七「side of w」
私は例のお告げの喫茶へと向かうために、移動をしていた。記憶が確かならばあのコンビニを曲がった先に──
コンビニ...
コンビニ...?
今、私何が見えて──あれ、私今何を──あれ、私なんだっけ、私はムニ──違う。違くない。私は...
そう、コンビニ──あ?どうして──
──記憶が確かならばあの鍛冶屋を曲がった先に、喫茶シャーヴが店を構えてるはずです。
私は建物によじ登って、上からトランクを持った男とやらを待つこととした。
あの人だろうか。周りを最低限の首の回転で数秒ごとに確認しながら、いかにもなロングコートを身にまとい、挙動不審に路地裏に入ってきた男がいた。ですが、よく目を凝らすとトランクらしきものは見当たらないですね。
誰かを待っているのか?
路地裏に物珍しいものなど一つとしてないだろうに、男は壁に背中を預けて動こうとしない。なるほど、今からトランクを持った男が来るのでしょうか。
──来た、
こちらもこちらで逆に目立つんじゃないとかという格好で訪れた。間違いなくトランクを所持している。それを捉えたであろう待機していた男は近寄って、会話を挟むことなく、傍から見れば奪い取るようにそのトランクの受け渡しは行われた。そして互いに背を向けあい、通りへと帰ってゆく。
スムーズ過ぎて、会話を交わしている間に二人まとめて片付けてしまおうという私の思惑のタイミングを逃すほどだった。
変更しましょう。なにも怪しげな取引の裏に潜む巨大な陰謀を解き明かすのが目的な訳じゃありません。要はトランクを確保すればそれでいいのです。
私は二人の男の間に十分な距離が生まれたのを見計らって、トランクを受け取った男の背後に飛び降りた。心配しなくとも音をたてるなんてヘマはしていない。
仮に背後に気配を察知していたとしても大丈夫。もう意識は奪っているので私の姿は見られる前だったでしょうね。もう一人の男にこの異常事態を把握するなんて芸当ができないのは、さきの取引以前の情報から分かっています。
立ち振る舞い、体重のかけ方、目の使い方、どれをとってもお粗末でしたから。
さて、トランクを確保して、これからどうしましょうか。この中にべーレ様を救う術が入っているのであれば、急いで持って帰るのが最善の選択でしょうね。
私はなるべく早くべーレ様の元へ向かうべく、レンガ造の屋根を渡って城にもどった。
******
べーレが持ってきたトランクの中に入っていたのは一本の注射であった。これは確か──
「これは、以前問題になった『天からの贈り物』の覚醒剤ではないか。」
そうだ、父様が大事になる前に沈静化するために余さず回収し、製造元の研究機関も潰したはずの、あの覚醒剤によく似ている。
この覚醒剤は安全性が保証されていない。さらにこれがどういった代物なのかが未だに分かっていないのだ。
実験における偶然の産物、それがこの覚醒剤。
「ゴホッゴホッ」
「父様!大丈夫ですか」
「僕たちが父様を運んできます」
「私たちが父様を寝室へ連れていきます」
やはり父様は無理をしていたのだろう。咳込んで倒れてしまったので、フリントとキャロルが慌てて父様に駆け寄ってそう申し出た。部屋には、ムニと俺と、俺の手を繋いでいる少女と、辛そうな表情を浮かべたべーレだけが残った。
ラトロは一旦家に帰らせている。
......べーレの呪い、
ラトロの力、
呪いは移してもその者が死んだらべーレに戻る、
俺の横にいる少女、
少女は不死に近い力を持っている、
ムニの持ってきた覚醒剤、
俺が決めるのか?
俺が決断しなきゃいけないのか?
皆、気づいてないのか?
俺にとっての最優先事項はなんなのか思い出せ──間違いなくべーレだ。
あの預言のおかげでピースは全て揃っている。あとは俺が決断するだけ。
妹と、ついさっき出会った少女のどちらを助けるか。いや、違う、問いがおかしい。妹の死を静観するか、少女を永遠の地獄へと落とすか、そのどちらか。
少女を殺すだって?
見ず知らずの俺を、余計だったとはいえ助けようとしてくれたこの子をか。そんなんで生き延びた命でべーレが喜ぶと思うのか。
なら、伝えなければいいじゃないか。そうすればべーレが気に病むことはない。
仮に移したとしたらどうなるのだろう。永遠に死ぬことも叶わずただ苦しみ続けるのだろうか。
本来死ぬはずじゃないこの子に呪いを移すなんて、それじゃあ俺がこの手でこの子の命を──
「──っ」
「あっごめん」
いつの間にか少女を握る手に力が入ってしまっていたようだ。謝ろうと目を合わせると少女は怯えた表情を見せる。
俺は今どんな顔でこの子を見ているのだろうか。
「ウィル様」
「...なんだ、ムニ」
「私はウィル様がどんな決断をしようと、その判断が正しいと思います。どちらを選んでも私はウィル様を軽蔑することなどありませんから。」
気づいていたのか。
「俺は、俺はべーレを助けたいけど、でも、それにこの子の犠牲が必要なんだったら、俺はそんな決断できないんだ」
「その子、さっきギフトの説明は聞きましたけど、他にもなにかあったんですか?ただウィル様が救い出しただけじゃないんですか」
ムニが俺の傍に近寄る。
「この子は、俺を助けてくれたんだ」
「────」
やっぱり、べーレは他の方法を見つけて救
******
呪いをべーレからこの奴隷にに移すことにした。幾許かの逡巡と躊躇いはあったが、やはりべーレが一番大切だ。他人と家族と、どちらの命に価値があるかなんて明白だ。
たとえ冷たい人間だと思われてもいい。
他人のうちに、情が湧いてしまわないうちに、早くこの奴隷に呪いを移そう。
「別にこんな脅しみたいなマネしなくても協力しろと言われたら協力したのに」
月明かりのみで照らされる暗い部屋の中、感情がいまいち汲み取れない微笑を浮かべながらラトロはそういった。俺が連れ去ってきたのだ。
「......じゃあ協力してくれ」
ムニが注射をトランクから取りだした。別にラトロを押さえつけている訳じゃなく、いつでも逃げ出せる状態にしているのだから、協力するって意思表示だよな。
共犯になるってことだよな、いいんだよな。
注射針がラトロの右腕に刺さり液体のかさが減る代わりにラトロの中に注入されていく。それを眺めて、次の手筈に思考を切り替えようとした瞬間。突如、ラトロが呻き声をあげた。
「ううぅ」
見ると、腕の血管が俺から見ても明らかな程に膨張して強く脈打っていた。
「大丈夫か!ラトロ!」
「うぅ...ああ、大丈夫だよ。少し熱くてビックリしただけさ。それよりもはやいとこ実行しよう。何が起きるか分からないしね」
尋常じゃない量の汗を額から流しながらラトロはそういった。
ありがとうラトロ。今だけはその嘘に甘えさせてくれ。後で土下座でもなんでもする準備は整っているから。
ラトロは、奴隷の子の右手に左手を、べーレの左手に右手を重ねた。
「いくよ」
眩い金の光がラトロの右手から放たれたかと思えば、次の瞬きが終わる頃にはその光は消え失せ、べーレを苦しめていたどす黒いなにかがラトロを侵食していた。そして奴隷の子へと──
「ぐあああああ゛あ゛あああああああ゛あ゛うわあ゛あ゛ああ゛
ああああいいいい゛いああああ゛
う゛ああ゛あああ」
その咆哮はラトロのものだった。奴隷の子はその声に怯えて涙目になっているだけ。
は?なんでだ。なんで?
呪いの影響なのか?それとも無理矢理力を覚醒させたからなのか?左手の与える力が発動していない。
どうすればいい。考えろ、このままじゃヤバい。
あ、このままじゃラトロは死んで、べーレも死ぬんじゃないのか──
クソっくそっ最悪だ、最悪の結末だ。絶対に回避しなければいけない。現状を把握しろ、ラトロの左手が機能せずに奴隷に移すはずだった呪いがラトロを蝕んでいる。ラトロを生かさねば何もかも失敗に終わる。
頭を回すんだ。思考を途切れさせるな。
そして俺はさらに最悪の選択をした。
咄嗟のことだった。作用しているラトロの右手の手首を掴んで、奴隷の子に触れさせたのだ。「あっ」とムニがこぼしたときにはもう手遅れだった。
少女の持つ『天からの贈り物』《ギフト》──超回復はラトロへと譲渡され、そして不老不死へと覚醒を遂げる。
永遠と続く生が、訪れない死がラトロに約束された。
ラトロは力尽きたように突然気を失い、地面に頭を強く打ちつけた。黒い、とても黒い何かがラトロの体を尚も永遠に蝕み続ける。これからも。
違うんだ、本当はこの奴隷にそうする予定だったんだ。ただ予定外のことが起きて冷静に判断ができなくて、ラトロを死なせたくないと思ったから、咄嗟に、あとのことを考えずに、そう、違うんだ。
ラトロがこうなってからようやっと俺が、奴隷の子にどんな所業をしようとしていたか分かった。べーレが助かればそれでいいと浅はかに考えていた自分の愚かさも。
でもラトロにこうする予定はなかったんだ、本当だ。だって左手が使えないなんて思ってもみないじゃな──
「ウィル様!落ち着いてください!」
「落ち着いて息を吸ってください!」
「聞こえてますか、ウィル様!」
頭がムニの腕に引き寄せられ、そのまま温かい胸に収められた。
「大丈夫です。辛いですよね。でも仕方のないことです。べーレ様が救えたならいいじゃないですか。何があっても私は味方だって言いましたよね?」
「何も考えたくないですか?あとは私に任せてください。ウィル様は何も気に病む必要ないですよ。辛いことは忘れてしまいましょうね──」
駄目なんだよそれは。俺はラトロを確
******
べーレは奇跡的な回復をした。
それはもう、呪いにかかっていたなんて嘘だったんじゃないかと疑ってしまうような見事な回復っぷりだった。
「いやあ、心配かけたねお兄ちゃん」
「本当だぜ、マジで焦ったんだからな」
二ヘラと笑うその顔がもう一度拝めるのがこんなに嬉しいとはね。散々見てきたその顔に鬱陶しさすらついこの間まで感じてたのに。
「そういえばムニはどこいるの」
ムニ?だれ──何言ってんだうちのメイドじゃないか。付きっきりで看病してて寝てないから、脳が疲れて使い物にならないな。
「そういやムニはどこいってんだろな」
「ここでございます、ウィル様」
うわ、心臓に悪いな。いつの間に背後にたってたんだよ。時々こいつがメイドなのかアサシンなのか分かんなくなるな。影薄いよなこいつ。
「ところでお兄ちゃん、あの──」
「どうした?」
「──いやなんでもないや」
「それならいいんだけど、」
なにはともあれこれで一件落着だ。明日からまたこれまで通りの日常パートに入れるだろうな。
「じゃあゆっくり休めよ。俺寝てくるから。」
俺は部屋に帰った途端に緊張の糸が途切れ、溺れるようにベットに体を沈めた。
極度に疲れていたので、夢は見れなかった。