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1000光年の亡命  作者: リンダ


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言葉は羽より軽い



第三十七章 言葉は羽より軽い



最初に異変に気づいたのは、朝倉レイではなく、鷹宮美咲だった。


「……ねえ」


昼過ぎ、学校区画の中庭。

地球の子どもたちが、ガイアの子どもたちと一緒に何か話しながら走り回っている。

その様子を見ていた美咲が、ぽつりと言った。


「翻訳機、使ってないよね」


レイも目を凝らす。 


たしかにそうだった。

最初の頃は、子どもたちもガイアの子どもたちも、翻訳補助端末を首元か手首につけていた。

話すたびに少し遅れて意味が出てきて、そのズレで笑ったり、逆に困ったりしていた。

だが今、中庭ではそんな間がない。


アレン・シオが何か言う。

レンが即座に返す。

ミナ・レフがユイへ何か尋ねる。

ユイが普通に答える。

サラがリナ・フェスと同じタイミングで笑い、ハルトとケイル・ナハが競争のルールをその場で決めている。

コハルとソレア・ミルは、絵を見せ合いながら静かに話していた。

リクとユール・カシアに至っては、もう何かを地面に書きながら、翻訳機なしで議論している。


「……一週間やけど」

レイが呟く。


美咲が苦笑する。

「一週間やね」


たった一週間。

それなのに子どもたちは、ガイア語の音の流れをほとんど身体で覚え始めていた。

もちろん完璧ではない。

言い回しの細部や抽象的な語彙はまだ怪しい。

でも、“普通に話して遊ぶ”というレベルにはもう達している。


子どもはすごい。

レイは改めて思った。

言語を勉強としてではなく、空気として吸っているのだ。



その適応は、学校の授業ではさらに鮮明だった。


言語・対話担当のタレス・ミアは、最初の頃こそゆっくり、区切って、翻訳補助を前は提に話していた。

だが一週間目に入る頃には、地球の子どもたちへ向けても、かなり普通の速度で話し始めていた。


「今日は、数の並びと書き方を復習する」

タレスがガイア語で言う。


するとハルトが、ほとんど反射で返す。

「昨日の続き?


タレスが一瞬だけ目を丸くして、それから笑った。

「その通り」


レンが横から言う。

「でも、昨日のやつ、七と九がまだちょい紛らわしい」


ミナ・レフがそこへ入る。

「書く速さが速すぎるから」


「いや、書かんと覚えんやろ」

レンが返す。


そのやりとりが、もう普通の教室だった。

レイは後方で見ながら、少しだけ目頭が熱くなるのを感じた。

たった一週間前、この子たちはここが異星の学校であることに緊張していた。

今はもう、“七と九が紛らわしい”と文句を言う生徒だ。



基礎学習も本格的に始まっていた。


この星の歴史。

ガイアの時間体系。

一日30時間、一年480日というリズム。

季節区分。

国家という概念を持たない社会構造。

資源循環。

共同体の役割。

均衡の日。

環境との関係。


さらに、文字。

数字。

文法。

書き順。

地球語と違う、でもどこか規則性を感じる形。


コハルは、文字を絵として先に覚えた。

「この字、風っぽい」

「この字、水みたい」

そんなふうに言いながら、他の子より少し早く形を掴んでいった。


リクは数字に強かった。

ガイアの記数法の規則性を掴むのが早く、ユール・カシアと一緒に、地球式との対応表を勝手に作っていた。


ユイは文法が速い。

語尾の変化や、丁寧さの段階をすぐに聞き分けていた。

ミナ・レフもその吸収の速さに驚き、二人はすぐに“どっちがより自然に言い換えられるか”みたいな遊びを始めた。


ミオは単語の音をそのまま覚えるタイプだった。

意味より先に音が入る。

だから時々とんでもない場面で正しい単語を放り込み、先生たちを笑わせた。


サラはテレビとラジオで伸びた。

授業だけではじっとしていられないが、放送から流れてくる歌やコントや会話は驚くほど吸収する。

一週間もすると、ラジオの軽いトーク番組を聞いて、ガイアの子たちと一緒に同じタイミングで笑うようになっていた。


「意味、もうわかるん?」

ハルトが聞くと、


サラは胸を張る。

「だいたい雰囲気!」


リナ・フェスがそこで吹き出し、

「でも、合ってる」

とガイア語で言う。


レンは移動や機械の説明番組が好きだった。

ハルトはスポーツ中継っぽいものにすぐ反応する。

ケイル・ナハと二人で、ガイアの球技ルールを覚えるのも早かった。


一週間もすると、子どもたちはテレビもラジオも、翻訳機なしでだいたい普通に見て聞いていた。

全部完璧ではない。

でも“流れを追い、笑い、真似し、覚える”という意味では、もう十分だった。



一方で、大人側は見事なくらい四苦八苦していた。


朝倉レイ自身も例外ではなかった。


文法規則は頭でわかる。

単語帳も作る。

接続の仕方も整理する。

でも、実際に口を開くと、時制と丁寧さの位置がずれる。

発音が地球語の癖に引っ張られる。

抽象的な話になるほど言い淀む。

言いたいことの半分しか出てこない。


高峰悠真は、技術語彙だけは異様に早く覚えるのに、日常会話で転ぶ。

昨日もガイア側整備担当に対して、

「私はこの部品を尊敬している」

と言いたかったのに、微妙な文法ミスで、

「私はこの部品に恋している」

みたいな意味になってしまい、場を凍らせたあと全員を爆笑させていた。


白石凛は、単語そのものより“含み”で苦労していた。

地球語では成立する婉曲表現が、ガイア語では妙に回りくどくなってしまう。

逆にガイア的な簡潔さを真似すると、自分の中ではぶっきらぼうすぎる感じがして落ち着かない。


橘沙月は、医療用語は正確に飲み込むのに、雑談になると止まる。

イリオス・ヴェンから

「今日の体調はどうだ」

と聞かれて、

「概ね問題ないが、睡眠の質が若干」

みたいな返答になり、

それを聞いていたミレアに

「会話が診療記録です」

と真顔で言われていた。


久我颯人に至っては、表情の静けいさまで相まって、

「理解していないのに理解した顔をしている」

とアルシア・レンに静かに見抜かれた。

そこで久我がめずらしく素直に

「今のは半分しかわかっていない」

と認めた時、レイはむしろ少し嬉しかった。

昔の久我なら、そこを曖昧に押し通したかもしれない。

でも今は違う。

わからないなら、わからないと言う。

そのほうがこの星では信頼されるのだ。



そんな大人たちの奮闘を、子どもたちは面白がっていた。


「またレイさん、語尾まちがえとった」

「高峰さん、今日も部品に告白しとった」

「沙月さん、会話がずっとカルテみたい」

「久我さん、無言で乗り切ろうとして失敗した」


子どもたちは笑う。

でも、その笑いは意地悪ではない。

追いつかれたくないとか、見下しているとかでもない。

むしろ、先に馴染み始めた自分たちが、“大人も大丈夫だよ”と笑いの形で渡しているようだった。



そして、その空気をさらに盛り上げるために――

というか、ほぼ確実に余計な方向へ盛り上げるために――

ホログラム応援団が投入された。


いつものように投影円が立ち上がる。

最初に現れたのは、もちろんせきちゃん閣下。

今日も当然のように胸を張る。


「せきちゃん、かっこいい!」


その一声で、教室中の空気がほぐれる。


隣にはせいちゃん姫。

少し遅れて、きびまるときみちゃん夫婦。

さらに、あわまるとミール夫婦。

しらゆきとはる夫婦。

そして最後に、妙にきりっとした顔で登場するさつまくんと、

「あんたまた来たの」みたいな顔のキリちゃん。


ガイアの子どもたちは、すでにこの鳥たちの存在を知っている。

そしてかなり好きだ。

特にせきちゃん閣下の“根拠なき堂々さ”は人気が高い。

ガイア側教師陣ですら、若干楽しみにしている節がある。


優子が今日の趣旨を説明する。


「本日は、“ガイア語に苦しむ大人たちを応援する会”です!」


光子がすぐかぶせる。

「なお、応援とは言っても、励ますとは限りません!」


そこで子どもたちはもう笑っている。



最初の応援コントは、

“大人のほうが宿題に泣いている”

だった。


レイ役のホログラムが、真顔で文法表を見つめている。

高峰役が横で

「この部品を愛してる」

とまた言ってしまう。

沙月役は

「本日の気分は中等度です」

と自己申告し、

久我役は無言で乗り切ろうとして、アルシア役に

「今、理解していないですね」

と即座に見抜かれる。


そこでせきちゃん閣下が横から鳴く。


「せきちゃん、わかってる!」


「お前は何がわかっとるん!」

優子が突っ込み、教室中が笑う。


きびまるは、妙に早口でまくしたてる真似をし、

きみちゃんが横から「落ち着いて言えば通じるって!」とツッコミ。

あわまるは大げさに発音練習をしすぎて舌がもつれる真似をし、

ミールが「それもう言語じゃなくて踊り!」と返す。

しらゆきとはる夫婦は、静かに見守ろうとしていたのに途中から二羽で混乱して結局同じように慌てる。


その鳥たちの“応援”は、まったく役に立っていない。

むしろ状況をややこしくしている。

でも、それがいい。


ガイアの子どもたちは、お腹を抱えて笑っていた。

アレン・シオは机に突っ伏し、ミナ・レフは涙を拭き、ノアス・エルは「観察対象として非常に興味深い」と言いながら本人が一番笑っていた。

ソレア・ミルは笑いすぎて息が乱れ、シア・トレンは椅子から半分落ちていた。


サフィア・ノールでさえ、今日は先生の顔を忘れて声を立てて笑っていた。



そして、最後の決め手はやはり、さつまくんだった。


彼は胸を張り、キリちゃんの前に立つ。

ガイアの子どもたちは、その時点でもう期待でざわついている。


「今日は応援に来たよ」

とさつまくん。


キリちゃんが冷ややかに返す。


「じゃあ静かに応援して」


さつまくんが、妙に真剣な顔で答える。


「僕、静かな応援できるよ」


一拍置いて、


「れいちゃーん、がんばれー! ついでに僕とデートしよ!」


キリちゃん。


「軽すぎ。

しかも応援に私情混ぜすぎ。

ぷい。

やっぱりイモ」


そこでもう、地球側もガイア側も崩壊した。


レイは顔を覆いながら笑った。

ガイアの子どもたちは、“イモ”という単語をまだ完全には理解していない。

それでも、

“何か格下げされた”

という空気だけで十分面白いらしい。

リナ・フェスが「またイモだ!」と覚えてしまい、サラがそれを真似し、レンが「そこだけ先に覚えるな!」とツッコむ。


ミレア・トスは、笑いながらも真面目に言った。


「言語習得において、侮蔑的愛称の伝播が速いのは普遍なのかもしれない」


「分析が冷静すぎる!」

優子が返し、また笑いが起きる。



こうして一週間が過ぎる頃には、

子どもたちは翻訳機なしで普通に話し、

テレビやラジオも自然に見聞きし、

ガイアの基礎知識も文字も数字も吸収し始めていた。

そして大人たちは、その横で四苦八苦し続けていた。


でも、レイはそれを恥ずかしいとは思わなくなっていた。

むしろ、その不格好さも含めて“新しい文明に入っていく途中の姿”なのだと感じていた。


子どもたちは先に駆けていく。

大人は、転びながら後ろからついていく。

その差を笑えるなら、たぶんまだ大丈夫だ。



その夜、朝倉レイは記録端末に書いた。


子どもたちは、一週間もすると翻訳機なしでも普通に話せるようになり、テレビやラジオも自然に見聞きしている。

この星の歴史、文法、数字、文字、時間の考え方も、驚くほど速く吸収している。

一方で大人側は四苦八苦している。

文法で転び、発音で転び、雑談で転ぶ。

そんな私たちを、ホログラムからせきちゃん閣下、せいちゃん姫、きびまるときみちゃん夫婦、あわまるとミール夫婦、しらゆきとはる夫婦、さつまくんとキリちゃんが、応援という名の爆笑コントで励ましてくれた。

役に立たないようで、あれはたしかに役に立っている。

大人が転んでいるのを、子どもたちが笑いながら見ていられる。

それはきっと、“大丈夫、まだ一緒に進める”という空気なのだ。

言葉は羽より軽く、でも、世界を渡るには十分だった。


端末を閉じて、レイは少し笑った。


明日も、たぶんまた間違える。

高峰はまた部品に恋をして、沙月はカルテみたいに喋り、久我は無言でごまかそうとして失敗するかもしれない。

でもその横で、子どもたちは先に進んでいる。


それでいい。

きっとそれが、新しい星で暮らし始めるということなのだろう。



第三十七章・終



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