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1000光年の亡命  作者: リンダ


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地球の深海

『沈黙の星を調べる者たち』


第17話 地球の深海


地球を離れる時が来た。


《エルディアス》は、再び軌道上にいた。

眼下には、青い星が静かに回っている。


地表はまだ傷ついている。

高線量域は残り、かつての文明の形はほとんど消え、風と灰色の大地だけが広がっている場所も多い。


それでも、海は青かった。


そしてその海の底では、生命が戻り始めていた。


タルク・イシェンは、最後の深海観測データをまとめていた。

熱水鉱床の周囲で広がる微生物群。

原始的な多細胞生物。

ゆっくりと形成されつつある食物連鎖。


「地球は、死んでいない」


彼は小さく言った。


その言葉を聞いたリナ・アークレイは、展望窓の前で涙をこらえていた。


だが、こらえきれなかった。


「ごめんなさい……」


誰に向けた言葉なのか、彼女自身にもわからなかった。


地球へ。

祖先へ。

この星で命を落とした人々へ。

そして、遠い昔に過ちを犯した人類へ。


「私たちの遠い祖先が……こんなことを……」


声が震える。


「こんなきれいな星を……こんなに傷つけて……」


ナディア・フェルンが、そっと隣に立った。


「リナ」


リナは首を振った。


「わかっています。

私は直接、何もしていない。

今のガイア地球系統民が罪を背負うわけではない。

でも……それでも、祖先の星を見たら、言わずにはいられないんです」


彼女は、青い地球を見つめた。


「ごめんなさい。

そして、ありがとう。

私たちを生かしてくれて」


その言葉に、艦橋は静まり返った。


セリオス・ヴァーンは何も言わなかった。

ミレナ・オースも、レオム・サイも、タルクも。

誰も慰める言葉を軽く出せなかった。


リナの涙は、ただの悲しみではなかった。

それは、記憶を受け継いだ者が、初めて現実に触れた時の涙だった。



出航前、最後の通信がガイアとメビルへ送られた。


地球再調査結果。

深海生態系の回復。

地表の残留汚染。

高線量域の危険性。

そして、地球が再生途中の星であるという暫定結論。


リナは、ガイア記録堂へ向けて短い声明を残した。


「私は今日、地球を見ました。

地球は、私たちが伝承で聞いた美しい星でした。

同時に、私たちの遠い祖先が傷つけた星でもありました。


私たちは、その過ちを忘れてはいけません。


二度と、どの星にも、どの文明にも、同じ悲劇を起こしてはいけない。


力を持つことより、止まることを学ばなければなりません。

恐怖を平和と呼ばない社会を作らなければなりません。


地球はまだ、深海で息をしています。

その息を、私たちは未来への警告として受け取ります」


声明が終わると、彼女は深く頭を下げた。



《エルディアス》は、地球圏離脱準備に入った。


航法士が告げる。


「離脱軌道、確定」


セリオスが頷く。


「出航」


船体が静かに加速する。

地球が、少しずつ遠ざかる。


リナは窓に手を置いた。

防護服越しではない。

今は艦内服のまま、素手で透明隔壁に触れている。


「さようなら」


声はほとんど息だった。


「でも、忘れません」


地球は、ゆっくり小さくなっていく。

青い星。

沈黙の星。

再生を続ける星。


そして、まだ許しを求めているような星ではなかった。


ただ、存在していた。

傷ついたまま。

それでも、存在していた。


ナディアはその姿を記録した。


ガイア地球系統民代表リナ・アークレイ、地球離脱時に涙を流す。

発言内容は、祖先の過ちへの悲しみ、地球への謝罪、そして再発防止への誓いを含む。

これは罪の継承ではない。

記憶の継承である。



艦内の小さな上映室では、青柳光子と柳川優子の映像が再生されていた。


リナが希望したものだった。


画面の中の二人は、いつものように笑っている。

光子が少し大げさに言う。

優子がすぐに突っ込む。

会場の笑い声が重なる。


リナは泣きながら、少しだけ笑った。


「すごいですね」


隣に座るレオムが尋ねる。


「何がですか」


「こんな時でも、笑えるんですね」


レオムは画面を見た。


「彼女たちは、笑いで悲劇を消したわけではないと思います」


「はい」


「悲劇の中でも、人間が人間でいられる場所を作った」


リナは頷いた。


「だから、祖先たちはこの人たちを忘れなかったんですね」


画面の中で、優子が言う。


「泣くのは悪いことやないけんね」


光子が続ける。


「でも、泣いたあとに誰かと笑えたら、それはちょっと強かよ」


ノイズ混じりの声だった。

それでも、リナには十分だった。



第十七観測記録。


第十七観測記録。

《エルディアス》は、ガイア地球系統民代表リナ・アークレイを伴う地球再調査を完了し、地球圏を離脱した。


再調査により、地球深海部では熱水鉱床を中心とした生態系回復が進行していることが確認された。

地表は依然として高線量域を多く残し、広範な生命繁栄には至っていない。

しかし、惑星全体を死の星と定義することは適切ではない。


リナ・アークレイは、祖先の過ちへの悲しみと、同じ悲劇を二度と起こさないという誓いを表明した。

この発言は、地球文明崩壊の記録を“過去の断罪”ではなく、“未来への責任”として受け継ぐものと評価される。


最後にナディアは、一文を加えた。


地球は、我々に許しを求めていない。

ただ、忘れないことを求めている。


記録は保存された。



船は地球を離れていく。


リナは最後まで窓の前にいた。

涙は止まらなかった。

だが、その涙の中には、最初の絶望だけではない何かがあった。


悲しみ。

悔しさ。

謝罪。

そして、誓い。


二度と、このような悲劇を起こしてはいけない。


地球は遠ざかる。

けれど、地球が残した問いは、もう遠ざからない。


それはメビルへ。

ガイアへ。

そして、これから力を持つすべての文明へ。


静かに、しかし確実に、受け渡されていく。



第17話・終

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