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第五話「ユリアンのリハビリ奮闘記~小さな一歩、大きな前進~」

「ふぅ……」


 ゆったりとした昼下がりの陽射しが差し込む魔女の家。その一角にあるリハビリ室で、深谷達也は小さくため息をついた。


 今日は達也が初めて、リハビリ担当の職員ユリアン・レグナートのサポートにつくことになった。ユリアンは人間とエルフのハーフで、さらりとした金髪と透き通った翡翠色の瞳が特徴的な、明るく爽やかな青年だ。


「よろしく、達也さん! 一緒に頑張りましょうね!」


笑顔で手を差し伸べられ、達也も自然と表情が和らぐ。


「こちらこそ、よろしく頼むよ」


 そんな穏やかなやり取りの後、二人は今日の主役となる利用者、ルーシーのカルテを手に取り、その内容に目を通していた。


 ルーシー。穏やかな笑みを絶やさない老齢の女性。

達也が魔女の家に来てすぐの頃、よく微笑んで挨拶してくれた人物だ。

彼女はかつて、魔術師だったという。だが今は、その偉大な過去が信じられないほど、静かな日々を過ごしている。


「ルーシーさんは、歩行がかなり難しいようですね。身体に何か病気や怪我を?」


 ユリアンは小さく首を横に振った。


「いえ、彼女の身体自体は健康そのものです。ただ……」


 少し表情を曇らせ、ユリアンは言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。


「魔術師は生まれつき体内に多くの魔力を蓄えていますが、その蓄積量には限界があります。彼女のように長い間、魔法を使い続けると、体内の魔力を使い切ってしまい、『魔力枯渇症候群』と呼ばれる状態に陥ってしまう方もいらっしゃるんです。」


「魔力枯渇症候群……?」


「あまり聞きなれない病名でしょうが、珍しくありません。これは、体内の魔力が極端に少なくなったことで、筋肉や神経などの身体機能が著しく低下してしまう症状です。」


「……魔力が枯渇すると、そんなことが起こるんですね、、。」


 達也のつぶやきに、ユリアンは静かに頷いた。


「普通の怪我や病気ならば魔法や薬で治癒できますが、この症候群だけはそうはいきません。一度枯渇した魔力は、決して元に戻ることはないのです。だからこそ、地道なリハビリテーションによって、失われた機能を一歩ずつ取り戻していくしかありません」


そう説明を受けながら、達也はルーシーの姿を思い浮かべる。穏やかで優しい微笑みの裏側に、そんな複雑な苦難があるなど、今まで気づかなかった。


「……きっとルーシーさんは、辛い思いをしてきたんでしょうね」


 達也の言葉に、ユリアンは優しく微笑んだ。


「はい。けれど、彼女はとても強い人です。リハビリにも積極的で、どんなに成果が見えにくくても前向きに取り組んでくれています。ただ、それが彼女自身を苦しめることもあるんです。成果が出ないことに焦ってしまうから」


 ユリアンの翡翠色の瞳が、静かに揺れた。


「焦りや不安は、リハビリにおいて大きな壁になります。それに寄り添うことも、僕らの大切な仕事なんです」


 達也は、かつての自分をふと思い出した。前の世界で介護士として働いていた頃、どんなに努力しても改善しない症状を抱える利用者の姿に、無力感を覚えたこともあった。

その時の苦い記憶が、小さく胸を刺す。


「俺も、同じような経験があります」


 静かに達也がそう呟くと、ユリアンは達也を見つめ、小さくうなずいた。


「だからこそ、今日一緒にルーシーさんに寄り添ってほしいと思ったんです」


 ユリアンの声は穏やかで、迷いがなかった。


 窓の外を見ると、太陽が穏やかな日差しを届けている。

木漏れ日が優しく揺れ、庭には花が咲き乱れている。ここには、魔法という奇跡があるのに、その奇跡すら届かない痛みを抱える人がいる。その事実に、達也は改めて胸を打たれた。


 リハビリ室の扉が静かにノックされると、柔らかな笑みを浮かべたルーシーがゆっくりと顔を出した。


「今日もよろしくお願いしますね」


彼女はいつものように微笑んでいる。その笑顔の奥に、どれだけの苦しみがあるのか、達也はまだ知らない。

それでも今は、ただその笑顔に寄り添い続けることが自分の役割なのだと、強く感じていた。


________________________________________


 穏やかな陽射しが降り注ぐリハビリ室。窓から入り込む光が床や器具を柔らかく照らし、温かな空気を生み出している。


「さあ、ルーシーさん、今日はバランスの練習をより丁寧にやっていきましょう」


 ユリアンの明るい声が、部屋に響いた。彼は軽く腕まくりをし、真剣な表情を浮かべながら、ルーシーと向き合った。


 ルーシーはいつも通り、優しく微笑んで頷く。


「ええ、お願いね。ユリアンさん」


 達也は一歩下がって、ユリアンの動きを見守ることにした。今回はユリアンが主体となって進めるリハビリの様子を学ぶためでもある。


 ユリアンはまず、ルーシーが立ちやすいように手すりの高さを調節した。ルーシーの身長や手足の長さを細かく観察し、一つひとつ丁寧に位置を整えていく。


「手すりはこのくらいで大丈夫ですか?」


「ええ、ちょうど良いわ」


「よかったです。じゃあ、ゆっくりと立ってみましょうか。身体の重心をしっかり感じながらでいいですよ」


 ユリアンは優しく語りかけると同時に、ルーシーの動きを細かく観察している。彼の目には、達也が普段あまり気づかないような微妙な変化やズレも見逃さない鋭さが宿っている。


 ルーシーはゆっくりと椅子から立ち上がり、手すりを掴んで身体をまっすぐ起こそうとする。だが、わずかにバランスが乱れ、体が左右に揺れた。


「あら……やっぱり難しいわね」


 ルーシーが小さく笑うと、ユリアンは穏やかに微笑み返した。


「少し身体が右に傾いているようですね。ゆっくり、左足の裏に体重を感じるように意識してみてください」


 ルーシーはユリアンの指示通り、左足を意識しながら再度立ち直した。ユリアンは彼女の膝や足首の角度、重心の位置などを丁寧に確認し、細やかに声をかける。


「いいですよ、今度はとても安定しています。その調子でゆっくり呼吸してみましょう」


 ユリアンは静かな口調で言葉を添えながら、ルーシーの表情や動作をじっくり観察する。穏やかな表情の裏には、細部まで見逃さない鋭い観察眼が光っている。


「では、ここから少しずつ足を前に出していきましょうか。まず右足から。ほんの少しで構いません」


 ルーシーは微かに頷き、慎重に右足を前に出した。その動作はとても小さく、わずかな進歩に見えたが、ユリアンは目を輝かせて大きく頷く。


「とても良いですよ!今、しっかり足が前に出ました。その調子です」


ルーシーの頬に自然と赤みが差した。ユリアンの前向きな励ましが、彼女の中のやる気を引き出しているのだろう。


 次に左足を出そうとしたルーシーの身体が、ほんの少しだけ前方に傾いた。咄嗟にユリアンが前に踏み出し、静かに手を添えた。


「慌てずに。足を出す前に、まず重心をゆっくり意識して整えてみてください。落ち着いて、深く呼吸を」


 ユリアンの声は落ち着いていて安心感がある。

ルーシーは彼の指示通り深呼吸を数回行い、再びゆっくりと左足を前に出した。


 今度はうまくいった。彼女の表情に安堵の色が浮かぶ。


「できたわ……ありがとう、ユリアンさん」


 ルーシーの笑顔に、ユリアンは明るく微笑んだ。


「ルーシーさんが落ち着いて取り組んでくれたおかげですよ。これからも焦らず、じっくり進めていきましょう」


 達也はそのやり取りを黙って見守っていたが、内心、ユリアンの技術と細かな気遣いに驚いていた。介護の経験はあるものの、ユリアンのリハビリへの姿勢や言葉掛けの仕方には、学ぶべきことがたくさんあった。


 一通りの練習を終え、ユリアンはルーシーをゆっくり椅子へと誘導した。


「今日のリハビリはここまでにしましょう。とても良い進歩でしたよ、ルーシーさん」


「ええ、本当に……あなたがいてくれてよかったわ」


 ルーシーは頬を赤らめながら言った。その感謝の言葉には、ユリアンが注いだ温かな支援や前向きな声掛けが、確かに彼女に届いていることを示していた。


「また次も頑張りましょうね。焦らず、ゆっくりと」


 ユリアンは静かに微笑みながら語りかけると、達也の方を振り向き、小さく頷いた。その瞳には確かな誇りと、リハビリという仕事への情熱が静かに輝いていた。

 達也はそんなユリアンの姿を見つめ、自分もまた、ここで新たな気づきと学びを得ていることを強く実感していた。

________________________________________


 リハビリを終え、ルーシーが自室へ戻ったあと、ユリアンはリハビリ室の机に座り、静かにカルテを整理していた。その表情には、いつもよりほんの少しだけ翳りが見えた。


 達也はその微かな変化を見逃さなかった。


「ユリアン、大丈夫か?」


 達也の問いに、ユリアンは静かな笑みを浮かべた。だが、その目はいつもの明るさとは異なり、どこか複雑な感情が滲んでいた。


「ええ。ただ……ルーシーさんのことを考えると、もう少し僕にできることがあるんじゃないかって、思ってしまうんです」


 ユリアンはカルテをそっと閉じると、ため息をついた。


「ルーシーさんは本当に頑張ってくれています。ただ、成果がゆっくりで、本人も内心では辛いんじゃないかと感じる時があるんです。前向きな人ほど、そういう苦しみを一人で抱え込んでしまいますから」


 達也もその気持ちはよく理解できた。

介護の現場にいたとき、リハビリを真剣に頑張っている利用者ほど、内心では深い焦りや不安を抱えていた。それは前の世界でも、この異世界でも変わらない現実だった。


「何か、いい方法があるのか?」


 達也が尋ねると、ユリアンはしばらく考え込んだ。

そして、ふと顔を上げると、真剣な眼差しで達也を見つめた。


「……達也さん、魔術師が魔力を操るときのイメージ方法をご存知ですか?」


「いや……俺にはよく分からないけど」


「魔術師にとって、魔法は単なる術式ではなく、強いイメージが重要なんです。ルーシーさんは元々強力な魔術師でしたから、そのイメージ力は今でもきっと残っています。それを使えば、リハビリに役立てることができるかもしれません」


 ユリアンの瞳に光が戻ってきた。彼の中で何かがひらめいたようだった。

________________________________________


 翌日、リハビリ室に再びルーシーがやってきた時、ユリアンは優しく笑顔で出迎えた。


「ルーシーさん、今日は少し特別な練習をしましょう」


「特別な?」


 ルーシーは不思議そうに目を瞬かせた。


「はい。ルーシーさんは魔法を使っていた頃、どんなイメージで魔力を操作していましたか?」


 ルーシーは懐かしげに目を細め、少し考え込んだ。


「そうね……まるで小川の流れを手繰り寄せるような感じかしら。静かで、それでいて力強い流れを作り出すような……」


「素晴らしいイメージです。今日はそのイメージを使ってリハビリをしましょう。身体の動きを、小川の流れに見立てるんです。流れるように、自然に動かすイメージを持って」


 ユリアンは手すりの前に立ち、ルーシーを優しく導いた。


「まず、両手で手すりを掴んで立ちましょう。そして、小川が流れるように、身体をゆっくりと前へ進めてみてください。急がず、流れに身を委ねるイメージです」


 ルーシーは深く息を吐き出し、静かに目を閉じてイメージを作り出しているようだった。やがて彼女は目を開けると、小さく頷いた。


「やってみるわ」


 ルーシーはゆっくりと一歩前に足を踏み出した。その動きは、昨日よりも遥かに自然で滑らかだった。


「……今、とても良かったです!もう一歩、続けてみましょう」


 ユリアンの声は弾んでいた。ルーシーも明るい表情で頷き、さらに一歩を踏み出す。その動きは完璧とは言えなかったが、確かな前進を感じさせるものだった。


 数歩を歩き終えると、ルーシーは深く息をつき、目を潤ませながら微笑んだ。


「すごく……楽だったわ。こんな感覚、久しぶりね」


 ユリアンは達也の方を振り向き、明るく頷いた。彼の表情には確かな喜びと、自信が戻ってきていた。


 その日から、ルーシーのリハビリは新たな局面を迎えた。魔法を失った彼女が再び、自分の中に残されたイメージの力を頼りに、自身の身体と向き合い始めたのだ。


 一日の練習を終え、ルーシーが帰ったあと、ユリアンは嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「ルーシーさんが笑顔になってくれて、本当に良かった」


達也はユリアンの横で深く頷いた。


「ユリアン、お前はすごいな。魔術師の経験をリハビリに生かすなんて、俺には到底思いつかなかったよ」


 ユリアンは照れ臭そうに頬を掻いた。


「いいえ、僕もまだまだです。でも……リハビリは単に身体を動かすだけじゃなくて、その人の生きてきた人生や、培ったものを活かすことだと思うんです」


 ユリアンの言葉に、達也は心から感銘を受けた。


「その通りだな。俺も改めて勉強になったよ」


 ユリアンは嬉しそうに笑うと、小さく拳を握り締めた。


「これからも、もっと工夫していきますよ。ルーシーさんの歩みが止まらないように」


 達也もまた、小さく頷いた。

 その静かな決意がリハビリ室に穏やかな空気をもたらしていた。


_______________________________________


 ルーシーのリハビリが目に見えて進歩を見せ始めてから数週間後のことだった。


 魔女の家では、その日、ささやかな午後のティーパーティーが開かれていた。

施設内の庭にはテーブルと椅子が並べられ、利用者や職員たちが和やかに談笑している。陽光が柔らかく降り注ぎ、爽やかな風が穏やかに頬を撫でる、心地よい午後だった。


「ルーシーさん、最近すごく歩けるようになりましたね!」


 アメリアが明るい表情でルーシーに話しかけると、周囲にいた職員たちも頷きながら彼女を囲んだ。ルーシーは少し照れたように微笑むと、頬を染めた。


「ありがとう、アメリアさん。でも、まだまだよ。本当に少しずつなの」


「謙遜しなくてもいいのに。ルーシーさんが毎日一生懸命やってるの、みんな知ってますよ」


 横にいた達也も柔らかく声をかける。ルーシーは嬉しそうに小さく頷いたが、どこか居心地悪そうにもじもじしている。その様子を見ていたセリーヌが、少し意地悪げな笑みを浮かべながら口を挟んだ。


「まあ、この調子なら来月にはダンスパーティーでも開けるかもしれないわね?」


 その冗談に、周囲は笑い声を上げたが、ルーシーは大きく目を見開いて困惑した。


「ダ、ダンスパーティー? それはちょっと早すぎるわよ!」


「冗談よ、冗談。でもそれくらい順調だってこと。無理せず頑張りなさいな」


 セリーヌが肩をすくめると、周囲は再び穏やかな笑い声に包まれた。


 ユリアンはその様子を眺めながらも、心配げにルーシーを見ていた。順調な成果に喜ぶのはいいが、期待が過度な負担にならないかが気にかかる。それはユリアンがいつも気を配っていることだった。


 ティーパーティーが穏やかに進む中、ルーシーは周囲の励ましに少しずつ自信を深めていく自分を感じていた。ただ、その気持ちが微妙な焦りにつながっていることに、彼女自身、まだ気づいていなかった。


_______________________________________


 数日後、魔女の家では施設全体でちょっとした記念日のイベントが催されることになった。利用者たちは手作りの飾りを作り、職員たちは忙しなく準備を進めていた。


 そんな中、ルーシーは小さな決意を胸に秘めていた。

自分の足で、杖も使わずに、皆の前を歩いて見せようというものだ。


 イベント当日。施設の広間に集まった人々の前で、リリスが挨拶を述べている。その話が終わる頃、ルーシーは椅子から立ち上がった。周囲の視線が自然と彼女に集まる。


「ルーシーさん……?」


 ユリアンが驚いて声をかけるが、ルーシーは静かに微笑んだ。


「今日は私、自分の足で歩いてみるわ」


 その言葉に広間の空気が一瞬静まり返った。皆が息を呑む中、ルーシーはゆっくりと歩き出した。

最初の数歩は順調だったが、数歩進んだところで、急にバランスを崩してしまう。


「あっ……!」


 ルーシーの体がぐらりと揺れた瞬間、ユリアンと達也がほぼ同時に飛び出し、彼女を両側から支えた。広間には小さな悲鳴が響いたが、ユリアンがすぐに明るい笑顔で周囲を見渡した。


「大丈夫です!ちょっとしたパフォーマンスですよ!」


 達也も慌てて微笑み、合わせるように声を出した。


「そうそう、ちょっとした演出です!」


 ルーシーは恥ずかしさと申し訳なさで顔を赤らめていた。


「……ごめんなさい、調子に乗りすぎちゃったわ」


 彼女の呟きに、ユリアンは優しく微笑んだ。


「いいえ、誰だってそういうことはあります。でも、無理は禁物ですよ、ルーシーさん」


「そうね……気をつけるわ」


 ルーシーの反省に、周囲も穏やかに頷きつつ、温かな拍手を送った。セリーヌがにやりと笑いながら軽口を叩く。


「まぁ、杖なしでいきなり歩き出した時は本当に驚いたけど、パフォーマンスとしては満点だったわね。さすが元大魔術師ね」


 その一言で、広間には再び温かい笑い声が溢れ出した。


 ルーシーは照れ臭そうに笑いながら、静かにユリアンと達也に礼を言った。


「……ありがとう。あなたたちのおかげで助かったわ」


「無理はしないでくださいね。でも、その前向きな姿勢は僕らも見習わないと」


 ユリアンが微笑むと、ルーシーは小さく頷いた。達也は隣で小さく息をつきながら、心地よい安堵感を味わっていた。


 その一件がきっかけとなり、ルーシーも周囲も、リハビリの大切なポイントを改めて確認することになった。期待や前向きさは大切だが、無理をせず、自分のペースで進むことが何より重要なのだと。

そうして再び、施設には温かな穏やかさが戻ってきたのだった。


________________________________________


 イベントの後、職員の控室では、ちょっとした反省会が開かれていた。夕方の穏やかな陽が差し込む中、ユリアン、達也、セリーヌ、そしてリリスが静かにテーブルを囲んで座っている。


「今日は、本当にヒヤッとしたわね」


 セリーヌが苦笑いしながら紅茶を口に運ぶ。

その隣では、ユリアンがどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「僕の配慮が足りませんでした……。ルーシーさんが、あそこまで無理をするとは思っていなかったので」


「いいえ、ユリアンさん。あれは私たち全員の責任ですわ」


 リリスは優しく微笑みながら言葉をかける。


「あんなにルーシーさんが前向きになってくれたのは、あなたの熱意と工夫のおかげです。だからこそ、彼女も張り切ってしまったのですから」


 達也も深く頷いた。


「そうだよ、ユリアン。確かにヒヤッとしたけど、ルーシーさんがあそこまで頑張ろうと思えたこと自体が、すごく良いことだと思う」


 達也の言葉に、ユリアンの表情が少しだけ明るくなった。


「……ありがとうございます。でも、やっぱり、僕らがもっと気をつけなくちゃいけませんね」


 そう言いながら、ユリアンはふと窓の外を見つめた。

その視線の先には、杖をつきながらゆっくりと庭を散歩するルーシーの姿があった。彼女は静かに空を見上げ、穏やかな表情を浮かべている。


「ルーシーさん、今度は何を目標にすればいいか、少し迷っているのかもしれません」


ユリアンがぽつりとつぶやくと、部屋は静かな空気に包まれた。


 リリスは柔らかな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと口を開く。


「目標は大切ですわ。けれど、目標はあくまでも一つの目安。大事なのは、これからどう過ごしていくか。その過程がもっと大事なのかもしれませんね」


その言葉に、達也は静かに頷いた。


「……確かにそうだな。リハビリはゴールじゃなくて、歩き続けるための道そのものなんだな」


達也の言葉に、ユリアンも深くうなずいた。


「達也さんの言う通りです。そのことを、僕ら自身が忘れちゃいけませんね」


 セリーヌがふっと笑った。


「なんだか、今日は達也までいいこと言うじゃないの。少し見直したわ」


 達也が苦笑すると、控室には再び柔らかな笑い声が広がった。


 翌日、リハビリ室でルーシーはいつものようにユリアンと達也の前に座っていた。昨日のことがあってか、彼女の表情にはまだ少しだけ気まずさが残っている。


「昨日はごめんなさいね……二人にまた迷惑をかけちゃったわ」


「いえいえ、気にしないでください。むしろ、無事で本当に良かったですよ」


 ユリアンが優しく微笑むと、ルーシーも照れ臭そうに笑った。


「それに、ルーシーさんのチャレンジ精神には僕らも学ぶところがあります。でも、これからは、少しずつ、小さな目標を立てて進んでいきましょう」


 ユリアンの優しい言葉に、ルーシーは小さく頷いた。


「小さな目標……ね」


ユリアンは柔らかく微笑み、ふとアイデアが浮かんだように口を開く。


「そうだ、今度、庭でピクニックをしませんか?そこまで自力で歩いていけるように、少しずつ練習しましょう」


 ルーシーの瞳が明るく輝いた。


「それは素敵なアイデアね!じゃあ、達也さんはお弁当担当ね」


ルーシーの唐突な提案に、達也は一瞬ぽかんと口を開けたが、すぐに苦笑して返した。


「え、俺が作るのか?……まあ、いいけど」


セリーヌが通りがかりにその会話を聞き、ニヤリと口を挟む。


「達也のお弁当?それ、別の意味で勇気が試されるわね。私も参加してあげるわ」


 達也がさらに眉をひそめると、ユリアンが笑いを抑えながらフォローした。


「まあまあ、僕も手伝いますから。ね、ルーシーさん」


「ええ、楽しみにしているわ」


 ルーシーは嬉しそうに笑い、ユリアンと達也を交互に見つめた。

その表情には、焦りや気負いではなく、ただ純粋に前を向くことの喜びと期待が満ちていた。


 夕暮れ時、魔女の家にはいつもの穏やかな空気が戻っていた。ゆっくりと前に進むこと、小さな目標を大切にすること。そんな当たり前のことが、何よりも重要なのだと、達也たちは改めて感じていた。


 達也はリハビリ室の窓から夕陽に染まる庭を見つめながら、心の中で静かに誓った。


 これからも、彼らと共に、小さな一歩を積み重ねていこう、と。

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