことを夢見て。
リスが、大事な言葉を私にくれてから、彼はなんだかバタバタし始めた。
以前は、お金持ちとは思えぬいでたちで外出することが多かったリスだが、少しずつ身なりに気を使いはじめて、今ではどこからどう見ても貴族! というような姿で外出していく。
それに、最初のころは一人で馬に乗って飛び出していっていたのだが、最近は従者のような若者を連れて、馬車で外出するようになった。
きっと、私のような養い子が出来たから、頑張ってお仕事しているに違いない。
食い扶持が増えたのだから、お金持ちとはいえやはり多く仕事をしなくてはならなくなったのではなかろうか。なんだかいたたまれない。
「ワラシ様ったら、お口のまわりにクリームがついておりましてよ。なんておかわいらしい……」
「メイ、感想はいいから、拭いてやってくれ」
私が回想しながらも、渡されたケーキをもぐもぐと租借していると、メイとリスが頭上で会話し始めた。
時々単語を拾って勉強しようとするが、ケーキが気になって耳に入ってこない。
「かしこまりました。ああ、そういえば、リス公爵様宛に、また見合いの釣り書きが送られてきておりますが、いかがいたしましょう」
「ワラシを大事にしてくれそうな者はいるか?」
私の名が挙がったので、ケーキを食べる手を止め、見上げる。
だが、すぐに気にするな、というようにリスの手が私の頭を撫でた。
まあ、そういうなら気にしないけど。ケーキおいしいから、気にしないけど。
あ、メイ、クリームついてた? ありがとう、拭ってくれて。
「……ワラシ様がいらっしゃる以前、没落する一方だった公爵家に見向きもしなかったお嬢様方が、ワラシ様を大事にしてくださる、と?」
「……そうだろうな。ならば、処分しておいてくれ」
「かしこまりました。それにしても、ワラシ様がいらっしゃってからの公爵家の復活劇は、いまや庶民の間でも有名なお話でございますよ。これまで、屋敷には主である公爵閣下とわたくし、そして、料理番のビル、執事のサイモンしか居りませなんだのに……いまや、以前の活気を取り戻しておりますものね」
「そうだな。ワラシにも、新しい服を着せてやることが出来るようになったし、ケーキも思う存分食べさせてやることも出来る。ここ最近の領地の実りも増えているし、商売もうまくいっている。以前とは比べ物にならない利益が生まれている。……これまでの努力が実ったのかもしれんな」
「ワラシ様がいらっしゃってからのリス様は、本当に生き生きとなさって、依然とは比べ物にならないほど輝いております。ワラシ様は、まさしく、幸運の女神様でいらっしゃいますね」
「いや。女神なんて不確かなものじゃない。……私の、家族だ」
それまでは、まったくといっていいほど気にしていなかった二人の会話だったが、よく知っている単語を聞き取って、私は顔を上げた。
そして、リスと目を合わせると、にっこり笑った。
『「リス、ワラシ、家族!」』
「……ワラシィイイイイイイ!!!! かわいいぞぉおおお!!!」
『ぎゃぁあああ!! ケーキ! ケーキこぼれたー!! いきなり抱きつくなー!!』
「奥方様がいらしてくださるのは、もう少し先になりそうですわね……」
リスの雄叫びと、私の悲鳴に混じって、メイのため息が聞こえた。
遠い記憶の中で、声が言う。
幸せにしてあげて、そして、幸せになりなさい。
私の魂を優しく抱いてくれていたのは、『私』の『母』なのか。それとも。
end
ワラシ(座敷童子 ざしきわらし)
>>元・日本人女性。社会人だったが、気がつけば黒髪おかっぱな、古きよき時代の和服幼女になっていた。
>>座敷童子だという自覚皆無。
リス
>>没落一直線だった公爵。男。イケメンだが金が無いためモテなかった。
>>ワラシを拾ってから、なぜか調子がよい。ワラシに家族が居ないことがわかると、家族になる決心をする。
>>その後、すごい勢いで公爵家が復興していく。よくわからんうちに、有力貴族に返り咲き。
>>嫁はしばらくいらない。ワラシと遊んでいるときが至福のとき。
メイ
>>リス公爵に仕える唯一の侍女だった。金髪。そばかすがコンプレックス。
>>ワラシがかわいくてしょうがない。
>>公爵家が貧乏だったときから、ワラシとリスには不自由させまいと、一緒に働いていた料理番のビルと執事のサイモンと共に奮闘していた。
>>最近、公爵家で雇う人間が増えて仕事が減ったため、よりいっそうワラシとリスに付きっ切り。