閑話休題 短編 ー「喉元と夜」ー
冷凍庫から取り出したウイスキーの瓶は、外気に触れてすぐに白く曇った。
背の高いグラスに氷を三つ落とす。澄んだ音が、狭い部屋に短く響いた。
琥珀色の液体を注ぎ、冷えた水で割る。五分と五分。淡い香りがふわりと立ちのぼる。
口に含むと、冷たさが喉をすり抜けていった。
下唇に残るざらりとした感覚は、不規則な暮らしの証のように思えた。
グラスを置くと、氷が小さく鳴った。その響きだけが、部屋に生きている証を残す。
静かすぎる夜。
人並みに働き、人並みに歳を重ねてきたつもりなのに、積もったものより、こぼれてしまったもののほうが多いように思う。
忘れた顔が、思い出せる顔よりも多いのかもしれい。
誰かと生きる未来を、かつては夢見たこともあった。
けれど、そのどれもが、手を伸ばす前に消えていった。
残ったのは、こうしてひとりでグラスを満たす習慣だけ。
「結局、自分はこういう人間なんだろう」
心の中でつぶやく。自嘲でも諦めでもなく、ただ確認するだけの言葉。
テーブルの端に置いた小さなランプが、淡い光を静かに広げていた。
その明かりを見ていると、どこか遠い場所で、自分を待っているものがあるような気がしてくる。
気のせいかもしれない。それでも、そう思えるだけで少し救われる。
今日も、特別なことはなかった。
明日も、おそらく同じだろう。
それでも夜は続き、氷は溶け、光は消えずに灯っている。
グラスをもう一度手に取り、残りをゆっくりと口にした。
冷たさの奥に、かすかな温もりを探すように。
喉元にしんとした熱さが夜を告げる。
いつかこんな夜を好きでいられますように。




