芽生え
「じゃあ、帰るから」
「うん」
見送りはいいからと断ったが、まだ怠そうな体を引きずって彼は玄関まで来てくれた。
「ありがとう、たくさん」
「…別に何もしてないよ」
そう返すときょとりと目を丸めて、首を僅かに傾げたが、
「ばいばい」
と手を振って見せた。
今日はなんだかひどく疲れた。考えることは沢山あったがどうにも瞼が重かった。
そういえば、今日失恋したんだったな。
思い出してしまって、少しだけ枕を濡らしながら眠った。
次の日、学校にあいつは来ていないようだった。昨日あれだけ顔色を悪くしていたら当然かと思うが。
つい違うクラスの教室を覗いてしまったが、友だちでもないのに気恥ずかしい。
帰り道を歩いてると、ヤカンを片手に彼がとぼとぼと歩いていた。まさかこんな所で見かけるなんて、声を掛けるか迷ってしまう。
いっその事このまま立ち去ってしまいたかったが、昨日の惨状やどこか哀しげな横顔が脳裏を駆け巡った。
「おい」
「…あ、」
「なにしてるんだよ、体調悪いんだろ」
「へーき、げんき」
表情は乏しいながら、ない力瘤を作ろうと腕を持ち上げる姿は少し可笑しくて笑ってしまいそうになる。
「それに、きょうはパパとあうひだから」
「ヤカン持って?」
「うん、おはなとおみず」
その言葉につらとこいつが歩いて来た方向に目を向ける。墓地だ。
「…あなたのことも」
「え」
「たすけてくれた、うれしかった」
「ありがとう」とふんわり笑って礼を言われ顔を背けてしまう。
初めて笑う顔を見たけれど、存外に普通に同い年の男だ。しかし、面と向かって感謝されるとどうにも照れ臭い。
「もう帰る?」
「うん」
「じゃあ送る」
やっぱりほっとけないし、こいつが怪我したらあの子が心配するし。「いいだろ?」と一応問い掛けの形を取ったものの、答えを聞く前にヤカンを奪って歩き出す。
しばらくすると慌てたようにこちらを追いかける足音が聞こえてくる。
「お前、お母さんは一緒じゃなかったの?」
「パパとあうときは、ひとり」
「ふーん、まあ女親に聞かれたくない話もあるか」
話をしていたと言っていたから、なんとなくそう返す。彼はぱちりと目を瞬いて、一つ息を吐いてから口を開いた。
「ママは、パパのせいだとおもってる」
「え?」
「くび、しめられるの」
長い黒髪を揺らしながらてってっと数歩分だけ前に出て行った。表情が見えないが、声色は強張っているように思えた。
「パパの、おそうしきからだから」
「じゃあ、ともだちってお父さん…」
「んー、ちがう」
「あ、そう…」
頭が混乱して来たが、こいつが首を絞められるようになったのはお父さんの葬式からで、お父さんの仕業じゃなくてともだちの仕業なんだけど、お母さんは勘違いしてる訳か。
「というか、それだとお母さんは幽霊信じてるんだな」
「おそうしきでパパにあったから」
「…幽霊見えるのか?」
「うまれたときから、パパもみえてた」
思わず立ち止まってしまった。彼はこちらを意識して見ないようにしているらしく、それに気づきはしなかった。
嘘みたいな話だが、昨日の変に浮いた彼の姿と首筋にしっかりと残っていた手形を思い出して冗談だと笑い飛ばす事は出来なかった。
「もうあえないけど」
溢れてしまったみたいな小さな声は寂しさが詰まった涙の塊みたいで、早足で彼に駆け寄った。
その肩を掴むと、さっき見た笑顔とは違いぼんやりと虚空を見つめるような顔をしていた。
「おそうしきのひ、」
「パパ、あいしてるって」
「でも、」
くび、しめられた、と続いた言葉にどう反応すべきか分からずまた固まってしまった。
「それから、あえない」
「だからパパのせいじゃないの」
きっともう沢山悲しんで来たのだろう、涙一つ流れていないのに泣いてるようだった。
同じ幽霊が見える理解者だった父親が、幽霊になったら自分を殺そうとした。それからも違う幽霊に命を狙われて、痛い思いをして、辛くはないのだろうか。
そんな事は聞けはしなかったが、これだけは確かめなくてはいけなかった。
「お父さんのこと、どう思ってるんだ?」
だってこいつは、未だに一人で墓参りに来るぐらいお父さんの事が好きなのだ。俺の問いに下を向いてしまった彼は言葉を探すようにゆっくりと深呼吸をした。
顔を伏せたまま、ぽつりと指切りをしたのだと言った。ずっといっぱい一緒に居てあげると。
「またあいたい」
なんだこの違和感は、としきりに晴れないモヤの中にいるようで不安が拭えない。
あまりにも危機感がない。幽霊が生まれた時から見えているとしても、どうして生への必死さを感じられない。堪らず責めるような口調で言葉が出てしまった。
「おまえは死にたいの?」
しにたい、と音から意味を探るように復唱する彼はなんだか幼く見えた。
「ううん」
「じゃあ、なんで、」
「しにたいんじゃない、でも」
一つ瞬きをして、続けて彼はぽつりと言った、
「しにたくないも、ない」
こちらを見つめているはずの瞳はどこか遠くを見ているようだった。
「それだけ」
となんでもないように零した彼に腹の底のざわめきは収まらなかった。どうしてこんなに息苦しいのか、わからないまま彼を見つめ返した。




