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1000光年の亡命  作者: リンダ


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数式の残骸

 第8話 数式の残骸


 青いカプセルの解析は、夜になっても止まらなかった。


 《エルディアス》の解析区画には、いくつもの映像と数値が浮かんでいる。

 一方には、青柳光子と柳川優子の笑い声。

 もう一方には、地表と地下施設から採取された放射性同位体の崩壊系列。

 あまりにも違う二つの記録が、同じ文明から出てきたものとして並べられていた。


 ミレナ・オースは、疲れた目で数式の列を見つめていた。


「これで、ほぼ確定ね」


 レオム・サイが顔を上げる。


「何が?」


 ミレナは指先で解析図を拡大する。

 そこには、地層ごとに検出された放射性物質の比率、崩壊時間、分裂生成物、熱変質履歴が並んでいた。


「この星の高線量域は、一つの出来事でできたものじゃない。

 何段階もある」


 タルク・イシェンが眉をひそめる。


「段階?」


「まず、兵器由来と思われる瞬間的な核分裂反応。

 次に、反応炉や貯蔵施設の損壊による長期汚染。

 さらに、津波や火山活動で汚染物質が再移動している」


 ナディア・フェルンが静かに言う。


「破壊が、破壊の後にも続いた」


「そう」

 ミレナは頷いた。

「撃たれた瞬間だけじゃない。

 その後、地球そのものが汚染を運び続けた」


 セリオス・ヴァーンは、投影された数式を無言で眺めていた。

 メビル人の緑色の瞳には、数値の反射が揺れている。


「つまり、制御されたエネルギーが、制御を失った」


 ミレナは、その言葉をゆっくりと繰り返した。


「ええ。

 制御されたエネルギーが、制御を失った」


 解析班が最初に見つけたのは、地下施設の壁面に残っていた記号だった。


 津波堆積物に埋もれ、放射線と圧力で劣化し、ほとんど意味を失っていた。

 だが、いくつかの線と数字の並びだけは残っていた。

 レオムはそれを単なる標識だと考えていたが、ミレナは違う見方をした。


「これは工学式の一部かもしれない」


「数式?」

 レオムが聞き返す。


「そう。

 反応率、臨界、冷却、遮蔽。

 完全ではないけど、核反応を制御するための設計記号に見える」


 その断片を青いカプセルの技術データと照合すると、驚くほど一致する部分があった。

 青柳光子と柳川優子の映像が保存されていたアーカイブの奥には、娯楽だけでなく、当時の技術資料や社会記録の断片も含まれていたのだ。


 ノイズは激しい。

 数値は欠落だらけ。

 だが、いくつかの語が翻訳機にかかった。


 核分裂。

 制御棒。

 冷却材。

 臨界。

 炉心。

 弾頭。

 報復。

 抑止。


 解析区画の空気が変わった。


 タルクが、最後の二つの言葉を見つめる。


「報復。抑止。

 これはエネルギー利用の言葉じゃないな」


 レオムが低く言う。


「軍事の言葉だ」


 ミレナは、数式の残骸をさらに深く復元した。

 すると、同じ核分裂反応が二つの方向へ使われていたことが見えてきた。


 ひとつは、発電。

 都市を動かし、生活を支え、医療や工業を支えるためのエネルギー。


 もうひとつは、兵器。

 一瞬で都市を焼き、地下施設を汚染し、大気と海洋を変えてしまう力。


 同じ原理。

 まったく違う使われ方。


 ナディアが静かに言った。


「彼らは、星を照らす火と、星を焼く火を、同じ場所から取り出したのですね」


 誰も答えられなかった。


 会議室では、核反応履歴の再構築が始まった。


 投影された地球の三次元モデル上に、発生地点が浮かび上がる。

 都市圏。

 軍事施設。

 エネルギー施設。

 地下保管区画。

 海岸部。

 内陸部。


 そして、それぞれに時間推定が付与される。


「最初の大規模反応は、複数地点でほぼ同時」

 ミレナが説明する。

「その直後に、別の大陸側でも同様の反応が連鎖している」


「報復か」

 セリオスが問う。


「可能性が高いです。

 最初の攻撃、あるいは誤発射のあと、相互に反応が続いた。

 その後、エネルギー施設の損壊、冷却不能、汚染漏出が発生。

 さらに地殻活動と津波で、汚染物質が地下と海洋へ運ばれた」


 タルクが歯を食いしばる。


「一つの失敗で終わらなかったわけだ」


「終わらせる仕組みがなかったのかもしれない」

 ナディアが言う。


 その言葉に、ミレナが反応した。


「あるいは、終わらせるより先に次の反応が発生した。

 自動化された報復システムがあったなら、なおさら」


 レオムが、青いカプセルから復元された別の断片を表示する。

 そこには壊れたニュース映像らしきものがあった。

 画質は荒い。

 音声も途切れる。

 だが、緊急放送らしき雰囲気は伝わる。


 翻訳機が拾った断片。


 誤作動……

 発射……

 ニューヨーク……

 核攻撃と判断……

 報復……


 セリオスの表情が固まった。


「誤作動」


 ミレナが目を伏せた。


「これが最初なら、彼らは敵の意思ではなく、自分たちの機械に引き金を引かれた可能性がある」


 会議室が沈黙する。


 ナディアが、ほとんど祈るような声で言った。


「そして、それを攻撃と判断した」


 レオムが続ける。


「報復した」


 タルクが吐き捨てるように言う。


「そして星が壊れた」


 その流れは、あまりにも短かった。

 誤作動。

 判断。

 報復。

 連鎖。

 崩壊。


 1億年後の彼らがどれだけ慎重に分析しても、始まりはほんのわずかなズレだったのかもしれない。


 ミレナは、一人で解析室に残った。


 彼女は数式を見ていた。

 人類が残した、核分裂制御の式。

 反応断面積。

 中性子束。

 冷却効率。

 臨界管理。

 安全係数。


 きれいだった。


 それは、認めざるを得ない。

 数式としては美しかった。

 彼らは愚かなだけではなかった。

 理解していた。

 計算していた。

 制御しようとしていた。


 だからこそ、怖かった。


「なぜ、止まらなかったの」


 彼女は誰にともなく呟く。


 答えは数式の中にはない。

 数式は、どう反応するかを教えてくれる。

 だが、人間がなぜそれを兵器へ変えるのかまでは教えてくれない。

 恐怖。

 政治。

 権力。

 抑止。

 誤認。

 そういうものは、式に入れた瞬間、式ではなくなる。


 そこへナディアが入ってきた。


「まだ起きていたのですか」


「この式を見てた」


 ミレナは画面を指す。


「完璧ではないけど、かなり高度よ。

 彼らは核分裂を理解していた。

 エネルギーとして使う方法も、安全に制御する方法も知っていた」


「でも制御できなかった」


「技術は、たぶん制御できていた。

 制御できなかったのは、技術を使う社会の方」


 ナディアは、その言葉を静かに受け止めた。


「では、制御されたエネルギーが制御を失ったのではなく、制御する人間の仕組みが失われたのかもしれません」


 ミレナはしばらく黙ったあと、頷いた。


「それが一番怖いわ」


 翌日、青いカプセルからさらに別の映像断片が復元された。


 また青柳光子と柳川優子だった。

 今回は舞台ではなく、何かの番組のようだった。

 背景には、子どもたちや家族らしき人々。

 鳥たちの声も入っている。

 画面はノイズで歪むが、笑い声ははっきり残っていた。


 その映像の後ろに、別の断片が重なっていた。

 おそらく後世に追加された社会記録。

 戦争、核、平和、子どもたちへのメッセージ。

 翻訳はまだ不完全だったが、いくつかの言葉が拾われた。


 笑うことを忘れた時、人間ではなくなる。


 ナディアは、その一文を見た瞬間、手を止めた。


「彼らは、知っていたのですね」


 レオムが聞く。


「何を」


「人間が壊れることを。

 だから笑いを残そうとした」


 タルクが深く息を吐く。


「それでも、兵器は止まらなかった」


 その現実が、あまりにも重い。


 笑いがあった。

 知識があった。

 数式があった。

 それでも止まらなかった。


 いや、違う。

 笑いも、知識も、数式も、それぞれの場所では確かに人を支えたのだ。

 だが、地球全体を動かす巨大な構造には届かなかった。


 セリオスは、静かに言った。


「個人の良さだけでは、文明の暴走は止まらない。

 だから制度が必要だった。

 そして彼らの制度は、暴走を止めるものではなく、加速するものになった」


 会議室に、重い沈黙が落ちた。


 第八観測記録は、セリオス自身が読み上げた。


 第八観測記録。

 断片データおよび地層解析により、対象文明が核分裂反応を高度に理解し、発電および軍事利用の双方へ転用していたことを確認。

 複数地点に残る同位体比と熱履歴から、大規模核反応は連鎖的に発生したと推定される。

 一部復元記録には、誤作動、発射、攻撃判断、報復を示す語が含まれていた。

 対象文明は、制御されたエネルギーを得た。

 しかし、そのエネルギーを扱う社会的制御は、最後に崩壊した。


 彼は一度、言葉を止めた。


 そして、最後の一文を加える。


 制御されたエネルギーが、制御を失った。

 あるいは、制御できると信じた文明が、自らの恐怖を制御できなかった。


 記録が保存される。


 その夜、《エルディアス》の艦内では、青柳光子と柳川優子の映像が静かに再生されていた。

 笑い声が流れる。

 その裏で、数式の残骸が並ぶ。


 笑い。

 数式。

 兵器。

 報復。

 沈黙。


 同じ文明が残したものだった。


 窓の外で、地球は青く回っている。

 深海では生命が呼吸し、地表では高線量域がまだ残り、地下施設は沈黙している。

 そして1億年前の数式は、いまだに異星人たちへ問い続けていた。


 知ることができたのに、なぜ止まれなかったのか。

 制御できると思った力を、なぜ持ちすぎたのか。

 守るための技術は、いつから滅びの装置になったのか。


 答えはまだ、見つからなかった。


 第8話・終

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