表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1000光年の亡命  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/47

フィルターの向こう側

 第十八章 フィルターの向こう側


 地球の自動送信は、ある日を境に、目に見えて減り始めた。


 それまでは、まだ機械だけがしぶとく声を出していた。

 浸水警報。

 放射線量上昇。

 換気異常。

 空気清浄フィルター差圧の限界警告。

 電源喪失。

 止水扉閉鎖不能。

 機械は、人がいなくなってもしばらくは律儀に自分の死を報告し続ける。


 だが鬼界カルデラの噴火以降、その“機械の残響”すら急速に細っていった。


 理由は単純だった。

 システム全体が、もう復帰不可能な段階へ入っていたからだ。


 地下生活区画の外気導入系は、火山灰と微粒子で詰まった。

 換気が落ちる。

 内部発電の負荷が上がる。

 発電機は冷却効率の悪化とメンテ不足で止まる。

 止まれば警報も出なくなる。

 つまり最後には、危機が終わったのではなく、危機を報告する機械のほうが死ぬ。


 高峰悠真は、受信卓のログを見ながら低く言った。


「フィルターの向こう側まで行ったんだ」


 朝倉レイはその言葉の意味を、すぐには掴めなかった。


「フィルターの向こう側?」


「空気をきれいにして、外の死を中へ入れないための最後の膜だよ」

 高峰は表示された消滅ログを指でなぞる。

「核でも津波でも放射線でも、地下の人たちは“フィルターのこちら側”にいる限り、まだ生きられた。

 でも、火山灰がそれを殺した。

 もう外と内の区別がなくなったんだ」


 レイは黙って画面を見た。

 もう更新されない日本沿岸の地下区画。

 北米西岸の途絶えた避難都市。

 東南アジア沿岸の沈黙した港湾シェルター。

 それらはみな、“内側”が失われた場所だった。


 外の死を遮る膜。

 文明とは、結局それを何枚重ねられるかの技術だったのかもしれない。

 そして地球はいま、その最後の膜まで破れている。


 一方、アーク・レヴァナントでは、助けを求めることが、ゆっくりと日常の言語になり始めていた。


 農業リングで藻類培養槽の掃除が遅れれば、機関区画の者が無言で来てくれる。

 教育保護区画で夜泣きの子どもが重なれば、医療班の休憩明けが「今日いけます」と入ってくる。

 機関部で当直者が寝不足を隠しきれなくなると、白石凛ですら端末を抱えて「記録室から人手一人出せる」と言うようになった。


 最初は、皆まだぎこちなかった。

 助けを出すことに慣れていないのではなく、助けを求められることに慣れていなかった。

 役職ではなく信頼で声が届くという経験が、この船の中でようやく育ち始めていたのだ。


 鷹宮美咲がある日の夕方、朝倉レイに言った。


「最近ね、子どもたちが“大人って助けてって言ってもいいんや”って思い始めてる」


「いい変化ですよね」

 レイが答えると、


 美咲は頷いた。

「うん。

 前は“大人は全部できるもの”っていう目で見てた。

 今は“できない時もあるけど、誰か呼べばいい”っていう目に変わってる」


 その言葉を聞いたレイは、胸の奥が静かに震えた。

 次の世代へ渡すべきなのは、強い大人の神話ではない。

 不完全でも助け合いで回る共同体の実感なのだ。


 鬼界カルデラ噴火の本当の広がりが見え始めたのは、その数日後だった。


 水城環奈が、ほとんど眠らずに整理した気候モデルを艦橋へ持ち込んだ。

 南海トラフ地震、核戦争由来の煤煙、広域火災粒子、鬼界カルデラ噴火灰、成層圏微粒子。

 それらを重ね合わせた簡易モデル。


「見て」

 環奈はそう言って、地球全体の気温推移予測を表示した。


 レイは最初、その色分布の意味がわからなかった。

 赤や橙ではなく、青と灰ばかりだったからだ。


「……これ」

 レイが言う。


「核の冬が、火山の冬を飲み込んでさらに深くなってる」

 環奈の声は乾いていた。

「太陽光遮断が広域化した。

 火山微粒子が成層圏に乗って、世界中で日射量が落ちる。

 もともと核戦争由来の煤煙で冷えていたところへ、さらに灰が乗る」


 高峰が表示を拡大する。

 赤道域。

 本来なら年間を通じて高温多湿であるはずの帯。

 そこですら、予測平均気温が異常に低い。


「赤道付近で……」

 レイが息を呑む。


「20度に届くかどうか」

 高峰が静かに言った。

「場所によってはもっと下がる」


 レイは言葉を失った。

 赤道が20度。

 その数字の異常さは、単なる寒冷化ではない。

 それは惑星規模の循環そのものが壊れているということだ。


「しかも終わりじゃない」

 環奈はさらに表示を進める。

「火山灰が大量に漂うから、地表アルベドの変化と日射遮断が長引く。

 農地は光を失う。

 直接噴火を受けていない地域でも、作物は育たない。

 寒冷化はさらに深まる」


「つまり」

 レイがようやく言う。


「鬼界カルデラの直接被害圏じゃない場所まで、遅れて死ぬ」

 環奈が言い切った。

「今まで“まだマシ”だった内陸や低緯度の一部も、これで終わる可能性が高い」


 その言葉は、核攻撃や津波とは違う種類の絶望を持っていた。

 破壊ではなく、気候そのものが敵になる。

 火も水も届いていない場所にまで、寒さと飢えと灰が遅れて訪れる。


 地球は、局地的な戦場ではなくなった。

 惑星全体が、時間差で人間を殺し始めている。


 その情報は、限定的に船内でも共有された。


 すべてをそのまま子どもたちに伝えることはしなかった。

 だが大人たちには、隠せなかった。

 なぜなら今この船が何を運んでいるのか、その意味がまた一段変わったからだ。


 レオニス系へ向かうことは、単なる脱出ではない。

 それは本当に、“地球の代わり”を探すことになりつつあった。


 観測ラウンジでは、数人の乗員が気候予測の簡略図を見ていた。

 誰かがぽつりと言う。


「火山の直接被害を受けてない場所でも終わるのか」


 別の誰かが答える。


「たぶん、むしろそういう場所のほうが遅れて絶望する。

 “ここならまだ生きられる”って思ってたぶんだけ」


 その会話を、朝倉レイは遠くから聞いた。

 “まだマシな場所”という概念が消える。

 それは、地球という惑星が人類の居住地として本当に終わりに近づいている証拠だった。


 教育保護区画では、その一方で、子どもたちがまったく別のものを育て始めていた。


 “ゆりかご”の星座の横に、新しい小さな星の集まりが見つかった。

 ミオは最初それを「おにぎりみたい」と言い、

 レンは「いや、どう見ても転んだ宇宙ペンギンやろ」と主張し、

 サラは「足が多すぎるけん宇宙タコ」と譲らなかった。

 結局、その日の多数決では“ころんだペンギン”になった。


 そのやり取りを見ていたレイは、思わず吹き出した。

 横にいた美咲も肩を震わせる。


「こういうどうでもいい争い、大事ですね」

 レイが言うと、


 美咲は深く頷いた。

「大事です。

 地球が終わっていく時に、子どもたちが星を見て“ころんだペンギン”って言えることが」


 それは綺麗事ではなかった。

 むしろ、生き延びるための現実的な機能だった。

 灰と寒冷化で地球が死につつある時に、この船ではまだ“どう見てもペンギンではない何か”をめぐって笑い合える。

 それが人間を保つ。


 その夜のホログラムセッションで、光子と優子は、最近の船内の変化を見抜いていた。


 優子が開口一番、言った。


「なんかさ、最近この船、前より“助けて”が上手になったね」


 ホールのあちこちで、小さく笑いが起きる。

 図星だからだ。


 光子が続ける。


「よかことやん。

 “助けて”が言える社会って、だいたい簡単には死なんけん」


 そこへ、後方から一人の機関士がぽつりと呟く。


「地球でも、もっと言えとったら違ったんかな」


 部屋が少しだけ静まる。


 優子はその声の方向を見て、すぐには笑わなかった。

 それから静かに答える。


「違ったかもしれんし、違わんかったかもしれん。

 でも、少なくとも“誰も助けを出せんまま壊れる”よりは、絶対ましやったと思う」


 その返しに、レイは深く頷いた。

 地球では最後、多くの場所で助けの言葉が間に合わなかった。

 あるいは、届いてももう支える側が消えていた。

 だからこそ、この船では助けを出せる文化を根にしなければならない。


 光子が、少しだけ厳しい顔で言う。


「助けてって言える人は、弱い人やなか。

 船ば沈めんために、ちゃんと穴を指させる人やけんね」


 その言葉は、船内自治の核心そのものだった。


 地球では、寒冷化の実害がすぐに現れ始めた。


 直接噴火を受けていない地域。

 遠く離れた大陸内部。

 高地でもない平野部。

 そうした場所で、まず農作物が急速に死んだ。


 日照不足。

 気温低下。

 灰の薄い降下。

 昼でも薄暗い空。

 季節の境目が壊れ、植物は生育信号を失う。

 家畜も次々と倒れる。

 水源には灰と酸性成分が混ざる。

 呼吸器疾患が広がる。

 体力を失った者から倒れ、わずかな備蓄をめぐって暴力が起きる。


 つまり、火山噴火の直接被害を受けていない地域にこそ、

 “逃げ場だったはずなのに、やはり死ぬ”という二重の絶望が訪れていた。


 環奈が低い声で言った。


「やっぱり地球は、ひとつの惑星なんだね」


 レイは彼女を見る。


「核戦争も、津波も、放射線も、火山灰も、全部ばらばらに見えて、最後はちゃんと全球へつながる」


 その言葉はあまりに静かで、あまりに重かった。

 惑星であるという事実は、本来なら生命のつながりを意味する。

 だが今は、死のつながりとして現れている。


 その夜、朝倉レイは端末を開いた。


 船内では、助けを求める声が自然になり、自治が回り始めている。

 役職で押し込むのではなく、足りない場所へ人が流れる。

 それは小さいが、本物の社会だ。

 その一方で地球では、鬼界カルデラ噴火による火山灰と微粒子が世界中の日射を奪い、核の冬がさらに深まっている。

 赤道付近ですら気温は20度に届くかどうか。

 そこへ灰が漂い、さらなる寒冷化が起きる。

 直接噴火の影響を受けていない地域でも、甚大な被害が出始めた。

 地球は局地的な崩壊を越え、惑星全体として人間の居住性を失いつつある。

 だからこそ、この船の中で“助けて”が言えることが大事になる。

 文明は、最後には気候や火山にも負ける。

 それでも、その前に人間同士で壊れきらないための文化は残せるかもしれない。


 書き終えると、レイは観測窓を見た。


 “ゆりかご”がある。

 “橋”がある。

 “灯台”がある。

 そして“ころんだペンギン”も。

 子どもたちの名前が増えていくたびに、この空は少しずつ“生きている空”になる。


 地球では、空が死に始めている。

 太陽光が遮られ、寒冷化が広がり、灰が呼吸を殺す。

 その対極で、ここでは人がまだ空に名前を与えている。


 その対比があまりに痛く、あまりに尊かった。


 第十八章・終

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ