三「押し付け合い」
最初の国王はどちらがやるか。
兄妹が熱く展開している討論の論点はそこだった──擦り付け合いと表現した方が適切かもしれない。
一日目は他の日と比べて必要業務が山積みとなっている。業務机の上は見るだけで目眩がするような、一見するだけで難しいと解る書類が無造作に置かれていて、その数や向こうに置かれてあるであろう椅子が見えなくなるほどだった。
故にどちらも譲らなかった。
互いに罵詈雑言を浴びせ合い、断じて就くまいと固い意思を主張し合った。
「じゃあ勝負で決めようか。」
「いいぜ兄者、望むところだぜ。その方が手っ取り早くて助かる。」
「題目は山手線ゲームだ。ルールは至って単純明快、指定されたジャンルから連想されるワードを言っていき、最初に途切れた方、もしくは五秒の間隔が空いた方の負けだ。ジャンルはここにある紙を引いて決定。順番は対して関係ないが俺から行かせてもらおう。」
「異論は無い。」
「私が判定を致しましょう。」
俺が提案したゲームを、ベーレが承諾し、ムニが審判を買って出た。
「山手線ゲーーム」
俺がゲームの開始の合図をすると、べーレも「いえーーい」と盛り上げに貢献する。
「お題は───『初夢で見ると縁起の良いもの』。いきます、一富士。」
「二鷹」
「三なすび」
「......」
開始早々沈黙が流れる。このまま五秒過ぎてしまえばべーレの負けが確定するが──
「五秒経過しました。」
無情にも冷淡な声でそう告げられ、敗北が確固たるものとなり、次いで今日の雑務担当も決まった。
「ちょっと待てやゴラ。」
しかしながら、 決した勝敗に難癖をつける者がいた。そう、我が妹である。せめて散り際くらい潔くあろうという気概を持ち合わせていないのだろうか。
「なんだ何か不満でもあるのか。」
「不満も何もズルだろそんなん、勝ち目ないじゃんか。」
はて、身に覚えが微塵も、塵芥も、これっぽっちもないのだが。勝てないと悟るや否や相手のイカサマにしようとする、そこまで性根が腐っていたかこの女。可愛げだけでこの弱肉強食の世は渡っていけないと思い知れ。
「今のゲームのどこに欠陥があったと言うんだい。教えてもらおうか。」
「初夢なんてお題三つしかないんだから先攻が勝つに決まってんじゃん。」
「おやおや、不当な言いがかりはよしてもらおう。第一最初にルールを説明した際に同意して頂きましたよね。それを今更ズルだなんておっしゃるのは、いささか虫が良すぎではないですかね。
おい、お前こいつを連れて行け。」
俺はいつの間にか黒服へと着替えを済ませて、後方で待機していたメイドこと取り立て屋のムニに合図を送った。
「御意」
「おい、ムニ、そんなやつの味方になる必要なんてない。ムニだっておかしいと本当はわかってるんでしょ。ちょっ、いい子だから止めなさい。わかった、昨日プリン食べちゃったの怒ってるんでしょ。また買ってきてあげるから許してちょうだい。」
ただの意思のない機械と化したムニは、容赦なくべーレを抱きあげ、作業机へと連れていった。心の底から気乗りしないべーレは足をバタバタさせて僅かながらの抵抗を見せるが、抵抗虚しくフィジカルお化けメイドの体幹は揺るがなかった。
「うわあああ離せええええ、か、金か、金ならいくらでもあるぞ。ほ、ほらこの小切手に好きな額書くがいい。百万でも二百万でも、なんなら一千万でも構わないぞ。」
よほどショックだったのか著しくキャラ崩壊を起こしている。ってかそれ国の資金だろ。
「そうだな、その哀れで無様な姿は見るに堪えない。我が救済措置をしてくれようではないか。」
そう、俺も流石に仕込みで勝つのは、少しばかり罪悪感を覚える。正々堂々勝って今日一日ダラダラ過ごす方が気持ちよく眠れるだろうしな。
「お前が勝ったら今日は俺が仕事をやってやろう。だが、もう一度お前が負けたら、その時はお前が一週間仕事をやるんだ。」
「そ、そんなお兄ちゃん。元はと言えばお兄ちゃんがイカサマを。しかもその条件は少し厳しすぎ──」
「んんんん?いや俺は別にこのままで支障はないんだけどね。でも一日目のって大変なんだろうなあ。あ、もしかしてビビっちゃってるのかな?」
「やってやんよ。今に見てろよ。お前の泣きっ面、とくとこの目で拝んでやるわ。」
余程最後の一言が聞いたらしく、心外だと言わんばかりに、あっさりと明らかに妹が不利な提案を呑み込んだ。負けん気の強い我が妹の性格から、どうすればこちらの土俵へと踏み込ませられるか予測するなど、俺にとっては造作もないことよ。
「じゃあ引くからな。」
「お待ちになって遊ばせお兄様。」
ここで待ったがかけられる。声の主は他でもなくべーレである。その顔には、全部お見通しだとでも言いたげな、不敵な笑みが含まれていた。
「私が引かせて頂きたく存じますわ。あら、何もやましいことなどしていないのであれば全く差し支えないでしょう。」
「くっ、だが最初にルールで...」
「先程のゲームはもう既に終わっているんですのよ。そう、これは全く新しいゲーム。ならばルールも継続されないのが道理ではなくって?
いいですかお兄様、そこまで頑なに拒むというのは暗に、このカード全て『曜日の種類』だとか、『指の種類』だとか奇数番目で完結する類のものってことを認めることになりますのよ。」
「...好きに引けばいいだろ。」
べーレは高らかに声をあげ、俺を早口で糾弾すると、 俺のその言葉を諦めととったのか、「じゃあそうさせてもらうわ」と、生意気な笑みを崩すことなく、複数残るカードからひとつを選び取って天高く掲げた。
「私の勝ちよ──」
長い、長い沈黙だった。
──ふっ、馬鹿め。
お題を見つめて呆然と立ちつくすべーレに今度はこちらが、
「ははははは、そうだよその顔だよ、最高だぜ。俺がそんな間抜けな仕掛けにする筈ないだろうが。いい気味だなあ。」
と、詐欺師顔負けの獰猛な口角のつり上げ方で、いまだに状況が飲み込めていない愚妹を煽り散らかした。
ムニが紙に書かれたお題を覗くと、そこには『四季』の二文字があった。
「お兄ちゃん...まさかここまで状況を見越して準備をしていたのか。たかがどっちが最初に王になるかぐらいで..というか見失ってたけどこれじゃあ山手線ゲーム成り立ってたい...」
「勝負は始まる前に決着をつけておくものだ。覚えておくこったなあ。最初のだけは奇数個のものにして目印を付けておき、あとは全て偶数個のお題にしておいたのさ。
じゃあ俺は惰眠を貪るとするぜ。」
******
と、夜行性の俺が安心して早朝に布団に潜り込んで、いい具合に睡魔が襲ってきたところ、何やら外から騒音が聞こえてきた──これでは寝れるものも寝れなくなってしまう。
「ちょっと、別にいいじゃない」
「困りますメリル様。これでも仮にもウィル様はこの国の王、無断で部屋に通すことはできません。」
「あんたね、朝に世話焼きの幼なじみがいつの間にか上に乗ってて、朝無理やり起こされるっていうのはテンプレなのよ。というかあんた達、べーレは仕事してたから仕方ないけどウィルはただのサボりじゃない。ちゃんと起こしなさいよね。ウィルが来ないとなぜだか私が注意されるんだから。」
「すみません」
「分かればいいのよ、分かれば」
おおい、警備もっと気合い入れろよ、ザルすぎんだろ。何子供相手に討論負けてんだよ。
と、布団の中で愚痴っているといきなり部屋の扉が開かれた。俺には眩しすぎる存在感を放ちながら腕を組んで仁王立ちしているのは傲岸不遜を具現化したような女──同時に俺の幼馴染のメリルであった。
「起きなさいウィル。ってあんたの事だから置きっぱなしでしょうね。」
「流石、よく分かってるじゃないか。今から俺は快適な睡眠時間へと入るところだったんだ。用があるなら後にしてくれ。」
「そうはいかないわ。あなた前の試験もサボったでしょ。これが最後のチャンスだって先生言ってたわ。国の王が留年なんて前代未聞、他国からもこの国の国民からも一生笑いものになること間違いなしよ。」
「この国の民は俺に敬意ってもんがないのかね──ぐへぇ」
国王のありがたきお言葉を遮ってみぞおちにローキックを食らわせた女は後にも先にもコイツしかいないだろう。
「ぺちゃくちゃ言ってないで早く準備しなさい。人の好意は無下にするもんじゃないんだから。」
せっかくべーレに業務を押し付けてきたのに学校に行かなければならないなんて、とんだ災難である。昨日一人で山手線ゲームの紙を作ってた俺があまりにも可哀想だった。
******
「ありがとうね、二人とも。」
「いえいえ、家族ですからね助け合うのは当然ですよ」
「そうそう、家族は助け合っていくものです。」
私が大量の書類の前で泣き喚いているのを見兼ねて、双子の可愛い弟と妹の、フリントとキャロルが手を貸してくれていたのだった。
まだ6才になったばかりの彼ら彼女らに仕事を押し付けてしまっているのは申し訳ない、申し訳ないのだが──
「あっ、姉さん。その書類もうやったやつだから触らないで。」
「あっ、お姉ちゃん。その書類にはそのハンコじゃないよ。」
「あ、ごめんなさい...」
優秀すぎる弟と妹というのも考えものだった。お陰で部屋の端で萎縮しているしか私には出来ない。
「姉さん。姉さん本当は今日学校なんでしょ。僕達のことは気にしなくていいから行ってきなよ。」
「お姉ちゃん。私たちがやっておくから学校行ってきていいよ。」
遂に事実上の戦力外通告を受けてしまった。多分気を遣わせているというより、何もしないんならどっか行ってくれない?、という意味合いが強いだろう。
私は申し訳なさそうに部屋を後にしてこう思わざるを得なかった。
あの子たち王にした方がいいんじゃないか──と。