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1000光年の亡命  作者: リンダ


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もう一度地球へ。

『沈黙の星を調べる者たち』


第16話 もう一度、地球へ


メビル本星で地球記録の公開が決まったあと、《エルディアス》には新たな任務が与えられた。


それは、再調査だった。


だが、今回はメビル人だけで地球へ向かうのではない。


ガイアから、地球系統民の代表者が同行することになった。


彼女の名は、リナ・アークレイ。


ガイア生まれ。

純粋な地球人ではない。

ガイア人の血も深く受け継いでいる。

だが、家系記録によれば、遠い祖先はアーク・レヴァナント号で地球を離れた人々の一人だった。


リナは乗船前、セリオス・ヴァーンに言った。


「私は地球を知りません。

でも、地球の子孫です」


セリオスは静かに頷いた。


「我々は地球を見た。

だが、地球を故郷として受け継いだわけではない。

あなたの視点が必要です」


リナは、少しだけ緊張した表情で答えた。


「怖いです」


「当然です」


「でも、行きたい。

祖先が何を失ったのか、自分の目で見たい」


その言葉に、ナディア・フェルンは深く目を伏せた。


地球を調査すること。

それは、ただデータを集めることではなくなっていた。


それは、記憶を継ぐ者が、記憶の原点に向かう旅だった。



《エルディアス》は、再び獅子座方向から地球へ向けて跳躍した。


星図の中で、ガイアが遠ざかる。

次にメビル航法座標が重なり、虚空がゆがむ。

そして、かつて人類が亡命した方向を逆にたどる形で、船は進む。


リナは展望区画で、ずっと星を見ていた。


隣に立つレオム・サイが声をかける。


「眠らなくていいのですか」


「眠れません」


「地球が怖い?」


リナは少し考えた。


「地球そのものが怖いわけではありません。

怖いのは、私が地球を見て、何も感じなかったらどうしよう、ということです」


レオムは黙った。


「私は地球を知らない。

海の匂いも、雪の冷たさも、祭りの音も、駅のざわめきも知らない。

でも、それを失ったものとして教えられて育ちました。

もし実際に見て、ただの廃墟にしか見えなかったら……祖先に申し訳ない気がする」


レオムは、しばらくして言った。


「地球は、あなたに何かを感じることを要求していないと思います」


リナが彼を見る。


「ただ、見てほしいだけかもしれない。

忘れられないために」


リナは目を伏せ、静かに頷いた。



地球圏に再到達した時、艦橋には全員が集まっていた。


セリオス。

ナディア。

ミレナ・オース。

タルク・イシェン。

レオム。

そしてリナ。


主投影に、地球が映る。


青い星。


リナは、息を止めた。


映像や記録で見たものとは違う。

本物の地球は、ただそこにあった。


傷だらけで。

静かで。

それでも、青かった。


「……これが」


彼女の声が震えた。


「これが、地球」


誰も言葉を挟まなかった。


地球は遠い祖先の星だった。

見たことのない故郷だった。

語り継がれた悲劇だった。

だが今、リナの目の前に実在している。


「思っていたより……綺麗です」


ミレナが静かに答える。


「遠くから見ると、そう見える」


リナは頷いた。


「だから、余計につらいですね」



軌道上からの再観測が始まった。


初回調査と比べて、今回は重点が違う。

高線量域の測定だけではなく、生命反応の回復域を詳細に探る。

深海。

沿岸部。

極地。

岩陰。

地下水系。

火山性熱源周辺。


タルクは深海データを拡大する。


「前回確認した熱水鉱床帯。

生体反応、さらに広がっている。

微生物群だけじゃない。原始的多細胞群の反応が増えてる」


リナが画面に近づく。


「これは、生き物ですか」


「ええ。

あなたの祖先がいた時代の生物とは違うでしょう。

でも、地球の生命です」


リナは画面を見つめた。


黒い深海。

白く噴き上がる熱水。

その周りに広がる、目に見えないほど小さな命の群れ。


「地球は、暗い場所で生き延びたんですね」


タルクは頷いた。


「地表が壊れても、深海は別の時間で動いていた。

生命は、残れる場所で残った」


リナは、小さく呟いた。


「祖先たちも、そうだったのかもしれません。

地球に残れなかったから、残れる場所へ行った」


その言葉に、タルクは返事をしなかった。

だが、その沈黙は同意だった。



降下候補地は慎重に選ばれた。


高線量域を避け、比較的安定した沿岸高地。

かつて巨大津波が襲った地域から離れているが、海と大陸を同時に見渡せる場所。


リナは地表降下を希望した。


セリオスは一度反対した。


「危険がある」


「承知しています」


「地球は、あなたの想像の故郷ではない。

実際には、荒廃した星です」


「だから行きたいのです」


リナの声は静かだったが、揺らがなかった。


「綺麗な記録だけではなく、現実を見なければ、私は地球を受け継いだとは言えません」


ナディアがセリオスを見る。


「同行させるべきです」


セリオスは少し沈黙したあと、頷いた。


「短時間。安全範囲内。異常があれば即撤収」


「はい」



降下艇が地表へ降りる。


リナは窓の外を見続けた。


大陸が近づく。

海岸線が広がる。

崩れた地形。

灰色の岩場。

まばらな微生物植生。

遠くに青い海。


着陸。


ハッチが開く。


リナは、防護装備越しに地球の地面へ足を下ろした。


一歩。


その瞬間、彼女は動けなくなった。


地球の風が吹いた。

薄く、乾いて、生命の匂いの少ない風。

それでも、風だった。


「……地球の風」


彼女はそう言った。


声は震えていた。


レオムが少し離れて見守る。

タルクは周辺の生体反応を確認している。

ミレナは線量計をチェックする。

セリオスは時間を測っている。

ナディアはリナを見ていた。


リナは、地面に膝をついた。


荒れた地表。

砂と岩。

微かに張り付く膜状の生命。

遠くの海。


彼女は手袋越しに地面に触れた。


「あなたたちは、ここを離れたんですね」


誰に向けた言葉なのか、誰にもわからなかった。

祖先か。

地球か。

あるいは、1億年前にこの星で笑っていた人々か。


「逃げたんじゃない。

繋いだんですね」


ナディアは、その言葉を記録した。



その日の夜、《エルディアス》では、ガイア記録堂から持ち込まれた古い歌が再生された。


地球脱出者たちがガイアに到着した初期に歌っていたものだという。

原型は地球の歌だが、長い時間の中でガイア語が混じり、旋律も少し変わっている。


リナが、その歌を小さく歌った。


メビル人たちは静かに聞いていた。


そこへ、青いカプセルから復元された青柳光子と柳川優子の映像が流れる。

二人が、子どもたちに語りかける場面だった。


光子の声。


「忘れんでよか。

でも、忘れんことに押しつぶされんでもよか」


優子の声。


「覚えとくって、泣き続けることやないけんね」


リナは、涙を流した。


「この人たちは……本当に、祖先たちを支えていたんですね」


ナディアが答える。


「ええ。

そして今も、あなたを支えている」


リナは映像の中の二人に向かって、小さく頭を下げた。


「ありがとうございます」



第十六観測記録は、リナの証言を含む共同記録となった。


第十六観測記録。

メビル調査船エルディアスは、ガイア地球系統民代表リナ・アークレイを伴い、再び地球圏へ到達した。

リナは、地球を直接見た最初期のガイア地球系統民代表の一人となる。


軌道観測により、深海熱水鉱床周辺の生命反応拡大を確認。

地球は地表に深い傷を残しながらも、深海生態系において再生を続けている。


地表降下では、リナが祖先の星の風と地面に触れた。

彼女は、地球脱出を“逃亡”ではなく、“命を繋ぐ選択”として受け止めた。


最後に、ナディアはリナの言葉をそのまま記録した。


「地球は、私の知らない故郷です。

けれど今日、私は初めて、その故郷がまだ存在していることを知りました。

傷ついていても、静かでも、地球はここにありました」


記録は保存された。



翌朝、リナは展望区画で再び地球を見ていた。


セリオスが隣に立つ。


「後悔していますか」


「いいえ」


「つらかったでしょう」


「はい。

でも、見てよかった」


少し間があった。


リナは、地球を見つめたまま言った。


「ガイアに戻ったら、子どもたちに伝えます。

地球は、ただ滅びた星ではなかった。

まだ息をしていた、と」


セリオスは頷いた。


「メビルにも伝える」


「何をですか」


「地球は警告であり、故郷であり、再生途中の星だと」


リナは少し微笑んだ。


「それなら、地球も少し報われますね」


窓の外で、地球は静かに回っている。


遠い昔、人類はこの星を離れた。

そして1億年後、その子孫が戻ってきた。

完全に帰ることはできない。

住むこともできない。

だが、見ることはできた。

触れることはできた。

記憶を、現実につなぐことはできた。


地球は、まだそこにあった。


そして、それだけで十分に、次の記録へ進む意味があった。



第16話・終

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