十七「気持ち」
いつも何かを忘れている気がする。
******
俺は至福の休日を元奴隷の少女であるバニアと、余計な付属品であるベーレと共に過ごした。終始べーレのペースに振り回されっぱなしだった感は否めないが別に構わなかった。楽しければなんでもいいさ。
途中からメリルとラトロも加わって俺ら一行は騒々しさをまして街を闊歩した。明らかにバニアがラトロを懐いていることはいささか気に食わないが、そこは器量の大きさを見せつけなければ。何よりもほんの少しだけバニアが笑ってくれただけで出かけた甲斐があったというものだ。
恒例っていえば恒例の服屋お着替えイベントもあっのだが、その頃にはとっくに俺は女子グループから蚊帳の外に出されていたので肉体美を拝むことは叶わなかった。南無三。
まあそこまではいいのだ、ここ最近外に出過ぎという実感がして気持ち悪さも感じるけれど、そこもまあいいのだ。むしろその日に起きた事件は今から語ることの方なのだから。
******
俺は散々買い物に付き合わされた挙句に、「ああ、お兄ちゃん別に帰ってもいいよ」とあんまりな仕打ちを受けたので、本当に帰ってやった。俺としては冗談で言ったべーレの言葉を真に受けてマジで帰ってやることでせめてもの反抗としたつもりだったがしかし、実際に止めなかったあたり、本気で言っていたのかもしれないのでだとしたら俺があまりに救われなさすぎるなと、そんな思考を回していた今日この頃である。
俺は天使を見た。
それはもしかして女神だったかもしれない。
はたまたそれは、俺のクラスメイトのアンナだったかもしれない。
いずれにしろ、とても美しかったことに変わりは無い。それにしてもアンナは女神との兼業を始めたのか。言ってくれたら働いてるところを見に行ったのに。
とまあおふざけは置いておくとして、アンナは真剣な面持ちで、ズンズン足を進めていた。そういえば今日の買い物にアンナがいなかったのは、用事があるからとラトロが言っていたが、これからその用事とやらに向かうのだろうか。
「アンナじゃないか。どこかに向かっているのか?」
急に声をかけられて驚いたのか体をビクンと跳ねさせてアンナはこちらを向いた。
「あ、ウィルくんですか
えーと、ですね。あー」
一瞬言い淀んだようにも見えたが、俺が待っているとバニアは何かを決意したような表情で話し始めた。
「ウィルくん、私今から私のお兄ちゃんが入院している病院に向かおうと思うんです。というのもですね...ウィルくんが気づかせてくれたように、私に能力が──他人を回復させる能力があるのなら、お兄ちゃんが事故で失った足を取り戻させてあげたいんです」
ああ、前のタイマン部の見学の時にそんなことをバニアに言った気がする。無意識的に俺の傷を癒していたバニアならばあるいは、そんな芸当も可能なのかもしれない。何よりそれが出来るのなら応援すべきだろう。
「できるかわからないけど、私にもできることがあるならやってみたいんです。お兄ちゃん、元々凄い人だったんです。なんでもできるし誰からも好かれて...それこそウィルくんみたいに」
俺のどこに共通項を見いだしているのかは疑問だが、流石にここで口に出すほど空気の読めない男ではない。
「でも事故で足を失ってからというもの、明るくは振舞ってくれてるんですけど、やっぱりどこか元気がなくて。でも妹の私に期待の目を向けられても代わりになんてなれなくて。だから治してあげたいんです」
...少し引っかかる部分はあるけれど、大元が兄への愛だと信じよう。
「そうか。バニアの能力ならきっと治せるさ」
「そうでしょうか。でもやっぱり自信がなくて...そうだ、ウィルくん。着いてきてくれませんか」
それでバニアが安心するなら喜んでついて行こうとも。というか彼女にこんな風に頼まれて断れる男児は世界は広けれど皆無だろうて。
俺とバニアはこの国でも随一の広さ──というよりこの国唯一のまともな病院といった方が正しいかもしれないが──を誇る病院についた。受付にバニアが顔を出すと、毎日通っている効果か、受付担当の女の人はバニアの顔を見るやいなや「どうぞ行ってください」と、仕草で促した。
二階へと昇ってある程度進むとバニアは立ち止まって恐らくバニアの兄がいるであろう扉に手をかけた。
俺も身だしなみを整えねば。「お兄さん」に挨拶となれば第一印象が大事なのは言わずもがな。第一声を「お兄さん!大丈夫です!妹さんは僕が守りますから!」としようかと検討している間にバニアが声をかけてしまった。
「お兄ちゃん。気分はどう?」
「来てくれたのか。別に毎日来なくてもいいのに。そうだな、気分はまあまあかな」
そこには顔立ちの整った透き通るような声の持ち主がベットに横たわっていた。何だこの好青年は。俺にとっての好青年のいうステータスは悪印象でしかないぞ。初っ端から俺に好青年という烙印を押されたこのお兄さまは俺の印象をどうやって挽回するのだろうか。
「お兄ちゃん。私、『天からの贈り物』が発現したの。それでね、お兄ちゃん。私の能力を使えばお兄ちゃんの足を元に戻せるかもしれないの」
「...それ、本当か? いや、でも本当だとしても...」
そこのところは俺のお墨付きだから安心して欲しい。
「ところで彼は誰なんだ」
おっと俺のことかなそれは。しがないクラスメイトですね、今はまだ。それよりもお前バニアと親しげに話やがってお前こそ何者だ。
「俺はバニアの兄だ」
「知ってるわ、そんなこと」
「ねえ、お兄ちゃん。大丈夫、安心してください。ウィルくんに私の能力を使ったら、ウィルくんの怪我は治ったの。だからお兄ちゃんの足もきっと治ります」
バニアは何をそんなに焦っているのだろうか。さっきから様子がおかしい気がする。それはこの兄もだ。
「ああ、でも俺も足のことは受け入れてるし...いや、わかったよ。バニアに治してもらおうかな」
「勿論です」
バニアはバニア兄の足に手をかざして目を閉じた。すると周りの空気が重くなり、魔法陣が空間に形成され、淡く光り輝く。
一筋の汗がバニアの頬を伝った。
──そして見ると、彼の足は、なかったはずの足は、元からそこにあったかのように生えていたのだった。
彼はそれを見て息を呑み、バニアはそれを見て汗を拭って心底嬉しそうな笑みを見せた。
「良かった...成功した」
「......」
俺は彼の顔を見た。
彼の顔からは安堵も嬉しさも感じられなかった。彼の顔は明らかに違和感があった。そしてそれを隠しているのだと、俺にはわかった。バニアも見れば気がつくのだろうが、さっきから「これならお母さんも...」とブツブツ呟いているだけでどこかを見つめているだけだ。
彼は俺の顔を見た。即座に意図を汲み取った俺は、バニアをこの病室から外に出すべく「ちょっと飲み物を買いに行かないか」と提案する。
「あ、そうですね。でも私もう帰ります。かなり疲れてしまったので」
やけにあっさりと帰るのだな。もう少し兄と喜びを共有し合うと思ったのだが──しかし今は好都合だ。一刻も早くバニアをこの病室からだそうと手を引いて外に連れ出す。
「じゃあウィルくん、私他にも用事があるのでここで帰らせてもらいます」
「わかった。俺はこの病院に知り合いが入院しているからついでに見舞いに行くよ」
勿論嘘だが、大してバニアは疑いもしなかった。彼女が階段を駆け足で降りていくのを見守った後、直ぐに病室に入った。
「大丈夫で...」
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち気持ち悪い悪い気持ち悪い気持ち悪い」
そう叫びながら近くの花瓶を割って手に入れた破片で、自らの回復した足を切り裂くバニア兄の狂った姿がそこにはあった。
「何やってるんだお前!」
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い──頼む、この足を切り落としてくれないか」
何を言っているのか分からない。明らかに正気を保っていない。
「違うんだ、これは俺の足じゃない! 気持ち悪い、気持ち悪い。知らないんだこんな感触、ああ、どんどん違和感が! 助けてくれお願いだから! 何なんだよこれ!」
──違う、彼は正気を失ってなどいなかった。むしろ正気を保っていたから「それ」が許容出来なかったのだ。彼の全神経が「それ」を拒絶していた。ただの違和。言ってしまえばそれだけの「それ」が彼には到底受け入れられない。
そもそも彼女の能力は本当に『治癒』なのだろうか。冷静に考えれば無から足を作り出すなんてそんなこと──
そう考えていると突如、彼の「足」が形を崩し、個体とも液体とも取れない形状と化した。それだけじゃなく、膨張もしている。暴れ狂っている。俺はほぼ反射的に彼の足をぶった切った。
彼の足からは当然血が勢いよく流れたが、俺と彼にとってそんなのは些細なことだった。
「今のは一体...」
そして俺を、息つく暇なく漠然とした不安感が駆り立てた。バニアは今何をしに、どこに向かっているのだろう。
「君! 俺のことはいいからバニアのことを止めに行ってくれ!」
バニア兄も同じことを考えていたようで、そう指示を出された。とはいっても一体どこにバニアはいるのか──
「墓だ! バニアはきっと母親の墓に向かっているはずだ。なんとしても止めてくれ」
それを聞いた俺は病室を飛び出した。
******
私の家は、昔はとってもいい家でした。
少し厳しい父。とても優しい母。なんだってできる兄。私は特に得意なことはなかったから父には叱られてばかりいたけれど、お母さんが守ってくれました。だから私は幸せでした。
母が死んでしまうまでは。
母が死んでからというもの、堰き止めが外れたように父は厳しくなりました。お兄ちゃんは完璧を要求され、なまじ天才だったがために、その要求を全て受け入れてしまいました。そのおかげなんて思うのは性格が歪みすぎていると自覚していますけど、間違いなくこのおかげで私には当たり散らかすようなことはありませんでした。
しかし、お兄ちゃんが足を怪我した時、父はやるせない怒りの矛先を私に向けました。それもそのはずです。これまで隠れ蓑──いや、私を守ってくれていた存在がいなくなったのですから。ですが私はそれに耐えきれませんでした。たとえ数日とはいえ、それでも。
そんな私に僥倖がありました。
能力が発現したのです。
私はまず兄の足を治そうと試みて、それは成功しました。ここで私は気がつきます。
足を治癒できたというのは、その部位を新しく生み出せたということ──ならば、だとしたら、もしかして、死者でも体を新しく生み出せるのではないでしょうか。
******
目の前にいるはずのお母さんはいず、代わりに気持ちの悪い化け物がいるだけでした。
******
ギリギリのところだった。
案の定彼女は墓にいて──いや、ギリギリアウトだったか。既に彼女には相当な、それこそ今後一生悪夢に見るようなトラウマが植え付けられていることだろう。
その化け物は俺を縦に三つ位並べたほどの巨体に、極太の胴体。胴体と四肢の区切りがどこなのかはわからない。しかし顔だけは俺たちと同じぐらいの大きさなのが、更に不気味さを増幅させていた。
バニアはそれを目の前にしても動こうとしない。当然か。
俺はバニアに害が及ぶ前にその化け物の巨体を二等分にした。続けて更に二等分、二等分、二等分、と細切れにしていく。辺りが紫の血で染まりきった頃に、その肉塊は動かなくなった。
「...あ...え、お母さん...あれ、」
放心状態だったバニアの脳が動き出す。
そして冷静じゃないバニアは俺に詰め寄って声を絞り出した。
「な、なんで、お母さんを...なんで殺した」
バニアにはさっきの化け物がお母さんに見えたのだろうか。それに俺を責めるのはお門違いだ。俺が助けなかったらバニアは死んでいただろう。
俺は掴まれていた胸ぐらからバニアの手を力づくで放して突き飛ばす。悪いが俺にバニアまで回せる心の余裕は無い。
******
心当たりだけでバニアに『治癒』をされたのは二回ある。俺は一体何なのか、何をされたのか、何で補われていたのか。一度気になり始めるとそれは際限なく全身に蔓延する。得体の知れない恐怖として。
俺の怪我はバニアの兄の「それ」やバニアが生み出した「化け物」と同じもので治されたのか。それを治されたというのか。
気づかれないうちに俺が俺じゃないものを内包していた──なんて気持ちが悪過ぎる。
いつまでも己が己でないという恐怖は拭えない。
今も、そしてこれからも。